浄土真宗から出た芸術の高尚性とは?開祖に無批判でいると芸術は生まれなかった? (親鸞とユダヤ.キリスト)
こんにちは。
以下は、浄土真宗の寺院芸術について話したいです。
その代表例として惠光寺の描写をしたいです。
浄土真宗の寺院の中央の上方に掲げられた「惠光」という寺号を記した額は、知恵と慈愛に満ちた仏の無量光を意味している。

仏壇を前にして、まず参観者の目に迫ってくるのは、その溢れるばかりの黄金色です。
こうした彩色は、中国や朝鮮の伝統的な宮殿建築に由来するのですが、この仏壇全体は西方浄土そのものを再現しようとするもので、ここに満ちる黄金の光は、衆生を救おうと歩みよる阿弥陀仏から輝き出る無量の光であるとされているのです。
金地濃彩の左右の襖には、 阿弥陀仏の西方浄土が描かれています。
こういう描写の絵を見てれば、浄土についての信仰を深めることは間違いないでしょう。
そして深く浄土真宗について学び、のめり込んでいくことでしょう、誇りをもって。
しかし、浄土真宗をふくむ浄土教について信仰を持った人は、芸術を表現する能力のあった人は、さらにその浄土を巧みに描くための腕をあげるのでしょう。
そして、さらに芸術的な高みを目指すのでしょう。
ゆえに宗教は哲学を生み、そして類似する思想をも引き込み、その宗教も、その周囲をも更なる高次の世界に引き上げるのでしょう。
宗教の効用は侮るべからず…というか、かなり驚愕的な事実ではないでしょうか?
襖絵は、屏風と並んで場の荘厳の中心をなしているのです。
この金箔と濃彩の色感が濃密な空間を形成する15世紀の狩野派による豪華な画風は、その後の日本絵画に大きな影響を与えた。
1つの宗教団体である、浄土真宗からこういう芸術的な影響を他の団体にまで与えるゆえに、心暖かい浄土真宗信徒の人は、こういう効用をもってして、浄土真宗に誇りが持てて、さらに精進するでしょう。
この襖絵も、背景の黄金色の効果によって容易には統一がとれないような色彩のコントラストがバランスのとれた調和、安定へともたらされ、奥行きを抑えた中に、岩石や竹の茂み、なだらかな野や川が空間を凝縮させ、 孔雀や牡丹の花が見る者の方に迫り来るような印象を与えている。
阿弥陀如来が、その絵を見る者へとまさに「来迎」するのです。
阿弥陀堂の地下には、日本のほかの伝統的宗派が儀式や修行を実践できる講堂があり、ここの仏壇は、釈迦如来、大日如来の絵像などが掲げられる可変式のものになっており、様々な仏教宗派のお勤めや催事が行われているのです。
そこでまた信仰を同じくする人たちが集まって、その浄土について語り合い、更に自身を誇りに思え、周りの人間との結びつきを強化するのでしょう。
こういったことを垣間見ると、浄土真宗が日本で一番、信者が多いのも頷ける気がします。
確かに、芸術を生み出し、それを高みに引き上げるといった効用を持つのは他の宗教でもあり得ることでしょう。
しかし、浄土真宗の受けいられやすさの一番の秘訣は、単純さでしょう。
きつい修行も不要かつ、難解な書物を解読する必要もなく、ただ南無阿弥陀仏と唱えれば、死後、極楽浄土に往生できる、ということが謳われていることが、受けいられやすい最大の理由になっているのでしょう。

こういう簡易さが信徒が多い理由でしょう。
そこで思い出すのは、日蓮正宗の信徒団体だった創価学会です。
この団体も簡便さでは浄土真宗と一緒でしょう。
「南無妙法蓮華経と唱えればことは必ず成就する」というのですから。
この団体の信者数は日本国内で800万世帯ということです。
いな、それは誇張であって実際は200万世帯だという学者もいるくらいです。
しかし、200万世帯であってもかなりの数です。
しかし、この宗教団体の祖である鎌倉時代の日蓮(下写真)は、「私の言ったことだけを遂行すればいい!」と書き遺したのです。

儒教、道教、神道一切学ぶ必要もなく、他の事も取り入れる必要はない、としたのです。
6人の弟子のうち、1人日興という弟子はその通りにしたのですが、他の5人の弟子たちは、その御遺命を破り、他の要素を取り入れたということです。
その是非は自身で考えてもらいましょう。
その5人の弟子たちが布教した団体を日蓮宗と総称しているのですが、こと日興の流れを汲む団体が日蓮正宗という名称なのです。
しかし、皮肉にも日蓮宗や浄土真宗の門徒たちの中には、日本史の教科書に出てくる芸術家を多数生み出しました。
それが他の国の芸術家にも影響を与えるほどの偉大なる人物だったりするから驚きです。
しかし、こと日蓮正宗の門徒からは、そういう人物をついぞ生み出すことはできなかったのです。
それは日蓮の「私の言ったことだけを遂行すればいい!」という言葉を真に受けて布教だけしてきたが故の結果だったのです。
しかし、日蓮宗の門徒たちは、良い意味での守破離を断行したがゆえに、偉大なる芸術家を多数生み出すことに成功したのです。
日蓮正宗の流れを汲む団体の1つである顕正会の人に言わせれば、「日蓮宗は日蓮大聖人様の御遺命を破った邪教だ」ということですが、私はそんなに固く考える必要はないとしているのです。

そんな邪教の団体であるからして、池上本門寺という日蓮宗の寺院に行って、その境内で売っていたお菓子をその人にプレゼントしようとしたら「そんなものいらない!」といって突っぱねられてしまいました。
邪教の団体のものなどもらいたくない、ということでしょう(笑)
どうしてこうも頭が固くなってしまうのかと訝し気になるのです。
もっと広くことを考えて自身の哲学にする、という姿勢がその人には見られないのです。
あまりに日蓮の教えにぞっこんになってしまっていたがゆえに。
先にも指摘したように宗教芸術は、哲学を生み、そして類似する思想をも引き込み、その宗教も、その周囲をも更なる高次の世界に引き上げるのです。
そういう効用を無視して、日蓮の御遺命に背いたといって日蓮宗を批判するのはいかがなものかなという気がしてならないのです。
しかも、邪教呼ばわりするもどうかと思います。
日蓮が、生前のころに、日蓮は浄土教を批判していたのです。

ゆえに、顕正会はもちろん日蓮正宗系の人間は、浄土真宗をも批判しています。
そういう固い頭をもみほぐして柔軟な考えができるようになるためにはどうすればいいか?
簡単です、その他の本について、いろいろ濫読するのです。
そうすれば、1つの宗教だけに拘る必要はない事がわかるでしょうし、何故、日蓮が「私のいったことだけをしていけばいい」といさいたのかがわかります。
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今回はこれにて失礼いたします。
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