古今東西、多面性は社会に必須!それは宗教に拠ることだけでなく、どんな方法があるか? (幸福の科学)
こんにちは。
私は大幅に,幸福の科学や、その総裁であった大川隆法氏に賛同する立場です。
その理由は端的にいって多面的だからです。
物事は、一面においては正しいと思われても、実際に検証したらそうではないと思える場面が多々あるものです。
それゆえに、物事は多面的に論じていかななくてはいけないものなのです。
大川隆法総裁(下写真)は、生前本を10万冊も読んだということで、多面性を有した理論を展開していたのです。

地球神エルカンターレが彼に下生したというフィクションが、幸福の科学の宗教成立の主な前提になっているのですが、それゆえになのか、あるいはそういった総裁の多読によってなのかは、わかりかねますけれども、とにかく総裁が書いた本なり、しゃべった講演の内容は、多面性を有していたのです。
多読ゆえか、エルカンターレが下生したからか、そのどちらが理由か、あるいはその両方ゆえに多面性を有しているのかはこちらでは検証のしようがないのです。
いな誰も無理でしょうし、今たとえ総裁が生きておられても総裁自身でも判断は無理でしょう、どちらが故なのかは。
しかし、いずれにせよ、そういう多面性は大事なのです、ことを論じていくためには。
ただ巷の宗教のように教祖の言うことだけに従っていればいい、という理論には与することはできない、というのが私の立場なのです。
私が、幸福の科学で唱えられている理論で、称賛したいものの1つは、幸福の原理(四正道)です。
それは、以下の4つです。
愛(奪う愛をやめ、与える愛を心がける) 知(霊的人生観)を持ち、深い智慧を獲得する 反省(心を清めて本当の自分を取り戻す) 発展 (自も他も共に向上し、発展させていく)というものです。
これを見ると、キリスト教なのか、仏教なのか、どこの宗教ともわからない、何かいろんな宗教をごっちゃ混ぜにしたような感を与えるという論者もいるでしょうが、こんにちのように、いろんな本や雑誌、冊子などが存在している時代においては、雑種化は避けられないのです。
いな、日本の古代からして、文物や口承による手段ができてしまったがゆえに、雑種化は避けられない運命にあったのです。
さらに、紙が誰でも手にすることができる現代の時代においては、その雑種化の程度は上がるのです。
ゆえに、雑種化は避けられないと措定しながら、いかに人を説得できる理論を展開するかどうかが重要であると思っているのです私は。
純粋か雑種かではないのです。
いな、現代にある宗教の中で、雑種化によって成り立っているのがほとんど、いや全部でしょう。
こと仏教にしても、聖徳太子の前の時代に日本に伝わったのですが、その時において既にキリスト教の影響を受けてから入ってきたのです。
そんな…と思われるでしょうが、それは真実なのです。

太子以前に伝わった百済観音像にしても、日本に入ってきたときに、いかにもアジアっぽいいでたちをしているので、いかにも西洋のキリスト教の影響など受けているはずはない、と思われるでしょうが、それは土着の文化によって脚色が加えられているだけのはなしなのです。
それの詳しい理論については私が推す以下の書籍にも書いてあるので読むのがいいでしょう。
いろんな情報に接しながら、脳内で熟成させながら、いろんな面から検証し、大事と思われる面は取り入れ、不要と思われるものに関しては捨てる。
そうして出来上がった理論を信者に提示して、それを信者が順守する、というのが一般的な宗教の日常でしょう。
しかし、長年考えに考え熟成させた理論でも、どう考えても受け入れられない面が出てくるので、そこはいくら偉大なる教祖の出した理論であっても、すてなくてはならないでしょう。
まさに守破離が重要なのです。
それに加えて、偉大なる教祖の残した理論であっても、それによらず、他の本などに拠ったことで、解決できたという経験は誰しも持つでしょうし、まさに私もそうなのです。
そういう人生によって人生を切りぬけてきたがゆえに、いくら偉大なる大川総裁の宗教であっても、その信者にはなれない、としているのです私は。
●そういうスタンスに共鳴できる人や、そういう立場のメンタル部分について知りたい人にはうってつけの本(電子書籍)が以下になります。
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!

