マックス.ウェーバーが注目した禁欲精神が、日本の浄土真宗にあったから驚愕!? (親鸞とユダヤ.キリスト)
こんにちは。
ドイツのマックス.ウェーバーは文系の大学では誰もが名前を聞くでしょう。
この人は社会科学を総合的に修めて、その総合的に学んだ中から抽出した内容が世界中の多くの人に感銘を与えたことで、その名を馳せたのです。
その代表作が『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』でしょう。
ウェーバー(下写真)が研究の途上で発見した資本主義の精神とは、どういうものか、これが今も多くの社会科学に携わる人たちをとらえて離さないものなのですね。

それは以下です。
カトリックにおいては、禁欲は世俗外だったのが、プロテスタントにおいては世俗内に持ち込まれることになり、それで革命が起きたという事なのだそうです。
これが資本主義の精神に画然たる基礎を与えた、ということです。
プロテスタンティズムの世間の発展をもよき方向へ引っ張る精神によって、世の中が発展した、ということですね。
また、利潤や利子こそは資本主義のいわば本領である。
それがあるからこそ自分は働く、そして貯金もするという気概を持たせることになるのです。
そしてお金を借りたほうは、それがあるからこそせっせと働く、そして商売がうまく行くように倫理的な態度が良くなる、良い商品やサービスを開発しようというインセンティブが働くのですね。
その動きが社会大で広まれば、更にその社会が相乗効果で良き社会を招来するのです。
こういった事を発見できた人は何世紀もたっても語られる大家になるのでしょう。
マックス.ウェーバーはまさにしかるべき大家になったのでした。
しかし、ウェーバーの嘆きは、現代のアメリカでは、その資本主義の精神がかなりの程度、減退してしまったということです。
再投資はされず、企業内でため込まれる傾向にあるようで、持てる者と持たざる者の資産の格差は天文学的なものに変貌してしまっているのです。
アメリカほどではないにしろ、日本も同じ傾向にあるのは明白です。
それはやはり成熟化社会になっていくにつれ、物が売れない、良いように景気が立ち行かない、だから賃上げもそんなにできない、ということでしょうね今の日本は。
かつての戦後直後のような神武景気、岩戸景気のような爆発的な成長は望めないにしろ、やはり資本主義の精神は必須なのは確かでしょう。
アダム.スミスは「経済の世界は合理的な計算、あと先の配慮、慎重な見通し」と書きました。
それを心得ながら、していくことで最重要なのは何でしょう?
そう、投資です。
その中にもいろんなものがありますから、勉強しなくてはいけないでしょう。
経営者であろうが、一般人であろうが。
そして、それが経済をけん引していくうえで大事なことなのです。
それに倣う如く、緻密な精度の上がった手段を使って、投資は続けていかなくてはならないのは明白なのは明らかです。
サラリーマン生活の中だけで暮らしていると、どうしても先にすべきことは勤労ということになってしまい、マクロ的な視点を持つことができなくなってしまうのですね。
現代教育では、サラリーマンの養成だけに特化したものであって、ビジネスオーナーや経営者を養成するためのプログラムがない、ということを書いたのが、かの有名なロバート.キヨサキやカレル.ヴァン.ウォルフレンです。
しかし、いきなり自営で始めるにしろ、これから経営者になるにしろ、いきなりのぶっつけ本番は危険ですから、そういうことのを視野に入れている人は、自主的にそういう世界について学んでいくべきでしょう。
やはり、「経営者やビジネスオーナー」と「サラリーマン」では、世界観がまるで違うのです。
その「経営者やビジネスオーナー」の世界観は、かなり広大な気宇を有していて、触れるごとに気分がよくなると感じるのは私だけでしょうか?
その投資や経営によって、自ら社会をよき方向へ導く実感を味わうことができる…そんな気がするのですね。
しかし、サラリーマンではそういったことがまるでできないのです。
自己裁量の余地がほとんどないのです。
ゆえに、誰もが「経営者やビジネスオーナー」を目指すのがいいのですが、そう簡単にはいかないのです。
それまでにしてきたサラリーマン生活での業務やスキルもありますし、それらをいきなり捨てろということは誰にもできる話しではないですし、そういうことができる社会の仕組みにはなっていないということもあります。
ゆえに誰もが「経営者やビジネスオーナー」を目指せというのは現実的ではないでしょう。
これは何もサラリーマンがダメということではないことはお断りしておきます。
ならば、どのような状態が望ましいでしょうか?
そういう「世界を変える」という意図のための行動は終業後に行えばいいのです。
出来ることを時間が許す限りすればいいのです。
そういうことをする人が多ければ多いほど世の中にとってはいいことを招来するのです。
ウェーバーが注目した禁欲精神にしろ、「経営者やビジネスオーナー」にしろ、共通するのは、世の中をよくするという思いがなければ務まらないということです。
自分によきことで、かつ相手にもよきことをすべし、という思想が大事なのです。
周囲の人たちがいるからこそ、自分が生活できる、という思いは固辞すべきことでしょう。
その自分よし、相手よしという思想に加えて、世間良しという倫理によって浄土真宗は日々進んでいるのです。

これには驚くべきことでした。
それによって名だたる名経営者が、真宗信徒の中から出ているから、それも驚きでした。
それは西洋に目を転じれば、隣人愛ということになってくるのでしょう。
その隣人愛の実践などこういった倫理の日常生活での実践は、「神からの言葉であるから」という理由で行動するのではなく、自分の内面からの衝動であってこそ意味があるといえましょう。
そういう性質でなくては、途中で挫折してしまうことは間違いないです。
いやいややっていたのでも意味がないです。
ですからクリスチャンでなくとも、この精神に共感を覚えた人は、日常生活上で実践していくことをお勧めしたいのです。
それに似た精神が浄土真宗にもあったから驚きでした。
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今回はこれにて失礼いたします。
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