宗教は人間に必要。しかし、それに多面性がなければ真の解決にはつながらず?!(幸福の科学)
こんにちは。
これまでもこのブログに書いてきたように、私は幸福の科学には信頼を寄せているのです。

なぜならば、この世のでの倫理だけ、あるいは倫理を中心に神仏についての講義をするだけの宗教がほとんどの現代社会において、この宗教では、あの世の内容や、死後の世界、霊的な事柄についても、つまびらかに講義しているからです。
倫理のみならず、こういった事柄も総合して論じるのが宗教と思っている私にとっては、やはり幸福の科学には信頼を寄せざるを得ないのです。
やはり物事は総合的に観ていって、多角的な視点でことを論じていかない事には、真の打開にはならないからです。
英国数で受験するとして、いくら英語の点数がよくても、あとの国数の点数もよくなくては合格しないのと一緒です。
やはり多角的に、総合していかなくてはいけないのは言うまでもないことです。
宗教の力は偉大なのは事実です。
しかし、その宗教で言われていることだけを覚えて、そして信じて行動するだけでいいんだ、というような錯覚をさせてしまうことがどの宗教団体にもあるのは問題です。
ましてや壮大な建築物を擁する宗教の場合、そういう傾向がありますね。
その大きさや壮大な威厳に圧倒されて、「ここで言われていることだけを学んで実践していけばいいんだ」というような錯覚に陥ってしまう気持ちはわかりますが、それには警鐘を鳴らしたいです。
その講義が終わってから、今一度、客観的になって傍らから傍観するなり、他の本なりを読んでみるのがいいでしょう。
そうすると、その宗教で言われていることだけでない重要事項があることに気が付くでしょう。
やはり、その宗教だけにこだわっていては危険なのです。
やはり宗教だけに依拠していくのではなく、科学的な情報の重要性にも目がいかなくてはならないでしょう。
そういう立場をす推奨しているのです私は。
しかし、努力すればだれでも行けるような、到達できるような、例えば私のような意見だけに依拠するのも危険です(笑)。
やはり人智を超えた人物の意見を真摯に傾けなくてはならないでしょう。
幸福の科学の総裁であった故.大川隆法氏(下写真)はそういう人智を超えた人物だったのでしょうか?

この団体の機関冊子に、以下、信者談がありましたので、それを紹介しましょう。
「2013年東日本大震災から2年後、宮城の石巻支部の僧房で寝ていた。
玄関のドアをこんこんノックする音が聞こえた。
出てみると誰もいない。
玄関から廊下の方へ水でぬれた足跡がついていて、砂利まみれだった。
これを総裁に霊視してもらったところ、総裁は手をかざしながら、霊視した。
すると、津波で亡くなった人、震災の犠牲者だったということがわかった。」
総裁は、このような霊視もできたということです。
また、開宗から逝去されるまで実に3100冊以上もの本を出してきたのです。
そのいずれもが、200ページ以上もある代物でした。
それだけでも人智を超えた存在だったのがわかるでしょう。
そして、総裁は、あの世にも行けたし、霊も見えて、その描写を具体的におこなってきたのです。
それらのいずれもが、真に迫る具体性を備えていたのです。
それが本物かどうかは、その本のどれでもいいから読んで自身で判断してくださいとしかいいようがないです。
霊視を総裁にしてもらって、それで打開策を伝えてもらいその通りにしたら、人生がそれまでの地獄のようだった生活がまるで正反対になったという経験談も多数あるくらいゆえに、この人の力は本物だったのかなとつい思ってしまうのです。

その他、霊的な体験を機にあの世の存在を実感して、幸福の科学に入信されたり、その信仰に目覚める人がたくさんいるのです。
やはり宗教の開祖たるもの、あの世までも行けたり、霊視ができたりといった人智を超えた能力がなければ務まらない、ということがわかります。
私は、かつて知人から誘われて創価学会に入りましたが、そこではこの世での倫理しか説いていないのですね。
この団体はかつて「日蓮正宗 創価学会」という名称だったのです。
しかし、のちに日蓮正宗から破門処分になってしまい、単名に「創価学会」としたのです。
日蓮正宗の教えを基本にする団体ですから当然、日蓮(下写真)という鎌倉時代の僧侶の教えを中心に学んでいる団体なのです。

