大川隆法総裁の信憑性を確認したいならば、まずその映画を観よ!? (幸福の科学)
私はかねてから幸福の科学の故.大川隆法総裁の天才性や信憑性について瞠目していたものです。
逆に、鎌倉時代の仏教の開祖たちの言葉を引用して、そっくりそのまま批判もせずに、現代でも従わせようとする宗教には辟易したものです。

その開祖たちはカリスマ性があるゆえに、その言葉は現代でも通用する場面があるのは当然ですが、全部は通用しないものです。
科学においても当然なのです。
例えば、マルクスが社会主義を唱え、どの国もこれを採択すれば幸福になれるとしたのは言うまでもないことですが、今更、自分の国を社会主義国にしようなどと唱える人がいたら訝し気に思われるのは必然です。
90年の社会主義国の崩壊を歴史によって証明されたからですね。
この時点から、地球上に、資本主義国と同じくらいの数、存在していた社会主義国は、社会主義を捨てたのです。
そして今でも社会主義を採択し続けている国は地球上で4つだけです。
その国も市場経済を基本にしているのです。
いくらカリスマ的な学者の言ったことでも、現実に合わないのであれば、素通りしていかなくてはならないのです。
こういう、事実を抜きにして、宗教においても、中世の仏教の開祖たちの言葉を全部無批判に受け入れることはできないのは必然でしょう。
やはり現代社会との兼ね合いを無視していくことはできないのです。

受け入れるところは受け入れて、そうでない部分は受け入れない、こういうスタンスが必要と思われるのですが、あまりにその開祖にぞっこんになってしまっているがゆえに、無批判になって、その開祖の言ったことをそっくりそのまま従わそうとする指導者がどの時代のどの社会でも出てくるのが必然のようです。
こういう人を原理主義者というのです。
鎌倉時代の仏教の開祖である日蓮の思想にぞっこんになってしまったがゆえに、日蓮の言ったことに無批判になって、現代社会との兼ね合いを無視していた人がいました。
それが、顕正会の故.浅井昭衛氏(下写真)でした。

この人はさながら日蓮原理主義者としか言いようのない人でした。
あまりに日蓮の言ったことをそっくりそのまま従わせようとしたがゆえに戒壇の建立の可決が遅々として進まず、呆れをきたした日蓮正宗から、これが主原因として顕正会は解散処分を受けてしまったのです。
顕正会は、日蓮正宗の信徒団体でしたが、解散処分を受けたのです。
やはり個人的にぞっこんになるのは自由ですが、団体としての行方を占うときには、現代社会との兼ね合いを考えなくてはいけないのは言うまでもないのです。
兼ね合いを考えるとは、現代社会において有効と思われたものに関しては、積極的に取り入れる、という精神も多分に含んでいる、ということです。
幸福の科学やその総裁だった大川隆法氏(下写真)には、その精神があったがゆえに、やはり注目せざるを得なかったのです。

それのみならず、大川総裁の創り出す映画の映像に関しては、神懸かりのビジョン的な能力が備わっていたと思わざるを得なかったです。
もちろん、ストーリーの奥深さについても。
総裁が総指揮をとって製作した映画については、壮大かつ荘厳なイメージを有し、尋常でない能力によって制作されていたのは言うまでもないです。
その神懸かりな面を見せつけられていては、その宗教にぞっこんになり、毎月惜しげもなく植福してしまう人が大勢いるのも頷けます。
その信者による植福や、総裁の本の購買、映画の券の購入によって宗教団体は存続していけるのは言うまでもないのです。
その映画の製作能力については、スティーブン・ウィルシャー(下写真)との共通性を感じたのです。

スティーブン・ウィルシャーは、イギリスの建築画家で、一度見ただけで風景を目に焼きつける映像記憶ができることで知られ、炎に包まれるセント・ポール大聖堂のような空想的な作品も手がけているが、世界中で人気を集めている画家の一人なのです。
これと同じ能力を映画で発揮していた大川隆法総裁には、必然的に神懸かり性を感じざるを得ないのです。
確かに、そういうモノ事は、多くの人とともに制作したり、脳内に浮かんできた映像や見て印象的で、これを映画に取り入れたいと思った場面を再現するには、スマホなどに撮っておいて制作の際に引き合いにだせばいいのですが、それを逐一していては、時間がかかるのは必然です。
大川総裁は、10日に1冊の割合で本を出版していたに加えて、毎年2本は映画も制作していたのです。
のみならず、これまで説法の回数も3500回をこなし、5大陸でも講演をしてきたのです。
これは尋常でない記憶力がなくては可能ではない芸当なのです。
こういうことを真摯に受け止めて、坦懐に大川総裁の神懸かりな面については認める人が非信者の中から、もっと多く出てきてもいいのではないかと思われてならないのです。
幸福の科学の組織はわずか30年ちょっとで168か国に広がり、本は41言語に翻訳されているのです。
これはかなりの偉業でしょう。
総裁がなくなった直後の映画『二十歳に還りたい』についても感動して見させてもらったのですが、映画館は全国165か所で放映されたのです。

その映画を見た時思ったのは、こういう映画を、非信者がもっと見てくれたらなあということですね。
総裁のカリスマ性に触れる機会でもあったし、どの人にも共通して人生の糧とすべき教訓が含んでいたからですね。
決して、幸福の科学の素晴らしさをアピールするための方途で作られたものではなかったのは、私が保証したいです。
こういう総裁についての偉大性について論じた本としてお勧めしたいのが以下の本です。
●お勧めです!
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!

