宗祖は博学であり、神仏からその能力を付与された。ゆえに無批判でいいか? (幸福の科学)
宗教の開宗は人間の歴史を見れば、多く存在します。
そのいずれの場合でも宗祖の資質を分析すると、多くの分野に長けているということが挙げれると思います。
宗教だけの知識だけでなく、いろんな隣接する宗教に関する幾多の知識はもちろん、科目や分野に関する知識をふんだんに持ち合わせている、ということが挙げれるでしょう。
そして、本を書く能力があり、一気に幾冊も書いてしまう能力があるということでしょう。
こういうことに興味が持てた私は、聖徳太子や空海、日蓮といった僧侶を垣間見ると、これらの人たちは、いろんな知識に博学であり、開宗当時の時代のような紙がものすごく希少だったにもかかわらず、分厚い本を何冊も書いてしまっていたのです。

誰もが中学生や高校時代において、いらない紙に何度も書いて知識を詰め込んだり、マーカーで線を引いて、そこを下敷きなどで隠してそのマークした部分を当てる、という勉強をしていたとは思いますが、開祖たちは、そんなことをせずとも、本を読んだり、人から伝えられただけで内容をすぐに脳内に叩き入れることができたがゆえに、当時の時代においても幾冊もの本を書き、それを現代でも遺していることができたのです。
まさに神懸かり状態だったのです。
そういう能力を神や仏といった人智を超えた存在が、開祖たちに能力を見出して、開宗のための悟りを開かせたのではないか、開宗のための能力を付与したのではないかと思わざるを得ないのですね私は。
真似をしようにもできないのです凡人には。
そんな神懸かりの資質を幸福の科学の故.大川隆法総裁(下写真)にも見出さざるを得ないのですね。

かなりの博学、そして本を書きあげてしまう能力ですね。
これまでに書いて出した本の数は3100冊以上です。
計算すれば、約10日に1冊のペースで出してきたのです。
これほどのものは、到底凡人にはたどり着けない能力でしょう。
その神懸かりの能力の体感は、総裁の書いた本を読むことでも感じるでしょう。
興味のある人は、総裁の書いた本を1冊でも良いから読むことをすべきと思います。
大川総裁の書いた『智慧の法』には以下のように書いてあります。
「七十億人になりなんとする、この世界人口のなかで、間違った独裁者や専制者のような人が出てきて、多くの人々を間違った方向に導いていかないようにすることなのです。」(P,43)
先程、宗祖はいろんな分野の知識にも通じていなければいけない、ということを書きましたが、その一端をこの文章からも見いだせるでしょう。
これまでの人類の歴史から抽出した理論を構築したのが歴史学なのです。
それにも通じているのがわかります。

ただ単に宗教についての知識が豊富にあるだけでは、多面的に人を惹きつけることにはつながらないのです。
こういう歴史学に通じることによっても、人を啓蒙することができるのです。
ただ単に宗教に入って経文を唱える…これだけで人類の先行きを打開できるはずもないのです。
これまでの歴史から学ぶメリットは、「歴史は繰り返す」というテーゼを前提にしながら、人に警告の念を思い起させたり、心に留めておくべき事実を提示するのです。
こういうことも、宗祖には求められる姿ではないでしょうか?
また総裁は、専門以外を学ぶメリット、外国語を学ぶメリット、歴史を学ぶメリットを同じく『智慧の法』で書いているのです。
人類の歴史を垣間見るとわかるように、人類には最初に哲学があり、そこから情報爆発が起こり、学びやすくするために、専門分化が起こり、経済学や法学や心理学といった諸々の科学が派生したのです。
学びやすくするために分化が進んだのであって、1つの専門に閉じこもるのはナンセンスでしょう。
1つのものだけを学んでいては、他の科学では学べない視点や考え方や知識を得ることができないがゆえに、出来る限り総合的に学ばなくてはならないのは言うまでもないのです。
そういう姿勢を大川総裁は逝去するまで貫いたのです。
こういう姿勢には瞠目すべき点として称賛したいと思います。
先に「そういう能力を神や仏といった人智を超えた存在が、開祖たちに能力を見出して、開宗のための悟りを開かせたのではないか、と思わざるを得ないのですね私は。」と書きましたが、だからといって、そういった古代や中世やそれ以降の時代などに宗祖となった人たちの出した理論を、そっくりそのまま無批判に受け入れていいとは思わないのです。
例えば、日蓮は生前に「仏法僧を敬え」としていたのですが、その言葉を引き合いに出して日蓮正宗の法主や住職といった人たちが、堕落に向かっていったのは周知の通りですし、その実態は、それまでの歴史について書かれた本やエピソードを読めばわかります。
自分は敬われる存在なんだ、という思いからか、供養金をもらうことだけに意識のバイアスがかかってしまう僧が出てきたり、横柄な僧が出てきたりするのは幾十もの例を読ませてもらいました。
こういう僧が出てくることを日蓮は、歴史的経緯を見ることができなかったがゆえに、わからなかったのは言うまでもないのです。

ゆえに日蓮を批判しようとは思いませんが、だからといって無批判で良いわけはないのです。
そこは批判的になって、僧侶を正していかなくてはならないでしょう。
もちろん、日蓮正宗の僧侶のだれもが必ず堕落する、あるいは堕落していくなどという極論は当てはまらないです。
誠心誠意、民衆の立場になって対応している誠実な日蓮正宗の僧侶と会い、話しをしたことも私はあります。
しかし、日蓮の遺した言葉を依拠して、堕落してしまう僧が出てきてしまうことも事実ゆえに、無批判でいることの危険性を指摘しているのです。
また時代にそぐわない宗祖の言葉も出現してしまう、ということもあり得るのです。
それも、また現実社会との照合を通じて見極めていくことが大事でしょう。
また、こと幸福の科学についても、後世になって時代との照合の結果そぐわない、ということも当然起きるでしょう。
そこは信者の人たちが自身の脳で考えて、取捨選択をしてそして吟味していくことが大事でしょう。
私が言いたいのはそういうことです。
そういう理論に共鳴できる人にとってお勧めしたいのが以下の本です。
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
●以下よりどうぞ!
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!

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♯宗祖の素質♯幸福の科学
そのいずれの場合でも宗祖の資質を分析すると、多くの分野に長けているということが挙げれると思います。
宗教だけの知識だけでなく、いろんな隣接する宗教に関する幾多の知識はもちろん、科目や分野に関する知識をふんだんに持ち合わせている、ということが挙げれるでしょう。
そして、本を書く能力があり、一気に幾冊も書いてしまう能力があるということでしょう。
こういうことに興味が持てた私は、聖徳太子や空海、日蓮といった僧侶を垣間見ると、これらの人たちは、いろんな知識に博学であり、開宗当時の時代のような紙がものすごく希少だったにもかかわらず、分厚い本を何冊も書いてしまっていたのです。

誰もが中学生や高校時代において、いらない紙に何度も書いて知識を詰め込んだり、マーカーで線を引いて、そこを下敷きなどで隠してそのマークした部分を当てる、という勉強をしていたとは思いますが、開祖たちは、そんなことをせずとも、本を読んだり、人から伝えられただけで内容をすぐに脳内に叩き入れることができたがゆえに、当時の時代においても幾冊もの本を書き、それを現代でも遺していることができたのです。
まさに神懸かり状態だったのです。
そういう能力を神や仏といった人智を超えた存在が、開祖たちに能力を見出して、開宗のための悟りを開かせたのではないか、開宗のための能力を付与したのではないかと思わざるを得ないのですね私は。
真似をしようにもできないのです凡人には。
そんな神懸かりの資質を幸福の科学の故.大川隆法総裁(下写真)にも見出さざるを得ないのですね。

かなりの博学、そして本を書きあげてしまう能力ですね。
これまでに書いて出した本の数は3100冊以上です。
計算すれば、約10日に1冊のペースで出してきたのです。
これほどのものは、到底凡人にはたどり着けない能力でしょう。
その神懸かりの能力の体感は、総裁の書いた本を読むことでも感じるでしょう。
興味のある人は、総裁の書いた本を1冊でも良いから読むことをすべきと思います。
大川総裁の書いた『智慧の法』には以下のように書いてあります。
「七十億人になりなんとする、この世界人口のなかで、間違った独裁者や専制者のような人が出てきて、多くの人々を間違った方向に導いていかないようにすることなのです。」(P,43)
先程、宗祖はいろんな分野の知識にも通じていなければいけない、ということを書きましたが、その一端をこの文章からも見いだせるでしょう。
これまでの人類の歴史から抽出した理論を構築したのが歴史学なのです。
それにも通じているのがわかります。

