1つの宗教団体には属さなくても、宗教教育は必須…何ですかそれは?(笑) (親鸞とユダヤ.キリスト)

こんにちは。
いきなりですが、宗教教育というものは必須だと思います。
これは何も、ある特定の宗教団体に入れということではなく、こういうことをしたら死後どういうことになるかとか、神や仏を言動的にも物理的にも忌憚することでどういうことが現世で起きるかといったことを勉強し、そして日々行動することは大事でしょう。
あの世でも現世でも幸福に生きるためにも。
また現世で罪を犯した場合、自分にはもちろん、自分の次代の人にも災いをもたらす、といったことも当然ながら知ることが大事でしょう。
卑近な例でいえば、妊娠したにもかかわらず、育てるのが嫌だ、養育費などのお金がかかるからいやだといったことで、中絶をすることで、その中絶してしまった胎児が水子となって、その親たちに災いをもたらすのです。
そういうことは脅しでもなんでもなく、無数にあることです。
ゆえに、こういった宗教的な知識を学ぶか学ばないかで、その人やその次代、そのまた次の世代の運命が変わってくるのです。
ゆえにそういった知識が大事といっているのです。
私はこれまでいろんな宗教団体に対して否定的でしたが、これは1つの宗教団体に入ってそこで学んだだけで充分といった風潮に対して否定しているだけであって、その宗教団体のすべたが悪いということではなく、宗教全般に対して否定しているわけではないのです。
無神論者ではないのです私は。
浄土真宗の親鸞は宿業論にまで触手を伸ばして書物を書いているのです。
親鸞いわく「兎や羊の毛の先にある塵のような小さい罪を犯すのも、すべて思いを超えた無限の因縁が背景にあると感知すべきである。」ということです。
普通に何気なく暮らしていても、幸運になる人と不幸になる人の違いが出てきます。
それはやはり、前世やこれまでの行動といった様々な背景をまで考慮に入れて探索することなくして、解決のめどが立たないのです。
その背景については千差万別です。
各自で様々な面からアプローチして探査していってくださいとしか言いようがないのです。
日々の生活だけでなく、宗教的な観点からも視野に入れたマクロな視点が大事といっているのです。

参拝すれば金持ちになるといわれる神社、あるいは参拝すれば良運に恵まれるといわれる神社…いわゆるパワースポットといわれるところはありますが、単に参拝するだけで必ずお金が舞い込んだり、運に恵まれるのでしょうか?
ならないですよね?
千差万別です。
それについては、幸福の科学の総裁だった故.大川隆法氏が示唆深いことを書いています。
「大聖人になったような人に起る奇跡」と題して、以下の様に書いているのです。
「信仰心のない人には何も起きませんが、信仰心のある人には、だんだん、意外なよいこと、思わぬ良いことが起きてきたり、1年前の自分から考えると信じられないような他の人からの良い反応や良い結果が出てきたりすることがあります。
そういう奇跡のようなことが増えてきた時には、「これは守護霊、指導霊の光をかなり頂き始めたな」と思って間違いないでしょう。
結局、信仰心の発展段階に応じて、あの世からの指導があるのです。
守護霊は、自分とだいたい同じような魂なので、「これは守護霊の力にしては大きすぎる。自分以上の力だ」と感じたら指導霊が援助し始めています。
もう一段上の段階まで来ています。
人類全体に対して責任をとるとはどういうことでしょうか?
それはやはり、真理を広めること、伝道することです。
生きている内に教えてあげなければなりません。
死んでからではなかなか大変なのです。
ルルドの地に聖母マリアがきて病気が治るという奇跡が起きた。

奇跡とは全く関係がない、泉の成分も関係がない。
ずいぶん多くの人がこの地にいっている。
しかし、実際に病気の治る確率は100分の1もない。
病気が治った例はごくわずか。
奇跡が必要な人には奇跡があらわれる。
それが天上界の計らいなのです。
全員が治るわけではない。
奇跡が必要な人とは、仏神の証明役として予定されている人。
もう1つには、奇跡が起きることによって、その後、大きな活動が期待できるような人。
その泉にまつわる高級霊たちが、伝道の観点から、奇跡現象をおこしている。
そうでない人には奇跡を起こさない。」
ということです。
大川総裁(下写真)は、自身は生きる身でありながら、あの世に行けて帰ってこれる特別な能力を持っている、としていたのです。

また霊視もできるとしていたのです。
それを信じるか信じないかはその人の自由ですが、総裁の著作をいくつも読んだり、講演を何度も聴いているうちに、そのあまりの具体的、写実的なあの世の描写に思わず、その能力は本物ではないか、と思われるに充分でした。
にもかかわらず、その宗教(幸福の科学)を信じるか信じないかは、その人の自由だと総裁は言っていたのです。
かたや親鸞は、あの世に行く能力がなかったのではないかと思われる様相でしたし、もしかすると親鸞は行けたのかもしれないという微妙な立ち位置なのです。
親鸞曰く、
「この私においては、ただ念仏によって実在を回復できるという如来の本願の道を法然上人からいただいて、それを信じるのみである。
念仏は、本当に浄土という世界へ往くための原因なのか、また地獄という世界へ落ちる行為なのか、私は一切知らない。
法然上人にだまされた念仏して、地獄に堕ちたとしても決して後悔しない。」
ということです。
こういう文章を読むとはたして親鸞(下写真)は…と疑問に思うのですが、確かに天国に行かせるか地獄に行かせるかは閻魔大魔王の判断であって、親鸞の判断ではないわけです。
ゆえに、こういう表現をしたということもありうるわけです。
ゆえに、行けたか行けなかったの判断は難しいということです。
こうスタンスで毅然と弘教していって多くの信者を獲得した親鸞は20年後、京都へと戻ったのです。
その際に3度目の聖徳太子の夢でのお告げを得るのです。
仏教広布の最大の功労者として祀られている聖徳太子ですが、その観音菩薩が3回、親鸞の元に現れて夢告を告げたのは有名な話しです。
その夢告がのちの親鸞の高評価になる結果をもたらす事になるのです。
よしんば、親鸞があの世に生きた身のまま行き来できなかったとしても、こういう夢告を受けるだけでも常人ではないことがわかります。
やはり選ばれた人ではないことには、こういうことは起こりえないわけですから。
ならそれだけでもいいじゃないか?と思われる向きもあるでしょう。
しかし、先の大川隆法総裁の言葉に興味を持って、具体的にあの世について知りたい、という気が起きる人もいるでしょう。
そこは千差万別です。
ゆえに、このままでいいという人は詮索する必要はないですし、興味を持った人は総裁の本を読んでみるべきでしょう。
そして、得た情報によって決まった行動によって逢着した結果は全部自分に帰する、ということは覚えておいてほしいものです。
そんな内容の事を、以下の電子書籍.ペーパーバックに書いてあります。
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⇒親鸞を貫くユダヤ.キリスト性
今回はこれにて失礼いたします。
ありがとうございました!

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