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♯大川隆法
♯信憑性
逆に、鎌倉時代の仏教の開祖たちの言葉を引用して、そっくりそのまま批判もせずに、現代でも従わせようとする宗教には辟易したものです。

その開祖たちはカリスマ性があるゆえに、その言葉は現代でも通用する場面があるのは当然ですが、全部は通用しないものです。
科学においても当然なのです。
例えば、マルクスが社会主義を唱え、どの国もこれを採択すれば幸福になれるとしたのは言うまでもないことですが、今更、自分の国を社会主義国にしようなどと唱える人がいたら訝し気に思われるのは必然です。
90年の社会主義国の崩壊を歴史によって証明されたからですね。
この時点から、地球上に、資本主義国と同じくらいの数、存在していた社会主義国は、社会主義を捨てたのです。
そして今でも社会主義を採択し続けている国は地球上で4つだけです。
その国も市場経済を基本にしているのです。
いくらカリスマ的な学者の言ったことでも、現実に合わないのであれば、素通りしていかなくてはならないのです。
こういう、事実を抜きにして、宗教においても、中世の仏教の開祖たちの言葉を全部無批判に受け入れることはできないのは必然でしょう。
やはり現代社会との兼ね合いを無視していくことはできないのです。

受け入れるところは受け入れて、そうでない部分は受け入れない、こういうスタンスが必要と思われるのですが、あまりにその開祖にぞっこんになってしまっているがゆえに、無批判になって、その開祖の言ったことをそっくりそのまま従わそうとする指導者がどの時代のどの社会でも出てくるのが必然のようです。
こういう人を原理主義者というのです。
鎌倉時代の仏教の開祖である日蓮の思想にぞっこんになってしまったがゆえに、日蓮の言ったことに無批判になって、現代社会との兼ね合いを無視していた人がいました。
それが、顕正会の故.浅井昭衛氏(下写真)でした。

この人はさながら日蓮原理主義者としか言いようのない人でした。
あまりに日蓮の言ったことをそっくりそのまま従わせようとしたがゆえに戒壇の建立の可決が遅々として進まず、呆れをきたした日蓮正宗から、これが主原因として顕正会は解散処分を受けてしまったのです。
顕正会は、日蓮正宗の信徒団体でしたが、解散処分を受けたのです。
やはり個人的にぞっこんになるのは自由ですが、団体としての行方を占うときには、現代社会との兼ね合いを考えなくてはいけないのは言うまでもないのです。
兼ね合いを考えるとは、現代社会において有効と思われたものに関しては、積極的に取り入れる、という精神も多分に含んでいる、ということです。
幸福の科学やその総裁だった大川隆法氏(下写真)には、その精神があったがゆえに、やはり注目せざるを得なかったのです。

それのみならず、大川総裁の創り出す映画の映像に関しては、神懸かりのビジョン的な能力が備わっていたと思わざるを得なかったです。
もちろん、ストーリーの奥深さについても。
総裁が総指揮をとって製作した映画については、壮大かつ荘厳なイメージを有し、尋常でない能力によって制作されていたのは言うまでもないです。
その神懸かりな面を見せつけられていては、その宗教にぞっこんになり、毎月惜しげもなく植福してしまう人が大勢いるのも頷けます。
その信者による植福や、総裁の本の購買、映画の券の購入によって宗教団体は存続していけるのは言うまでもないのです。
その映画の製作能力については、スティーブン・ウィルシャー(下写真)との共通性を感じたのです。

スティーブン・ウィルシャーは、イギリスの建築画家で、一度見ただけで風景を目に焼きつける映像記憶ができることで知られ、炎に包まれるセント・ポール大聖堂のような空想的な作品も手がけているが、世界中で人気を集めている画家の一人なのです。
これと同じ能力を映画で発揮していた大川隆法総裁には、必然的に神懸かり性を感じざるを得ないのです。
確かに、そういうモノ事は、多くの人とともに制作したり、脳内に浮かんできた映像や見て印象的で、これを映画に取り入れたいと思った場面を再現するには、スマホなどに撮っておいて制作の際に引き合いにだせばいいのですが、それを逐一していては、時間がかかるのは必然です。
大川総裁は、10日に1冊の割合で本を出版していたに加えて、毎年2本は映画も制作していたのです。
のみならず、これまで説法の回数も3500回をこなし、5大陸でも講演をしてきたのです。
これは尋常でない記憶力がなくては可能ではない芸当なのです。
こういうことを真摯に受け止めて、坦懐に大川総裁の神懸かりな面については認める人が非信者の中から、もっと多く出てきてもいいのではないかと思われてならないのです。
幸福の科学の組織はわずか30年ちょっとで168か国に広がり、本は41言語に翻訳されているのです。
これはかなりの偉業でしょう。
総裁がなくなった直後の映画『二十歳に還りたい』についても感動して見させてもらったのですが、映画館は全国165か所で放映されたのです。

その映画を見た時思ったのは、こういう映画を、非信者がもっと見てくれたらなあということですね。
総裁のカリスマ性に触れる機会でもあったし、どの人にも共通して人生の糧とすべき教訓が含んでいたからですね。
決して、幸福の科学の素晴らしさをアピールするための方途で作られたものではなかったのは、私が保証したいです。
こういう総裁についての偉大性について論じた本としてお勧めしたいのが以下の本です。
●お勧めです!
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!



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