いくらカリスマ的な開祖でも過ちは犯した。ゆえに無批判でいいわけはない?(幸福の科学)
こんにちは。
幸福の科学の総裁だった故.大川隆法氏は、宏洋氏(下写真)という不肖の息子と和解できないままこの世を去りました。

その内容については、前に書いた記事にありますが、どうも、現代人は、親に対するスタンスというか、必然的に求めてしまう人間像は、朝起きて、ごはんを食べて、出社する親の姿を見ることによって健全な精神を身に着けることができる、という状態のようです。
出社せずに、家にいたまま、本や雑誌や新聞を読んで過ごしている父親を見て育つと、その子は不健全な精神を身に着けてしまうようです。
大学教授、塾講師、アトリエ講師、芸術家…こういった職業の人達は、朝起きて出社しなくてもよく、最悪の場合寝ていてもいいのですか。
しかし、そういう親を見て育つと、子供は健全な精神を身に着けることはできずにいるパターンを散見することができるのではないでしょうか?
大川総裁もそういう日常を送っていたことは間違いなさそうです。
私の中学時代に、同級生で父親を大学教授にもつ男子がいましたが、どうもその人は、クラス一丸となって共同制作をしなければならないことがあると、非常にばかばかしく感じて、まじめにその共同作業をしている周りの人間を見下していましたし、いつも校則違反のシャツや靴下を着けて、帰宅までの道のりにおいて、校則違反だった買い食いをしていました。
そういう例ってよくありますね?
宏洋氏もまさにそういう精神になってしまっていたのです。
その心理的なメカニズムは、精神分析学者である日本が誇る小此木啓吾氏の本を読めば、一目瞭然でした。
かなりの読書家だった大川隆法氏(下写真)も、この人の本を読んでいた可能性はかなり高いのですが、こと宏洋氏への教育の際には、すっかり忘れてしまっていたのでしょう。

あるいは、子供の教育は生涯においてぶっつけ本番なニュアンスがあり、むやみに批判すべき筋合いのものではないのでしょうが、過ちについては敢然と認識しなければならなかったのは言うまでもないでしょう。
出社せずに、家で何やら本や雑誌や新聞などを読み、書き物もしている。
そういう親を見ると、子供は親が楽して生きているとしか見えないのですね。
そういう規律のなさが精神に伝播して、規律ある生活を送れなくなってしまう。
幸福の科学に反旗を翻す前に、宏洋氏は当会の映画にも出演していました。
しかし、その際も平気で撮影時間に何度も遅刻したりしていたがために、損害金が発生して、その賠償金として宏洋氏は幸福の科学から賠償金3000万円を請求されていたようです。
それのみか、スタッフの若い女性に対して声掛けしたりして、モラハラを訴えられていたもいたようです。
こういう自身のことを言及せずに、宏洋氏は、教団や総裁に対しては批判めいたことばかりを書いていたのです。

これはどう見ても公平ではないですね。
しかも、その批判内容は、事実と違うということで教団から訴えられて、7度の敗訴を招いていたのです。
ここまで、精神が堕落してしまうものなのか、と私は驚愕の思いになりました。
宏洋氏は、総裁に対して当会の本尊であるエルカンターレの使途として認めない、ということも書いていました。
それはそれでいいでしょう。
宗教的な、スピリチュアルな内容については信じるか信じないかは、その人の価値判断によるしかないので、無理やり信じ込ませる筋合いのものではないのです。
信じたければ信じればいいし、信じたくないならば信じなくていい、というのがスタンスですし、私自身、幸福の科学の信者ではないです。
しかし、大川総裁に対しては、ある程度の、いやかなりのカリスマ性を認めないわけはいきますまい。

86年の開宗から2023年の死去まで、大川総裁は3150冊もの本を上梓したのです。
ということは10日に1冊の割合で出版してきたのです。
この偉業について、宏洋氏はなぜ言及しないのか?
この大変さを何故理解できないのか?
これまで宏洋氏は、2冊の本を出してきただけです。
その経緯を経れば、どれだけ大変かがわかったでしょう。
彼の家庭教師を務めた人たちの証言によれば、宏洋氏は勉強は大っ嫌いだったようです。
大っ嫌いならば猶更、そのすごさを認めなければおかしいと思うのですが、彼はそうしなかった。
ただ総裁や教団を批判するだけでに終始していたのです。
私は、父親がサラリーマンで、朝かならず起きて出社していました。

しかし、大学教授やアトリエ講師、芸術家といった朝出勤しなくていい職の人を父親に持ったことがないがゆえに、そういう親を尊敬できずにいた人の気持ちを分かろうとしてもまるでできない話しです。
ゆえに、宏洋氏をことさら非難する資格はないでしょう。
総裁にしろ、大学教授にしろ、アトリエ講師や芸術家といった職の親たちはどうすべきだったか?
簡単です。
朝起きて、喫茶店なりファミレスにいって知的作業をすればいいだけだったのです。
家にいて、机の上で何かしら作業をしているというのは子供の精神上かなり悪いのです。
ましてや、睡眠しているなんていうのは更にたちが悪いのです。(笑)
しかし、ここでの要旨は、子供がそういう不健全な精神を持たないようにするためには、そういった職業の人たちは家にいずに、子供の登校時間よりも先に家から出て、家以外で作業をせよ、ということです。
それをするかしないかで、子供の精神は将来、天と地ほどの違いが出てしまう、ということです。
それは宏洋氏の生態を見ればわかるでしょう?
私がいくら著作家として敬愛している故.大川総裁でも、やはり批判的に見なければならないし看過はできないということです。
そんなスタンスに共鳴出来る人におすすめなのが以下の電子書籍です。
●以下よりどうぞ!
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!

