神仏を畏れ敬う心は、さしたる根拠なく信じてしまう心ゆえか?それでいいでしょうか? (親鸞とユダヤ.キリスト)
こんにちは。
宗教というものは、いつの時代においても人間の心を捉えて離さないもののようです。
いくら科学が発達して、便利な世の中になってもです。
そのことによって、逆にそういう帰属してしていきたいものが必須になっていくのでしょうか?
あまりに、宗教に関する知識が学校などで教えられないがゆえに、その重要性がない、あるいはそんなものは必要ない、という思いを抱かせてしまうこともあるから、重々にその危険性は認識しなくてはいけないでしょう。
寺社の祠やオブジェや建物を壊したりした人の末路などを実体験として知った私は、おぞましくもなりました。
そうなったら、その人の人生は終わりですから、注意が必要です。
そういう面ではもちろん、敬いの念をもつことで、明鏡止水の境地になり、世の中ひいては人との結びつきの心地よさや快楽的な心を持つことも重要でしょう…って抽象的でわかりにくいですが(笑)、興味ある人は、1つでもいいから宗教について学ぶなり、その寺社の中に入ってそこに携わっている人の話しを聞いてみるべきでしょう。

そうしたら、私の言わんとすることがわかるのではないでしょうか?
親鸞の思想にぞっこんになり、浄土真宗に関する本も出し、住職も務めたこともある野田宣雄氏は、以下のように書いています。
「宗教がなければ、人はどこにも確乎とした帰属意識を見いだせず、生きているという実感を持つことも難しいでしょう。」
そうすると、哲学者として有名なニーチェの言葉が思い浮かびます。
ニーチェに言わせれば、神がいないことは明白になった。
神なき時代において、宗教なしで生きていけるのは超人だけである。
そうなると、私は無宗教者だ。
だから私は超人なのか?ということですね(笑)。
そんなことはないでしょう。
しかし、寺社の祠やオブジェや建物を壊したりした人はまさに超人なのでしょう。
やその祟りをも絶対的に畏れなかったのですから。
しかし、その超人の末路は非常におぞましいものでした。
まさにオカルト映画のような現象が次々に起こり、発狂して自殺してしまったのですから。
そういう映像を小さなころから見たり読んだりしてきた私にとっては頷けることでした。
「そんなことは作り話だ」というような意見も出てくるでしょうが、そういう実体験が、世界中で話されているのですから、全部が全部作り話という結論に行く方が奇妙というほかないです。
神や仏を敬い大事にすることによって、明鏡止水の境地になり、人生を上昇させることができる反面、関係物を壊したりすることで地獄になるのですから恐ろしいことですね。
まさに真逆の結果になるのです。
やはり神や仏は、畏れ敬うものなのですね。
畏敬の念とはよく言ったものですが、畏れと敬いという真逆なものが連なった単語なのです。
実に不思議な単語ですが、普段からずっと触れている聖職者にとってみればあたり前なのでしょう。
先の野田氏の言葉の根拠はどこから来たのだろうか?という素朴な疑問が湧きますが、おそらく、親鸞の以下の言葉ではないでしょうか?
「煩悩具足の凡夫が作り出す世界は、火災で燃え盛る家のような焦躁感にあふれた不安定きわまりない世界である。
そこではあらゆることが、すべて信用ならない空疎なことなのであって、真実はどこにも見出せないがただ念仏だけは真実である。
」(歎異抄)
ゆえに阿弥陀仏に帰依して、念仏を唱えよ、ということであったようです。

疑問が湧くのは、どういう尺度でこの論を導き出したのか?ということですね。
それは親鸞は、どの宗教の開祖と共通するように、いろんな書物を濫読してきたのです。
その結果、阿弥陀仏に帰依する事こそが…という論理に達したのでしょう。
その論拠は書かないままでこういう論を進めてもあまり説得力が…という理屈が私には湧いてきてしまうのですが(笑)、それは一宗派を設立する意図が親鸞にはなかった、ということでしょう。
こうなるとまた難しい問題になりますね(笑)
念佛すれば絶対的な境地になれる、ということを親鸞は言いたかったのでしょうが、その根拠はという疑問が湧くのも必然です。
それもまた濫読に拠る結果ということもあるでしょうし、生涯に4度にわたって夢告を受けているのです親鸞は。
人智を超えた存在からのお告げを受けることで強気なれるのは誰でも頷けます。
それはまたカリスマ=神憑性という言葉でも表せます。
その神憑性のある人というのは、さしたる根拠を示さなくても、衆生が信じてしまう性質を持っているものなのです。
それによって衆生が割り切って行動することが出来るのです。
それは偉業でしょう。
しかし、そのカリスマ性によって行動しても、常に吟味が必要でしょう。
かならずしも、その行動が正しいとは限らないのですから。
その矯正を経て人類社会は質的な上昇をしてきたのですから。
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