何故、日本の大学の改革は遅々として進まないか?(加藤秀俊)
こんにちは。
日本の大学というのは他から比べて異様な場所です。
大学に入るために多くの人が予備校に通って必死に勉強していたでしょう。
その予備校では真剣になって講義してくれる講師が人気ありました。
しかし、いざ大学に合格して講義が始まると、いい加減な先生が多かったのではないでしょうか?
小言で何を言っているかわからない小さな声で講義している教授、毎回毎回同じようなことしかしゃべっていない教授、教科書を読んで説明しているだけの教授、まるで感動をおぼえない祖述だけの教授、休みが多い教授、遅い時間に教室に入ってくる教授…といい加減な教授が多かったです。
予備校だったら、そんな教授は普通、ボイコットする生徒が多くなってあえなく職なし、ということにならざる得ないですが、大学ではそうはならないです。
逆なのです。

真剣になって学べるかどうかは、学生にとってどうでもいいのです。
ただ大学卒、という肩書が欲しいだけで来ている、あるいはキャパスライフを就職するまでに味わっておきたいから来ているからです。
確かに、そういういい加減な教授が嫌で辞めていく真摯な学生もいることはいますが、少数派です。
それが多数派になれば、教授の方も真剣になって研究をして講義をしていくことでしょう。
しかし、学生の方はそんなことは不問にしている。
だから、日本の大学の教授の質はいつまでたっても高まらないのです。
私の大学時代に忘れられないのは、年末の試験で多くの不合格者を出していた講義の担当の教授でがいて、その教授に講義後、質問をしに行きました。
するとその教授の手元にあった、あまりにまっちゃっちゃな講義ノートでしかも、あまりにボロボロないでたちに驚いてしまったのです。
それで、その教授の教授生活を物語っていたように感じます。
研究らしい研究など一切せずに、ほとんど怠けていただけ、ということです。

後で知った話しですが、その教授は退官するまでに、編著本を1冊だけ出しただけで終わっているのです。
編著本というのは、いろんな人が集まって章を1つずつ担当して書いて、それを集めて本にしたものです。
ゆえに、書く量は、書きおろし本よりも断然に少ないのです。
また別の例では、政治学の教授で、大学時代にマックス.ウェーバーに憧れて教授になったにもかかわらず本は1冊しか出していない例もあります。
その教授は、講義中に「大学時代にマックス.ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読んで、「学問ってこういうものなのか…」と思い涙が出ました。自分も大学教員になれば、ウェーバーみたいになれるなかなと思い、教員になったけれどなれないんですね」と語っていましたが、実際これだけしか出していないのです。
マックス.ウェーバー(下写真)に質で負けていると思うならばせめて数を出せ、と思いました。

30年以上、教員かつ研究者をしていながら、そんな数しか出していないのか、何してきた?といぶかしげに思わざるを得なかったですね。
その教授はいま70歳に近い年齢です。
大志を語っておきながら、この惨状…もうこの教授に期待するのは無理だろうと思います。
私が敬愛している桜井邦朋という教授は「大学教授たるもの研究結果として本を出さなくてはならない」と、ある本の中で書いていたのですがその通りと思いました。
より良き社会をめざすために研究機関があるのだから、そのために理論を集めて自分の考えを主張したものを紙にしていかなくてはならない、ということです。
そのためには、本の出版は必然なのです。
しかし、30年以上も大学の教員をしていながら、1冊しか出さなかったり、あるいは1冊も出さずに退官していく教授が、日本ではあまりにも多いのです。
大志を抱きながら、それがいつしか雲散霧消してしまう。

何故か?
研究らしい研究をしなくても、教員をしているだけで大金が入ってくるからです。
私が大学時代に出した学費あら計算すると、1コマの授業料は2500円もしていたのです。
それがそっくりそのままその教授に入ったわけではないですが、かなり高額のお金が給料として入ってきていたのは間違いないです。
何も苦労せずに大金が入ってくるのだから、研究などばかばかしくてしていられなくなったのでしょうか。
そうなれば、毎回毎回同じようなことしかしゃべっていない講義しかしない、毎年毎年おなじような講義しかしないのは必然でしょうか?
いつしか大志を忘れてしまっているのです。
いつか研究しよう、いつか本だそうといっても、怠惰でいても誰にもただされずにいるために明確さが曖昧になって、研究らしい研究をしないで高給取りのまま退官を迎えるのです。
それを正すには、学生が多く辞めてしまう事態になればいいのです。

