明治時代と今を比較して大学の意義を見つめるべし!今、大学に行く意味はあるか? (加藤秀俊)
こんにちは。
私が高校生の頃に、いろんな大学のパンフレットをみたら、そこに授業に参加する大学生の顔が出ていましたが、ほんとやる気なさそうだったのを覚えています(笑)
それにきいていたのは「日本の大学生は遊んでばかりでほとんど授業に出ない」ということを聞いていました。
それは、私が大学に入学してから実感することが出来ましたし、その聞いていた内容とかわりませんでした。
中堅よりも上の大学でいた私がそう実感したのだから、全国ではもっと押して知るべしでしょう。
これにはどうしてかという疑問がわきました。
受験生時代、あんなに苦労を重ねて勉強してきたにもかかわらず、大学ではほとんど勉強せずに、年末試験前には友人知人にノートを借りて、それをコピーして、そのコピーで勉強して、ほぼ一夜漬けで臨み単位を取り卒業する。
それでは大学にきた意味はないでしょう?と突っ込みを入れたかったです。
それはアメリカの某哲学者が明らかにしているのです。
その要旨は「文字好きよりも文字嫌いの方が社会全体では多い」ということです。
だから、大学で真面目に学んでいる人の割合は1から2割ということです。
それは私が敬愛した故.加藤秀俊氏(下写真)も本の中で書いています「真面目に勉強している学生は全体の2割くらい」ということです。

35年以上も大学の教員をしてきた加藤氏が言っていたのですから間違いないでしょう。
しかし、その不真面目であまり大学での勉強に身が入らない、あるいは入らなかった人は卑下することはないなということが実感として思いました。
そういう学生でも、きちんと社会に出て業務をこなしていますし、私が全然できないことをそういった人たちがこなしてくれるからこそ自分は生活できているのです。
蔑むなんて言うことはできた話ではないのです。
しかし、今から30から40年前は、日本は世界的に見て稀に見る平等国家だったのです。
お金を持っている人と持っていない人の差が、世界で一番小さかったのです。
しかも経済的にも好調な成長率を誇っていたのです。
最高の時期では、世界2位にまで上り詰めたのです。

そんな世の中だったからこそ、親御さんたちは「ちょっとお金がかかっていたいけれど自分の子には大学に行かせてあげよう!」というように思い、実際に行かせたのでしょう。
毎年授業料、そして地方から上京してきた子には毎月の仕送りをしながらなんとか4年間。
総計で1000万円以上はかかったのです大学卒業まで。
しかし、それは高度に経済成長が出来ていた時代だからこそできたことであり、その成長が終わり低成長になった時代においては危険ですらあります。
年収1000万円は継続して30年以上働けば誰もが到達していたのですが、そんなに稼いでいる人は今や少数派になってしまったのです。
しかし、高度成長時代よりも昨今の大学の学費は上がっているのです。
ゆえに、今や奨学金を借りる学生の割合は全体の55%にまで及ぶということです。
そんなにまでして子供を大学に通わせる意味があるかどうか?
答えは、絶対にない!です(笑)

大学に行くのは明治時代では立身出世のためであり、巷には本がそんなになかった時代だからこそ、大学に行って学ぼうという気概が持てたのです。
しかし、今や大学に行ったからといって立身出世にはつながらないですし、巷には本があふれています。
古本屋で100円で売っている本を買って学べば、かなりいいことが学べる時代になったのです。
明治時代や昭和初期の学生をタイムマシンで連れてきて、現代の日本の状況を見せたらかなり驚くでしょう。
なんと安価に本が入手できる時代なのか!と羨むでしょう。
文系の大学では、入試で現代文を課されます。
それで培った能力によって本を買ってそれを読んで重要事項はノートして…ということを積み重ねれば、かなりの教養を得ることは必至です。
私の大学時代の学費を、1コマの授業料に換算すると2500円くらいだったでしょうか。
その1コマの講義の内容と、古本屋で買った100円の学問本と内容を俯瞰すれば、絶対に100円で買った本の方が有意義の場合が珍しくはないですしほとんどです。
それを早く気が付くべきではないでしょうか?
今や格差社会になってしまった日本ゆえに、奨学金だけでは足りずバイトまでしなくてはならない。
そのバイトだけでは十分ではないがゆえに、風俗嬢やキャバ嬢、ひいてはAV女優にまでなって稼ぐ女学生は珍しくはない時代に突入してしまいました。

