多元的がいいか、一元的がいいか?…どちらでもいいです。 (幸福の科学)
こんにちは。
私は、大学教授などの学者にしろ、宗教団体の長にしろ、いろんな物事を修めていないと務まらないなと感じている次第です。
常に、世の中は動いているわけですし、開祖の際に言われたことが、開祖の時代から今の時代までずっと継続しているだけでいいというわけはないですし、当時と今では常識も違いますし、新しいものが登場したら、その都度、それに関する吟味もしていかなければならないでしょう。
擁するに常に変革が求められているわけです。
その際に多角的に、物事を観ていくためには、博学さがなくてはいけませんし、常に新しい物事を探求していくという気概がなくてはいけないことは自明の理でしょう。
開祖のいったことをそのまま引用して、それに他愛もないコメントを加えているだけの団体の長の講演など聞いても意味がないですし、聞きに行く気にもならないのです私は。

しかし、その団体の信者になった人は、それを聞くのに夢中になっている…私には支持できないことです。
何故、そういう人が出てくるのか不思議でした。
それは、その信者は、普段の生活でほとんど本などを読まないから、そういう私にとっては意味のないことでも、新鮮な気分になれるのでしょう。
ではなぜ、普段から本などを読まないか?
それは文字が嫌いだからですね。
ゆえに主体的に本などは読まなくてはいけないと学校などで教えられても、なかなか実行に移せないのですね。
だからためになると思われる自分の属す宗教の講演には行って、真剣になって聞くのです。
しかし、私にとっては、そういったことは主体的に本などを読めばわかることなので、あえて聞きに行くまでもないと思っているのです。
これは、私にとっては信じれないことですが、文字好きよりも文字嫌いの方が世間では多いのです。
文字嫌いの人は、毎回毎回おなじようなことを言っている講演の方が心地よいのです。
逆に、毎回毎回違うことを言われるのは億劫なのです。
これはアメリカの哲学者であったウィリアム.ジェイムズ(下写真)が明らかにしたことなのです。

そういう世間に応じるために、大宗教団体である創価学会は、毎回毎回同じようなことを講演で言っているだけなのでしょうか?
この団体は、かつては日本国民10人に1人が信者になった時代もあったのです。
それが功を奏したというのならば、科学的に応じたすごい団体だなとは思います。
それくらい信者の多い団体なのですが、講演や新聞で言われていることは毎回毎回同じ言葉の繰り返しなのです。
それでは私は学ぶことはないと思い、ほとんど行かずじまいでした。
この団体の信者だった時もあったわたしでしたが…。
しかし、博学、多面的に物事を考えていくのが人生の王道、と私は思っているので、そういう団体にはくみしないのです。
ある機会があり、幸福の科学の支部に行くことがあり、その教義を聞くことがあり、その最初の時も、それから後にこの団体の機関雑誌を何回か読むことがあり、そのスタンスに共鳴したのです。
やはり物事を、宗教的な根拠だけでなく、科学的に、そして多角的に述べるスタンスに共鳴したのです。
それこそが、真の解決に向かわせることができるのだということが実感できたのです。
この団体の祖である大川隆法氏は、非常に博学で、これまでにいろんなジャンルの本を10万冊も読んできたということです。
博学ゆえにいろんなことを知り、自分が良かれと思ったものを取り入れて、要らないものは排除して、良かれと思うスタンスを信者に提示していたのです。
この団体の教義である、仏法僧の三宝を敬え、というのは聖徳太子の遺した言葉だし、この人に下生したというエルカンターレ像の後ろの祠形はキリスト教のマリア像(下写真)からインスパイヤされたものでしょう。

