宗教には柔軟性こそ大事。原理主義は排除すべし? (親鸞とユダヤ.キリスト)
こんにちは。
宗教はいつの時代でも変革を要するものです。
やはり、社会の様相が違ってくるわけですから、それに合わせて宗教の規則だったり、教義の解釈も変えていかなくてはならないのは言うまでもないのです。
その社会の変容を無視して、開祖のいったことを頑なに守ろうとするのは原理主義というもので、好ましくはないものです。
日蓮正宗の信徒団体だった顕正会の長だった故.浅井昭衛氏(下写真)は、戒壇を日蓮正宗で作ろうという気風に満ちた時期において、頑なに反対していたのです。

そのわけは「「日蓮上人は、広宣流布が達成した時に、天皇の許可を得て、富士山天生が原に戒壇を立てよ」と御遺命を書いてあるが、広宣流布は達成していない(=日本国民全員が日蓮に帰依していない)し、天皇の許可を得ていないし、建てようとしているのは大石寺境内だ。」ということです。
日蓮が言う広宣流布という文言は、非常に曖昧模糊としており、具体的に日本国民の何割が帰依した時かということは書いていないのですが、浅井氏の解釈では日本国民全員が帰依した時と考えていたようですが、そんなことは幼稚園生でも不可能とわかるでしょう(笑)
そして、戒壇を立てるには鎌倉時代においては天皇の許可を得なければならなかったのですが、そんなことは政教分離の現代においては不可能なのは中学生でもわかる論理です。
そして、富士山天生が原は、非常に水はけが悪く、戒壇を建てたら耐震の面でも非常に危ないし、辺鄙な場所ゆえに人の行き来が非常に難しい場所なのです。
それにも関わらず、そこに建てようとするのは、さながら原理主義というものでしょう。
日蓮正宗本山と日蓮正宗.創価学会は戒壇を建てようとしているにもかかわらず、浅井氏は固くなに建てさせまいと反対し続けたのです。
それが主原因として顕正会は、日蓮正宗から破門を言い渡されるのです。
こういった原理主義者は、見ていてばかばからしくなって議論するのもはばかれるのです。
やはり社会状況の変化を考慮に入れて、変化させなくてはならないところは変化させなくてはならないのです。
たとえ開祖の言ったことに反するものであってもです。
浄土真宗の親鸞(下写真)は、そういうことに抜かりはなかったようです。

いい意味での柔軟性があったのです。
その柔軟性は、いろんな事柄を真摯な精神で虚心に学んでいくことで可能になるのです。
この人は、初めは延暦寺で天台宗を学んでいたのです。
しかし、そこでの頽落ぶりに辟易して降り、念仏を学ぶのです。
そして、法隆寺で因明(仏教論理学)を学ぶことにもなったのです。
そういったあくなき勤勉さによって、神仏といった人智を超えた存在が親鸞の前に姿を現すのです。
観音姿の聖徳太子が親鸞に夢告を告げたのは有名な話しです。
その途次、河内国磯長(大阪府南河内郡太子町)の聖徳太子廟に3日間こもり、聖徳太子が祭られている六角堂(下写真)で救世観音からのお告げを受けるのです。

「もし修行者が過去の行いによって不淫戒を破り、女性と関係しなければならないのなら、私が玉女となって現れて関係を持ちましょう。そして生涯修行者の人生を飾り、一生添い遂げ、臨終の際には極楽に導きましょう」
この言葉をもって、親鸞は妻帯に踏み切ったというのです。
当時までの仏教界では、僧侶にとって妻帯は禁忌そのものでした。
しかし、自らも妻帯し、他の僧侶の妻帯も放免したのです。
これのみならず、よく親鸞は行き詰まると聖徳太子(下写真)に助けを求めたのです。
また、古代仏教では殺生を厳しく戒めていました。
人を殺す、動物(魚を含む)を殺す、ということを戒めていたのです。
しかし、その古代と鎌倉時代では世相が違ってきてしまいました。
戦乱の世では、戦において相手の敵を殺さなくてはいけない。
また川や海の民は、魚や貝類を採って人に提供しないことには、生業が成り立たない。
それゆえに、生物を殺すことをも放免したのでしょう。
親鸞はマクロ的な視点があった人で、自分が生きていけるのは、いろんな民があってこそ。
そのありがたさを認識していたからこそ、こういう放免に踏み切ったのだろうと思います。
生物や魚や貝類などを採って生活していける人が発生してしまった世の中においては、古代仏教の禁忌をひたすら固守するには及ばないという思いになって当然という認識でした。
もちろん、固守する事しか能がない石頭の人間はどの世にもいます。
そういう人たちからは、かなり批判の的になったことは予想がつきます。
それを押して放免に踏み切った親鸞は瞠目すべきことでしょう。
猟師や漁師の職を古代仏教の禁忌ゆえに赦さない、という論理は成り立ちましょう。
しかし、その後の彼らの食い扶持はどうするのでしょうか?と問われて明答が出ればいいのですが、出ないのであれば無闇な反対はすべきではないでしょう。
戦で相手の人間を殺さなくてはならない時代、そしてい動物や魚介類を採って生活していかなくてはならなくなってしまった当時、人間はどれも古代仏教の観点から見れば悪人だったのです。
そこで罪を犯した人間=悪人という定義づけが成り立つのです。
そして悪人正機説を持ち出して、誰もが南無阿弥陀仏と唱えれば成仏できると説いたのだろうと思います。
やはり古代と鎌倉時代は社会の様相や常識が違うのです。
そこもまた親鸞の人間としての優しさなのだと解釈しているのです。

悪人正機説…これは悪人でも念仏を唱えれば極楽浄土に往生できるという意味ですが、決して悪いことをしてもいいということではないのですね。
ここは曲解してはならないことです。
そういう曲解をする人間が出てくるがゆえに、自分に帰依する気のある人にだけ話せと親鸞はしていたのです。
非常に、宗教用語は難しいですし面倒くさいですね!(笑)
でも学ぶ価値があるからこそ、そのめんどくささを押しても学び続けたいのです。
●この親鸞についての新考察について読みたい人は以下の電子書籍.ペーパーバックをお勧めします!(※ペーパーバックとは、注文が入った後に、印刷.製本されて発注者のお家に配達されるシステム本の事です!電子書籍850円、ペーパーバック1738円で提供中です!)
⇒親鸞を貫くユダヤ.キリスト性
今回はこれにて失礼いたします。
ありがとうございました!

「この書籍は購入して読むことをお勧めします!
親鸞とユダヤ.キリスト ホーム
コメントを書く... Comments