その僧侶の遺した『御書』を引き合いに出して、新聞や講演では講義がなされるのですが、そこにはあの世だの霊だのといったことは一切触れません。
故に、いぶかし気に思っていたのです私は。
「宗教というからには、そういったものまでも視野に入れて講義されなくてはいけないだろうに…」という風に思わざるを得なかったのです。
「又、後生には霊山浄土にまいり、あひまいらせん」
これは日蓮が尼御前にあてた手紙の一部ですが、こういう些細な部分しか触れていないのです。
これは、日蓮は執筆の能力は高かったけれども、あの世にも行けなかったし、霊視もできなかったのだろうと判断せざるを得ないですね。
もしかしたら、創価学会の幹部たちの思惑で、現代においてそういう部分について書くと、いぶかし気に思われると危惧したがゆえに、日蓮が多くの部分を割いて、あの世の描写をしているのかもしれないです。
そうかもしれないですし、そうでないかもしれないです。

その是非は『御書』を読まなくては判断のしようがないのです。
それを読んでいる時間がないのです私は。
他にいっぱい読みたい本がありますし、今は日蓮について研究をしている時間がない、というのが正直なところなのです。
某哲学者によると、世の中は、1つの価値に収斂するという人と、多面的な価値に分散する、という2つの立場に分かれるようです。
ゆえに前者の人は宗教に入ってそこで講義されるものを極度に依拠してしまうのです。
ゆえに、その宗教で言われていることを鵜呑みにしてしまうのです。
これでは、先に書いたように、総合性がない理論では、躓いた時の打開にはつながらないから注意が必要です。
そういう立場に賛同して、なおかつ自身で世の中について勉強していきたい、と思ってしまう人におすすめなのが、以下の電子書籍になります。
●以下よりどうぞ!
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!

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これまでもこのブログに書いてきたように、私は幸福の科学には信頼を寄せているのです。

なぜならば、この世のでの倫理だけ、あるいは倫理を中心に神仏についての講義をするだけの宗教がほとんどの現代社会において、この宗教では、あの世の内容や、死後の世界、霊的な事柄についても、つまびらかに講義しているからです。
倫理のみならず、こういった事柄も総合して論じるのが宗教と思っている私にとっては、やはり幸福の科学には信頼を寄せざるを得ないのです。
やはり物事は総合的に観ていって、多角的な視点でことを論じていかない事には、真の打開にはならないからです。
英国数で受験するとして、いくら英語の点数がよくても、あとの国数の点数もよくなくては合格しないのと一緒です。
やはり多角的に、総合していかなくてはいけないのは言うまでもないことです。
宗教の力は偉大なのは事実です。
しかし、その宗教で言われていることだけを覚えて、そして信じて行動するだけでいいんだ、というような錯覚をさせてしまうことがどの宗教団体にもあるのは問題です。
ましてや壮大な建築物を擁する宗教の場合、そういう傾向がありますね。
その大きさや壮大な威厳に圧倒されて、「ここで言われていることだけを学んで実践していけばいいんだ」というような錯覚に陥ってしまう気持ちはわかりますが、それには警鐘を鳴らしたいです。
その講義が終わってから、今一度、客観的になって傍らから傍観するなり、他の本なりを読んでみるのがいいでしょう。
そうすると、その宗教で言われていることだけでない重要事項があることに気が付くでしょう。
やはり、その宗教だけにこだわっていては危険なのです。
やはり宗教だけに依拠していくのではなく、科学的な情報の重要性にも目がいかなくてはならないでしょう。
そういう立場をす推奨しているのです私は。
しかし、努力すればだれでも行けるような、到達できるような、例えば私のような意見だけに依拠するのも危険です(笑)。
やはり人智を超えた人物の意見を真摯に傾けなくてはならないでしょう。
幸福の科学の総裁であった故.大川隆法氏(下写真)はそういう人智を超えた人物だったのでしょうか?

