起業家に必須のプロテスタンティズムの精神が、浄土真宗と類似性と親和性があった? (親鸞とユダヤ.キリスト)
こんにちは。
ドイツの大社会科学者であったマックス.ウェーバーは神のように崇められており、毎年、どの文系大学でもその名を轟かせて、その名を聞かない年はないでしょう。
その思想にぞっこんになり、多くの学者にその人の研究に生涯を捧げたいという気概にさせるほどの威力があったのです。
日本の大塚久雄氏は、その代表で、その著である『宗教改革と近代社会』もまた有名です。
氏は、その読みやすく、わかりやすい筆致に私も大学時代にほれ込んだ学者でもあります。
その著書の要旨は以下です。
西洋近代は人間生来の営利欲があらゆる伝統的束縛より解放されつつ、その生産をその掌中に把握しゆく過程であったというのです。
イギリスにおいて、都市の小親方層が家内労働者層の一翼を担うようになりました。
それが漸次拡大し、農村にまで出て展開してきました。
それがピューリタン革命、名誉革命で中産的生産者層の勝利で終わったのです。
その中産的生産者層がもっている「禁欲」という主体性にウェーバーは注目したのでした。
それは、旧き商人層とは違うのです。
その「禁欲」は前期的資本と対抗しつつ、別の社会的系譜を以て発達してきたのです。
それとは対照的に、旧き商人層の営利欲は、利潤的行為を行なえば行うだけ生産力の近代的な拡充を阻害し、停滞を請来したのです。
プロテスタントの精神が、西洋近代において浸透し、
1、客観的事象のために、自己を虚しうして献身し、かつ建設的に互いに協力し合うことが出来るような、主体的条件が出来た。
2、目的達成のために、もっとも効果的な手段の体系を選び取り、作りだそうとする「目的合理性」は著しく高められた。
この2つがあげれると思います。
ここを読んで、私ははっと驚きました。
投資などの経済行為については、プロテスタントの禁欲主義に発生していたとは!ということですね。
それを模範として、今の世界に定着して、法的な制度として確立した、ということです。
普段何気なく行動していることやモラルが、プロテスタンティズムと類似性があったということにも驚きました。
もちろん、数ある制度のうち全部が全部、プロテスタンティズム由来ということはないでしょうし、日本人の精神やモラル、慣習といったものがプロテスタンティズムと類似していた、あるいは親和性のあったということでも、その定着度に大幅な貢献があったことも確かでしょう。
しかし、普段何気なく思っていることや慣習といったものが、構造的に分析された結果、プロテスタントとの類似性があったことが析出され、それが経済発展に大いに寄与したことは瞠目すべきでしょう。
とくにネットビジネスを展開している私には、投資(=今の私の場合は広告費)の性格がプロテスタントの合理的な精神に由来しているということを知って驚きでした。
確かにこのような禁欲的態度は、現代の成熟社会においてはそれほど有効性があるとはいえない可能性があります。
現代は、ほとんどの国民がすでに満ち足りた社会であり、欲しいものはほとんど揃えてしまった社会です。
その中で、この禁欲的態度が経済的な発展に大々的に発揮されることはないでしょうし、かつての日本の神武景気や岩戸景気のような大規模の発展にはなりにくいでしょう。
しかも、アジア. アフリカ諸国の台頭や、日本国内の少子高齢化社会など、不安は多く先行き不透明であるからして投資や起業は終戦直後のような、大きなリターンは多くの分野で期待できないことは間違いないのです。
ではどうするべきか?
少額でもいいから徐々にその投資の結果を見ながら投資し続けていく、ということでしょう。
投資が経済を牽引することは間違いなのですから。
営利は、つねに生産力の拡充と結びつき、必ず倫理的諸徳の実現として社会的厚生に貢献する。
否人類の幸福を招来するという、これまた普段何気なく接していることが、実は大事なことであることを知って驚きました。
現代において、多くの資産をもっている人は、それを贖財せよとは言わないです。
しかし、自分が一生使い切れないほどの資産を塩漬けにしていないで、それを社会の厚生のために使うことを提案したいのです。
人の金なのに偉そうな、と言われそうですが…(笑)
私も将来そういうことをしていきたいと考えているのです。
かつてというか今も、日本の企業は中国や韓国やその他アジア諸国に進出していますが、そのことについて、「アジア諸国を搾取してる!」とか「日本の植民だ!」といった批判がされていた時期がありましたが、そうではないのです。
投資金の余剰のない現地法人に頼るのではなく、すでに余剰のあった日本企業が現地にいって設備投資などを行い、企業事業を行うことによって、現地人の雇用を創出し、その人たちの生活を豊かにすることになったのです。
ですから、そんな批判は的外れであるとしか私には思えません。
そういう、自分の儲けを第一に考えるのは普通の事でしょうし批判はしないです。
しかし、それからもっと進んで、相手(買い手)のためという視点も大事でしょう。
またさらに進んで、世間のためという視点も大事でしょう。
相手あっての自分、そして世間あっての自分が今存立しているのですから。
そういう広く深い視点をもたらしてくれるのが、学問を学ぶ意義なのです。
ゆえに、いろんな本を読んで自分の脳内をマクロ的にすることが大事と思われてならないのです。
その「自分よし、買い手よし、世間よし」という基本モラルがあって、日々精進を続けているのが浄土真宗なのです。
それが、現代の多くの名だたる起業家を生み出したのです。
ただし、その開祖とされる親鸞(下写真)が、その「自分よし、買い手よし、世間よし」ということを言いだしたわけではないのです。
中国浄土教の曇鸞という人が、それを示唆して、親鸞のモラルになったのです。
決して人のモラルは、1つの思想から生まれるのではないのです。
いろんな思想が混じり、化合して、更に思想が取り入れられていく相乗効果によって出来上がるのです。
そしていまという瞬間にも発展しているのです。
その基本的な現象がわかれば、決して1つの宗教だけに依拠していればいいというモラルにはならないのです。
ゆえに、どの宗教団体にも属さないのです私は(笑)
しかし、どの宗教からも学ぶところはあるので、謙虚にいろんな宗教をこれからも学んでいきたいと思っているのです。
ではどんな浄土真宗出身の起業家がいるか?
浄土真宗が、どのようにプロテスタンティズムと類似性や親和性があるか?
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今回はこれにて失礼いたします。
ありがとうございました!

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