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私は大幅に,幸福の科学や、その総裁であった大川隆法氏に賛同する立場です。
その理由は端的にいって多面的だからです。
物事は、一面においては正しいと思われても、実際に検証したらそうではないと思える場面が多々あるものです。
それゆえに、物事は多面的に論じていかななくてはいけないものなのです。
大川隆法総裁(下写真)は、生前本を10万冊も読んだということで、多面性を有した理論を展開していたのです。
地球神エルカンターレが彼に下生したというフィクションが、幸福の科学の宗教成立の主な前提になっているのですが、それゆえになのか、あるいはそういった総裁の多読によってなのかは、わかりかねますけれども、とにかく総裁が書いた本なり、しゃべった講演の内容は、多面性を有していたのです。
多読ゆえか、エルカンターレが下生したからか、そのどちらが理由か、あるいはその両方ゆえに多面性を有しているのかはこちらでは検証のしようがないのです。
いな誰も無理でしょうし、今たとえ総裁が生きておられても総裁自身でも判断は無理でしょう、どちらが故なのかは。
しかし、いずれにせよ、そういう多面性は大事なのです、ことを論じていくためには。
ただ巷の宗教のように教祖の言うことだけに従っていればいい、という理論には与することはできない、というのが私の立場なのです。
私が、幸福の科学で唱えられている理論で、称賛したいものの1つは、幸福の原理(四正道)です。
それは、以下の4つです。
愛(奪う愛をやめ、与える愛を心がける) 知(霊的人生観)を持ち、深い智慧を獲得する 反省(心を清めて本当の自分を取り戻す) 発展 (自も他も共に向上し、発展させていく)というものです。
これを見ると、キリスト教なのか、仏教なのか、どこの宗教ともわからない、何かいろんな宗教をごっちゃ混ぜにしたような感を与えるという論者もいるでしょうが、こんにちのように、いろんな本や雑誌、冊子などが存在している時代においては、雑種化は避けられないのです。
いな、日本の古代からして、文物や口承による手段ができてしまったがゆえに、雑種化は避けられない運命にあったのです。
さらに、紙が誰でも手にすることができる現代の時代においては、その雑種化の程度は上がるのです。
ゆえに、雑種化は避けられないと措定しながら、いかに人を説得できる理論を展開するかどうかが重要であると思っているのです私は。
純粋か雑種かではないのです。
いな、現代にある宗教の中で、雑種化によって成り立っているのがほとんど、いや全部でしょう。
こと仏教にしても、聖徳太子の前の時代に日本に伝わったのですが、その時において既にキリスト教の影響を受けてから入ってきたのです。
そんな…と思われるでしょうが、それは真実なのです。

太子以前に伝わった百済観音像にしても、日本に入ってきたときに、いかにもアジアっぽいいでたちをしているので、いかにも西洋のキリスト教の影響など受けているはずはない、と思われるでしょうが、それは土着の文化によって脚色が加えられているだけのはなしなのです。
それの詳しい理論については私が推す以下の書籍にも書いてあるので読むのがいいでしょう。
いろんな情報に接しながら、脳内で熟成させながら、いろんな面から検証し、大事と思われる面は取り入れ、不要と思われるものに関しては捨てる。
そうして出来上がった理論を信者に提示して、それを信者が順守する、というのが一般的な宗教の日常でしょう。
しかし、長年考えに考え熟成させた理論でも、どう考えても受け入れられない面が出てくるので、そこはいくら偉大なる教祖の出した理論であっても、すてなくてはならないでしょう。
まさに守破離が重要なのです。
それに加えて、偉大なる教祖の残した理論であっても、それによらず、他の本などに拠ったことで、解決できたという経験は誰しも持つでしょうし、まさに私もそうなのです。
そういう人生によって人生を切りぬけてきたがゆえに、いくら偉大なる大川総裁の宗教であっても、その信者にはなれない、としているのです私は。
●そういうスタンスに共鳴できる人や、そういう立場のメンタル部分について知りたい人にはうってつけの本(電子書籍)が以下になります。
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
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今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!



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