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♯大川隆法
♯宏洋
幸福の科学の総裁だった故.大川隆法氏は、宏洋氏(下写真)という不肖の息子と和解できないままこの世を去りました。

その内容については、前に書いた記事にありますが、どうも、現代人は、親に対するスタンスというか、必然的に求めてしまう人間像は、朝起きて、ごはんを食べて、出社する親の姿を見ることによって健全な精神を身に着けることができる、という状態のようです。
出社せずに、家にいたまま、本や雑誌や新聞を読んで過ごしている父親を見て育つと、その子は不健全な精神を身に着けてしまうようです。
大学教授、塾講師、アトリエ講師、芸術家…こういった職業の人達は、朝起きて出社しなくてもよく、最悪の場合寝ていてもいいのですか。
しかし、そういう親を見て育つと、子供は健全な精神を身に着けることはできずにいるパターンを散見することができるのではないでしょうか?
大川総裁もそういう日常を送っていたことは間違いなさそうです。
私の中学時代に、同級生で父親を大学教授にもつ男子がいましたが、どうもその人は、クラス一丸となって共同制作をしなければならないことがあると、非常にばかばかしく感じて、まじめにその共同作業をしている周りの人間を見下していましたし、いつも校則違反のシャツや靴下を着けて、帰宅までの道のりにおいて、校則違反だった買い食いをしていました。
そういう例ってよくありますね?
宏洋氏もまさにそういう精神になってしまっていたのです。
その心理的なメカニズムは、精神分析学者である日本が誇る小此木啓吾氏の本を読めば、一目瞭然でした。
かなりの読書家だった大川隆法氏(下写真)も、この人の本を読んでいた可能性はかなり高いのですが、こと宏洋氏への教育の際には、すっかり忘れてしまっていたのでしょう。

あるいは、子供の教育は生涯においてぶっつけ本番なニュアンスがあり、むやみに批判すべき筋合いのものではないのでしょうが、過ちについては敢然と認識しなければならなかったのは言うまでもないでしょう。
出社せずに、家で何やら本や雑誌や新聞などを読み、書き物もしている。
そういう親を見ると、子供は親が楽して生きているとしか見えないのですね。
そういう規律のなさが精神に伝播して、規律ある生活を送れなくなってしまう。
幸福の科学に反旗を翻す前に、宏洋氏は当会の映画にも出演していました。
しかし、その際も平気で撮影時間に何度も遅刻したりしていたがために、損害金が発生して、その賠償金として宏洋氏は幸福の科学から賠償金3000万円を請求されていたようです。
それのみか、スタッフの若い女性に対して声掛けしたりして、モラハラを訴えられていたもいたようです。
こういう自身のことを言及せずに、宏洋氏は、教団や総裁に対しては批判めいたことばかりを書いていたのです。

これはどう見ても公平ではないですね。
しかも、その批判内容は、事実と違うということで教団から訴えられて、7度の敗訴を招いていたのです。
ここまで、精神が堕落してしまうものなのか、と私は驚愕の思いになりました。
宏洋氏は、総裁に対して当会の本尊であるエルカンターレの使途として認めない、ということも書いていました。
それはそれでいいでしょう。
宗教的な、スピリチュアルな内容については信じるか信じないかは、その人の価値判断によるしかないので、無理やり信じ込ませる筋合いのものではないのです。
信じたければ信じればいいし、信じたくないならば信じなくていい、というのがスタンスですし、私自身、幸福の科学の信者ではないです。
しかし、大川総裁に対しては、ある程度の、いやかなりのカリスマ性を認めないわけはいきますまい。
86年の開宗から2023年の死去まで、大川総裁は3150冊もの本を上梓したのです。
ということは10日に1冊の割合で出版してきたのです。
この偉業について、宏洋氏はなぜ言及しないのか?
この大変さを何故理解できないのか?
これまで宏洋氏は、2冊の本を出してきただけです。
その経緯を経れば、どれだけ大変かがわかったでしょう。
彼の家庭教師を務めた人たちの証言によれば、宏洋氏は勉強は大っ嫌いだったようです。
大っ嫌いならば猶更、そのすごさを認めなければおかしいと思うのですが、彼はそうしなかった。
ただ総裁や教団を批判するだけでに終始していたのです。
私は、父親がサラリーマンで、朝かならず起きて出社していました。
しかし、大学教授やアトリエ講師、芸術家といった朝出勤しなくていい職の人を父親に持ったことがないがゆえに、そういう親を尊敬できずにいた人の気持ちを分かろうとしてもまるでできない話しです。
ゆえに、宏洋氏をことさら非難する資格はないでしょう。
総裁にしろ、大学教授にしろ、アトリエ講師や芸術家といった職の親たちはどうすべきだったか?
簡単です。
朝起きて、喫茶店なりファミレスにいって知的作業をすればいいだけだったのです。
家にいて、机の上で何かしら作業をしているというのは子供の精神上かなり悪いのです。
ましてや、睡眠しているなんていうのは更にたちが悪いのです。(笑)
しかし、ここでの要旨は、子供がそういう不健全な精神を持たないようにするためには、そういった職業の人たちは家にいずに、子供の登校時間よりも先に家から出て、家以外で作業をせよ、ということです。
それをするかしないかで、子供の精神は将来、天と地ほどの違いが出てしまう、ということです。
それは宏洋氏の生態を見ればわかるでしょう?
私がいくら著作家として敬愛している故.大川総裁でも、やはり批判的に見なければならないし看過はできないということです。
そんなスタンスに共鳴出来る人におすすめなのが以下の電子書籍です。
●以下よりどうぞ!
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
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今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!

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