汗牛充棟.ブログ

人類が創造した本という素晴らしきもののうち、私が接したのは、その内の限りなく少ないものですが、その片鱗でも素晴らしさを伝えたいと思っております。どうぞお付き合い下さいませ。
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人類が創造した本という素晴らしきもののうち、私が接したのは、その内の限りなく少ないものですが、その片鱗でも素晴らしさを伝えたいと思っております。

どうぞお付き合い下さいませ。

宗教の本質を認識すべし。宗教には変革の内容が含まれている。だからと言って無批判になるべからず? (親鸞とユダヤキリスト) 





こんにちは。

宗教を研究していきますと、その開祖となる人は概して、いや絶対的に博学性をもっていたのです。

仏教なら仏教だけではなく、その他、いろんな宗教を修めて、その中から重要と思われるものをピックアップして自身の宗教に盛り込むのです。

その際に読んだ書物の数は、それこそ半端ないのです。

それゆえに、多面的にものごとを展開して、その教義を論じていくわけですから、一般人は圧倒されてしまうのです。

その教義書を読むと、あまりの学術性にも圧倒されるのです。

親鸞(下写真)は、自身の宗教を開宗するつもりはなかったといいます。


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師である法然の教えを布教していくと心に決めて、敢然と行動に移したのです。

しかし、法然の教えを布教するといっても、そっくりそのまんま伝わることはないわけで、どうしても自身の脚色が表れて、法然のとは若干違ったものになっていってしまったのです。

しかし、それは致し方ないでしょう。

明治期に、法律によって、〇〇宗という名称付けが義務になってしまい、本願寺がその名を浄土真宗としたということです。

日蓮が自身の宗派を開宗すると意気込んで、自身の宗派を築いたのとは違うのです。

『教行信証』は親鸞の書ですが、その膨大な資料と知識量があり、知から強く美しい文体であることが有名なのだそうです。

それは日蓮と一緒のようです。


しかし、私は何冊か本を出していますが、それはパソコンや紙といった現代文明の利器があるからこそ、それが可能だったわけで、私が親鸞や日蓮と同じように鎌倉時代に生まれて僧侶になったとしたら、おそらく書けなかったでしょう。

書物を書くには、これまで読んだ本の膨大な内容を覚えておかなくては話しにならないのです。

それはパソコンのようにバックアップ機能が素晴らしい機器があったからこそ、私には可能なのであって、読んだ内容をすぐに忘れてしまう私には、鎌倉時代に生まれていては到底不可能だったに違いありません。

それに当時は毛筆が当たり前であって、墨ですって墨汁をつくってそれをもとに毛筆で書く。

それはそれは骨が折れて、しかも面倒くさい作業だったのは間違いないのです。



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パソコン
にように、タイプすれば、すぐさまブログなり、ワードなりに印字されるのとはわけが違うのです。

それでも敢然と、親鸞や日蓮その他、開祖といわれる人たちはそれを行なっていったのです。

その書いた書物の数に圧倒されてしまうのです。

よくも当時にこんな量を書いたな、
と感服するばかりです。

こういう能力が開花したのは、ひとえに神がかり状態で、神や仏の加護があったからこそ、可能だったのだと思います。

その神懸かり状態になるには、日々何年も努力を続けている人に加護がもたらされるという法則があるのです。

であるならば、こと日蓮の宗教に入信したらどうか、といったことを言われましたが、私は日蓮の『報恩抄』という本を読みましたが、どうも興味関心が起きる代物ではなかったのです。

では別のを読めばいい…そんな意見が聞こえてきそうですが、1つ本を読んでその著者の本が面白くなければ、どの作品を読んでも面白くない、ということを経験してきたので、私はあえて読まないできたのですし、興味関心の起きない人の宗教には入るつもりはないですし、つまらないのであれば人に勧誘することも出来た話しではないのです。

ゆえに日蓮(下写真)の宗教信者にはなれないのです。


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しかし、親鸞にしろ、曹洞宗の道元にしろその書物は難解を極めるようです。

では万人向けではない…それは短絡的かなとは思います。

神がかりの状態になった人は、やはり程度の差はあれ、精神的に一般人とはかけ離れた隔絶された状態になるわけです。

それ以外にも、親鸞は、自身の宗教を開祖するつもりはなかったがゆえに、自分だけがわかるような文章になってしまった、ということも言えるでしょう。

しかも、こんにちのように、全国一律の方言(=東京弁)で統一するという政策がなかったがゆえに、親鸞の生まれ育った方言で書かれたということもあるでしょう。

しかも、こんにちとは違って当時はかなり方言の数があったがゆえに、それはそれは書き下し文を書くだけでも晦渋を極めた作業だったのでしょう。

それでも,訳書ができたということは親鸞はかなりのカリスマ性を秘めていたということです。

私は正直、難解な本は苦手なのです(笑)。

本を読むことで、自身の生活にプラスを持たらすことを期待しているのです。

それが単なる文字を目で追っかけることになるだけなのであれば、それでは時間がもったいないと思うのです。

ゆえにわかりやすい表現で書いてくれる人のを自然に手に取って読むことになりますし、そういう本の著者のを買ってしまうのです。

文系の大学では、どこでも丸山眞男(下写真)は聞く名前でしょう。


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この人は政治学の大家ともいわれていた人で、1997年に亡くなりました。

