この経文を唱えれば必ず全部好転する…そんなことありえません! (親鸞とユダヤ.キリスト)
こんにちは。
宗教を研究していくと、宿業論には誰もが意識することでしょう。
普通に生活しているのに、なぜか自分は運が悪い。
しかし、運に恵まれて、大金を手に入れられたり、ライヴチケットではいい席を取れたりする人がいる一方、自分は大金を失ったり、ライヴでいい席が取れなかったりする。
それのみか、事故に巻き込まれたり、試験で落第したりする。
悪いことは絶対にしていないのに…なぜかわかならない。

これは個別に吟味していく必要があるでしょう。
まず、幸運に恵まれる方法といった類の本を読んだり、その手のセミナーに参加して、そこで得た教訓を日々の生活で実行していくのがいいでしょう。
部屋や自分の身なり、服をきれいにする。
人には、誠心誠意をもって接する。
ボランティアで社会にいいことを率先してやる。
こういった行動の積み重ねが運を呼び起すのです。
ただたんに、1つのことだけをすることで好転するはずはないのです。
ゆえに、ここに私が書いたことは、一部でしかないので、いろんな本やセミナーに接していきましょう。
本が一番手っ取り早く入手出来て、行動にも移せるので、一番いいでしょう。
また、前世の人間が悪いことをしていたりした因縁で、その悪いことの被害をうけた人が、あなたを運悪くしている可能性もあるのです。
またあなたの前世の人間が、死刑執行の首斬り人だったとしたら、その斬られた人たちの怨念が、ものすごいあなたを苦しめている可能性もあるのです。
また、前世とは言わないまでも、曾祖父などが妊娠中絶の憂き目にあったりしたら、その中絶してしまった赤子が水子となって運を悪く仕向けている可能性もあります。
こういったことに引っかかることがあるのであれば、それの成仏の請負いをしてくれる除霊者や陰陽師といった人に相談してもらうほかないのです。
水子供養も寺で請け負ってくれる場所もあります。

残念ながら、私にはそういう除霊や供養などといった能力は全く持っていないのです。
ゆえに、そういう人がいるよ、そういう場所があるよということしか示せないのです。
私はかつて創価学会に入会しないかと知り合いに言われたときに「この宗教こそ世界最高峰の宗教だ!」というから入会したのです。

しかし、宗教というからには、こういった視点を入れて、これからの人生の指針を論じてほしかったのですが、そういったことは一切語られていなかったので辟易してしまったのです。
この団体は、日蓮正宗の信徒団体として発足したのですが、その日蓮自体が、あの世や怨霊といったものに対峙した経験がなかったのであろうゆえに、そういう視点の欠如した宗教団体になってしまったのです。
これでは本物の宗教ではない、という思いから私は距離を置くようにしました。
確かに業といったものには、教養があったようで、それは「南無妙法蓮華経と唱えればそれから脱することが出来る」としていたのです。
また学会員を増やせば、好転していけるとも言われていました。
それで解決するのでしょうか?
そんな風には思えないのです。
いくらそれを唱えようとも、一向に改善しない人も大勢いるわけですから。
それに、南無妙法蓮華経と唱えることで怨霊が収まるのでしょうか?
水子が供養されるのでしょうか?
無理な気がします…。

やはり、いま自分は不幸である。
その不幸は、何か現世での自分の行動以外からのモノとしか思えない、というのであれば、いろんな本を読んでそこから解決策を見つけてほしいです、としか言えないのです。
また友人や知人に相談するのもいいでしょう。
そういう積み重ねによって、解決策が出てくるのだと思います。
ただたんに経文を上げるだけで好転するなんて言うのは信じれないのです。
これは真理ではないのです。
私の一意見でしかないのです。
その経文を上げるだけで好転するかもしれないですし、しないかもしれないのです。
好転しないのであれば、他のものも視野に入れて探ってもらうほかないのです。
浄土真宗の親鸞曰く、「兎や羊の毛の先にある塵のような小さい罪を犯すのも、すべて思いを超えた無限の因縁が背景にあると感知すべきである。」 ということですが、この人も業については造詣があったようです。
見えるか見えないかの小さな罪ですら、宿世からの因縁であり、現世での報いとしてこうむる。
たとえ、自分に重い背景があったとしても、それは自分を成り立たせている大事な背景なのだと理解できれば、重い過去が大事な過去になり、喜んで引き受けて立ち上がっていけるというふうに変わって行くのでは、ということですね。
「ピンチはチャンス、宿業を恨んで戦っていても消耗するだけ。
一方、受容できると自分の命、存在というものの価値が変わり、勝ち負けだけの価値観から離れることはできない」とある浄土真宗信徒の言葉がありますが、この人は、具体的な方策論を書いてはいないのですね。
生前に南無阿弥陀仏と唱えていれば、死後、誰もが極楽浄土に往生できる、としているのが浄土真宗なのですから、特別、供養行為はしないのです。
しかし、それが真理としても、浄土真宗信徒でなかった先祖はどうなるのか?
当然、成仏していない可能性があるのです。
また、その先祖の供養がかなっても、自分の住む家が元墓地の跡地だったり、家の中が穢かったり、身体も穢かったり、人に横柄な態度をしていては運に恵まれることはないですから注意が必要です。
そういう多岐にわたる視野と、行動がこれからの自分の人生を決定するということを覚えておいてほしいものです。
ただ、自分は阿弥陀如来に帰依している。
だからこれからの人生は安泰だ、というような短絡的な論理は捨てるべきであるとしているのです。
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今回はこれにて失礼いたします。
ありがとうございました!

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