ただ単に宗教についての知識が豊富にあるだけでは、多面的に人を惹きつけることにはつながらないのです。
こういう歴史学に通じることによっても、人を啓蒙することができるのです。
ただ単に宗教に入って経文を唱える…これだけで人類の先行きを打開できるはずもないのです。
これまでの歴史から学ぶメリットは、「歴史は繰り返す」というテーゼを前提にしながら、人に警告の念を思い起させたり、心に留めておくべき事実を提示するのです。
こういうことも、宗祖には求められる姿ではないでしょうか?
また総裁は、専門以外を学ぶメリット、外国語を学ぶメリット、歴史を学ぶメリットを同じく『智慧の法』で書いているのです。
人類の歴史を垣間見るとわかるように、人類には最初に哲学があり、そこから情報爆発が起こり、学びやすくするために、専門分化が起こり、経済学や法学や心理学といった諸々の科学が派生したのです。
学びやすくするために分化が進んだのであって、1つの専門に閉じこもるのはナンセンスでしょう。
1つのものだけを学んでいては、他の科学では学べない視点や考え方や知識を得ることができないがゆえに、出来る限り総合的に学ばなくてはならないのは言うまでもないのです。
そういう姿勢を大川総裁は逝去するまで貫いたのです。
こういう姿勢には瞠目すべき点として称賛したいと思います。
先に「そういう能力を神や仏といった人智を超えた存在が、開祖たちに能力を見出して、開宗のための悟りを開かせたのではないか、と思わざるを得ないのですね私は。」と書きましたが、だからといって、そういった古代や中世やそれ以降の時代などに宗祖となった人たちの出した理論を、そっくりそのまま無批判に受け入れていいとは思わないのです。
例えば、日蓮は生前に「仏法僧を敬え」としていたのですが、その言葉を引き合いに出して日蓮正宗の法主や住職といった人たちが、堕落に向かっていったのは周知の通りですし、その実態は、それまでの歴史について書かれた本やエピソードを読めばわかります。
自分は敬われる存在なんだ、という思いからか、供養金をもらうことだけに意識のバイアスがかかってしまう僧が出てきたり、横柄な僧が出てきたりするのは幾十もの例を読ませてもらいました。
こういう僧が出てくることを日蓮は、歴史的経緯を見ることができなかったがゆえに、わからなかったのは言うまでもないのです。

ゆえに日蓮を批判しようとは思いませんが、だからといって無批判で良いわけはないのです。
そこは批判的になって、僧侶を正していかなくてはならないでしょう。
もちろん、日蓮正宗の僧侶のだれもが必ず堕落する、あるいは堕落していくなどという極論は当てはまらないです。
誠心誠意、民衆の立場になって対応している誠実な日蓮正宗の僧侶と会い、話しをしたことも私はあります。
しかし、日蓮の遺した言葉を依拠して、堕落してしまう僧が出てきてしまうことも事実ゆえに、無批判でいることの危険性を指摘しているのです。
また時代にそぐわない宗祖の言葉も出現してしまう、ということもあり得るのです。
それも、また現実社会との照合を通じて見極めていくことが大事でしょう。
また、こと幸福の科学についても、後世になって時代との照合の結果そぐわない、ということも当然起きるでしょう。
そこは信者の人たちが自身の脳で考えて、取捨選択をしてそして吟味していくことが大事でしょう。
私が言いたいのはそういうことです。
そういう理論に共鳴できる人にとってお勧めしたいのが以下の本です。
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
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今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!



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♯宗祖の素質♯幸福の科学
あの世はあるかないか?あると規定する方がよろしい? (幸福の科学)
こんにちは。
いろんな宗教の本を読んでいると、やはり人間だれしも宗教的な知識を学ぶ必要はある気がしてくるものですね。
この世での倫理しか説かない宗教はよくありますが、それは、その宗教の長が、あの世に行けなかったり、霊視ができなかったりといった理由があるがために、それでは信者に話しても信用してもらえないからそういうことになっているのかなと思います。
であるならば、そういう芸当ができた人の話しを引き合いに出して説けばいいのではないかと思われてならないのです。
あの世のことについて学ぶことによって、この世での自分の行動を律することができるのは言うまでもないです。
また神様が、いま自分を見て評価してくれている、という気分になればおのずから、品方公正な人物になっていくでしょう。
それをいきなり信じろ、といわれても難しい話しです。
ゆえに、宗教団体の媒体紙などを使って、公開していく必要があるのではないでしょうか。
幸福の科学の総裁であった故.大川隆法氏(下写真)は、いろんな宗教的なことを知り尽くしたまさに神懸かりな人物であったことは間違ないでしょう。

その博学さを知れる当会の冊子を読んで知ったことは以下です。
イエスが教えを説いた時間が短く、3年程度しかなかった、ということです。
そして、キリスト教においては、地獄には堕ちたらもう上がってこれない。
永遠の業火で焼かれて続けていくということです。

命の門はキリスト教を信じて入ることというふうな感じということです。
さらに伝道のためなのか、キリスト教以外では救われないということです。
なるほど、昔の人は宗教ん縋る人が、今とは比べ物にならないほど多かったのです。
ゆえに、キリスト教徒は、世界中を植民地にしたのみならず、伝道のためと称し、当地の人たちをキリスト教に改宗させたのです。
それで従わないならば、その人たちを殺してきたのです。
人類の歴史で一番人を殺してきた宗教はキリスト教であるのは間違いないです。

しかし、キリスト教では、異教徒、邪教徒でも反省して、キリスト教にすがるようになって帰依したら天国に入れる、上がれるというようなワンクッションを考えたのです。
イスラム教においては、総裁に言わせれば、霊界描写が少し甘いということです。
それは、ムハンマドの霊体験が浅いからだということになっています。
悪霊としてのジンというのがあることになっている。
イスラムの開祖.ムハンマドはキリスト教も勉強しているんですがこういうことになっているのです。
ことはキリスト教であろうが、イスラム教であろうが、仏教であろうが、死んだら地獄か天国に行くということは一致しているようです。
その描写に関しては各宗教によって、風景やそこに登場する人物名に違いはあるものの、その死んで上がってきた人を判断していくということでは一致しているのです。
ゆえに、宗教は根は一つ、という命題が出てきてもおかしくはないですね。
ゆえに、当会の本尊であるエルカンターレが、仏教の開祖であるゴータマ.シッダールタやキリスト教の開祖であるイエス.キリストに本体を遣わしたという命題も成り立つでしょう。
ただ、受け入れられないのは、キリスト教では、この宗教の信者にならないと、死んだら地獄に落ちるという教えですね(笑)

そういうことは、植民地化を正当化するために、当時のキリスト教の長が歪曲したのか、さては本当なのかはわかりかねます。
ただ、そんな教えでないならば、すぐに改定してほしいものですし、もし本当ならば、そんな恐ろしい宗教ならば、ない方がましでしょう。
私はキリスト教徒にはなりたくないです。
それは、伝道師がいなくては意味がちんぷんかんぷんなので学べないというのが最大の理由です。
しかし、いつか死んで、あの世に行って審判者から「お前は、キリスト教徒でなかったからお前は地獄行きだ」といわれたら、それは甘んじるほかないでしょう。
しかし、それでも、私は世のため、人のために、人が見ていなくても、自ら毎日実行していますから、それに関しては誇りに思っています。
それでキリスト教徒でなかったから、という理由で地獄行きになったら、その時は首をくくるしかないでしょう。
私にはあの世に行けたり、霊視する能力がないので、今それを判断することはできませんので、こういうスタンスになってしまいます。
そんなスタンスに共鳴してくれる人には以下の電子書籍はお勧めです!
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『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
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♯幸福の科学
♯地獄
♯キリスト教
いろんな宗教の本を読んでいると、やはり人間だれしも宗教的な知識を学ぶ必要はある気がしてくるものですね。
この世での倫理しか説かない宗教はよくありますが、それは、その宗教の長が、あの世に行けなかったり、霊視ができなかったりといった理由があるがために、それでは信者に話しても信用してもらえないからそういうことになっているのかなと思います。
であるならば、そういう芸当ができた人の話しを引き合いに出して説けばいいのではないかと思われてならないのです。
あの世のことについて学ぶことによって、この世での自分の行動を律することができるのは言うまでもないです。
また神様が、いま自分を見て評価してくれている、という気分になればおのずから、品方公正な人物になっていくでしょう。
それをいきなり信じろ、といわれても難しい話しです。
ゆえに、宗教団体の媒体紙などを使って、公開していく必要があるのではないでしょうか。
幸福の科学の総裁であった故.大川隆法氏(下写真)は、いろんな宗教的なことを知り尽くしたまさに神懸かりな人物であったことは間違ないでしょう。

その博学さを知れる当会の冊子を読んで知ったことは以下です。
イエスが教えを説いた時間が短く、3年程度しかなかった、ということです。
そして、キリスト教においては、地獄には堕ちたらもう上がってこれない。
永遠の業火で焼かれて続けていくということです。

