いかに素晴らしい教えでも、その国全体に即座にいきわたらせることはできないという人類の教訓!(幸福の科学)
こんにちは。
古今東西を問わず、人間社会には、人智を超えた存在に対する畏敬の念や、それに願いを込める行為は、存在せざるを得ないような気がします。
人間の力だけでは、社会にある問題点を改善することなどできた話ではないからです。
日本の仏教でいえば、日蓮系の宗派では毎日「南無妙法蓮華経」と唱えて、問題点の打開を図ることを目的にしているようです。

逆に浄土系では「南無阿弥陀仏」と唱えるのですが、それは決して、その行為によって現状を打破するのではなく、よくなったらその結果は阿弥陀仏のおかげという意味で、そう唱えるのです。
日蓮系と浄土系は、ほとんど逆な発想になっているようです。
私はどちらにつくでもなく、それぞれの人が、自分の支持する方を支持すればいいじゃないか、としているのです。
私が、どの人にいって、そのほとんどの人を改宗させることなどできない、としているモラルなので、唱えれば何とかなる、という考えにはならないですね。
だからといって、逆にうまくいったら、それは阿弥陀仏のおかげというようにも考えれないですね。
私はあの世になど行けないですし、その阿弥陀仏のおかげかどうかも判断しようがないのですから。
いわばどっちつかずですね(笑)。
どちらにするべきか?
どの程度中道をいくべきか、というその具合は人よって違うし、自分で見極めなくてはいけないので、その程度はこれから答えを見つけていく所存です。
これまで取り上げてきた幸福の科学のスタンスは、前者、つまり日蓮系に近い気がします。
自身のみの周りは思想と行動によって変えていかなくてはならないとする立場ですね。
その総裁だった故.大川隆法氏(下写真)は、死ぬまでに10万冊もの本を読んできたということもあり、その中に当然、政治に関する本も無数に読んできたことでしょう。

長年にわたる官僚機構が大手をふるってきたので、日本の現状が打破できない。
それを野放しにしたままではいけないが、既得権益を守ろうとするのはどの世界でも一緒で、やはり政権交代を目指さなくてはいけないと感じたのでしょう。
かといって、それを他の政党にゆだねるのを待つもので期待できない。
それに支えられているたの野党を選ぶにも、日々の仕事や娯楽や遊びに忙しく、政治になどかまっている時間のない国民にも期待できない。
当然、その国民に直接民主制を期待することなど無理としたのでしょう。
そこで大川総裁は自分の宗教から政党をつくった。
そして自身が総理になるとしたのでしょう。
しかし、同じように宗教をバックにして結党した公明党にしろ、国会議員として当選するまでに30年も必要だったのです。

それがいきなり、結党から5年もたっていない宗教団体をバックにしてできた政党には不可能だったのでしょう。
これまで、今だに幸福の科学のバックでできた幸福実現党からは国会議員が選出されていないのです。
地方議員は幾人も出ているようですが。
エリートに任せるのが政治…これは、国民主権の世の中では聞こえの悪い言葉ですが、事実です。
何も知らない、政治について勉強していない人に政治など任せられることではないのです。
大川総裁自身は東大法学部を出ているし、日々、政治に関する情報は入手して、政治の大家といえるほどの理論も持っている。
開宗からわずか30年なのに、世界160か国以上に、自分の興した宗教が広がっている。
それならば、自分がこの日本の舵を執るとしたのだろうことは頷けます。
しかし、どんな素晴らしい人でも、いきなり国中の認識を一変させることはできた話ではないのです。
その大川総裁のスタンスと私は共通する場面があったのは事実です。

大学時代に、科学は現状をよくするためにあるのだとわかりました。
現状打破のためには、多くの人が科学を学び行動につなげなくてはならない。
しかし、最高学府に通いながら遊び呆ける大学生たちを見ながら、これでは打破も何もない…として、現状を嘆いていたのです私は。
大学時代に、都市人類の冷たさをドキュメントした本を読むと、その感情がさらに盛り上がり、そして周りの人間への憎しみに変わったのです。
しかし、世の中を見るにつれて、そういう現状打破の気持ちを持つのはいいが、科学を学んでいる人だけで世の中は成り立っているわけではないし、その周りの人間の人の能力によって自分は生かされているということを知って、自分の考えを改めました。
それに社会主義の歴史を見てもわかるように、上から強制させても国全体の文化を変えることはできないのです。

主体性は、その人その人によって千差万別であって、政治に興味ある人もいれば、いない人もいる。
その興味の程度は、全然違うのです。
ゆえに、構成員全員がこう進まなくてはならないと意気込むのはいいですが、望む通りにはならない、ということがわかります。
そこで思い起こす言葉があります。
ロバート.キヨサキ(下写真)の言葉ですが、ロバートはこういいました。

「自分が金持ちになろうと思ったら政治に期待するのではなく、自分が金持ちになる努力をした方が早い。」
これは至言です。
もちろん、宗教に願うのも同じでしょう。
自分が金持ちになりたかったら、宗教に願うのではなく自分が金持ちになるように行動したほうが早いのでしょう。
こういった本などからも得られる思想なども、受け入れながら、自分の哲学を形成することもかなり重要でしょう。
もちろん宗教からも得れるものはありますが、それだけに依拠していてはいけませんね。
そんな立場に共鳴できる人には以下の電子書籍はお勧めです。
●以下よりどうぞ!
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!