私の属した大学の「政治学史」の教授は、丸山の事を政治学の神様とまで言っていたのです。

それほど凄い人なのかと、その人の本を買って読んでみるも、難解極まりなく、読んでいて何もわからなかったというのが正直なところです。

加えて現代人にとっては難解な古文の引用が多いのも問題だったのです。

丸山の本を3冊買って、どれもそんな印象だったので、他の本を本屋さんで見つけても、手に取って買おうという気概にはならなかったのが正直なところです。

ここで問いたいのは、「難解さ」が、丸山の魅力の1つになるのだろうか?ということです。

確かに簡潔すぎる単語を使うよりも、若干難解な語を使うことで、読み手に思考の契機を与えてくれるもので、覚醒作用があることは確かです。

しかし、あまりに難解すぎて、読む気が失せるほどのモノであっては、意味がないでしょう。

私にとってはまさに丸山が好例なのです。


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それゆえに、丸山よりも、自分の言葉でわかりやすく論述している著作家の方が好感が持てたのは間違いないです。

明治期には、文明開花が国を挙げての速球の課題になり、外国とくに欧米の科学を学ぶ必要性が側近の課題になり、これらの国の書物を輸入して、多くの学界人が翻訳していましたが、そこでは日本語に訳しきれない単語を、面白難しく書いていたのは間違いないです。

完璧にはできた話しではないのでそれは批判する筋合いのものではないでしょう。

しかし、そのまま無批判でいいはずもなく、そこは留保をつけて、是正していかなくてはいけないでしょう。

日本は、第二次世界大戦の敗戦国ゆえに、後ろめたさを感じ、そういった先進国からの学問から得た難解語を交えて表現するのが科学の本質という誤った知的土台があったのではないか、と思われてならないのです。

だからといって、その状態のまま無批判でいていいはずはないのです。

難解な本を読んでいるだけで満足…これでは科学の理念に反するものです。

それで知的な遊戯な時間を過ごす…それもいいでしょう、たまになら(笑)。
しかし、世の中にある問題点をあぶり出して、それを改善の方に向かわせることが言論の存立意義なのです。
そういう姿勢がないならば、本も意味がないでしょう。

そういう性質を宗教にも含んでいることは確かです。


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社会を大幅に変革する思想(宗教内でのそれを含む)について読み、それにぞっこんになると、ややもすれば、その対象に無批判になりがちです。

私が、親鸞を研究してきて、その奥深さに感動したことは確かです。

しかし、現実社会においては、決して阿弥陀の教えだけでは生きていけないし、その他の思想も同様なのです。

ゆえに、1つの宗教だけに依拠せよなどというのは無理なのです。

ゆえに、望ましいスタンスは、いろんなものを兼教する、ということでしょう。

ことは親鸞の浄土真宗でも、他のどの宗教も、その1つの思想だけでは無理なのです。

親鸞が生きた鎌倉時代において有効とされた理論が、現代でどれだけ可能か?ということを吟味しなくてはならないでしょう。

やはり、批判をしなくてはいけないでしょう。
あの世の描写があまりに抽象的で、具体性に欠けているのです親鸞の書物は。

ゆえに、親鸞は生きた身であの世に行けなかったのだと思うのですが、その是非は親鸞の書物を全部読んだわけではないので断定はできないです。





また、その宗教の書物を全部を読んだわけではないのにもかかわらず、その宗教を一知半解、あるいは一知無解で、その宗教を批判する人が必ず出てきてしまうのが、宗教の哀しい歴史なのです。

その詳細には立ち入りませんが、親鸞も例外ではなく、曲解されたがゆえに、それがもとで息子とは絶縁状態になってしまった、ということがあるのです。

しかし、そういう人はどうすればいいか、というと、やはりその人がその宗教について書いた本を最初から最後まで読んでもらうほかないのです。

それでいて、その宗教が必要ではないと思ったのであれば、それはその人は入信する必要はないでしょう。
鎌倉時代とは違って、こんにちでは、誰でも気軽に本を安く買って読める時代なのですから。

入信させる、あるいはその逆でその宗教を辞めさせるといったことを強制することなどできた話しではないのです。

現代では思想信条の自由が認められていますから。

今回はこれにて終了します。


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