命の門はキリスト教を信じて入ることというふうな感じということです。
さらに伝道のためなのか、キリスト教以外では救われないということです。
なるほど、昔の人は宗教ん縋る人が、今とは比べ物にならないほど多かったのです。
ゆえに、キリスト教徒は、世界中を植民地にしたのみならず、伝道のためと称し、当地の人たちをキリスト教に改宗させたのです。
それで従わないならば、その人たちを殺してきたのです。
人類の歴史で一番人を殺してきた宗教はキリスト教であるのは間違いないです。

しかし、キリスト教では、異教徒、邪教徒でも反省して、キリスト教にすがるようになって帰依したら天国に入れる、上がれるというようなワンクッションを考えたのです。
イスラム教においては、総裁に言わせれば、霊界描写が少し甘いということです。
それは、ムハンマドの霊体験が浅いからだということになっています。
悪霊としてのジンというのがあることになっている。
イスラムの開祖.ムハンマドはキリスト教も勉強しているんですがこういうことになっているのです。
ことはキリスト教であろうが、イスラム教であろうが、仏教であろうが、死んだら地獄か天国に行くということは一致しているようです。
その描写に関しては各宗教によって、風景やそこに登場する人物名に違いはあるものの、その死んで上がってきた人を判断していくということでは一致しているのです。
ゆえに、宗教は根は一つ、という命題が出てきてもおかしくはないですね。
ゆえに、当会の本尊であるエルカンターレが、仏教の開祖であるゴータマ.シッダールタやキリスト教の開祖であるイエス.キリストに本体を遣わしたという命題も成り立つでしょう。
ただ、受け入れられないのは、キリスト教では、この宗教の信者にならないと、死んだら地獄に落ちるという教えですね(笑)
そういうことは、植民地化を正当化するために、当時のキリスト教の長が歪曲したのか、さては本当なのかはわかりかねます。
ただ、そんな教えでないならば、すぐに改定してほしいものですし、もし本当ならば、そんな恐ろしい宗教ならば、ない方がましでしょう。
私はキリスト教徒にはなりたくないです。
それは、伝道師がいなくては意味がちんぷんかんぷんなので学べないというのが最大の理由です。
しかし、いつか死んで、あの世に行って審判者から「お前は、キリスト教徒でなかったからお前は地獄行きだ」といわれたら、それは甘んじるほかないでしょう。
しかし、それでも、私は世のため、人のために、人が見ていなくても、自ら毎日実行していますから、それに関しては誇りに思っています。
それでキリスト教徒でなかったから、という理由で地獄行きになったら、その時は首をくくるしかないでしょう。
私にはあの世に行けたり、霊視する能力がないので、今それを判断することはできませんので、こういうスタンスになってしまいます。
そんなスタンスに共鳴してくれる人には以下の電子書籍はお勧めです!
●以下よりどうぞ!
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♯地獄
♯キリスト教
その宗教を信じるか信じないかは、その団体発行の書物をじっくりよんでから決めるべし?!(幸福の科学)
こんにちは。
私は幸福の科学については大幅に信頼を託している立場です。
この世での倫理を説くだけで逢着してしまっている宗教も多い現今の世の中において、あの世や霊界といったことにまで言及し、それから学んで、自分やその周りの人々や社会をよくしていくことを考えて行動させる動機につながるものではないと宗教とは言えないというモラルをこれまでの勉強で形成してきたからです。
その教えを広め、そのモラルを実現するには、やはり政界進出も視野に入れなければならないのは言うまでもないことです。
しかし、この団体が幸福実現党を結党し、候補者を推すもののこれまで国会議員として当選させたことは一度もないのです。
これは悲しい限りです。
宗教をバックに国会議員を当選させるまでに30年を要した公明党のようにじわりじわりと歳月をかけるべきだったのでしょうが、故.大川隆法総裁は、それまで待てなかったのでしょう。
自分が死ぬまでに、何とか候補者を当選させたいという思いがあり、お金を使って突貫していったのです。
しかし現実は…。
それに使った額は90億円だそうです。
それに懲りたのか、あるいは総裁がなくなってしまったのかわかりかねますが、地道に地方からの選挙にゆだねることにしたようです。
その結果、2023年4月、統一地方選挙で22人の公認候補が当選し、48人の地方議員が活動しているのだそうです。
これまでは延93人が当選ということです。
その、国会議員擁立からはすべきでなかったという故.総裁の不肖の息子である宏洋氏(下写真)の言葉にはピンとくるものがありました。

しかし、彼に賛同するのはそこだけでした。
私は、宏洋氏の動画を見て、そして彼の書いた総裁批判の本を読んだりした時に、「この内容は一番近くにいた人の書いた内容だから本物なのだろう!」と思ったのですが、「ちょっとまった」と立ち止まり(笑)、もう一度、総裁の本や体験者の内容を読んだりして、両方を中立の立場で吟味したところ、宏洋氏の方が誤っているのではないか?と思うようになりました。
総裁は信者のことを見下していて金づるにしか思っていない、とか、総裁にエルカンターレが下生したというのはフィクションだ、とか言った言葉に気がかりになりましたが、偽物ならば、信者を卑下するような人が、あんなにたくさんの励ましの言葉を本にかけれるか、あるいは使命感なくしてあんなたくさんの本(3100冊以上)が書けるか、と不信に思うようになりました。
両方を均等に俯瞰したところ、やはり宏洋氏の方が嘘なのではないか、と思うようになったのです。
そしてその後、幸福の科学から、動画や本の内容が嘘であるとして訴えられて、7度の敗訴をしているのです。
やはり私の俯瞰した結果と一緒だったのです。
あのように宏洋氏が父親及び教団に対して反旗を翻してしまったのは、やはり親子関係がよくなかったのです。
単なる不仲ではなく、父親の生活態度が、子供の心身ともの発育に悪影響を及ぼしていた、ということがわかりました。
故.総裁が横柄な態度だったということではないのです。
ではどんな内容かは、以下に掲げる電子書籍を参考にしてほしいです。
故.総裁(下写真)は、小説や論文の本を大量に書いたりするだけでなく、悟りに伴う高度な霊能力により、未知なる世界の真相を伝えていたのです。

例えば、心霊現象や天変地異の原因や、過去の出来事、未来社会の姿、遥かかなたの惑星の様子等を透視したり、人間の臓器の意識と対話して、病気の原因と対処法を示したりということです。
そういった能力によって、人を覚醒させ、行動に結びつかせて、幸福に導いていったのです。
その内容は、幸福の科学が発行している冊子に、実体験談が書いてあるので、それを読んでほしいです。
それを数冊読んで、それでも信じれないというのならば信じる必要はないでしょう。
信仰とは強制させるものではないのですから。
選ぶ、あるいは選ばなかったことによって、どうなるかは私にはわからないですし、いずれの道を選んで行動したことによって、得た結果は全部自身の責任であるということです。
私はどの宗教団体にもくみしない立場です。
しかし、この世とあの世、過去、霊といったものを総合的に論じるような幅広い視点を踏まえたいと思っている人にはお勧めですし、見てみたら、という立場なのです。
それでも信じる信じないはその人本人に任せるほかないのです。
この世に絶対なるものはないのです。
それを前提としながら、補正していくのがいいというのが私の立場です。
●そんな立場の本を読みたい人は以下をどうぞ!
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
→Amazon Kindle

今回はこれにて終了します。
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♯幸福実現党
私は幸福の科学については大幅に信頼を託している立場です。
この世での倫理を説くだけで逢着してしまっている宗教も多い現今の世の中において、あの世や霊界といったことにまで言及し、それから学んで、自分やその周りの人々や社会をよくしていくことを考えて行動させる動機につながるものではないと宗教とは言えないというモラルをこれまでの勉強で形成してきたからです。
その教えを広め、そのモラルを実現するには、やはり政界進出も視野に入れなければならないのは言うまでもないことです。
しかし、この団体が幸福実現党を結党し、候補者を推すもののこれまで国会議員として当選させたことは一度もないのです。
これは悲しい限りです。
宗教をバックに国会議員を当選させるまでに30年を要した公明党のようにじわりじわりと歳月をかけるべきだったのでしょうが、故.大川隆法総裁は、それまで待てなかったのでしょう。
自分が死ぬまでに、何とか候補者を当選させたいという思いがあり、お金を使って突貫していったのです。
しかし現実は…。
それに使った額は90億円だそうです。
それに懲りたのか、あるいは総裁がなくなってしまったのかわかりかねますが、地道に地方からの選挙にゆだねることにしたようです。
その結果、2023年4月、統一地方選挙で22人の公認候補が当選し、48人の地方議員が活動しているのだそうです。
これまでは延93人が当選ということです。
その、国会議員擁立からはすべきでなかったという故.総裁の不肖の息子である宏洋氏(下写真)の言葉にはピンとくるものがありました。