そんなのまでして、払う価値が大学の講義にあるか?
絶対にないのです!笑
公務員試験にしろ、司法試験、公認会計士試験も大学卒業の肩書がなくても受けれるのです。
こういう事例を挙げていくと、大学を含めて日本のアカデミズムというものは、大衆的なものであることでいいのか、という疑問がわきます。
かつての一億総中流国家という時代は終わり、年収1000万円を手にする人は少数派になった格差社会の日本において、誰もが大学に行くべきなのかどうかが争点になった時がありました。
大学に行けば、必ず給料の高い企業に入れるかと言われればそうではない時代になったのです。
実力本意の社会になったのです。
また大学で学ぶ学問は、何も大学に行かなくても本で学べるのです。
いまの時代は大学での授業1コマにつき3000円はするでしょう。
そんな価値はあるのかどうか?
結論!
そんな価値は全くないです(笑)

信じれないという人は、授業に出てそこで言われたことや教授が板書してくれた内容と、新本屋やあるいは古本屋で売っている本を買って読んで比べてみればいいでしょう。
その本屋で買った内容の方が有意義と感じる感情の方が高いのは言うまでもないです。
中身が全然値段とみあってないのです大学の授業は。
それ以上のものを授業でしてくれる教授はいることはいますが、それは少数派であることは間違いないです。
ならば大学卒業に拘ることは必要ないと思われてならないですね。
主体性があれば、大学で学ぶ内容以上のものが得られることは間違いないです。
そのことの例を加藤氏は『独学のすすめ』という本の中で、偉大な歴史上の人物を例に挙げて論じています。
●そういった内容について知りたい人や、大学での勉学に疑問を持っている人には以下の電子書籍、ぺーパーバックをお勧めします。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のこと)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
私が高校生の頃に、いろんな大学のパンフレットをみたら、そこに授業に参加する大学生の顔が出ていましたが、ほんとやる気なさそうだったのを覚えています(笑)
それにきいていたのは「日本の大学生は遊んでばかりでほとんど授業に出ない」ということを聞いていました。
それは、私が大学に入学してから実感することが出来ましたし、その聞いていた内容とかわりませんでした。
中堅よりも上の大学でいた私がそう実感したのだから、全国ではもっと押して知るべしでしょう。
これにはどうしてかという疑問がわきました。
受験生時代、あんなに苦労を重ねて勉強してきたにもかかわらず、大学ではほとんど勉強せずに、年末試験前には友人知人にノートを借りて、それをコピーして、そのコピーで勉強して、ほぼ一夜漬けで臨み単位を取り卒業する。
それでは大学にきた意味はないでしょう?と突っ込みを入れたかったです。
それはアメリカの某哲学者が明らかにしているのです。
その要旨は「文字好きよりも文字嫌いの方が社会全体では多い」ということです。
だから、大学で真面目に学んでいる人の割合は1から2割ということです。
それは私が敬愛した故.加藤秀俊氏(下写真)も本の中で書いています「真面目に勉強している学生は全体の2割くらい」ということです。
35年以上も大学の教員をしてきた加藤氏が言っていたのですから間違いないでしょう。
しかし、その不真面目であまり大学での勉強に身が入らない、あるいは入らなかった人は卑下することはないなということが実感として思いました。
そういう学生でも、きちんと社会に出て業務をこなしていますし、私が全然できないことをそういった人たちがこなしてくれるからこそ自分は生活できているのです。
蔑むなんて言うことはできた話ではないのです。
しかし、今から30から40年前は、日本は世界的に見て稀に見る平等国家だったのです。
お金を持っている人と持っていない人の差が、世界で一番小さかったのです。
しかも経済的にも好調な成長率を誇っていたのです。
最高の時期では、世界2位にまで上り詰めたのです。
そんな世の中だったからこそ、親御さんたちは「ちょっとお金がかかっていたいけれど自分の子には大学に行かせてあげよう!」というように思い、実際に行かせたのでしょう。
毎年授業料、そして地方から上京してきた子には毎月の仕送りをしながらなんとか4年間。
総計で1000万円以上はかかったのです大学卒業まで。
しかし、それは高度に経済成長が出来ていた時代だからこそできたことであり、その成長が終わり低成長になった時代においては危険ですらあります。
年収1000万円は継続して30年以上働けば誰もが到達していたのですが、そんなに稼いでいる人は今や少数派になってしまったのです。
しかし、高度成長時代よりも昨今の大学の学費は上がっているのです。
ゆえに、今や奨学金を借りる学生の割合は全体の55%にまで及ぶということです。
そんなにまでして子供を大学に通わせる意味があるかどうか?
答えは、絶対にない!です(笑)
大学に行くのは明治時代では立身出世のためであり、巷には本がそんなになかった時代だからこそ、大学に行って学ぼうという気概が持てたのです。
しかし、今や大学に行ったからといって立身出世にはつながらないですし、巷には本があふれています。
古本屋で100円で売っている本を買って学べば、かなりいいことが学べる時代になったのです。
明治時代や昭和初期の学生をタイムマシンで連れてきて、現代の日本の状況を見せたらかなり驚くでしょう。
なんと安価に本が入手できる時代なのか!と羨むでしょう。
文系の大学では、入試で現代文を課されます。
それで培った能力によって本を買ってそれを読んで重要事項はノートして…ということを積み重ねれば、かなりの教養を得ることは必至です。
私の大学時代の学費を、1コマの授業料に換算すると2500円くらいだったでしょうか。
その1コマの講義の内容と、古本屋で買った100円の学問本と内容を俯瞰すれば、絶対に100円で買った本の方が有意義の場合が珍しくはないですしほとんどです。
それを早く気が付くべきではないでしょうか?
今や格差社会になってしまった日本ゆえに、奨学金だけでは足りずバイトまでしなくてはならない。
そのバイトだけでは十分ではないがゆえに、風俗嬢やキャバ嬢、ひいてはAV女優にまでなって稼ぐ女学生は珍しくはない時代に突入してしまいました。