しかし、学生の大半は勉強したいというよりも、遊びたい、大学卒の肩書だけ取ればいいと思って4年間通い続けているのでいつまでたっても大学の惨状を変革していくことはできないのです。
私があるメルマガで、「大学の学費の社会に出てからの対費用効果は5%」ということが書いてあったのを思い出します。
それは妥当な気がします。
そのことに多くの学生が気が付く必要があるでしょう。
そうしたらどのようか行動に移すべきかがわかるでしょう。
しかし、教授には多くの時間とお金がある。
ゆえに、怠惰な教授を多く生み出してしまうという反面、多くの研究をして多くの本を出版する教授を生みだすことにもなるのは間違いないでしょう。
二律背反なのです。
トレードオフなのです、哀しいことですが。
後者の例こそ、私が敬愛するパターンなのです。
その例として加藤秀俊という故人を紹介しておきたいのです。
その加藤秀俊の偉業の内容と、知識人としての姿を体現していた人生は、大学生にこそ読んで知っていただきたいと思います。
●その人に興味のあるひとにおすすめの電子書籍とペーパーバックは以下です。
(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のこと)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
日本の大学というのは他から比べて異様な場所です。
大学に入るために多くの人が予備校に通って必死に勉強していたでしょう。
その予備校では真剣になって講義してくれる講師が人気ありました。
しかし、いざ大学に合格して講義が始まると、いい加減な先生が多かったのではないでしょうか?
小言で何を言っているかわからない小さな声で講義している教授、毎回毎回同じようなことしかしゃべっていない教授、教科書を読んで説明しているだけの教授、まるで感動をおぼえない祖述だけの教授、休みが多い教授、遅い時間に教室に入ってくる教授…といい加減な教授が多かったです。
予備校だったら、そんな教授は普通、ボイコットする生徒が多くなってあえなく職なし、ということにならざる得ないですが、大学ではそうはならないです。
逆なのです。
真剣になって学べるかどうかは、学生にとってどうでもいいのです。
ただ大学卒、という肩書が欲しいだけで来ている、あるいはキャパスライフを就職するまでに味わっておきたいから来ているからです。
確かに、そういういい加減な教授が嫌で辞めていく真摯な学生もいることはいますが、少数派です。
それが多数派になれば、教授の方も真剣になって研究をして講義をしていくことでしょう。
しかし、学生の方はそんなことは不問にしている。
だから、日本の大学の教授の質はいつまでたっても高まらないのです。
私の大学時代に忘れられないのは、年末の試験で多くの不合格者を出していた講義の担当の教授でがいて、その教授に講義後、質問をしに行きました。
するとその教授の手元にあった、あまりにまっちゃっちゃな講義ノートでしかも、あまりにボロボロないでたちに驚いてしまったのです。
それで、その教授の教授生活を物語っていたように感じます。
研究らしい研究など一切せずに、ほとんど怠けていただけ、ということです。
後で知った話しですが、その教授は退官するまでに、編著本を1冊だけ出しただけで終わっているのです。
編著本というのは、いろんな人が集まって章を1つずつ担当して書いて、それを集めて本にしたものです。
ゆえに、書く量は、書きおろし本よりも断然に少ないのです。
また別の例では、政治学の教授で、大学時代にマックス.ウェーバーに憧れて教授になったにもかかわらず本は1冊しか出していない例もあります。
その教授は、講義中に「大学時代にマックス.ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読んで、「学問ってこういうものなのか…」と思い涙が出ました。自分も大学教員になれば、ウェーバーみたいになれるなかなと思い、教員になったけれどなれないんですね」と語っていましたが、実際これだけしか出していないのです。
マックス.ウェーバー(下写真)に質で負けていると思うならばせめて数を出せ、と思いました。
30年以上、教員かつ研究者をしていながら、そんな数しか出していないのか、何してきた?といぶかしげに思わざるを得なかったですね。
その教授はいま70歳に近い年齢です。
大志を語っておきながら、この惨状…もうこの教授に期待するのは無理だろうと思います。
私が敬愛している桜井邦朋という教授は「大学教授たるもの研究結果として本を出さなくてはならない」と、ある本の中で書いていたのですがその通りと思いました。
より良き社会をめざすために研究機関があるのだから、そのために理論を集めて自分の考えを主張したものを紙にしていかなくてはならない、ということです。
そのためには、本の出版は必然なのです。
しかし、30年以上も大学の教員をしていながら、1冊しか出さなかったり、あるいは1冊も出さずに退官していく教授が、日本ではあまりにも多いのです。
大志を抱きながら、それがいつしか雲散霧消してしまう。
何故か?
研究らしい研究をしなくても、教員をしているだけで大金が入ってくるからです。
私が大学時代に出した学費あら計算すると、1コマの授業料は2500円もしていたのです。
それがそっくりそのままその教授に入ったわけではないですが、かなり高額のお金が給料として入ってきていたのは間違いないです。
何も苦労せずに大金が入ってくるのだから、研究などばかばかしくてしていられなくなったのでしょうか。
そうなれば、毎回毎回同じようなことしかしゃべっていない講義しかしない、毎年毎年おなじような講義しかしないのは必然でしょうか?
いつしか大志を忘れてしまっているのです。
いつか研究しよう、いつか本だそうといっても、怠惰でいても誰にもただされずにいるために明確さが曖昧になって、研究らしい研究をしないで高給取りのまま退官を迎えるのです。
それを正すには、学生が多く辞めてしまう事態になればいいのです。
しかし、学生の大半は勉強したいというよりも、遊びたい、大学卒の肩書だけ取ればいいと思って4年間通い続けているのでいつまでたっても大学の惨状を変革していくことはできないのです。
私があるメルマガで、「大学の学費の社会に出てからの対費用効果は5%」ということが書いてあったのを思い出します。
それは妥当な気がします。
そのことに多くの学生が気が付く必要があるでしょう。
そうしたらどのようか行動に移すべきかがわかるでしょう。
しかし、教授には多くの時間とお金がある。
ゆえに、怠惰な教授を多く生み出してしまうという反面、多くの研究をして多くの本を出版する教授を生みだすことにもなるのは間違いないでしょう。
二律背反なのです。
トレードオフなのです、哀しいことですが。
後者の例こそ、私が敬愛するパターンなのです。
その例として加藤秀俊という故人を紹介しておきたいのです。
その加藤秀俊の偉業の内容と、知識人としての姿を体現していた人生は、大学生にこそ読んで知っていただきたいと思います。
●その人に興味のあるひとにおすすめの電子書籍とペーパーバックは以下です。
(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のこと)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
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