しかし、彼に賛同するのはそこだけでした。
私は、宏洋氏の動画を見て、そして彼の書いた総裁批判の本を読んだりした時に、「この内容は一番近くにいた人の書いた内容だから本物なのだろう!」と思ったのですが、「ちょっとまった」と立ち止まり(笑)、もう一度、総裁の本や体験者の内容を読んだりして、両方を中立の立場で吟味したところ、宏洋氏の方が誤っているのではないか?と思うようになりました。
総裁は信者のことを見下していて金づるにしか思っていない、とか、総裁にエルカンターレが下生したというのはフィクションだ、とか言った言葉に気がかりになりましたが、偽物ならば、信者を卑下するような人が、あんなにたくさんの励ましの言葉を本にかけれるか、あるいは使命感なくしてあんなたくさんの本(3100冊以上)が書けるか、と不信に思うようになりました。
両方を均等に俯瞰したところ、やはり宏洋氏の方が嘘なのではないか、と思うようになったのです。
そしてその後、幸福の科学から、動画や本の内容が嘘であるとして訴えられて、7度の敗訴をしているのです。
やはり私の俯瞰した結果と一緒だったのです。
あのように宏洋氏が父親及び教団に対して反旗を翻してしまったのは、やはり親子関係がよくなかったのです。
単なる不仲ではなく、父親の生活態度が、子供の心身ともの発育に悪影響を及ぼしていた、ということがわかりました。
故.総裁が横柄な態度だったということではないのです。
ではどんな内容かは、以下に掲げる電子書籍を参考にしてほしいです。
故.総裁(下写真)は、小説や論文の本を大量に書いたりするだけでなく、悟りに伴う高度な霊能力により、未知なる世界の真相を伝えていたのです。

例えば、心霊現象や天変地異の原因や、過去の出来事、未来社会の姿、遥かかなたの惑星の様子等を透視したり、人間の臓器の意識と対話して、病気の原因と対処法を示したりということです。
そういった能力によって、人を覚醒させ、行動に結びつかせて、幸福に導いていったのです。
その内容は、幸福の科学が発行している冊子に、実体験談が書いてあるので、それを読んでほしいです。
それを数冊読んで、それでも信じれないというのならば信じる必要はないでしょう。
信仰とは強制させるものではないのですから。
選ぶ、あるいは選ばなかったことによって、どうなるかは私にはわからないですし、いずれの道を選んで行動したことによって、得た結果は全部自身の責任であるということです。
私はどの宗教団体にもくみしない立場です。
しかし、この世とあの世、過去、霊といったものを総合的に論じるような幅広い視点を踏まえたいと思っている人にはお勧めですし、見てみたら、という立場なのです。
それでも信じる信じないはその人本人に任せるほかないのです。
この世に絶対なるものはないのです。
それを前提としながら、補正していくのがいいというのが私の立場です。
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ちょっとしたことで人の人生観は変わる!宏洋氏を変えた人生観は何か?(幸福の科学)
こんにちは。
前回、大学時代において小さい声で話していたがゆえに、友人が全然いなくて、暗黒な気分になっていたけれども、ある人から大きい声で話すことを諭されて、そういうようにしたら友人が大勢できるようになって、それからはまるで違う世界観になったことを話しました。
そんな大学時代においても受けいれてくれた優しい人がいて、その人だけには好意、その人以外には敵対心を持って生活していたように思います。
しかし、それでは社会生活はいけませんね。
どんな人とでも平等に接しなくてはいけないのです。

自分を受け入れてくれる人とだけ接していては、他の人に良い感じを与えるはずもなく、いずれ孤立することになるでしょう。
それと宗教生活は一緒でしょう。
自分を受け入れてくれる信者には好意を持って接して、そうでない人には敵対心を持って生活していては、何のための宗教かわかりません。
私に「もっと元気よく喋りなさい」と言ってくれた先輩がいたおかげではありますが、その一言がなかったら違う世界観を持って生きていた可能性大です。
私は、変な宗教の教祖になっていた可能性もあります(笑)
「この世は、冷たい人の集まりだ。集え、現代社会にいる冷たい人たちに冷遇されてきた人たちよ。皆で慰め合おうではないかないか!」
などと呼び掛けて、信者を集う変な宗教団体の長になっていたかもしれないです(笑)
しかし、ほんのちょっと声のトーンをかえるだけで世界観が変わるから、世の中は面白いな、と思った次第です。

このホンのちょっとしたことが、その人の世界観を変えるのです。
周りの私とあなたたちとは違うみたいな世界観で生きていたのですが、これが晴れて友好的な世界観にかわったのですから、面白いです。
これまで幸福の科学に関しては、私は信者にはならないけれども多面性を有した宗教団体として評価はしてきました。
しかし、この団体の総裁であった故.大川隆法総裁の不肖の息子である宏洋氏は、父親やこの団体に反旗を翻し、父親や団体に対して、批判を動画や本で繰り返し、その内容が真実とは違うとして、裁判を提起されて7度敗訴しているのです。
何故、このような不肖の子供ができてしまうのか?
いろいろ家族心理学や家庭心理学といったたぐいの本を読んで、研究してきました。
その結果、ちょっとしたことが原因だったのがわかりました。
宏洋氏(下写真)の本を読んで、「宏洋氏は、大川隆法のそばにいつもいた人だ。
それゆえに、この人の書いてあることだから、間違いはないだろうと思って、宏洋氏の書いてあることは全部真実だ」と思ってしまう危険性は大いにあるでしょう。

しかし、それは7度の敗訴からわかるように誤りですし、正当か虚偽かは、宏洋氏と総裁の本の両方を読んで判断すべきでしょう。
偏った情報だけで判断するのは誤りでしょう。
そんな気がするのですね。
そんな立場に与することができる人には以下の本がおすすめです。
●以下よりどうぞ。
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!

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♯宗教
♯宏洋
前回、大学時代において小さい声で話していたがゆえに、友人が全然いなくて、暗黒な気分になっていたけれども、ある人から大きい声で話すことを諭されて、そういうようにしたら友人が大勢できるようになって、それからはまるで違う世界観になったことを話しました。
そんな大学時代においても受けいれてくれた優しい人がいて、その人だけには好意、その人以外には敵対心を持って生活していたように思います。
しかし、それでは社会生活はいけませんね。
どんな人とでも平等に接しなくてはいけないのです。

自分を受け入れてくれる人とだけ接していては、他の人に良い感じを与えるはずもなく、いずれ孤立することになるでしょう。
それと宗教生活は一緒でしょう。
自分を受け入れてくれる信者には好意を持って接して、そうでない人には敵対心を持って生活していては、何のための宗教かわかりません。
私に「もっと元気よく喋りなさい」と言ってくれた先輩がいたおかげではありますが、その一言がなかったら違う世界観を持って生きていた可能性大です。
私は、変な宗教の教祖になっていた可能性もあります(笑)
「この世は、冷たい人の集まりだ。集え、現代社会にいる冷たい人たちに冷遇されてきた人たちよ。皆で慰め合おうではないかないか!」
などと呼び掛けて、信者を集う変な宗教団体の長になっていたかもしれないです(笑)
しかし、ほんのちょっと声のトーンをかえるだけで世界観が変わるから、世の中は面白いな、と思った次第です。
このホンのちょっとしたことが、その人の世界観を変えるのです。
周りの私とあなたたちとは違うみたいな世界観で生きていたのですが、これが晴れて友好的な世界観にかわったのですから、面白いです。
これまで幸福の科学に関しては、私は信者にはならないけれども多面性を有した宗教団体として評価はしてきました。
しかし、この団体の総裁であった故.大川隆法総裁の不肖の息子である宏洋氏は、父親やこの団体に反旗を翻し、父親や団体に対して、批判を動画や本で繰り返し、その内容が真実とは違うとして、裁判を提起されて7度敗訴しているのです。
何故、このような不肖の子供ができてしまうのか?
いろいろ家族心理学や家庭心理学といったたぐいの本を読んで、研究してきました。
その結果、ちょっとしたことが原因だったのがわかりました。
宏洋氏(下写真)の本を読んで、「宏洋氏は、大川隆法のそばにいつもいた人だ。
それゆえに、この人の書いてあることだから、間違いはないだろうと思って、宏洋氏の書いてあることは全部真実だ」と思ってしまう危険性は大いにあるでしょう。

しかし、それは7度の敗訴からわかるように誤りですし、正当か虚偽かは、宏洋氏と総裁の本の両方を読んで判断すべきでしょう。
偏った情報だけで判断するのは誤りでしょう。
そんな気がするのですね。
そんな立場に与することができる人には以下の本がおすすめです。
●以下よりどうぞ。
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
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現代は科学と宗教の両方に縋るべし? (幸福の科学)
こんにちは。
人生をより良きものにするために向上させるには、どんな作業をするでしょうか?
うまくいかない…そこで、宗教団体に入り、宗教的な力を得て、向上させる。
それもいいでしょう。
人智を超えたものに縋ることで、それを叶えたいという気持ちはわからなくはないです。
そういう精神は、人間が古代より先に発生した時から存在していたのでしょうし今も存在するでしょう。

