幸福の科学主催の『影を売る女』を観て現代社会を熟考する?
幸福の科学主催の映画『影を売る女』のロードショウを観てきました。
この主演は、長谷川奈央さんでした。
その主演キャラの恋人役になる人はの役は、田中宏明氏でした。
ともに幸福の科学の信者であると聞きました。
しかし、両人とも若いです。
ともに30代中盤に差し掛かろうとするにもかかわらず、20代を映画では演じていても違和感はないわけですから。
まあ、それは良いとして(笑)、この映画は、主人公である河合夕子が易者に占ってもらった直後に、怪しげなトンネル内で黒マントの男に声をかけられて、「あなたの影を売ってもらえれば、何でも自己実現をさせてあげる」といわれて、そのまま自分の影をそのマント男に引きちぎられて去られてしまう。
その後、宝くじに当選する、ひったくりの人間がひったくったカバンをもって逃亡する場面に出くわした時に時を止めるという念じによってその逃亡者をストップさせてそのかばんを取り戻して、その報労金をもらい、その額1000万円と次から次に大金を入手する幸運に見舞われる。
最大のクライマックスは、夕子の勤める会社で政府が欲しいキャッチコピーを夕子が何気なく言葉にした「女の勘、魔法の答え」という言葉が採択されて、見事、それが政府に賞賛を受けるまでになり見事採用。
そして、その過程で、エリート官僚の安田金次郎に逢い、付き合うことができた。
それのみならず、その初対面時に3千万円もの袖(裏金)までも入手する。
それ以降の金取得の内容は映画を見ていただきましょう。
しかし、ある時、夕子は自分に本当に影がなくなっていることに気づいたのみならず、その金次郎や勤める会社の同僚たち大勢に夕子の影がないことがばれてしまい、金次郎とは距離を置かれ音信不通になり、会社に出られなくなった夕子は家に引きこもってしまう。
そして故郷に住む実父の訃報を聞き、故郷にまで足を運んで、哀しみにくれる。
その実父からの遺産を得ることで黒マントの男に逢った時に目標にしていた1億円を得ることができた。
ここで夕子が思ったのは、大金を得ることで犠牲にしたことは大きかった、ということでした。
恋人を失う、周りから変人視される、親の死に目にも会えない…こういうことが起きたのは、ひとえにあの黒マントの男が悪魔であるということでした。
大金を得るには、大きな事柄を犠牲にしなくてはならない、ということはよく言われることです。
シリコンバレーの成功者の中には、高収入でありながら家庭は崩壊して、物欲に囚われ続ける人がいます。
高級車を何台も買い、倉庫まで建てて保管する。
しかし、心の満足は得られず家庭は不和に陥っていく。
収入が何千万あっても住居費や教育費、保険料で毎月の生活は圧迫していく。
そんな例はアメリカだけでなく、日本にも多くあるのです。
家庭を顧みず、仕事仕事に打ち込んできただけのゆえに高収入は得られたけれども、精神的な安泰は得られないのみならず、身体を壊す結果になってしまっている。
こういう実態が今の金持ちなのだということを庶民派の経済学者だった故.森永卓郎(下写真)がいろんな著作で語っていたことなのです。
ゆえに、そういうラットレースはやめよ、ということをもしきりに書いていたのです。
この『影を売る女』でも共通するのは、大きな金額を手にすることは、犠牲を伴うということです。
周りの人間から人と思われなくなり避けられるようになった、親の死に目に会えなかった…こういう犠牲です。
もちろん、長年かけてネットのサイトを構築していったがゆえに、そんな心身をすり減らさずとも、悠々自適な生活を送っている人もいることはいるのです。
もちろん、家庭や人間関係を壊さないでもそれは可能でいるのです。
しかし、それはかなりの少数派であることは間違いないのです。
そして、その繁栄も一時的であることも哀しいですが事実のようです。
仮想通貨で億を稼いだ人でも、ちょっとの誤りでいきなり借金漬け生活に転落。
ネットでサイトを構築したにもかかわらず、ライバルが多数出現して、いきなりバイト以下の収入に転落。
こういう例は暇がないのです。
ここまで書いてきたこの映画の要旨、しかも私の想像ですが、原作者である故.大川隆法総裁は何を言いたかったのでしょうか?