スポンサーリンク 1
スポンサーリンク 2
幸福の科学の本紹介 ホーム
汗牛充棟.com ホーム
♯科学
♯ロバート.キヨサキ
古今東西を問わず、人間社会には、人智を超えた存在に対する畏敬の念や、それに願いを込める行為は、存在せざるを得ないような気がします。
人間の力だけでは、社会にある問題点を改善することなどできた話ではないからです。
日本の仏教でいえば、日蓮系の宗派では毎日「南無妙法蓮華経」と唱えて、問題点の打開を図ることを目的にしているようです。

逆に浄土系では「南無阿弥陀仏」と唱えるのですが、それは決して、その行為によって現状を打破するのではなく、よくなったらその結果は阿弥陀仏のおかげという意味で、そう唱えるのです。
日蓮系と浄土系は、ほとんど逆な発想になっているようです。
私はどちらにつくでもなく、それぞれの人が、自分の支持する方を支持すればいいじゃないか、としているのです。
私が、どの人にいって、そのほとんどの人を改宗させることなどできない、としているモラルなので、唱えれば何とかなる、という考えにはならないですね。
だからといって、逆にうまくいったら、それは阿弥陀仏のおかげというようにも考えれないですね。
私はあの世になど行けないですし、その阿弥陀仏のおかげかどうかも判断しようがないのですから。
いわばどっちつかずですね(笑)。
どちらにするべきか?
どの程度中道をいくべきか、というその具合は人よって違うし、自分で見極めなくてはいけないので、その程度はこれから答えを見つけていく所存です。
これまで取り上げてきた幸福の科学のスタンスは、前者、つまり日蓮系に近い気がします。
自身のみの周りは思想と行動によって変えていかなくてはならないとする立場ですね。
その総裁だった故.大川隆法氏(下写真)は、死ぬまでに10万冊もの本を読んできたということもあり、その中に当然、政治に関する本も無数に読んできたことでしょう。
長年にわたる官僚機構が大手をふるってきたので、日本の現状が打破できない。
それを野放しにしたままではいけないが、既得権益を守ろうとするのはどの世界でも一緒で、やはり政権交代を目指さなくてはいけないと感じたのでしょう。
かといって、それを他の政党にゆだねるのを待つもので期待できない。
それに支えられているたの野党を選ぶにも、日々の仕事や娯楽や遊びに忙しく、政治になどかまっている時間のない国民にも期待できない。
当然、その国民に直接民主制を期待することなど無理としたのでしょう。
そこで大川総裁は自分の宗教から政党をつくった。
そして自身が総理になるとしたのでしょう。
しかし、同じように宗教をバックにして結党した公明党にしろ、国会議員として当選するまでに30年も必要だったのです。

それがいきなり、結党から5年もたっていない宗教団体をバックにしてできた政党には不可能だったのでしょう。
これまで、今だに幸福の科学のバックでできた幸福実現党からは国会議員が選出されていないのです。
地方議員は幾人も出ているようですが。
エリートに任せるのが政治…これは、国民主権の世の中では聞こえの悪い言葉ですが、事実です。
何も知らない、政治について勉強していない人に政治など任せられることではないのです。
大川総裁自身は東大法学部を出ているし、日々、政治に関する情報は入手して、政治の大家といえるほどの理論も持っている。
開宗からわずか30年なのに、世界160か国以上に、自分の興した宗教が広がっている。
それならば、自分がこの日本の舵を執るとしたのだろうことは頷けます。
しかし、どんな素晴らしい人でも、いきなり国中の認識を一変させることはできた話ではないのです。
その大川総裁のスタンスと私は共通する場面があったのは事実です。
大学時代に、科学は現状をよくするためにあるのだとわかりました。
現状打破のためには、多くの人が科学を学び行動につなげなくてはならない。
しかし、最高学府に通いながら遊び呆ける大学生たちを見ながら、これでは打破も何もない…として、現状を嘆いていたのです私は。
大学時代に、都市人類の冷たさをドキュメントした本を読むと、その感情がさらに盛り上がり、そして周りの人間への憎しみに変わったのです。
しかし、世の中を見るにつれて、そういう現状打破の気持ちを持つのはいいが、科学を学んでいる人だけで世の中は成り立っているわけではないし、その周りの人間の人の能力によって自分は生かされているということを知って、自分の考えを改めました。
それに社会主義の歴史を見てもわかるように、上から強制させても国全体の文化を変えることはできないのです。
主体性は、その人その人によって千差万別であって、政治に興味ある人もいれば、いない人もいる。
その興味の程度は、全然違うのです。
ゆえに、構成員全員がこう進まなくてはならないと意気込むのはいいですが、望む通りにはならない、ということがわかります。
そこで思い起こす言葉があります。
ロバート.キヨサキ(下写真)の言葉ですが、ロバートはこういいました。
「自分が金持ちになろうと思ったら政治に期待するのではなく、自分が金持ちになる努力をした方が早い。」
これは至言です。
もちろん、宗教に願うのも同じでしょう。
自分が金持ちになりたかったら、宗教に願うのではなく自分が金持ちになるように行動したほうが早いのでしょう。
こういった本などからも得られる思想なども、受け入れながら、自分の哲学を形成することもかなり重要でしょう。
もちろん宗教からも得れるものはありますが、それだけに依拠していてはいけませんね。
そんな立場に共鳴できる人には以下の電子書籍はお勧めです。
●以下よりどうぞ!
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!

幸福の科学の本紹介 ホーム
汗牛充棟.com ホーム
♯科学
♯ロバート.キヨサキ
コメントを書く... Comments