そういうものに縋るのはいいですが、その際に大事なのは、物事を構造的に明らかにすることです。
そう言う精神の元、科学が生まれたのです。
心理学とは、こういう事態になったらどういう気分に変化するか、ということを明らかにした学問です。
ゆえに、これまで生きてきた人生で、わかった場合、ある場面に出くわして、こういう対応をしたら喜ばれた、という経験があったら、喜ばれることを人に対してしてあげればいいのです。
この場合、何も心理学などまなばなくてもわかります。
しかし、自分が直面したことのない場面に出くわしたら、どうすればいいかを他人に相談するのがいいでしょう。
しかし、他人に聞いてもわからなかったら、心理学の本を学んで打開策を探すしなかいでしょう。
私は、大学生時代に声が小さかったので、訝しがられて特定の人しか私の相手をしてくれませんでした。

そして何年か後に、ある人からもう少し大きな声で話すことを提案されました。
すると、そうすることでいろんな人間と話せて、友人ができるようになりました。
多くの人に無視されていた人生から、ひとから受けいられ、人生観が大幅にかわったのです。
人のアドバイスって大事なんだと思った瞬間でした。
大学時代に友人ができなかったときに、何か幽霊の仕業か、怨念の仕業か、などと思ったものです。
しかしそうではなかった(笑)。
このように宗教に頼らずとも、打開策を出すことはできるのです。
科学は、これまでに先人たちが積み重ねてきた内奥を構造的に明らかにしたもので、自分の経験してこなかった部分についても知ることができるのです。
いくら経験豊富な人でも、人間のすべてを経験できるはずはないのですから、そこは謙虚に学ぶ必要があるでしょう。
いわば、科学の本を読むとは、他の人たちの経験を自分に取り入れることですから、これを利用しない手はないのです。
しかし、そういった科学だけでは打開策を練れない場合もあるのです。
霊にとりつかれる。
霊によって人生がおかしくなる。

こういう経験はこれまでの人間の経験上、多々あるものです、これまでの研究結果によって。
ゆえに、そういう霊についての勉強も欠かせないでしょう。
そのことによって、打開策が明らかになるのですから。
巷にある科学的な方法だけではわからないこともたくさんあるのです。
それは宗教的な分野に目を移して、勉強していくしかないわけですが、世間一般にはそういう霊やあの世について教えない宗派もあるから注意が必要です。
この世での倫理的なことしか教えない宗派がたくさんあるのです。
そういう場合は、速やかに主体的にそういうことを言及している本を読んでいくことをお勧めします。
ある海外の女優さんで、ホラー映画に出演することが決まり、その女優さんは憑依された人の役を演じるために、その憑りついた人の真似の練習をしていたら幻覚を見るようになった、という体験談がありました。
そういう同じ波動をした行動を場合、そういう悪霊や動物霊にとりつかれることが往々にしてあるようです。

これは大学などで習う心理学では言及されない事です。
ゆえに、そういう現象が起きたら、ひたすら心理学の本を紐解いて打開策を探そうとすることに陥ってしまいがちです、宗教を信じない人の場合は。
それで明快な答えが見つからないまま時間だけが過ぎてしまう…。
その科学万能主義になってしまう人の気持ちはわかります。
それまで科学的なことしか触れてこなかったわけですから。
しかし、そういう場合、虚心坦懐になって、そういうことを言及した宗教の本を読むことをお勧めします。
何も難しいことはないのですから。
それでその本をまるまる1冊読んで、なるほどと思ったら、そこから打開策を見つけ出し、実行するのがいいでしょう。
ただし、霊などの相手は人智を超えた相手なのですから、パソコンをいじったり、、無人清算機でお金を払うのとは違いますから、その手のことに精通して、対処の仕方を知っている霊能者や陰陽師や宗教者に謙虚に縋るのがいいでしょう。
決して私のように表面的に知っているだけの人にはアドバイスは求めないことです(笑)。

また幸福の科学は,そういう霊能関係ついても幅広い知恵を有した団体ですし、この団体の除霊によって打開した経験談も多数のりますで、参考にしていただければと思います。
そんな内容について知りたい人には、以下の電子書籍をお勧めします。
●以下よりどうぞ。
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
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今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!

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人生をより良きものにするために向上させるには、どんな作業をするでしょうか?
うまくいかない…そこで、宗教団体に入り、宗教的な力を得て、向上させる。
それもいいでしょう。
人智を超えたものに縋ることで、それを叶えたいという気持ちはわからなくはないです。
そういう精神は、人間が古代より先に発生した時から存在していたのでしょうし今も存在するでしょう。

そういうものに縋るのはいいですが、その際に大事なのは、物事を構造的に明らかにすることです。
そう言う精神の元、科学が生まれたのです。
心理学とは、こういう事態になったらどういう気分に変化するか、ということを明らかにした学問です。
ゆえに、これまで生きてきた人生で、わかった場合、ある場面に出くわして、こういう対応をしたら喜ばれた、という経験があったら、喜ばれることを人に対してしてあげればいいのです。
この場合、何も心理学などまなばなくてもわかります。
しかし、自分が直面したことのない場面に出くわしたら、どうすればいいかを他人に相談するのがいいでしょう。
しかし、他人に聞いてもわからなかったら、心理学の本を学んで打開策を探すしなかいでしょう。
私は、大学生時代に声が小さかったので、訝しがられて特定の人しか私の相手をしてくれませんでした。

そして何年か後に、ある人からもう少し大きな声で話すことを提案されました。
すると、そうすることでいろんな人間と話せて、友人ができるようになりました。
多くの人に無視されていた人生から、ひとから受けいられ、人生観が大幅にかわったのです。
人のアドバイスって大事なんだと思った瞬間でした。
大学時代に友人ができなかったときに、何か幽霊の仕業か、怨念の仕業か、などと思ったものです。
しかしそうではなかった(笑)。
このように宗教に頼らずとも、打開策を出すことはできるのです。
科学は、これまでに先人たちが積み重ねてきた内奥を構造的に明らかにしたもので、自分の経験してこなかった部分についても知ることができるのです。
いくら経験豊富な人でも、人間のすべてを経験できるはずはないのですから、そこは謙虚に学ぶ必要があるでしょう。
いわば、科学の本を読むとは、他の人たちの経験を自分に取り入れることですから、これを利用しない手はないのです。
しかし、そういった科学だけでは打開策を練れない場合もあるのです。
霊にとりつかれる。
霊によって人生がおかしくなる。
こういう経験はこれまでの人間の経験上、多々あるものです、これまでの研究結果によって。
ゆえに、そういう霊についての勉強も欠かせないでしょう。
そのことによって、打開策が明らかになるのですから。
巷にある科学的な方法だけではわからないこともたくさんあるのです。
それは宗教的な分野に目を移して、勉強していくしかないわけですが、世間一般にはそういう霊やあの世について教えない宗派もあるから注意が必要です。
この世での倫理的なことしか教えない宗派がたくさんあるのです。
そういう場合は、速やかに主体的にそういうことを言及している本を読んでいくことをお勧めします。
ある海外の女優さんで、ホラー映画に出演することが決まり、その女優さんは憑依された人の役を演じるために、その憑りついた人の真似の練習をしていたら幻覚を見るようになった、という体験談がありました。
そういう同じ波動をした行動を場合、そういう悪霊や動物霊にとりつかれることが往々にしてあるようです。
これは大学などで習う心理学では言及されない事です。
ゆえに、そういう現象が起きたら、ひたすら心理学の本を紐解いて打開策を探そうとすることに陥ってしまいがちです、宗教を信じない人の場合は。
それで明快な答えが見つからないまま時間だけが過ぎてしまう…。
その科学万能主義になってしまう人の気持ちはわかります。
それまで科学的なことしか触れてこなかったわけですから。
しかし、そういう場合、虚心坦懐になって、そういうことを言及した宗教の本を読むことをお勧めします。
何も難しいことはないのですから。
それでその本をまるまる1冊読んで、なるほどと思ったら、そこから打開策を見つけ出し、実行するのがいいでしょう。
ただし、霊などの相手は人智を超えた相手なのですから、パソコンをいじったり、、無人清算機でお金を払うのとは違いますから、その手のことに精通して、対処の仕方を知っている霊能者や陰陽師や宗教者に謙虚に縋るのがいいでしょう。
決して私のように表面的に知っているだけの人にはアドバイスは求めないことです(笑)。

また幸福の科学は,そういう霊能関係ついても幅広い知恵を有した団体ですし、この団体の除霊によって打開した経験談も多数のりますで、参考にしていただければと思います。
そんな内容について知りたい人には、以下の電子書籍をお勧めします。
●以下よりどうぞ。
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
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いかなる宗教も万能薬にあらず。いわんや幸福の科学も?
こんにちは。
どうも宗教を研究していくと、その宗教に入信した人というのは、その宗教で言われていることには無批判になってしまい、その機関誌で書かれていない事に出くわすと、打開策をその宗教の経文を読んだり、お祈りすることで打開しようとする姿勢が見られます。

