聖徳太子は仏教広布の最大の功労者ではなかった?ならば親鸞が受けた聖徳太子の夢告の有効性は? (親鸞とユダヤ.キリスト)
こんにちは。
聖人と崇められる人や、宗教の開祖になる人というのは、神や仏が目の前にやってきて、啓示をうけたりすることが往々にしてあるようです。
それで自分に与えられた使命感を受け止めて、宗教を開宗する。
そんな例はよくあります。
モルモン教のジョセフ.スミス、統一教会の文鮮明、幸福の科学の大川隆法、イスラム教のムハンマド.アリーなどです。
しかし、かたちはたがえど、親鸞(下写真)も同じような経験をしているのです。

親鸞は3度、聖徳太子の夢告を受けているのです。
それによって、毅然とした現状打破を敢行することができたのです。
それまで悪習と思われていたものを打破することで、親鸞は偉大と思われる高評価を受けているのです。
それが肉食、妻帯を放免したことに繋がったのです。
その他、念仏を弘めることが良いのか悪いのかを悩んでいる時に、敢然とこれをおこなうと決行したのは聖徳太子の夢告があったからだという話しがあるのです。
それが2回あったのです。
それで計3回の夢告を受けることになったのでした。
こういう夢告にしろ、神が現前に現れて布教の啓示を伝えた先の例にしろ、ひたすらその道に打ち込み、努力に努力を重ねている人にだけ、そういうことが起るようです。
さしたる努力もしていない人には当然ながら、そういう啓示は受けることはないのは歴史を観ればわかります。
聖徳太子は、日本史の教科書では「日本に仏教を弘めた最大の功労者」とされていたのです。
私も、そう学校で習ったものです。
しかし、史書を見るとどうもそうではないことがはっきりしてくるのです。
聖徳太子(下写真)が仕えた推古天皇は「今、私の世においても神祇の祭祀を怠るようなことがあってはならない。群臣はこころを尽くして、よく神祇を尽くすように。」という告知をしているのです。

仕えた天皇の言いつけにすぐさま背くなどということは考えられないのが普通です。
また、太子が建てて、自ら住んだ斑鳩宮には鳥居があったのです。
鳥居とは神道のシンボルなのはいうまでもないのです。
この斑鳩宮は法隆寺の一部に今はなっているのは、のちの仏教が盛んになることで、仏教の勢力によって移遷されたのという意見もあります。
いや移遷という事態が、仏教派の仕業であると考えるのは浅はかという誹りはまぬかれないでしょう。
聖徳太子の意向をそのまま存続した可能性も無きにしも非ずです。
そこで考えれるのは、神も仏も両方尊重する中庸政策ではなかったかという気がするのですが、その厳密な聖徳太子の意図を今から完璧に読み取るのは不可能でしょう。
しかし、単に仏教だけを弘めたかったのではないことは明らかでしょう。
太子の理想は仏教立国ではなく、天皇を大祭司とする神道国家と仏教の中庸を行くことだったのではないか?

懸命な識者は、どっちに偏ることもなく、異質なものに対面したら、ひたすらに否定するのではなく、その異質なものごとについてまず深く観察してから、その良さもとり入れていくことの重要さを認識しているようです。
そして、聖徳太子の行動は、ブレーンだった秦河勝氏的な神道に加えて、キリスト教的な神道理念にも基づいていたのがはっきりしています。
日本史の教科書では、「日本にキリスト教が伝来したのは1459年のフランシスコ.ザビエルが伝えたのが最初だ」と書かれていますが、これも誤りですでに7世紀の昔に、ユダヤ人がきて伝来していたのです。
その代表が秦河勝で、この人はユダヤ人であり、キリスト教の東方ネストリウス派に改宗していたのです。
そのキリストとユダヤの混交した文化や宗教を日本に持ち込み、それが今の日本にいろんな痕跡を残しているのです。
当時の社会では、貴人がなくなった時には、もがりといって数か月葬送の儀式をおこなうのが普通でした。
しかし、日本書紀においては、聖徳太子が死んだ後に、そのもがりはおこなわれず、すぐに埋められてしまったようです。
これは仏教派が聖徳太子を早く埋めて封じ込めたかったのだろうという線が強いとされているようです。
しかし、聖徳太子の怨霊を恐れて、四天王寺にある聖徳太子の化身とされている観音菩薩には、全身に包帯がまかれていたようです。

聖徳太子が普通に天寿を全うしたというのであれば、こんな細工をする必要はないでしょう。
やはり、聖徳太子を殺して、その怨霊を封じ込めたかったのでしょう。
そのうえ、仏教広布の聖人と全国的に告知されたのでしょう仏教派から。
そのカモフラージュが、今になって暴かれているのでしょう。
このような史実から、やはり聖徳太子は仏教を弘めたかったということではなかったようです。
親鸞の宗教は仏教、そして聖徳太子の宗教も仏教、ということであれば、仏教を至高のものとして信じたい人にとっては心強くなれる事態でしょう。

仏教広布の最大の功労者である聖徳太子の夢告を受けたのであれば猶更。
しかし、聖徳太子の奉じたかったのが仏教ではないのが明らかになれば、やはり仏教を至高のものとする立場の人間には哀しい事態でしょう。
やはりキリストの神を奉じる宗教を広布したかったのでしょう。
それが、観音という姿になって、親鸞に夢告を与えたことになったのです。
事実、キリストの理念が親鸞の宗教には多く内包されているのです。
こういうような事実を知り、いろんなものに寛容の精神をもって接すれば、心ふくよかな感懐を得ることに繋がると私が思えてならないのです。
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今回はこれにて失礼いたします。
ありがとうございました!

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