この団体の機関冊子に、以下、信者談がありましたので、それを紹介しましょう。
「2013年東日本大震災から2年後、宮城の石巻支部の僧房で寝ていた。
玄関のドアをこんこんノックする音が聞こえた。
出てみると誰もいない。
玄関から廊下の方へ水でぬれた足跡がついていて、砂利まみれだった。
これを総裁に霊視してもらったところ、総裁は手をかざしながら、霊視した。
すると、津波で亡くなった人、震災の犠牲者だったということがわかった。」
総裁は、このような霊視もできたということです。
また、開宗から逝去されるまで実に3100冊以上もの本を出してきたのです。
そのいずれもが、200ページ以上もある代物でした。
それだけでも人智を超えた存在だったのがわかるでしょう。
そして、総裁は、あの世にも行けたし、霊も見えて、その描写を具体的におこなってきたのです。
それらのいずれもが、真に迫る具体性を備えていたのです。
それが本物かどうかは、その本のどれでもいいから読んで自身で判断してくださいとしかいいようがないです。
霊視を総裁にしてもらって、それで打開策を伝えてもらいその通りにしたら、人生がそれまでの地獄のようだった生活がまるで正反対になったという経験談も多数あるくらいゆえに、この人の力は本物だったのかなとつい思ってしまうのです。

その他、霊的な体験を機にあの世の存在を実感して、幸福の科学に入信されたり、その信仰に目覚める人がたくさんいるのです。
やはり宗教の開祖たるもの、あの世までも行けたり、霊視ができたりといった人智を超えた能力がなければ務まらない、ということがわかります。
私は、かつて知人から誘われて創価学会に入りましたが、そこではこの世での倫理しか説いていないのですね。
この団体はかつて「日蓮正宗 創価学会」という名称だったのです。
しかし、のちに日蓮正宗から破門処分になってしまい、単名に「創価学会」としたのです。
日蓮正宗の教えを基本にする団体ですから当然、日蓮(下写真)という鎌倉時代の僧侶の教えを中心に学んでいる団体なのです。

その僧侶の遺した『御書』を引き合いに出して、新聞や講演では講義がなされるのですが、そこにはあの世だの霊だのといったことは一切触れません。
故に、いぶかし気に思っていたのです私は。
「宗教というからには、そういったものまでも視野に入れて講義されなくてはいけないだろうに…」という風に思わざるを得なかったのです。
「又、後生には霊山浄土にまいり、あひまいらせん」
これは日蓮が尼御前にあてた手紙の一部ですが、こういう些細な部分しか触れていないのです。
これは、日蓮は執筆の能力は高かったけれども、あの世にも行けなかったし、霊視もできなかったのだろうと判断せざるを得ないですね。
もしかしたら、創価学会の幹部たちの思惑で、現代においてそういう部分について書くと、いぶかし気に思われると危惧したがゆえに、日蓮が多くの部分を割いて、あの世の描写をしているのかもしれないです。
そうかもしれないですし、そうでないかもしれないです。

その是非は『御書』を読まなくては判断のしようがないのです。
それを読んでいる時間がないのです私は。
他にいっぱい読みたい本がありますし、今は日蓮について研究をしている時間がない、というのが正直なところなのです。
某哲学者によると、世の中は、1つの価値に収斂するという人と、多面的な価値に分散する、という2つの立場に分かれるようです。
ゆえに前者の人は宗教に入ってそこで講義されるものを極度に依拠してしまうのです。
ゆえに、その宗教で言われていることを鵜呑みにしてしまうのです。
これでは、先に書いたように、総合性がない理論では、躓いた時の打開にはつながらないから注意が必要です。
そういう立場に賛同して、なおかつ自身で世の中について勉強していきたい、と思ってしまう人におすすめなのが、以下の電子書籍になります。
●以下よりどうぞ!
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
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今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!



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