これはいいことなのか?
その答えは、その経文を唱えながら、並行して自身で打開策を見つけていくのがいいというのが結論です。
それまでの知識の蓄積がその宗教にはあるのですから、無闇に批判したりはしないです。
しかし、その方法がすべての人間に当てはまるのかといわれればそんなことはないですし、宗教に頼らずとも、自分が得てきた経験論があるのですから自信をもってその方法論を施行していくのがいいと思います。
それでうまくいかなかったら、違う方法なり、既存の方法にアレンジを加えるなどしていくのがいいと思っているのです私は。
決して宗教は万能薬ではないですから、そこを認識していかないことには、万全を期した解決法など見つかりませんから注意が必要です。
多くの本を読み、そこで得られた方法論を脳内で熟成させて信者に提示していた故.大川隆法総裁(下写真)には、私は一目を置いていたのです。

そういう姿勢こそ、解決策を見出す方法論として王道を行っているなと思っていたからです。
しかし、大川隆法総裁でも、経験したことのない挫折時において、他の人が出くわした困難において適切なアドバイスができるかといえばそうでもないとしか言いようがないです。
大幅な信頼は置くけれども、万能薬ではない、というのが私の意見です。
幸福の科学の機関雑誌は毎月いただいているのですが、そこには信者の体験談も当然載っているのです。
ある飲食店で働いていた時に、その店長がどうも人が良くない。
そこでその信者がしたことは、和顔愛語を心がけることだったといいます。
そして陰で、「店長腹たつわ〜!」と同僚と話すことでストレスを発散したということです。
私が思うのは、それでおいてが変わるとは思えない!ということです。
心理学を深く勉強すると、人間には2タイプがあって、1つは人の心に興味あるひと。
もう1つは、まるで人の心には興味のないひと。
この2つに分かれるということです。
後者のタイプの人には、いくらアプローチしようとも、いくら褒めても、こちらを気遣ってくれるようになることはないのですから、挨拶を交わすこともしなければ、愛想を振りまくこともしなくていいのです。
そういう努力をしたところで、それが実ることはないですから、注意が必要です。

いくら努力すれども、変わらない。
それがストレスになって、その人の陰口を言う。
そうなるとますますストレスになるスパイラルにはまるだけですから、そんな努力はする必要がないのです。
関心のない人には無視するのがいい。
それが結論です。
ストレスが、がんの最大の原因…こういったのは、『脳内革命』で有名な春山茂雄氏ですが、その本を読んだのか大川総裁も、そのようなことを機関誌や本で書いていたのです。
ならばノーストレスでいるためには、こういう人と関わらないのがいいのです。
実際私はそうしています。
3度もあちらをほめても、向こうがしてくれるのは私の上げ足とりですから、そういう人には挨拶も交わさないし、話しかける事もしないのです。
それでも向こうは落胆した様子は全くないのですから、安心すべきなのです。
また他の信者の体験談においては、ある企業に勤めていて、その会社は業績悪化のために、残業代が出ないことになったということです。

そこでその信者がしたことは植福(布施)をしたということです。
その人曰く、「植福(布施)したら言葉にできない幸福感があふれてきた」ということです。
これもまた、そんな方法で根本解決にはならないでしょう!ということです。
確かにその行為で気持ちの良くなることはあるでしょう。
しかしそれだけでは解決にならないのは明白です。
これもまた、宗教だけに解決法を見出そうとしたよくない例ですね。
しかし、そこですべきは、自身の収入を上げるべく何らかのアクションを起こすべきであるということです。
そういう植福という行為が何らかの働きをすることはままあるでしょう。
しかし、それだけでいいかということそんなことはないでしょうということです。
もっと巨視的に自身の宗教を眺めて、その他のことにも目が行くとようにすべきであるというのが私の立場なのです。

宗教的な行為やその宗教で言われていることだけに依拠しても、真の解決法を得ることはできないでしょうということです。
よしんば得れたとしても、どの人にも共通して解決になることはないでしょうと言いたいのです。
ゆえに宗教だけに頼るべからず、というのが私の立場なのです。
大川隆法および幸福の科学には大幅な信頼を置くけれども、それが万能薬ではない、ということです。
ゆえに私は信者にならない、ということです。
そんなスタンスに共鳴できる人におすすめなのが以下の電子書籍になります。
非常にお勧めです。
●以下よりどうぞ!
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どうも宗教を研究していくと、その宗教に入信した人というのは、その宗教で言われていることには無批判になってしまい、その機関誌で書かれていない事に出くわすと、打開策をその宗教の経文を読んだり、お祈りすることで打開しようとする姿勢が見られます。

これはいいことなのか?
その答えは、その経文を唱えながら、並行して自身で打開策を見つけていくのがいいというのが結論です。
それまでの知識の蓄積がその宗教にはあるのですから、無闇に批判したりはしないです。
しかし、その方法がすべての人間に当てはまるのかといわれればそんなことはないですし、宗教に頼らずとも、自分が得てきた経験論があるのですから自信をもってその方法論を施行していくのがいいと思います。
それでうまくいかなかったら、違う方法なり、既存の方法にアレンジを加えるなどしていくのがいいと思っているのです私は。
決して宗教は万能薬ではないですから、そこを認識していかないことには、万全を期した解決法など見つかりませんから注意が必要です。
多くの本を読み、そこで得られた方法論を脳内で熟成させて信者に提示していた故.大川隆法総裁(下写真)には、私は一目を置いていたのです。
そういう姿勢こそ、解決策を見出す方法論として王道を行っているなと思っていたからです。
しかし、大川隆法総裁でも、経験したことのない挫折時において、他の人が出くわした困難において適切なアドバイスができるかといえばそうでもないとしか言いようがないです。
大幅な信頼は置くけれども、万能薬ではない、というのが私の意見です。
幸福の科学の機関雑誌は毎月いただいているのですが、そこには信者の体験談も当然載っているのです。
ある飲食店で働いていた時に、その店長がどうも人が良くない。
そこでその信者がしたことは、和顔愛語を心がけることだったといいます。
そして陰で、「店長腹たつわ〜!」と同僚と話すことでストレスを発散したということです。
私が思うのは、それでおいてが変わるとは思えない!ということです。
心理学を深く勉強すると、人間には2タイプがあって、1つは人の心に興味あるひと。
もう1つは、まるで人の心には興味のないひと。
この2つに分かれるということです。
後者のタイプの人には、いくらアプローチしようとも、いくら褒めても、こちらを気遣ってくれるようになることはないのですから、挨拶を交わすこともしなければ、愛想を振りまくこともしなくていいのです。
そういう努力をしたところで、それが実ることはないですから、注意が必要です。

いくら努力すれども、変わらない。
それがストレスになって、その人の陰口を言う。
そうなるとますますストレスになるスパイラルにはまるだけですから、そんな努力はする必要がないのです。
関心のない人には無視するのがいい。
それが結論です。
ストレスが、がんの最大の原因…こういったのは、『脳内革命』で有名な春山茂雄氏ですが、その本を読んだのか大川総裁も、そのようなことを機関誌や本で書いていたのです。
ならばノーストレスでいるためには、こういう人と関わらないのがいいのです。
実際私はそうしています。
3度もあちらをほめても、向こうがしてくれるのは私の上げ足とりですから、そういう人には挨拶も交わさないし、話しかける事もしないのです。
それでも向こうは落胆した様子は全くないのですから、安心すべきなのです。
また他の信者の体験談においては、ある企業に勤めていて、その会社は業績悪化のために、残業代が出ないことになったということです。
そこでその信者がしたことは植福(布施)をしたということです。
その人曰く、「植福(布施)したら言葉にできない幸福感があふれてきた」ということです。
これもまた、そんな方法で根本解決にはならないでしょう!ということです。
確かにその行為で気持ちの良くなることはあるでしょう。
しかしそれだけでは解決にならないのは明白です。
これもまた、宗教だけに解決法を見出そうとしたよくない例ですね。
しかし、そこですべきは、自身の収入を上げるべく何らかのアクションを起こすべきであるということです。
そういう植福という行為が何らかの働きをすることはままあるでしょう。
しかし、それだけでいいかということそんなことはないでしょうということです。
もっと巨視的に自身の宗教を眺めて、その他のことにも目が行くとようにすべきであるというのが私の立場なのです。

