偉大なる大川隆法でも無批判でいいか?そんなことありません!(幸福の科学)
前回は、幸福の科学の映画『ドラゴンハート』を観にいって、その現代的な意義について書きました。
そこで言われていたことは、現代人にとって大事なことであり、そこで言われていたことを知って、これからの人生を生きるかどうかで、違ってきますから、その内容は脳内に留保しておいたほうがいいでしょう。
※
⇒ドラゴンハートのリポート
さて、私は非信者ながら、幸福の科学には信用を置いているのです。
故.大川総裁(下写真)の言わんとしたことは多面的であり、反論の余地がほとんどなかったですから。

逆に、鎌倉時代の新仏教の勃興期に出現して、今でも生き延びているそれらの宗派に万般の信用を置くのは間違いと思っているのです。
なぜなら、鎌倉時代に妥当と思われていたことでも、今はまるで通用しないものが多くあるからです。
その場合、その開祖の言ったことは、わきに置いておいて、自分の脳内で考えてアレンジしていかなくてはならないのです。
いくら偉大な開祖のいったことでも間違っていることは間違っているのです。
その部分をきっちり批判している幸福の科学は、自分のスタンスと一緒なのです。
それに、今のネットの時代、いくらでも動画において、宗教批判はできる時代です。
一番多いのは、「この宗教に入って祈れば必ず幸せになるといわれたが、一向に幸福にはなれない」ということでしょうか?
その趣旨の動画がたくさんアップされているのです。
しかし、こと幸福の科学については、ないのです。
「反 幸福の科学」とか「幸福の科学批判」といったキーワードで検索するも出てくるのは、故.大川隆法総裁の不詳の長男の宏洋氏(下写真)が上げた動画だけなのです(笑)。

やはり、総裁の言われたことを遵守していったからこそ、信者になった人は幸福になれたのだし、悩みも解決していったのでしょう。
そういう面を見るとやはり、この宗教は本物なのかなあという気がします。
なら何故、宏洋氏は大川総裁に反旗を翻したのか、という素朴な疑問がわくでしょう。
彼の出した本である『私の父は大川隆法だった』という本によれば、総裁の講演時の袈裟は、特注で何百万円、何千万円もするもので、1回着たらそれで終わり、もう2度と着ないということが書かれているのです。
おなじことは、彼の動画でも語られているのです。
総裁の腕時計も一緒で特注でかなり高価のもだそうです。
そして、幸福の科学の職員になった人は、本の売り込みや布施で多大なノルマを課される。
それでいて、総裁があのような衒示的消費をしている。
そして総裁は信者を見下し、金づるとしか思っていないという。
ゆえに、幸福になるのは総裁だけで、一般の信者は幸福になれない、ということでした。
私は、この部分を読んで、「側近にいた人が書いたことだから本当のことなのか?本当ならばこれから先、一切幸福の科学にかかわるのは辞めようか?」などと思ったのです。

しかし、一歩距離を置いて、もう一度総裁の書いた本を読み直しました。
すると、「信者を見下している人が信者が奮起して、目のまえが明るくなるようなことを書けるか?それも何冊も?宏洋氏のほうが嘘ちゃうんか?」と思うになりました。
そういった譲歩をしてよかったと思います。
宏洋氏が書いた本の内容及び、動画の内容は現実と全く違うとして、幸福の科学からその文言の取り消しを訴求されて、宏洋氏は7度敗訴しているのです。
そこで思うのは、なぜ宏洋氏は、幸福の科学および総裁に反旗を翻したのか?ということです。
これは家族心理学とか教育心理学といった部門によらないといけないようです。
解決の糸口は見えてこないのです。
親とくに父親が、朝眠い目をこすって起きて朝飯を食べて会社に出社する。
そういう姿を見て子供は育っていけば、普通に健全な精神を得ることができるのです。
しかし、そうではない、父親が働きに出ずに家で寝ている、あるいは書き物をしたり、パソコンをいじって何かをタイプしている。

