宗教の開祖の資質とはどのようなものか?立ち止まって考えるべし! (幸福の科学)
こんにちは。
今回は指導者とか、宗教の開祖の資質といったものについて考察していきたいです。
物事を進めるためには、いろいろある選択肢の中から選択して、断定していかなくてはならないのは言うまでもないです。
しかし、逐一いろんな選択肢から、いろいろ時間をかけて考えていては時間の無駄になってしまいます。
そこでは、経験者に人に聞いて、どうしたらいいかを相談するのがいいでしょう。
そして自身でも、いろんな経験を経て、即座に決断していく努力をしていかなくてはいけないでしょう。
そういう経験をつむことで、人に頼られる人格になっていくのです。

自分1人のことであれば、どのような感じでもいいでしょう。
時間かけようが時間かけなかろうがいいわけです、自分の責任になるのですから。
しかし、こと大勢の人の上に立つ人が何も考えずに、即断するようなことではいけません。
その決断が、人の人生を左右するような大きな難関であってみれば、失敗は許されるわけではないですし、よしんば失敗しても、ダメージが小さくなるような決断をしなくてはいけないでしょう。
大きな会社や団体の長や、宗教団体の長であってみればなおさらです。

そこでは、いろんな情報を収集して、そこで決断をするのが妥当な道でしょう。
そこでの情報は理論だったり数字だったりするわけですが、多ければ多いほど多面的になりますから、脳内に入れておいた方がいいでしょう。
しかし、いろんな人と接したり、いろんな本を読んだりするとわかるのですが、きちんとした数字を引き合いに出さずに、自分の直観や経験値だけで断定した論議の講演をしたり、本を出してきた哲学者といわれる人たちがいるのです。
それが、そのように根拠薄弱であるにもかかわらず、その論が書かれた本をよんだり聞いたりすると、かなり信憑性があり、引き込まれでしまう魅力を持っていたりするのです。
その結果大勢の支持を得るパターンがあります。
その代表が古代の哲人といわれる人たちの中に多い気がします。

それは、その人を神や仏といった存在が、そういう知識を直に与えたからではないか、というようなことを考えてしまうのです。
指導においてもおなじことが言えます。
根拠もないような気がするのに、その人に言われるとなんだか正しい気がして、従ってしまう。
逆に、指導されても、なんか気が向かずに反抗的な気分になってしまう。
やはり前者の人はリーダーに向いていて、後者の人はリーダーに向いていないのです。
前者の資質を身に着けている人は宗教の開祖になれる気がします。
ただし、講演で誰もが自分の話を終始聞いているか?
一般人とは違う読み書きの能力(早く何冊も出して、その内容も大勢の人をひきつけられるというような)があれば、やはり神仏による能力の付与が行われたのではないかと思われてならないのです。
幸福の科学の故.大川隆法氏(下写真)は、そういう能力が神仏から付与されたのではと思われてならないですね。

講演では終始集中して聞いてしまいますし、10日に1冊の割合で本を出版してきて、その内容も多面的だったし、内容に引き込む力があったからこそ、開宗から30年前後で168か国にまで支部ができたのですから。
ただ、きちんとした数字を引き合いに出さずに、自分の直観や経験値だけで断定する人がすなわちリーダーとしての能力に即繋するというわけではないのはお断りします。
世の中にはサイコパスといわれる人が古今東西必ずいるわけで、この人たちは、自分が仕切らないと気が済まないという心の病を抱えているのです。
こういう人はいくら教育を施しても治るわけではないのです。
こういう人が、大団体の長になったらその組織は終焉を迎えるわけです。
いろんな重鎮が離脱していくか、その長に辞めさせられてしまいますから。
そういう重大な知識を脳内に入れて人生は行動していきましょう。
今回確認したいのは以上です。
こんな内容に興味ある人にお勧めなのが以下の電子書籍になります。
●興味ある方はどうぞ!
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!

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♯リーダとしての資質
♯宗教団体の長
今回は指導者とか、宗教の開祖の資質といったものについて考察していきたいです。
物事を進めるためには、いろいろある選択肢の中から選択して、断定していかなくてはならないのは言うまでもないです。
しかし、逐一いろんな選択肢から、いろいろ時間をかけて考えていては時間の無駄になってしまいます。
そこでは、経験者に人に聞いて、どうしたらいいかを相談するのがいいでしょう。
そして自身でも、いろんな経験を経て、即座に決断していく努力をしていかなくてはいけないでしょう。
そういう経験をつむことで、人に頼られる人格になっていくのです。

自分1人のことであれば、どのような感じでもいいでしょう。
時間かけようが時間かけなかろうがいいわけです、自分の責任になるのですから。
しかし、こと大勢の人の上に立つ人が何も考えずに、即断するようなことではいけません。
その決断が、人の人生を左右するような大きな難関であってみれば、失敗は許されるわけではないですし、よしんば失敗しても、ダメージが小さくなるような決断をしなくてはいけないでしょう。
大きな会社や団体の長や、宗教団体の長であってみればなおさらです。

そこでは、いろんな情報を収集して、そこで決断をするのが妥当な道でしょう。
そこでの情報は理論だったり数字だったりするわけですが、多ければ多いほど多面的になりますから、脳内に入れておいた方がいいでしょう。
しかし、いろんな人と接したり、いろんな本を読んだりするとわかるのですが、きちんとした数字を引き合いに出さずに、自分の直観や経験値だけで断定した論議の講演をしたり、本を出してきた哲学者といわれる人たちがいるのです。
それが、そのように根拠薄弱であるにもかかわらず、その論が書かれた本をよんだり聞いたりすると、かなり信憑性があり、引き込まれでしまう魅力を持っていたりするのです。
その結果大勢の支持を得るパターンがあります。
その代表が古代の哲人といわれる人たちの中に多い気がします。

それは、その人を神や仏といった存在が、そういう知識を直に与えたからではないか、というようなことを考えてしまうのです。
指導においてもおなじことが言えます。
根拠もないような気がするのに、その人に言われるとなんだか正しい気がして、従ってしまう。
逆に、指導されても、なんか気が向かずに反抗的な気分になってしまう。
やはり前者の人はリーダーに向いていて、後者の人はリーダーに向いていないのです。
前者の資質を身に着けている人は宗教の開祖になれる気がします。
ただし、講演で誰もが自分の話を終始聞いているか?
一般人とは違う読み書きの能力(早く何冊も出して、その内容も大勢の人をひきつけられるというような)があれば、やはり神仏による能力の付与が行われたのではないかと思われてならないのです。
幸福の科学の故.大川隆法氏(下写真)は、そういう能力が神仏から付与されたのではと思われてならないですね。

講演では終始集中して聞いてしまいますし、10日に1冊の割合で本を出版してきて、その内容も多面的だったし、内容に引き込む力があったからこそ、開宗から30年前後で168か国にまで支部ができたのですから。
ただ、きちんとした数字を引き合いに出さずに、自分の直観や経験値だけで断定する人がすなわちリーダーとしての能力に即繋するというわけではないのはお断りします。
世の中にはサイコパスといわれる人が古今東西必ずいるわけで、この人たちは、自分が仕切らないと気が済まないという心の病を抱えているのです。
こういう人はいくら教育を施しても治るわけではないのです。
こういう人が、大団体の長になったらその組織は終焉を迎えるわけです。
いろんな重鎮が離脱していくか、その長に辞めさせられてしまいますから。
そういう重大な知識を脳内に入れて人生は行動していきましょう。
今回確認したいのは以上です。
こんな内容に興味ある人にお勧めなのが以下の電子書籍になります。
●興味ある方はどうぞ!
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!



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