宗教的な行為やその宗教で言われていることだけに依拠しても、真の解決法を得ることはできないでしょうということです。
よしんば得れたとしても、どの人にも共通して解決になることはないでしょうと言いたいのです。
ゆえに宗教だけに頼るべからず、というのが私の立場なのです。
大川隆法および幸福の科学には大幅な信頼を置くけれども、それが万能薬ではない、ということです。
ゆえに私は信者にならない、ということです。
そんなスタンスに共鳴できる人におすすめなのが以下の電子書籍になります。
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♯万能薬
多元的がいいか、一元的がいいか?…どちらでもいいです。 (幸福の科学)
こんにちは。
私は、大学教授などの学者にしろ、宗教団体の長にしろ、いろんな物事を修めていないと務まらないなと感じている次第です。
常に、世の中は動いているわけですし、開祖の際に言われたことが、開祖の時代から今の時代までずっと継続しているだけでいいというわけはないですし、当時と今では常識も違いますし、新しいものが登場したら、その都度、それに関する吟味もしていかなければならないでしょう。
擁するに常に変革が求められているわけです。
その際に多角的に、物事を観ていくためには、博学さがなくてはいけませんし、常に新しい物事を探求していくという気概がなくてはいけないことは自明の理でしょう。
開祖のいったことをそのまま引用して、それに他愛もないコメントを加えているだけの団体の長の講演など聞いても意味がないですし、聞きに行く気にもならないのです私は。

しかし、その団体の信者になった人は、それを聞くのに夢中になっている…私には支持できないことです。
何故、そういう人が出てくるのか不思議でした。
それは、その信者は、普段の生活でほとんど本などを読まないから、そういう私にとっては意味のないことでも、新鮮な気分になれるのでしょう。
ではなぜ、普段から本などを読まないか?
それは文字が嫌いだからですね。
ゆえに主体的に本などは読まなくてはいけないと学校などで教えられても、なかなか実行に移せないのですね。
だからためになると思われる自分の属す宗教の講演には行って、真剣になって聞くのです。
しかし、私にとっては、そういったことは主体的に本などを読めばわかることなので、あえて聞きに行くまでもないと思っているのです。
これは、私にとっては信じれないことですが、文字好きよりも文字嫌いの方が世間では多いのです。
文字嫌いの人は、毎回毎回おなじようなことを言っている講演の方が心地よいのです。
逆に、毎回毎回違うことを言われるのは億劫なのです。
これはアメリカの哲学者であったウィリアム.ジェイムズ(下写真)が明らかにしたことなのです。

そういう世間に応じるために、大宗教団体である創価学会は、毎回毎回同じようなことを講演で言っているだけなのでしょうか?
この団体は、かつては日本国民10人に1人が信者になった時代もあったのです。
それが功を奏したというのならば、科学的に応じたすごい団体だなとは思います。
それくらい信者の多い団体なのですが、講演や新聞で言われていることは毎回毎回同じ言葉の繰り返しなのです。
それでは私は学ぶことはないと思い、ほとんど行かずじまいでした。
この団体の信者だった時もあったわたしでしたが…。
しかし、博学、多面的に物事を考えていくのが人生の王道、と私は思っているので、そういう団体にはくみしないのです。
ある機会があり、幸福の科学の支部に行くことがあり、その教義を聞くことがあり、その最初の時も、それから後にこの団体の機関雑誌を何回か読むことがあり、そのスタンスに共鳴したのです。
やはり物事を、宗教的な根拠だけでなく、科学的に、そして多角的に述べるスタンスに共鳴したのです。
それこそが、真の解決に向かわせることができるのだということが実感できたのです。
この団体の祖である大川隆法氏は、非常に博学で、これまでにいろんなジャンルの本を10万冊も読んできたということです。
博学ゆえにいろんなことを知り、自分が良かれと思ったものを取り入れて、要らないものは排除して、良かれと思うスタンスを信者に提示していたのです。
この団体の教義である、仏法僧の三宝を敬え、というのは聖徳太子の遺した言葉だし、この人に下生したというエルカンターレ像の後ろの祠形はキリスト教のマリア像(下写真)からインスパイヤされたものでしょう。

それを現代社会の文化に溶け込むように、大川氏がアレンジしたのでしょう。
北欧社会の至るところにあるスヌーズレンの施設は、リラクゼーションのためですが、それを幸福の科学の会館の様装に使っているのは明白です。
そのスヌーズレンの瞑想の効用は、あらゆる病気の癒しに有効であることが科学的に証明されているのです。
これは、博学だった大川氏は、かの有名な春山茂雄氏の『脳内革命』を読んで知ったのでしょう。
がんの原因の最大は、ストレスであるということを知って、それをいやすためにはリラクゼーションであり、瞑想であるということを。
そのためにリラクゼーションの効用を生かすために、そういう音楽がこの団体の施設にはいつも流れているのです。
こういう多角性が共鳴できることなのです。
こういう多角性であれば、日蓮正宗の信徒団体だった創価学会が開祖としている日蓮大聖人にもあった、と反論されるでしょう。
その通り、日蓮(下写真)は従来の仏教の真言宗や天台宗や禅宗や律宗、念仏宗などのほか、儒教や神道についても博学で勉強していたし、それがもとで自身の宗教を開祖したことは紛れもない事実です。

しかし、信者のほとんどは自身で他のことも学ぼうとはしないのです。
創価学会の信者の家に行っても、そこにあるのは、創価学会の機関誌である『大白蓮華』や前の長だった池田大作の自叙伝である『人間革命』があるだけでした。
自ら主体的にいろんな分野について学ぼうという気概を持った人はほとんどいなかったですし、今もそうでしょう。
このように、開祖は多元的で信者は一元的ということです。
それはこちらが咎める筋合いのものではないのです。
自身が行きたい方へ行けばいいだけのことです。
しかし、自分は多元的に生きたいということなのです。
幸福の科学では、全員がそうであるという断定はできないですが、そういうスタンスを持った人が多い気がします。
自分と一緒ゆえに、共感が得れるということです。
もちろん、多元的でなければ幸福の科学には入れないし、ついてもいけないということでもないのです。
一元的でもいいでしょうし、一元的にしか生きていない人とでも友人という例は多くあります。
しかし、興味ある人は覗いてみるのがいいでしょう、この団体を。
そんな団体に興味ある人におすすめの本(電子書籍)が以下です。
●以下よりどうぞ!
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今回はこれにて終了します。
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♯幸福の科学♯多元的
私は、大学教授などの学者にしろ、宗教団体の長にしろ、いろんな物事を修めていないと務まらないなと感じている次第です。
常に、世の中は動いているわけですし、開祖の際に言われたことが、開祖の時代から今の時代までずっと継続しているだけでいいというわけはないですし、当時と今では常識も違いますし、新しいものが登場したら、その都度、それに関する吟味もしていかなければならないでしょう。
擁するに常に変革が求められているわけです。
その際に多角的に、物事を観ていくためには、博学さがなくてはいけませんし、常に新しい物事を探求していくという気概がなくてはいけないことは自明の理でしょう。
開祖のいったことをそのまま引用して、それに他愛もないコメントを加えているだけの団体の長の講演など聞いても意味がないですし、聞きに行く気にもならないのです私は。

しかし、その団体の信者になった人は、それを聞くのに夢中になっている…私には支持できないことです。
何故、そういう人が出てくるのか不思議でした。
それは、その信者は、普段の生活でほとんど本などを読まないから、そういう私にとっては意味のないことでも、新鮮な気分になれるのでしょう。
ではなぜ、普段から本などを読まないか?
それは文字が嫌いだからですね。
ゆえに主体的に本などは読まなくてはいけないと学校などで教えられても、なかなか実行に移せないのですね。
だからためになると思われる自分の属す宗教の講演には行って、真剣になって聞くのです。
しかし、私にとっては、そういったことは主体的に本などを読めばわかることなので、あえて聞きに行くまでもないと思っているのです。
これは、私にとっては信じれないことですが、文字好きよりも文字嫌いの方が世間では多いのです。
文字嫌いの人は、毎回毎回おなじようなことを言っている講演の方が心地よいのです。
逆に、毎回毎回違うことを言われるのは億劫なのです。
これはアメリカの哲学者であったウィリアム.ジェイムズ(下写真)が明らかにしたことなのです。

そういう世間に応じるために、大宗教団体である創価学会は、毎回毎回同じようなことを講演で言っているだけなのでしょうか?
この団体は、かつては日本国民10人に1人が信者になった時代もあったのです。
それが功を奏したというのならば、科学的に応じたすごい団体だなとは思います。
それくらい信者の多い団体なのですが、講演や新聞で言われていることは毎回毎回同じ言葉の繰り返しなのです。
それでは私は学ぶことはないと思い、ほとんど行かずじまいでした。
この団体の信者だった時もあったわたしでしたが…。
しかし、博学、多面的に物事を考えていくのが人生の王道、と私は思っているので、そういう団体にはくみしないのです。
ある機会があり、幸福の科学の支部に行くことがあり、その教義を聞くことがあり、その最初の時も、それから後にこの団体の機関雑誌を何回か読むことがあり、そのスタンスに共鳴したのです。
やはり物事を、宗教的な根拠だけでなく、科学的に、そして多角的に述べるスタンスに共鳴したのです。
それこそが、真の解決に向かわせることができるのだということが実感できたのです。
この団体の祖である大川隆法氏は、非常に博学で、これまでにいろんなジャンルの本を10万冊も読んできたということです。
博学ゆえにいろんなことを知り、自分が良かれと思ったものを取り入れて、要らないものは排除して、良かれと思うスタンスを信者に提示していたのです。
この団体の教義である、仏法僧の三宝を敬え、というのは聖徳太子の遺した言葉だし、この人に下生したというエルカンターレ像の後ろの祠形はキリスト教のマリア像(下写真)からインスパイヤされたものでしょう。