それを現代社会の文化に溶け込むように、大川氏がアレンジしたのでしょう。
北欧社会の至るところにあるスヌーズレンの施設は、リラクゼーションのためですが、それを幸福の科学の会館の様装に使っているのは明白です。
そのスヌーズレンの瞑想の効用は、あらゆる病気の癒しに有効であることが科学的に証明されているのです。
これは、博学だった大川氏は、かの有名な春山茂雄氏の『脳内革命』を読んで知ったのでしょう。
がんの原因の最大は、ストレスであるということを知って、それをいやすためにはリラクゼーションであり、瞑想であるということを。
そのためにリラクゼーションの効用を生かすために、そういう音楽がこの団体の施設にはいつも流れているのです。
こういう多角性が共鳴できることなのです。
こういう多角性であれば、日蓮正宗の信徒団体だった創価学会が開祖としている日蓮大聖人にもあった、と反論されるでしょう。
その通り、日蓮(下写真)は従来の仏教の真言宗や天台宗や禅宗や律宗、念仏宗などのほか、儒教や神道についても博学で勉強していたし、それがもとで自身の宗教を開祖したことは紛れもない事実です。

しかし、信者のほとんどは自身で他のことも学ぼうとはしないのです。
創価学会の信者の家に行っても、そこにあるのは、創価学会の機関誌である『大白蓮華』や前の長だった池田大作の自叙伝である『人間革命』があるだけでした。
自ら主体的にいろんな分野について学ぼうという気概を持った人はほとんどいなかったですし、今もそうでしょう。
このように、開祖は多元的で信者は一元的ということです。
それはこちらが咎める筋合いのものではないのです。
自身が行きたい方へ行けばいいだけのことです。
しかし、自分は多元的に生きたいということなのです。
幸福の科学では、全員がそうであるという断定はできないですが、そういうスタンスを持った人が多い気がします。
自分と一緒ゆえに、共感が得れるということです。
もちろん、多元的でなければ幸福の科学には入れないし、ついてもいけないということでもないのです。
一元的でもいいでしょうし、一元的にしか生きていない人とでも友人という例は多くあります。
しかし、興味ある人は覗いてみるのがいいでしょう、この団体を。
そんな団体に興味ある人におすすめの本(電子書籍)が以下です。
●以下よりどうぞ!
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!

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♯幸福の科学♯多元的
私は、大学教授などの学者にしろ、宗教団体の長にしろ、いろんな物事を修めていないと務まらないなと感じている次第です。
常に、世の中は動いているわけですし、開祖の際に言われたことが、開祖の時代から今の時代までずっと継続しているだけでいいというわけはないですし、当時と今では常識も違いますし、新しいものが登場したら、その都度、それに関する吟味もしていかなければならないでしょう。
擁するに常に変革が求められているわけです。
その際に多角的に、物事を観ていくためには、博学さがなくてはいけませんし、常に新しい物事を探求していくという気概がなくてはいけないことは自明の理でしょう。
開祖のいったことをそのまま引用して、それに他愛もないコメントを加えているだけの団体の長の講演など聞いても意味がないですし、聞きに行く気にもならないのです私は。

しかし、その団体の信者になった人は、それを聞くのに夢中になっている…私には支持できないことです。
何故、そういう人が出てくるのか不思議でした。
それは、その信者は、普段の生活でほとんど本などを読まないから、そういう私にとっては意味のないことでも、新鮮な気分になれるのでしょう。
ではなぜ、普段から本などを読まないか?
それは文字が嫌いだからですね。
ゆえに主体的に本などは読まなくてはいけないと学校などで教えられても、なかなか実行に移せないのですね。
だからためになると思われる自分の属す宗教の講演には行って、真剣になって聞くのです。
しかし、私にとっては、そういったことは主体的に本などを読めばわかることなので、あえて聞きに行くまでもないと思っているのです。
これは、私にとっては信じれないことですが、文字好きよりも文字嫌いの方が世間では多いのです。
文字嫌いの人は、毎回毎回おなじようなことを言っている講演の方が心地よいのです。
逆に、毎回毎回違うことを言われるのは億劫なのです。
これはアメリカの哲学者であったウィリアム.ジェイムズ(下写真)が明らかにしたことなのです。