そんなのまでして、払う価値が大学の講義にあるか?
絶対にないのです!笑
公務員試験にしろ、司法試験、公認会計士試験も大学卒業の肩書がなくても受けれるのです。
こういう事例を挙げていくと、大学を含めて日本のアカデミズムというものは、大衆的なものであることでいいのか、という疑問がわきます。
かつての一億総中流国家という時代は終わり、年収1000万円を手にする人は少数派になった格差社会の日本において、誰もが大学に行くべきなのかどうかが争点になった時がありました。
大学に行けば、必ず給料の高い企業に入れるかと言われればそうではない時代になったのです。
実力本意の社会になったのです。
また大学で学ぶ学問は、何も大学に行かなくても本で学べるのです。
いまの時代は大学での授業1コマにつき3000円はするでしょう。
そんな価値はあるのかどうか?
結論!
そんな価値は全くないです(笑)
信じれないという人は、授業に出てそこで言われたことや教授が板書してくれた内容と、新本屋やあるいは古本屋で売っている本を買って読んで比べてみればいいでしょう。
その本屋で買った内容の方が有意義と感じる感情の方が高いのは言うまでもないです。
中身が全然値段とみあってないのです大学の授業は。
それ以上のものを授業でしてくれる教授はいることはいますが、それは少数派であることは間違いないです。
ならば大学卒業に拘ることは必要ないと思われてならないですね。
主体性があれば、大学で学ぶ内容以上のものが得られることは間違いないです。
そのことの例を加藤氏は『独学のすすめ』という本の中で、偉大な歴史上の人物を例に挙げて論じています。
●そういった内容について知りたい人や、大学での勉学に疑問を持っている人には以下の電子書籍、ぺーパーバックをお勧めします。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のこと)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
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