そういう職業、たとえば塾講師、アトリエ講師、大学教授、芸術家といった父を持つ子供は精神が不健全になりやすいのです。
「父親が楽して生きているのに、なんで自分は苦労して生きていかなくてはならないんだ?」といったような反発心を抱くようになるのです。
その結果、子供は集団行動においてもはぐれた行動を平気でするようになり、勉学も、運動もなあなあでするようになるのです。
その思い込みを外すことはなかなか困難なことのようです。
事実、反旗を翻す前に、幸福の科学の映画に宏洋氏が参加していた時に、何度も遅刻をして、そのせいで大幅に撮影が遅れて、幸福の科学から3000万円の損害賠償を求められる事態になったようです。
それは『宏洋問題の深層』という本で明らかになっています。
こういった自分の非については一切述べないにもかかわらず、幸福の科学および総裁についての悪口だけ述べているのは、かなり中立から遠く、考え物です。
しかし、こういったモンスターを生み出してしまった故.大川総裁ですが、働きに出ずに、家で読書をし、本の執筆をし、瞑想をおこなうという普通の父親たちの行動とは逸脱した生活をしていたがために、その父を見て育った宏洋氏があのような逸脱行動を起こすようになってしまったのでしょう。

それゆえに、いくら私が信頼をおく総裁であっても批判はまぬかれないでしょう。
大学教授の息子、塾講師の息子といった人たちと中学校でクラスメートになったことがありますが、いずれも親子関係はよくなかったし、その息子たちは打たれ弱かったのは間違いなかったです。
しかし、子供の教育はぶっつけ本番なところがあり、1人目で失敗してしまったことについて、とやかく言うことはないでしょう。
総裁は、家で書き物の執筆などをせずに、子供たちがおきる前に起きて、ファミレスや喫茶店で、そういった仕事をしていればよかったのです。
自分の属す宗教に万般の信頼を置きすぎると、この場合、宏洋氏への批判だけで終始してしまう危険性はまぬかれないでしょう。
しかしそうではなく、総裁には信頼おきながらも、足りないところは、自分の学習で補うというスタンスが大事だと私は思うのですがどうでしょうか?
鎌倉時代の新仏教で今も多くの信者のいる宗派でも、「この偉大なる開祖様が言っていることだから…」ということで、その開祖が残した書物に書いてあることは無批判になって、現代社会や現実社会との兼ね合いや正当性の吟味は一切しない…これではいけないとしているのです私は。
そんなスタンスに共感出来る方には、以下の電子書籍はお勧めです。
●
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!

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♯大川隆法
♯宏洋
そこで言われていたことは、現代人にとって大事なことであり、そこで言われていたことを知って、これからの人生を生きるかどうかで、違ってきますから、その内容は脳内に留保しておいたほうがいいでしょう。
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⇒ドラゴンハートのリポート
さて、私は非信者ながら、幸福の科学には信用を置いているのです。
故.大川総裁(下写真)の言わんとしたことは多面的であり、反論の余地がほとんどなかったですから。
逆に、鎌倉時代の新仏教の勃興期に出現して、今でも生き延びているそれらの宗派に万般の信用を置くのは間違いと思っているのです。
なぜなら、鎌倉時代に妥当と思われていたことでも、今はまるで通用しないものが多くあるからです。
その場合、その開祖の言ったことは、わきに置いておいて、自分の脳内で考えてアレンジしていかなくてはならないのです。
いくら偉大な開祖のいったことでも間違っていることは間違っているのです。
その部分をきっちり批判している幸福の科学は、自分のスタンスと一緒なのです。
それに、今のネットの時代、いくらでも動画において、宗教批判はできる時代です。
一番多いのは、「この宗教に入って祈れば必ず幸せになるといわれたが、一向に幸福にはなれない」ということでしょうか?
その趣旨の動画がたくさんアップされているのです。
しかし、こと幸福の科学については、ないのです。
「反 幸福の科学」とか「幸福の科学批判」といったキーワードで検索するも出てくるのは、故.大川隆法総裁の不詳の長男の宏洋氏(下写真)が上げた動画だけなのです(笑)。

