なぜ、日本の大学生は真剣に学ばないか? (加藤秀俊)
こんにちは。
大学での学習方法についてはいろんな本が出ています。
私は文系の大学を出ましたが、その在学中にはいろんないい思い出があります。
大学の講義で学んだことを、自身で読んだ本の内容と重ねて議論していくことが非常に楽しかったです。

そこで、大学で学ぶ学問はどういう意義で存在しているのかを問うことから始めました。
それは社会にある問題点を構造的に明らかにして、それを良き方向へもっていくためにあるのだということがわかりました。
その際に、何をすればいいか?
そのためにすべきことは、首相や官僚、政治家といった人たちや、その他公務員といった人たちだけが議論して行動するだけでなく、一般市民も勉強し、行動していかないことには始まらない、ということがわかりました。
そのためには、多くの人が学問をこなしていくことが望ましいのは言うまでもないです。
社会にはいろんな物事が多岐にわたって存在していますから、1つの領域だけにこもって、その領域だけでいいと思われるものだけを論じるのではなく、いろんな領域からの議論が必要です。
1人だけでその多岐にわたる事物を観察できればいいですが、現代では無理です。
ゆえに、専門が分化させ、その領域内で情報を収集して物事を論じることが必要になったのです。
1人で経済や法、政治といった事柄について情報収集していけばいいのですが、それはかなわないから、経済学、法学、政治学といろんな科学に分化していったのでした。
日本という国は非常に学問が盛んな国で、誰もが大学に行こうとする気概を持ちます。
高校生の半数が行くことを目指すのです。

そうなれば受験勉強が激化します。
高校から、あるいはもっと早くからいろんな知識を詰め込むことを良しとします。
そういった知識の詰め込み教育に対する批判は、今も昔も存在しているのです。
しかし、その是非はどうなのでしょうか?
それは受験勉強に使った参考書の類を今取り出して見るのがいいでしょう?
社会に出たいま、それが役立っているかどうか考えてみましょう。
やはり役だたないですね?(笑)
私の受験生時代は、そういう知識が何らか役立つだろうと思って必死になっていましたが、実際は…ですね(苦笑)
しかし、今思えば、その知識で使えることは非常に少ないですが、その記憶力の醸成が役立つのです。
その記憶力醸成は、どんな産業社会においては必須です。

そして、物事を多面的に論じるためには、多岐にわたる情報摂取が大事なのです。
そのことを認識したうえで、物事を論じる際には、いろんな情報を摂取する際に、知識として脳内に入れておくことが大事になるのです。
情報摂取の際には、当然、本を読んだり資料を読みます。
そしてテレビやラジオ、そして人と話したり、ネットで情報を得たりします。
その際にいちいちノートに書いたり、パソコンに書いたりしているよりも、脳内に入れておくのがいいでしょう。
その際に、やはり詰め込んでいるのがいいわけです。
日本の受験勉強や高校までの詰め込み教育が批判されていた時に、その是非を問う教授会において、西林克彦という教育学者は、「詰め込めるなら詰め込んでしまえ!」という趣旨の話しをしたら失笑を買ったというエピソードを、その著書である『間違いだらけの学習論』という本で書いていましたが、私は西村氏の意見に賛同するものです。
しかし留保付きです。
社会に出て必要ではない知識をあれこれ詰め込むのではなく、物事を良き方向へもっていくために必要な情報を得て詰め込んでいくのであれば、それはそれで高次の事柄であるということは言えると私は思うのです。
となれば、どういうシチュエーションが妥当か?
やはり大学という場になるのでしょう。
ここでは、社会を良き方向へもっていくための知識や情報を得ることが出来るのです。
ゆえに、ここで多面的にことが学べるわけですから、誰もが取り組むべきでしょう。
しかし、ここに入学してもたいていの人は受験勉強で疲労困憊してしてしまって、遊び惚けているのが実情です。
私が敬愛していた社会学者の故.加藤秀俊(下写真)がいろんな本で書いていたのには、「大学で真剣に学んでいるのは全体の2割くらい」ということでした。

大学の教育に30年以上携わっていた氏が申していたのですから信憑性がありますし、私の体感でもそんなくらいだろうと思えます。
それでは何のために大学に来たのか…といぶかしげに思えますが、これは何も、熾烈な受験勉強に燃え尽きたから、というわけだけではない気がします。
それはどんな理由か?
話しを一変させましょう。
今や本が安く入手出来る時代であるということは言えます。
中古であれば1冊で50円などで入手出来る時代なのです。
新書などはその最たる例でしょう。

