江戸時代に、真宗含む様々な思想や教育が日本人の精神を形成していたのです雑学的に!(親鸞とユダヤ.キリスト)
こんにちは。
江戸時代の教育や宗教は、近代日本の文明開化や経済発展の素地を大きく形作ったものとして、大きく注目されているのです。
その内容をちょっと垣間見てみましょう。
山鹿素行は、『武教小学』で、武士は早寝早起きをして、常に正しい言葉を使い、些末なことに走らないように戒め、仕事に従事していない時も、身を忙しくして、あらゆる場合に、礼儀作法と機敏さを保つようにして、自分の収入以上の消費をしないように戒めています。
まさに禁欲的な生活を奨励していたのです。
禁欲的な生活様式の特に重要な2つの特徴は倹約と勤勉です。
個人の消費を最小限に減らし、勤勉は主君の奉仕に対する献身を最大限に高める行為です。
明治時代の商業と工業において指導的な役割を果たした大多数の武士の行動を理解するに重要ですね。
「勤勉に働け、仕事を怠けるな、時間を浪費するな」と発破をかけ、決して訓戒にとどまらなかったのです。
幕府や多くの藩は、新田開発を奨励するために、これを始めるものに、租税の免除やその他の特権を与えるなどかなり強力でした。
五人組の規制は、娯楽、贅沢、スポーツ、賭博を厳しく戒めたのです。
全面的かつ、体系的に贅沢禁止令という法律として支持された。
上杉治憲の改革においては、藩内の地域に巡回教師を任命した。
儒教の儀式や、理論、勤勉、正直、倹約の徳を教えました。
儒教の大学が細井を学長として任命され設立されました。
これには、才能があり、貧乏な人間には奨学資金が与えられたのです。
また忘れてはならないのは宗教とりわけ仏教で語られる内容が、市民の精神を形成していたのです。
浄土真宗の小冊子『当流茶呑囃』は弘化4年に書かれて、それが教育にも取り入れらていたのです。
勿論、こんにちのように文部科学省などという全国一律に統制する省などありませんでしたから、全国ではないのはお断りをしておきたいです。
その『当流茶呑囃』で語られているのは、貪欲は、基本的な罪の1つであり、しかも貪欲は商人の利益追求と密接に結びついています。
商人の、不当な利益や過度の利益は強く蔑まされたのです。
しかし、真宗の師達は、このような否定的な態度を超えて、自利利他の教義から商業上の利益を宗教的な用語で、正当化したのです。
「商業といい、工業という共に他を利するの心行のみ。他を利するの心行によりて、自ら利するの心行によりて、自ら利するの功徳を受く。之を自利利他円満の功徳という。…利他心はすなわち菩提心なり。菩提心を発して、一切衆生を済度する。これを菩薩行という。…ゆえに、商工業は菩薩行なり。凡そ、商工業に秘訣は、菩薩行に依って得るに在り。」
この文章は、1927年に書かれた『幻々要集』というものからの抜粋ですが、これは禅の立場から書かれたのです。
こういう禅にも浄土真宗からの影響を受けていたのは興味深いです。

いな、こんにちのように禅宗や浄土真宗といった区分けは江戸時代.当時はなかったのです。
区分けがおこなわれたのは明治期ですが、それ以降の直後の時期においても自分は禅宗だから浄土真宗からは学ばなくていい、といった排他的な考えはなかったし、あったとしてもこんにちのように排他的な性質ではなかったのは明白です。
この興味深い教義、および倫理的訓戒は、江戸時代の浄土真宗に広く教えられました。
当然、このような教義や戒めは、実際の行動にどのような影響を与えたか興味深いです。
幸いなことに近江商人が真宗の熱烈な信者であったことは、主要な商業地に真宗派の寺院が著しく集中したこと、寺院の記録に、多数の商人が載っていたこと、このような主々の商人はしばしば信心深い記述があること、で明らかです。
また武田信玄の『塵芥集』にしろ、室鳩巣の全般的な思想にしろ、国民に広くいきわたり、明治期以降の経済発展の素地として非常に大きな影響を与えていたのです。
そういう人の思想形成は1つのモノからだけでいいという風潮には反対するものです私は。
いろんなものから学んで形成することが可能なのです。
いや多くのモノから万般に学ばなくては不可能なのです。
ゆえに「この教えを学ぶだけであなたの人生は大丈夫だ!」などということは言えないがゆえに、私は1つの宗教に拘り、それを人に勧めるということが出来ないので、宗教にも入らないし、人にも勧誘をしないのです。
こと親鸞も一緒です。
この人も決して念仏だけで、この人の思想形成が可能だったわけではないのです。
天台、中国浄土教、日本の浄土教、そして景教(東方ネストリウス派)の教えも、その他いろんな宗教からの教えからも万般に学び1つの大教団にまで発展し、それからの学び続けたのです。
こういった雑学性は何も親鸞特有のものではないのです、誰もが雑学性なのです。
自分をのモラルを形成してきたのは、いろんな媒体からであるゆえに。
いや雑学こそ、いろんなものを多角的に観れるようになり、ひいては、その人を高尚な高みに引き上げることに繋がるので、そこは哲学といっても差し支えないでしょう。
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