幸福の科学の魅力はどこにあるか?…練り上げられた総合性を有した理論にあります! (幸福の科学)
こんにちは。
幸福の科学に出会ったのは20年近くも前になります。
当時、私は創価学会に入っていましたが、あまりにこの世での倫理しか説かない講義に辟易していました。
しかも、その講義の内容は毎回毎回同じ言葉の繰り返しだったので、聞きに行く意味が見いだせなかったのです。

ちなみに、私の母親も創価学会員でしたが、数十年も入信していたにもかかわらず、人の成功を喜べない人だったのです。
それでは、この宗教に入る意味がないじゃないか、と思われてならなかったのです。
それゆえに、いくモチベーションがわかなかったので縁遠い存在になっていたのです。
そこで、私の住む世田谷区の某街で、幸福の科学の信者によって冊子が配られていたので、それを読んで、感想を書いて送付したら、会いに来てといわれて、それから数日後に支部にいきました。
それから何度か講義も受けて、冊子も読ませてもらいました。
そこで引き入れられたのは、この宗教の総合性ですね。
この世の倫理はもちろん、あの世や霊、といったことまでわかりやすい筆致でかかれているので、今のこの世での行動も律することができると感じたのです。
この世で自殺して解決しようとしても、あの世に行っても地獄に落ちることになる。

こういうことを知ってれば必然的に、今の行動を良き方向へ舵取りできることにはなるはずです。
もちろん、その言葉を信じるか信じないかは、その人次第ですが。
子供の教育も当然、冊子で語られていますが、単なる教育ではなく、その子供の精神的に伸ばす教育を施さないことには意味がないのです。
どういうモチベーションでしたらいいのかは、この当会から出ている本なりを読むのがいいでしょう。
こういうことに多くでくわすと、その多面性というか総合性には瞠目すべきものがあります。
普通の仏教であれば、お祈りは自分の先祖だけにするわけですが、この宗教では友人、知人、またはその土地の地縛霊といったものまでもお祓いしてくれる、ということです。
しかし総合的だなあ、と感心していましたが、ちょっと足りない部分を感じたのです。
そう、水子の霊を鎮めるということですね。
水子は、母親のおなかの中にいた胎児が、事故やその母親の病などで流産してしまった場合、それをしっかりとした方法で供養してあげなければ、その親族に災いをもたらす、ということです。

それはこの宗教ではないのかなと思っていたら、当会の経文本にはその供養の文がしっかり書いてありました。
まさに抜け穴のない総合性だなあと感心しました。
やはり、こういう宗教における総合性は必須でしょう。
現代における分業が進んだ時代においては特に。
生活上で困ったことが起きた。
その際に、宗教に頼ってくる人は大勢います。
その時にいろんなものを知っていて、適宜なアドバイスができるかどうか、がやはり重要になってくるのです。
片手落ちの議論では、解決には至らないでしょう。
いかにも、その宗教で言われていることは信憑性があるように思えても、それにすがっても一向に良き方向へ行かない…というのであれば、信頼を勝ち取ることはできないのです。
もちろん、困っている人も主体的に、その解決法を見出す努力もしなければならないのは言うまでもないですが、その宗教が多面性を有しているのであれば尚更いいのは反論の余地のないことではないでしょうか?
どうすれば、そういう多面性や総合性を身に着けることができるのでしょうか?
やはり、その宗教の長による濫読、多読にあるとしか言いようがないです。