そういう世間に応じるために、大宗教団体である創価学会は、毎回毎回同じようなことを講演で言っているだけなのでしょうか?
この団体は、かつては日本国民10人に1人が信者になった時代もあったのです。
それが功を奏したというのならば、科学的に応じたすごい団体だなとは思います。
それくらい信者の多い団体なのですが、講演や新聞で言われていることは毎回毎回同じ言葉の繰り返しなのです。
それでは私は学ぶことはないと思い、ほとんど行かずじまいでした。
この団体の信者だった時もあったわたしでしたが…。
しかし、博学、多面的に物事を考えていくのが人生の王道、と私は思っているので、そういう団体にはくみしないのです。
ある機会があり、幸福の科学の支部に行くことがあり、その教義を聞くことがあり、その最初の時も、それから後にこの団体の機関雑誌を何回か読むことがあり、そのスタンスに共鳴したのです。
やはり物事を、宗教的な根拠だけでなく、科学的に、そして多角的に述べるスタンスに共鳴したのです。
それこそが、真の解決に向かわせることができるのだということが実感できたのです。
この団体の祖である大川隆法氏は、非常に博学で、これまでにいろんなジャンルの本を10万冊も読んできたということです。
博学ゆえにいろんなことを知り、自分が良かれと思ったものを取り入れて、要らないものは排除して、良かれと思うスタンスを信者に提示していたのです。
この団体の教義である、仏法僧の三宝を敬え、というのは聖徳太子の遺した言葉だし、この人に下生したというエルカンターレ像の後ろの祠形はキリスト教のマリア像(下写真)からインスパイヤされたものでしょう。

それを現代社会の文化に溶け込むように、大川氏がアレンジしたのでしょう。
北欧社会の至るところにあるスヌーズレンの施設は、リラクゼーションのためですが、それを幸福の科学の会館の様装に使っているのは明白です。
そのスヌーズレンの瞑想の効用は、あらゆる病気の癒しに有効であることが科学的に証明されているのです。
これは、博学だった大川氏は、かの有名な春山茂雄氏の『脳内革命』を読んで知ったのでしょう。
がんの原因の最大は、ストレスであるということを知って、それをいやすためにはリラクゼーションであり、瞑想であるということを。
そのためにリラクゼーションの効用を生かすために、そういう音楽がこの団体の施設にはいつも流れているのです。
こういう多角性が共鳴できることなのです。
こういう多角性であれば、日蓮正宗の信徒団体だった創価学会が開祖としている日蓮大聖人にもあった、と反論されるでしょう。
その通り、日蓮(下写真)は従来の仏教の真言宗や天台宗や禅宗や律宗、念仏宗などのほか、儒教や神道についても博学で勉強していたし、それがもとで自身の宗教を開祖したことは紛れもない事実です。

しかし、信者のほとんどは自身で他のことも学ぼうとはしないのです。
創価学会の信者の家に行っても、そこにあるのは、創価学会の機関誌である『大白蓮華』や前の長だった池田大作の自叙伝である『人間革命』があるだけでした。
自ら主体的にいろんな分野について学ぼうという気概を持った人はほとんどいなかったですし、今もそうでしょう。
このように、開祖は多元的で信者は一元的ということです。
それはこちらが咎める筋合いのものではないのです。
自身が行きたい方へ行けばいいだけのことです。
しかし、自分は多元的に生きたいということなのです。
幸福の科学では、全員がそうであるという断定はできないですが、そういうスタンスを持った人が多い気がします。
自分と一緒ゆえに、共感が得れるということです。
もちろん、多元的でなければ幸福の科学には入れないし、ついてもいけないということでもないのです。
一元的でもいいでしょうし、一元的にしか生きていない人とでも友人という例は多くあります。
しかし、興味ある人は覗いてみるのがいいでしょう、この団体を。
そんな団体に興味ある人におすすめの本(電子書籍)が以下です。
●以下よりどうぞ!
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
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今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!



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