聖徳太子が仏教派に殺されていなかったら日本はキリスト教国になっていた可能性は無きにしもあらず? (親鸞とユダヤ.キリスト)
こんにちは。
前回は、聖徳太子は日本に仏教を弘めた最大の功労者であるという流布が意図的になされたことのわけを、詳らかにしました。
当時において既に日本にはキリスト教は入ってきており、その教えに最大限惚れていた聖徳太子は、これを中心にしつつ、仏教との中庸政策を意図していたのではないか、その内容の方が説得力があるのではないか、という主旨の文を書きました。
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⇒前回記事
天皇や貴人といわれる人たちが亡くなった時には、当時は「もがり」といって数か月の間、葬送の儀式を行うのが普通でしたが、聖徳太子が亡くなった後にはそういったもがりはなく、すぐさま埋められてしまったのです。
それは、すぐさま聖徳太子の怨霊を封じ込めてしまったからでしょう。
その怨霊が出るのを恐れて、聖徳太子の化身とされる四天王寺にある観音菩薩には全身に包帯が巻かれていたというのです。
普通に天寿を全うした人であるならば、こんなことをするはずはないのです。
そして、この人を仏教広布の最大の功労者に仕立てることでも、怨霊になることを恐れたのでしょう仏教を弘めたいとしていた仏教派の人間たちにとっては。
ではその最大の黒幕は誰だったのでしょう、という素朴な疑問がわくのです。
その太子(下写真)の死後、その息子だった山背王子が、当時最大の豪族だった蘇我入鹿によって殺されます。
その入鹿を、大化の改新において、中大兄皇子と中臣鎌足が暗殺して、執政したと日本史では教えられています。
これが645年のことです。
中大兄皇子が即位して天智天皇となったのです。
この人もかなりの程度、仏教派の人間だったのです。
そして、その他、孝徳天皇、天武天皇といったのちに仏教を弘めて、寺院まで建立してきた人たちもそれに画策してきたのではないかという疑問がもたげてきているのです。
しかし、私の観るところ、天智天皇が一番の黒幕だったのではないかと思われてならないのです。
聖人に仕立てるとか、化身像に包帯を巻くとかいったことで、怨霊が鎮まるはずもなく、怨霊はピンポイントで最大の黒幕に仕返しをするのが自然な成り行きでしょう。
日本史では教えられていませんが、天智天皇(下写真)はのちの滋賀県大津市に崇福寺という寺を建てます。

その大きさはかなり大きかったようで、「南に金堂・講堂、中央に小金堂・三重塔、北に弥勒堂などがあり、かなり大きな寺であったと考えられます。」と滋賀県の観光ガイドに書いてあるのです。
そんな大きな寺が、今は跡形もなくなっているのです。
あるのは、その跡の石碑だけなのです。
普通、巨大な寺院であれば、形成は少なからず残っているはずです。
海の近くに建立していたがゆえに、大波がきてさらわれたというわけではないです、崇福寺は山の上に立っていたのですし。
それに、山といってもそんなに標高の高いところではなく800mあたりのところなのです。
2000mクラスでは、かなり気候が荒れ狂う場合も多々ありますが、このレベルではそんな気候が起るはずもないのです。

ゆえに、聖徳太子の怨霊が、最大の黒幕であった天智天皇の建立した寺院を跡形もなく消したのではないか、と思われてならないのです。
そんな高さにあったのに、跡形もなく消えるなどということ自体が普通では考えられないのです。
その前に建った四天王寺や斑鳩寺だって、今も健全な形で遺っているいるのに、後に建った崇福寺が、こんな跡形もなく消えてしまうなんて不思議というほかないですね。
それはやはり人智を超えた存在=怨霊による仕業と考えるのが妥当でしょう。
その崇福寺跡の写真は以下です。

どうも、当時の政治を観ると、自派の宗教に反対か、それほど支持されないと判断した人がいると、候補者あるいは天皇でも、その人を殺してでも、政権につこうと考えやすい傾向があったのは否めません。
どうしても両方の良いところを採って中庸で行こうという姿勢がかなりかけているのがわかります。
そういう思想が当時の人たちが持てたならば、聖徳太子が、殺されることもなかったし、もしかしたら、もっとキリストの教えが広まって、日本もクリスチャン国になっていた可能性も無きにしも非ずです。
そのキリストの教えは、この当時から入ってきていたがゆえに、当然、博学を求めていた、のちに開祖となる人たちも触れていたのですから、もっとその可能性は大です。
もちろん親鸞(下写真)もキリストの教えを学んでいました。

それは『世尊布施論』という名に変わっていますが、親鸞が読んで学んだとされて西本願寺にそれが保管されているのです。
その内容を訳すを、まさに聖書なのです!
それが生かされて、親鸞は悪人正機説を創造するのです。
また南無阿弥陀仏と唱えることで救われる、という教えもキリストの教えからの由来だったのです。
対象とする本尊の名を唱えることで救われる、という教えは古代仏教にはなかったのです。
非常に興味深いでしょう。
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今回はこれにて失礼いたします。
ありがとうございました!

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