もしかしたら違う要旨があったかもしれないですが、私には想像できないのです。
ここで話題にしたいのは哲学者の本質です。
哲学者とは、大学で講義されている『哲学』の講義を請け持っている教授のことではないのです。
哲学者とは、人によっていろんな定義がありますが、「社会の全体についての知識が膨大にあり、世間を見わたして、社会がどのように変遷しながら、人民全体が何を欲しているかがわかる人」とこの場では定義しておきましょう。
ここで、プラトン(下写真)の言葉を引き合いに出しましょう。
プラトン曰く「政治とは、その国なり社会なりの善きものを実現するための行為である。しかし、その善きものを見通すことができるのは、ほんの少数の哲学者だけだ」ということです。
今の国民が欲しているのは、せいぜい税減だったり、休暇だったり、育児施設だったり、未入手のものだったり、といろいろです。
それらが大事なものであることは他言を待ちませんが、社会全体をも見通して、大事であると思われるものを本なり言葉に出したりして、国民を啓蒙している人こそ、哲学者というにふさわしいことになります。
ゆえ大学で『哲学』を請け持っている教授の中には哲学者、あるいは哲学者的な人もいるでしょう。
しかし、多くの場合、昔の思想家の本を読んで研究しているだけの「哲学研究者」がほとんどである、というのが中島義道の言葉です。
その是非は今回では問わないです。
大川総裁本人(下写真)は、生前、自らを哲学者であると公言していました。
もし大川総裁が本当に哲学者であったならば、総裁が意図して社会全体を見通してこれは知らなくてはいけないとして『影を売る女』を映画化したのであれば、これは全部かほとんどの国民は観なくてはならない映画ということになります。
その大川氏自身が哲学者であるかどうかは、私に判断のしようがないのです。
大川氏が哲学者である、といいたいのはどの幸福の科学信者には共通しているでしょう。
しかし、現代社会においては、国民の精神がてんでバラバラで統一にしようがなく、神や仏に背き、自身が好き勝手に思想を展開していることについては指摘しなくてはならないです。
かくいう私も、好き勝手に物事を書いているに過ぎないのかもしれないですが、その前段階として、本を濫読して、いろんな見解を踏まえながら吟味を重ねて書いているという自負は少なからず持っています。
それが正とでるか邪と出るかはわかりません。
鎌倉時代の親鸞は、師匠だった法然に精神を帰依して「この私においては、ただ念仏によって実在を回復できるという如来の本願の道を法然上人からいただいて、それを信じるのみである。
念仏は、本当に浄土という世界へ往くための原因なのか、また地獄という世界へ落ちる行為なのか、私は一切知らない。
法然上人にだまされて念仏して、地獄に堕ちたとしても決して後悔しない。」として、敢然と自分の使命は念仏を弘めることであると断じて、布教していったのです。
この文章を読んで、親鸞があの世や地獄といったものにいけなかったのかどうかは今回は問わないです。
しかし、あの世に行くことや霊視などできない私は、出来うる限り神や仏に近い人物に触れて、その教えを持ち入れて吟味して行動して行くほかないようです。
親鸞(下写真)が毅然と布教していったように。
また、著作家なり作家なりは、自分が世間に対して言いたいことがあるがゆえに、暗喩直喩問わず言葉を書いて本にしているのです。
日々、いろんな情報を大量に仕入れて、そこで取捨選択をしながら自分の意見を肉付けしている。
そういう努力を日々続けている人にこそ、神や仏がその人の脳内に降りてきて、その人に重要な情報をもたらし、その情報を元に自身の著作に文章が盛られる。
私はそう解釈しているのです。
ゆえに、そういう努力を続けている著作家や作家の言葉は傾聴や読書に値すると思うのです。
その中には、当然、哲学者というに値する人もいるでしょう。
昨今はバベルの塔の様相を呈しているのは間違いはないです。
バベルの塔とは、聖書に出てくる概念ですが、神が人々に土地を与えたが、神がノアの洪水を起こしたりしたがゆえの復讐ゆえに、あるいは洪水の再来を避けるために、あるいは神の領域に達しようとしてバベルの塔を建てて、神に近づこうとした。
そこで、それをさせまいと、神はバベルの塔を建てている人々に違う言語を話すように施した。
それによって、言語が不通になってしまい、塔が建てられなくなって、人々は退散した、ということです。
まさに、そういう様相を呈しているのが現代ではないか、とそんな気がするのです。
今回の映画『影を売る女』にしても、否定の意見が好き勝手に書かれています。
否定的な意見を読みましたが、読むと吟味してからの上梓という過程が足りない気がするのです。
もちろん賛同の意見も書かれていて、いろんな意見が雑然と入り乱れている観があります。
まさにバベルの塔さながらの様相を呈しているのです。
もちろん、大した吟味もしないで好き勝手なことをかいている人たちには、神に復讐しよう、あるいは神に自分が成りかわろうという意図などないでしょうし、それは大げさな比喩と思われそうですが、吟味せずに好き勝手なことを吟味なしに書いている人は、自分の後ろに神や仏がいないことが往々にしてあるのです。
いわゆる無神論ですね。
好き勝手なことを吟味なしで書くということは、いろんな情報が入り乱れて、最悪の場合社会の分断に繋がる、ということを懸念しなくてはいけない、という警句でもあるのです。
また、社会に血栓ができて、進歩が阻害されるということもこれまでの人類の歴史を見ればわかります。
自身の意見を言うべきところは言うべきでしょう。
しかし、あまりに吟味のないところでのそれは、行き過ぎの一班になる、ということです。
社会を良からぬ方向へ導くことは間違いないのです。
今回の『影を売る女』を見て、そして、その後の経緯を見て考えたことは以上です。
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今回はこれにて終了します。
失礼いたします。
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