いろんな理論が、いろんな人にはあるのです。
当然、自分と反対の意見もあるのです。
その際にすべきなのは、討論でしょう。
しかし、「討」という字が使ってあるがゆえに、相手を負かすことを前提にするものと思われがちですがそうではないのです。
決してどちらかを裁断して打ち負かす、というのではなく、自分の意見はこうなんですということを話して、相手の意見を聞く。
相手が間違っていると思われたら、優しく諭す。
そして相手の意見を汲んでいって提案を促すのです。
そういう過程を通じて、自分の意見を矯正していくのが王道なのです。
例えば、数学などの勉強を長時間するなど頭を使うと、血の巡りがよくなって糖が足りなくなって、腹がへるのです。
ある人が私に、「私は頭を使っているから腹がへっている。君はどうか?」と言ってきたのです。
そんな頭をフル回転する仕事ではないので、腹はそんなにすいていなかったのですが、その人に引っかかるものを感じました。
それは、「その人は頭を使っているから腹がへるのではなく、メタボだから腹がへっているのではないか?」ということですね。
そうです。
メタボの人間も腹がへりやすいのです。

体内の脂肪と胃袋がくっついて膨張するからです。
そこで相手を打ち負かすのではなく、そっと諭すのがいいのです。
打ち負かして優越感にひたったって意味がないですし、人間関係も悪くなりますから。
自分とは異なった意見をまず聞くのです。
2者が争っていたら、その2者の両方を聞くのです。
1者の意見しか聞かないのは論外なのです。
マザコンの息子は、自分の嫁が家に嫁いできて、自分の母親と言い争いが絶えなくなった。
その場合、母親の意見しか聞かないで、母親の味方しかしないのです。
これでは嫁さんが可哀そうです。
それが日々重なれば、当然、離婚を請求されるのは言うまでもないです。
そういうバランスの取れた理論こそが重要でしょう、宗教においてはとくに。
バランスの取れた理論の展開…それができるためには、つね日ごろから情報摂取を怠らないことが重要です。
それを、この開祖である故.大川隆法氏(下写真)は維持していったのです。

それまでに読んだ本の数10万冊だそうです。
それゆえに、文句のつけようのない文が書けるんだ、ということが分かった次第なのです。
そういうモノに興味ある人にはお勧めの宗教ではあります。
もっと書きたいですが、今回はこれくらいにしておきましょう。
その内情について知りたい人にうってつけの本が以下になります。
●ではどうぞ!『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!

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♯大川隆法
♯信憑性
幸福の科学に出会ったのは20年近くも前になります。
当時、私は創価学会に入っていましたが、あまりにこの世での倫理しか説かない講義に辟易していました。
しかも、その講義の内容は毎回毎回同じ言葉の繰り返しだったので、聞きに行く意味が見いだせなかったのです。

ちなみに、私の母親も創価学会員でしたが、数十年も入信していたにもかかわらず、人の成功を喜べない人だったのです。
それでは、この宗教に入る意味がないじゃないか、と思われてならなかったのです。
それゆえに、いくモチベーションがわかなかったので縁遠い存在になっていたのです。
そこで、私の住む世田谷区の某街で、幸福の科学の信者によって冊子が配られていたので、それを読んで、感想を書いて送付したら、会いに来てといわれて、それから数日後に支部にいきました。
それから何度か講義も受けて、冊子も読ませてもらいました。
そこで引き入れられたのは、この宗教の総合性ですね。
この世の倫理はもちろん、あの世や霊、といったことまでわかりやすい筆致でかかれているので、今のこの世での行動も律することができると感じたのです。
この世で自殺して解決しようとしても、あの世に行っても地獄に落ちることになる。

こういうことを知ってれば必然的に、今の行動を良き方向へ舵取りできることにはなるはずです。
もちろん、その言葉を信じるか信じないかは、その人次第ですが。
子供の教育も当然、冊子で語られていますが、単なる教育ではなく、その子供の精神的に伸ばす教育を施さないことには意味がないのです。
どういうモチベーションでしたらいいのかは、この当会から出ている本なりを読むのがいいでしょう。
こういうことに多くでくわすと、その多面性というか総合性には瞠目すべきものがあります。
普通の仏教であれば、お祈りは自分の先祖だけにするわけですが、この宗教では友人、知人、またはその土地の地縛霊といったものまでもお祓いしてくれる、ということです。
しかし総合的だなあ、と感心していましたが、ちょっと足りない部分を感じたのです。
そう、水子の霊を鎮めるということですね。
水子は、母親のおなかの中にいた胎児が、事故やその母親の病などで流産してしまった場合、それをしっかりとした方法で供養してあげなければ、その親族に災いをもたらす、ということです。

