1つの宗教に拘るべからず!多面的に学び、自身の哲学を構築せよ?

哲学とは何かといえば、古代のギリシャを含めた西洋の思想家の思想を勉強することと思われがちでしょう。
しかし、それは人の定義づけによって変わってくるので、むやみに否定はしないですが、私はそれだけではないのです。
いな、違うといってもいいのでしょうか?
私にとって哲学とは、雑学、乱読によって得た知識と、それを手段にして形成した自分の思想というふうに考えています。
人は、それぞれいろんな情報に接して生きてきました。
ゆえに、その情報が変わってくれば、当然、考えも変わってくるわけで,それを統一しようとしたら、それはかなり難しいことでしょう。
しかし、事、宗教内に入ってしまえば、神や仏など、人間を凌駕した存在の言葉を介したものゆえに、その宗教内で言われていることには、すぐ鵜呑みにして無批判になってしまうようです。
それは幾多の宗教を見て、発見しました。
しかし、いくら神や仏の言った言葉でも、のちになって誤りであることも判明するわけです。
いや、神や仏ではない、宗教の創始者、開祖といわれる人たちも同じ人間なのですから、もっと過ちを犯すでしょう。
それを批判する気はないのです。

しかし、それが誤りであることが判明したのであれば、そこについては取り入れない、という毅然とした態度が必須と思うのですが、そういう考えをしている人はまれです。
ゆえに、私が1つの宗教にぞっこんになって、その宗教の素晴らしさを人に語り、信者になってくれるように頼む、なんていうふうにはならないのは明白です(笑)
そういうスタンスですから、ある特定の宗教にぞっこんになってしまう人の気持ちが全然わからないのです。
それに、発見したことですが、その宗教に入ってしまう人の特徴は、やはりその他の宗教についての本も同様に、他の科学や学問についての本は全くと言っていいほど読んでいないのが通常です。
その宗教の素晴らしさを語るなら、他の宗教についていくつも比較して、その素晴らしさを語ることによって説得力があるものですが、そう言うことをしてくれる人はまずいないのです。
自分の入っている宗教だけ学んで「この宗教こそ至上のものだ!」なんて言われても納得できません(笑)
しかし、その宗教の会合に行って話しを聞いたり、その宗教についての本を読むとそれなりに学ぶところはあります。
しかし、全部が無批判というわけではないのですから、そこは毅然とした態度で「取り入れない」という態度が必要と思います。
私は心理学の本をたくさん読んできました。
やはり人間関係について悩むたちですから。

そこで学んだのは、「人間には2タイプあって、1つはひとの心に関心のある人、もう1つはひとの心に無関心な人」ということを知りました。
それによって、心が晴れました。
「ひとの心に無関心な人に対しては、わざわざ心を開いてくれるようにアクセスしなくていいんだ!」ということですね。
ゆえに、人の揚げ足しかとらない人や、コチラが優しくしているのに一向にコチラにやさしくしてくれない人にはかかわらずに、人の心に無関心な人にはロボットと接するようにしているのでいいということがわかりました。
そういうことを書くと、それでは相手が傷つくんじゃ、と思われるかもしれないですがそんなことはないのです。
そういうことをしても、やはり、傷ついている様子はないのです。
しかし、そういったことを言うのは宗教内では御法度なのです。
宗教は和を前提とした団体なのですから。
それが宗教の建前なのですから。
しかし、真実は「人の心に無関心な人にはロボットと接するようにせよ」というのが王道なのです。
しかしそれを理解しないで、そういう人にも優しく接しても一向にあちらはそういうことをしてくれないで終わるのですから、ストレスにさいなまれます。

それでは何のために生きているのかわからないですよね。
そこは毅然とした態度が必須なのです。
宗教以外にも学べるものはいくらでもあるのですから、そこから学んで自分の哲学を構築すればいいのですが、文字嫌いな人はそれができないから、宗教内で言われていることだけに依拠してしまい、いつまでたってもそのスパイラルから抜け出せないでいるのです。
宗教で言われていることだけが真実ではない、という厳然たる事実を悟らなくてはなりません。
開祖がなくなって、そのあとを継いだその団体の長は大抵、いろんな著作家の本、他の宗教者の本、伝記の本、哲学者の本を宗教の長は読んでいるのが通常です。
ゆえに一般信者よりは多面的なのです。
しかし、多くの場合、内容がその宗教内に留まるゆえに、幅は狭いのです。
ゆえに、その宗教団体内で話されていることだけに依拠するのも危険なのです。
しかし、一般信者はほとんど本を読まず。
ゆえに一面的で逢着してしまっているのです。
ゆえに、宗教にぞっこんになるのはお勧めできないのです。
それなりに学ぶものがあるのは事実ですが。
その宗教内で話されている内容が、自分が興味あることであれば話しは別ですが、私は興味ないです、ほとんど…(笑)
そのことを書くと、この宗教をしっかり学ばなければ、いい人生を送れないよといった意見が宗教者からは出そうですが、そこは構わないです、不問です。
何も宗教を蔑ろにしているわけではないのです。

学び、実践していくべきと思われることについては真摯に接しています。
それでも足りない、ということであれば、それは不問にしなければないです。
その宗教で大事とされていることをすべて行動していくには時間がないからです。
それでも邪道というのであれば、仕方ないです、本当に!
そんなスタンスの興味ある人には以下の電子書籍はお勧めです。
●以下よりどうぞ!
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!



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