阿弥陀仏への縋りによって精神の救済がかなった。ゆえにこれで万全…違います! (親鸞とユダヤ.キリスト)
こんにちは。
古代であろうと、現代であろうと人間社会というものは問題が浮上してくる性質を持っているのがわかります。
科学が発達して、便利になればなるほど、問題点は浮上してこないで、パラダイスが地上に出現する。
科学の効用が認識され始めたころは、そう夢想する人もいたに違いないです。
しかし、実際はそんなことはないのです。
事やり方を間違えれば、やはり問題は浮上してくるものです。
それは幾多の本を読んでいればわかります。
どれだけ売ったか、どれだけ記録を伸ばしたかといった測(はか)だけを重視された現代社会において、そういう物差しだけを求められてきてしまったがゆえに鬱状態になったが、阿弥陀仏への縋りによって精神的な救済がかなったとしたエッセイストの田口ランディ氏(下写真)の体験談を前回に紹介しました。
それは『親鸞 今に生きる』という複数の講演者による講演録を収めた本に書かれていたものです。
その本には、以下の問題点も指摘されていました。
昨今の鬱の若者は、甘やかされた実感がないどころか、一度も無条件であいされなかったと感じているがゆえに鬱になってしまうようです。
その鬱の若者はナンバーワンになるのではなく、特別なオンリーワンになるように期待されて育ったのが原因だそうです。
こういった若者としては、自由にふるまいたいし、社会のルールは鬱陶しいという精神状態になっているようです。
教育心理学や親子心理学といったジャンルの本を多数読んで勉強してきた私から言わせれば、その指摘はあっているけれども、それだけではない気がします。
その詳細を取り上げていくと膨大な文章になるので、その詳細は割愛しておきましょう。
そういった若者が、親鸞(下写真)がいった「他力(阿弥陀仏)によっていま凡夫である罪悪の身であるままに浄土がある。
この濁世がひっくり返ったら浄土になる、光の中にある。つまり、罪悪深重の自覚から出る欲は、不純粋でしかない。
その愚かな衆生を救いたいという欲は、無条件に一切を摂して助けようとするその無限の慈悲の働きを現在に感じる救いを信じるのです。」

という内容を読んで、見事、精神の蘇生がかなったということです。
これを読めば、阿弥陀仏への縋りによって何ものでも万能にかなう、と思ってしまうのも頷けます。
しかし、本当に誰でも叶うのだろうかという疑問がわきます。
浄土真宗の信徒は、この経験談を読むことで、万能性について書いて弘める可能性大です。
しかし、その内容の吟味をしなくてはならないです。
わざわざ阿弥陀仏の思想を教えてもらった手前、良いことを言わなくてはならないがゆえに、それほど蘇生はしなかったけれども、快方に向かったからいい事だけ言っておこうとした可能性もありです。
または逆で、本当に見事な別人のように生まれ変わった可能性もあります。
しかし、その内容の吟味は各自に任せるほかないですし、本当なのかどうかは傍らの見ている人間にはわかりかねます。
ゆえに、自分と向き合って、本当に魂の救済がかなったのかどうかを吟味して、真の救済がかなってなかったならば、さらなる快方を目指さなくてはならないでしょう。
更に親鸞の書いた書物を読む、浄土真宗信徒に話を聞く、他の宗教書を読む、科学的な本を読む、日々人と接して一緒に仕事をする…こういった作業を通じて、精神の矯正を維持しなくてはならないことは間違いないです。

こと宗教団体で言われていることは、人智を超えた存在を扱っているがゆえに、「この宗教で言われていることすれば万全だ」「この宗教内で唱えられている経文を読めば万全だ」というような錯覚を抱いてしまうことは往々にしてあります。
しかし、そんなことはないですから注意が必要です(笑)
それに、ことその若者の精神の救済がかなったからといってそれだけでいい、というようには思えません。
それでは片手落ちです。
そのように育てた親の精神の内容もとわれなくてはいけないでしょう。
子供を可愛がらなかった。
子供を自分の見栄えのために利用しようとしたがゆえに、そのようにオンリーワンになるように育てたのです。
これは自分に自信の持てない親がする典型的な教育なのです。
それがゆえに、そんな教育を施された子供があのような精神状態になってしまったのです。
そんな教育がなされないためには、その親が精神的に強くなる必要があるのです。
それは、男であれ女であれ、格闘技をして強くなることが大事なのです。
それによって自分に自信が持てる。
持てるから子供を見栄えのために使おうとはしない。
子供を無条件で褒めれるようになる。
そして子供も親を尊敬するようになる。
こういう好循環が出来上がるのです。
いくら神仏に縋っても、このような状態にはなれない経験があるからこそ、ここで指摘しているのです。
しかし、だからといって宗教のすべてが悪いなどと極論を言うつもりもないわけで、宗教的な効用は認識しつつも、他の事柄についても学び続ける、というスタンスを私はしていきたいと思っているのです。
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今回はこれにて失礼いたします。
ありがとうございました!

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