それはこの宗教ではないのかなと思っていたら、当会の経文本にはその供養の文がしっかり書いてありました。
まさに抜け穴のない総合性だなあと感心しました。
やはり、こういう宗教における総合性は必須でしょう。
現代における分業が進んだ時代においては特に。
生活上で困ったことが起きた。
その際に、宗教に頼ってくる人は大勢います。
その時にいろんなものを知っていて、適宜なアドバイスができるかどうか、がやはり重要になってくるのです。
片手落ちの議論では、解決には至らないでしょう。
いかにも、その宗教で言われていることは信憑性があるように思えても、それにすがっても一向に良き方向へ行かない…というのであれば、信頼を勝ち取ることはできないのです。
もちろん、困っている人も主体的に、その解決法を見出す努力もしなければならないのは言うまでもないですが、その宗教が多面性を有しているのであれば尚更いいのは反論の余地のないことではないでしょうか?
どうすれば、そういう多面性や総合性を身に着けることができるのでしょうか?
やはり、その宗教の長による濫読、多読にあるとしか言いようがないです。

いろんな理論が、いろんな人にはあるのです。
当然、自分と反対の意見もあるのです。
その際にすべきなのは、討論でしょう。
しかし、「討」という字が使ってあるがゆえに、相手を負かすことを前提にするものと思われがちですがそうではないのです。
決してどちらかを裁断して打ち負かす、というのではなく、自分の意見はこうなんですということを話して、相手の意見を聞く。
相手が間違っていると思われたら、優しく諭す。
そして相手の意見を汲んでいって提案を促すのです。
そういう過程を通じて、自分の意見を矯正していくのが王道なのです。
例えば、数学などの勉強を長時間するなど頭を使うと、血の巡りがよくなって糖が足りなくなって、腹がへるのです。
ある人が私に、「私は頭を使っているから腹がへっている。君はどうか?」と言ってきたのです。
そんな頭をフル回転する仕事ではないので、腹はそんなにすいていなかったのですが、その人に引っかかるものを感じました。
それは、「その人は頭を使っているから腹がへるのではなく、メタボだから腹がへっているのではないか?」ということですね。
そうです。
メタボの人間も腹がへりやすいのです。

体内の脂肪と胃袋がくっついて膨張するからです。
そこで相手を打ち負かすのではなく、そっと諭すのがいいのです。
打ち負かして優越感にひたったって意味がないですし、人間関係も悪くなりますから。
自分とは異なった意見をまず聞くのです。
2者が争っていたら、その2者の両方を聞くのです。
1者の意見しか聞かないのは論外なのです。
マザコンの息子は、自分の嫁が家に嫁いできて、自分の母親と言い争いが絶えなくなった。
その場合、母親の意見しか聞かないで、母親の味方しかしないのです。
これでは嫁さんが可哀そうです。
それが日々重なれば、当然、離婚を請求されるのは言うまでもないです。
そういうバランスの取れた理論こそが重要でしょう、宗教においてはとくに。
バランスの取れた理論の展開…それができるためには、つね日ごろから情報摂取を怠らないことが重要です。
それを、この開祖である故.大川隆法氏(下写真)は維持していったのです。

それまでに読んだ本の数10万冊だそうです。
それゆえに、文句のつけようのない文が書けるんだ、ということが分かった次第なのです。
そういうモノに興味ある人にはお勧めの宗教ではあります。
もっと書きたいですが、今回はこれくらいにしておきましょう。
その内情について知りたい人にうってつけの本が以下になります。
●ではどうぞ!『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
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今回はこれにて終了します。
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