やはり、総裁の言われたことを遵守していったからこそ、信者になった人は幸福になれたのだし、悩みも解決していったのでしょう。
そういう面を見るとやはり、この宗教は本物なのかなあという気がします。
なら何故、宏洋氏は大川総裁に反旗を翻したのか、という素朴な疑問がわくでしょう。
彼の出した本である『私の父は大川隆法だった』という本によれば、総裁の講演時の袈裟は、特注で何百万円、何千万円もするもので、1回着たらそれで終わり、もう2度と着ないということが書かれているのです。
おなじことは、彼の動画でも語られているのです。
総裁の腕時計も一緒で特注でかなり高価のもだそうです。
そして、幸福の科学の職員になった人は、本の売り込みや布施で多大なノルマを課される。
それでいて、総裁があのような衒示的消費をしている。
そして総裁は信者を見下し、金づるとしか思っていないという。
ゆえに、幸福になるのは総裁だけで、一般の信者は幸福になれない、ということでした。
私は、この部分を読んで、「側近にいた人が書いたことだから本当のことなのか?本当ならばこれから先、一切幸福の科学にかかわるのは辞めようか?」などと思ったのです。

しかし、一歩距離を置いて、もう一度総裁の書いた本を読み直しました。
すると、「信者を見下している人が信者が奮起して、目のまえが明るくなるようなことを書けるか?それも何冊も?宏洋氏のほうが嘘ちゃうんか?」と思うになりました。
そういった譲歩をしてよかったと思います。
宏洋氏が書いた本の内容及び、動画の内容は現実と全く違うとして、幸福の科学からその文言の取り消しを訴求されて、宏洋氏は7度敗訴しているのです。
そこで思うのは、なぜ宏洋氏は、幸福の科学および総裁に反旗を翻したのか?ということです。
これは家族心理学とか教育心理学といった部門によらないといけないようです。
解決の糸口は見えてこないのです。
親とくに父親が、朝眠い目をこすって起きて朝飯を食べて会社に出社する。
そういう姿を見て子供は育っていけば、普通に健全な精神を得ることができるのです。
しかし、そうではない、父親が働きに出ずに家で寝ている、あるいは書き物をしたり、パソコンをいじって何かをタイプしている。

そういう職業、たとえば塾講師、アトリエ講師、大学教授、芸術家といった父を持つ子供は精神が不健全になりやすいのです。
「父親が楽して生きているのに、なんで自分は苦労して生きていかなくてはならないんだ?」といったような反発心を抱くようになるのです。
その結果、子供は集団行動においてもはぐれた行動を平気でするようになり、勉学も、運動もなあなあでするようになるのです。
その思い込みを外すことはなかなか困難なことのようです。
事実、反旗を翻す前に、幸福の科学の映画に宏洋氏が参加していた時に、何度も遅刻をして、そのせいで大幅に撮影が遅れて、幸福の科学から3000万円の損害賠償を求められる事態になったようです。
それは『宏洋問題の深層』という本で明らかになっています。
こういった自分の非については一切述べないにもかかわらず、幸福の科学および総裁についての悪口だけ述べているのは、かなり中立から遠く、考え物です。
しかし、こういったモンスターを生み出してしまった故.大川総裁ですが、働きに出ずに、家で読書をし、本の執筆をし、瞑想をおこなうという普通の父親たちの行動とは逸脱した生活をしていたがために、その父を見て育った宏洋氏があのような逸脱行動を起こすようになってしまったのでしょう。

それゆえに、いくら私が信頼をおく総裁であっても批判はまぬかれないでしょう。
大学教授の息子、塾講師の息子といった人たちと中学校でクラスメートになったことがありますが、いずれも親子関係はよくなかったし、その息子たちは打たれ弱かったのは間違いなかったです。
しかし、子供の教育はぶっつけ本番なところがあり、1人目で失敗してしまったことについて、とやかく言うことはないでしょう。
総裁は、家で書き物の執筆などをせずに、子供たちがおきる前に起きて、ファミレスや喫茶店で、そういった仕事をしていればよかったのです。
自分の属す宗教に万般の信頼を置きすぎると、この場合、宏洋氏への批判だけで終始してしまう危険性はまぬかれないでしょう。
しかしそうではなく、総裁には信頼おきながらも、足りないところは、自分の学習で補うというスタンスが大事だと私は思うのですがどうでしょうか?
鎌倉時代の新仏教で今も多くの信者のいる宗派でも、「この偉大なる開祖様が言っていることだから…」ということで、その開祖が残した書物に書いてあることは無批判になって、現代社会や現実社会との兼ね合いや正当性の吟味は一切しない…これではいけないとしているのです私は。
そんなスタンスに共感出来る方には、以下の電子書籍はお勧めです。
●
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
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今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!



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