その安価な中古本が大学の講義1回分以上の有意義性を有しているのであれば、何も大学に行く必要はないでしょうし、大学に行かずとも、本を読みまくってかなりの教養を得られている友人がたくさんいたというエピソードを加藤氏は書いていました。
そうです。
私の経験からして、本のほうが全然有意義という講義も少なくなかったのは間違いないです。
ゆえに、大学進学にこだわる必要はないでしょう。
しかし、日本人は私も含めて学問をかなりステータスあるものと感じる人が多いのが実情ゆえに、何が何でも大学卒業の肩書を得ようとしてしまうのが哀しい事実です。
そこでどうすればいいか?
先の、「大学生が熾烈な受験勉強に燃え尽きたからという理由だけではなく勉強しない」という内容について知りたい人は、以下の電子書籍に書きましたので興味ある人は読んでくださいませ。
●非常にお勧めです。
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
大学での学習方法についてはいろんな本が出ています。
私は文系の大学を出ましたが、その在学中にはいろんないい思い出があります。
大学の講義で学んだことを、自身で読んだ本の内容と重ねて議論していくことが非常に楽しかったです。
そこで、大学で学ぶ学問はどういう意義で存在しているのかを問うことから始めました。
それは社会にある問題点を構造的に明らかにして、それを良き方向へもっていくためにあるのだということがわかりました。
その際に、何をすればいいか?
そのためにすべきことは、首相や官僚、政治家といった人たちや、その他公務員といった人たちだけが議論して行動するだけでなく、一般市民も勉強し、行動していかないことには始まらない、ということがわかりました。
そのためには、多くの人が学問をこなしていくことが望ましいのは言うまでもないです。
社会にはいろんな物事が多岐にわたって存在していますから、1つの領域だけにこもって、その領域だけでいいと思われるものだけを論じるのではなく、いろんな領域からの議論が必要です。
1人だけでその多岐にわたる事物を観察できればいいですが、現代では無理です。
ゆえに、専門が分化させ、その領域内で情報を収集して物事を論じることが必要になったのです。
1人で経済や法、政治といった事柄について情報収集していけばいいのですが、それはかなわないから、経済学、法学、政治学といろんな科学に分化していったのでした。
日本という国は非常に学問が盛んな国で、誰もが大学に行こうとする気概を持ちます。
高校生の半数が行くことを目指すのです。
そうなれば受験勉強が激化します。
高校から、あるいはもっと早くからいろんな知識を詰め込むことを良しとします。
そういった知識の詰め込み教育に対する批判は、今も昔も存在しているのです。
しかし、その是非はどうなのでしょうか?
それは受験勉強に使った参考書の類を今取り出して見るのがいいでしょう?
社会に出たいま、それが役立っているかどうか考えてみましょう。
やはり役だたないですね?(笑)
私の受験生時代は、そういう知識が何らか役立つだろうと思って必死になっていましたが、実際は…ですね(苦笑)
しかし、今思えば、その知識で使えることは非常に少ないですが、その記憶力の醸成が役立つのです。
その記憶力醸成は、どんな産業社会においては必須です。
そして、物事を多面的に論じるためには、多岐にわたる情報摂取が大事なのです。
そのことを認識したうえで、物事を論じる際には、いろんな情報を摂取する際に、知識として脳内に入れておくことが大事になるのです。
情報摂取の際には、当然、本を読んだり資料を読みます。
そしてテレビやラジオ、そして人と話したり、ネットで情報を得たりします。
その際にいちいちノートに書いたり、パソコンに書いたりしているよりも、脳内に入れておくのがいいでしょう。
その際に、やはり詰め込んでいるのがいいわけです。
日本の受験勉強や高校までの詰め込み教育が批判されていた時に、その是非を問う教授会において、西林克彦という教育学者は、「詰め込めるなら詰め込んでしまえ!」という趣旨の話しをしたら失笑を買ったというエピソードを、その著書である『間違いだらけの学習論』という本で書いていましたが、私は西村氏の意見に賛同するものです。
しかし留保付きです。
社会に出て必要ではない知識をあれこれ詰め込むのではなく、物事を良き方向へもっていくために必要な情報を得て詰め込んでいくのであれば、それはそれで高次の事柄であるということは言えると私は思うのです。
となれば、どういうシチュエーションが妥当か?
やはり大学という場になるのでしょう。
ここでは、社会を良き方向へもっていくための知識や情報を得ることが出来るのです。
ゆえに、ここで多面的にことが学べるわけですから、誰もが取り組むべきでしょう。
しかし、ここに入学してもたいていの人は受験勉強で疲労困憊してしてしまって、遊び惚けているのが実情です。
私が敬愛していた社会学者の故.加藤秀俊(下写真)がいろんな本で書いていたのには、「大学で真剣に学んでいるのは全体の2割くらい」ということでした。
大学の教育に30年以上携わっていた氏が申していたのですから信憑性がありますし、私の体感でもそんなくらいだろうと思えます。
それでは何のために大学に来たのか…といぶかしげに思えますが、これは何も、熾烈な受験勉強に燃え尽きたから、というわけだけではない気がします。
それはどんな理由か?
話しを一変させましょう。
今や本が安く入手出来る時代であるということは言えます。
中古であれば1冊で50円などで入手出来る時代なのです。
新書などはその最たる例でしょう。
その安価な中古本が大学の講義1回分以上の有意義性を有しているのであれば、何も大学に行く必要はないでしょうし、大学に行かずとも、本を読みまくってかなりの教養を得られている友人がたくさんいたというエピソードを加藤氏は書いていました。
そうです。
私の経験からして、本のほうが全然有意義という講義も少なくなかったのは間違いないです。
ゆえに、大学進学にこだわる必要はないでしょう。
しかし、日本人は私も含めて学問をかなりステータスあるものと感じる人が多いのが実情ゆえに、何が何でも大学卒業の肩書を得ようとしてしまうのが哀しい事実です。
そこでどうすればいいか?
先の、「大学生が熾烈な受験勉強に燃え尽きたからという理由だけではなく勉強しない」という内容について知りたい人は、以下の電子書籍に書きましたので興味ある人は読んでくださいませ。
●非常にお勧めです。
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
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