それを現代社会の文化に溶け込むように、大川氏がアレンジしたのでしょう。
北欧社会の至るところにあるスヌーズレンの施設は、リラクゼーションのためですが、それを幸福の科学の会館の様装に使っているのは明白です。
そのスヌーズレンの瞑想の効用は、あらゆる病気の癒しに有効であることが科学的に証明されているのです。
これは、博学だった大川氏は、かの有名な春山茂雄氏の『脳内革命』を読んで知ったのでしょう。
がんの原因の最大は、ストレスであるということを知って、それをいやすためにはリラクゼーションであり、瞑想であるということを。
そのためにリラクゼーションの効用を生かすために、そういう音楽がこの団体の施設にはいつも流れているのです。
こういう多角性が共鳴できることなのです。
こういう多角性であれば、日蓮正宗の信徒団体だった創価学会が開祖としている日蓮大聖人にもあった、と反論されるでしょう。
その通り、日蓮(下写真)は従来の仏教の真言宗や天台宗や禅宗や律宗、念仏宗などのほか、儒教や神道についても博学で勉強していたし、それがもとで自身の宗教を開祖したことは紛れもない事実です。

しかし、信者のほとんどは自身で他のことも学ぼうとはしないのです。
創価学会の信者の家に行っても、そこにあるのは、創価学会の機関誌である『大白蓮華』や前の長だった池田大作の自叙伝である『人間革命』があるだけでした。
自ら主体的にいろんな分野について学ぼうという気概を持った人はほとんどいなかったですし、今もそうでしょう。
このように、開祖は多元的で信者は一元的ということです。
それはこちらが咎める筋合いのものではないのです。
自身が行きたい方へ行けばいいだけのことです。
しかし、自分は多元的に生きたいということなのです。
幸福の科学では、全員がそうであるという断定はできないですが、そういうスタンスを持った人が多い気がします。
自分と一緒ゆえに、共感が得れるということです。
もちろん、多元的でなければ幸福の科学には入れないし、ついてもいけないということでもないのです。
一元的でもいいでしょうし、一元的にしか生きていない人とでも友人という例は多くあります。
しかし、興味ある人は覗いてみるのがいいでしょう、この団体を。
そんな団体に興味ある人におすすめの本(電子書籍)が以下です。
●以下よりどうぞ!
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!



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♯幸福の科学♯多元的
自分のモラルと相いれない部分は、どの宗教にも必ず存在する。ゆえに1つの宗教にこだわるべからず? (幸福の科学)
こんにちは。
読書というのは、私にとって必須の行為です。
この行為によって、非常に楽しい時間が過ごせますし、ブログを書くための情報を得るためにも必須ですし、困難に出会ったときに打開策を得ることができるのですから。
非常に大事なことは、読書をするということで誰しも自分の可能性を広げてくれるのです。
困ったときや、相談したいときに誰かを頼るわけです。
その相手が、ポジティブなことを言ってくれる人ならいいですが、逆に、ネガティブなことしか言わない人であったり、貶すことしか知らない人であれば、げんなりしてしまうのです。

ポジティブな人に出会えればいいですが、それだけでも足りない気がします。
この世の中について何でも知っている人などいないですから。
また、ことが高尚なことだったり、壮大だったりしたら、無闇に相談などできようはずがないのですから。
そういった壮大なことを探求するためには、やはり読書は欠かせないものなのです。
いろんな分野にわたって、いろんな本が出ているわけですから、困難にぶつかったときに、その分野について複数の本をいろいろよんで行くことで、解決の道が見えてくるわけです。
その際に、ただ宗教に縋って解決していこうという気にはなれないのです私は。
非常に読書というのは重要なことなのです。
解決の道が見えてくるだけでなく、可能性の開けてくるからです。
文系の大学に行ったことのある人ならば誰しもドイツの社会科学者であったマックス.ウェーバー(下写真)の名は知っているでしょう。

ウェーバーの『プロテスタンティズムと資本主義の精神』は、文系学生ならば誰しも読んでなくてはならない、とすら言う教授もいました。
プロテスタンティズムの精神が資本主義の元になっているということを発見したのです。
その理論が非常に明晰で、誰もが納得しうるものだったゆえに、この著が世界的に有名になったのでしょう。
その理論を抽出するまでに、どれだけの勉学を重ねたか、想像を絶するものがあるのは言うまでもないです。
科学を修めるのに基本的な行為は、無数の本の多読、濫読なのはいうまでもないです。
そして、自身の理論を検証するために関連する資料を、探索していかなくてはならないでしょうし、理論の妥当性を確証にするためには月日を重ねて熟成も行わなくてはならないでしょう。
日々論文を書いていかなくてはならないのも基本的な行為です。
ウェーバーは、かなりの勉強家だったようで、奥さんから「なんで貴方はそんなに勉強するの?」と問われて、「自分が何者かをしりたいんだ!」と返答したようです。
やはり世界的に有名な学者のいうことは、他の人とは違いますね。
この世に生まれた使命感のようなものも研究を重ねることで、勘づいた可能性が大きいです。
その過程で他の多くの人とは違う世界観を身に着けていったのでしょう。
やはり他の人とは違う能力を持っていたがゆえに…。
ことは、幸福の科学の総裁だった故.大川隆法氏(下写真)も感じたのではないでしょうか?

彼も読書に次ぐ読書を重ねたのです。
その数、逝去されるまで10万冊読んだいうことです。
彼も、他の人と違う能力や経験を通して、自らの使命感が何か、自分が生まれ出た理由といったものを探索したい衝動にかられたのでしょう。
大学時代に、自動書記が現れて、「イイシラセ」という文字が勝手に自身の指を動かして書かせ、その後、エルカンターレが自身の前に現れて使命を託された。
これが、幸福の科学の存立理由になってるのです。
ただこれだけで、確証は持てなかったのでしょう総裁は。
その後、いろんな本の多読濫読を重ねていったことで、それまでのいろんな宗教の開宗者のエピソードなどを中心に読んでいったのでしょう。
真言宗の開祖である空海(下写真)の伝記を読むことで、また文鮮明やジョセフ.スミスなど自分の前にキリストや天使が現れて開宗者としての使命を託したことや、作家時代に霊に乗り移られて自動書記で小説を書くようになった三島由紀夫の伝記を読んだりして、自分との共通点を見出し、開宗の資質を自身に見出したのでしょう。

これは決して自惚れではなく、確証でしょう。
開宗者のその内容はかなり詳細になりますが、それと一致するのですから。
これをどう評価するかは、その人次第です。
評価する前に、それらの開宗者たちについて書かれた本をそれぞれ読んでみるのがいいでしょう。
大川隆法総裁が、この宗教を開始した時に、大きく空海のした道を踏襲したことは、この宗教の歴史を見れば明白です。
空海は、西暦800年前後に生きた人で、中国にわたり仏教を学んできたのですが、かなり教義も複雑多岐になっていて、一般人では到底学びつくせるものではなくなっていたのです。
ゆえに、かなり習得能力の高い人でなければ仏教を学ぶ資格が与えられなかったものに変貌を遂げていたのです。
その当時、空海が学んだ密教においては、灌頂ということが重要視されていたのです。
灌頂とは単なる儀式ではなく、言葉を超えた悟りの境地を直接、師から弟子へと伝えるもので、受け継ぐためには、それにふさわしい器量や師との深い縁を必要としたのは言うまでもないです。
この歴史的な事実を見つめて、やはり、宗教を真に修めるためには、やる気とそれにふさわしい能力が必須と判断したのでしょう総裁は。

当初、幸福の科学に入信するためには、入信のテストが行われていたようです。
しかし、時代の要請からか、それはいまではなくなっているようです。
その入信テストが取りやめになった理由は、部外者である私にはわかりかねます。
その入信テストの存立理由から学ぶのは、その入ろうとする宗教に対する真摯な態度や勉学の姿勢でしょう。
それなくして、朧気でいい加減な姿勢では、人に語ることはできないですし、そんな姿勢では神や仏に対して失礼というそしりをまぬかれないでしょう。
やはり、真に学ぼうという姿勢を日々維持していかなくてはならないでしょう。
そして大川総裁は、あの世にも行けて、霊視もできるとしていたのです自身で。
それは、本物か、あるいは世にある無数の本によって脳内を矯正していたのかは私にはわかりません。
そして、総裁曰く、転生輪廻はあり得るということです。
人は死んで、あの世へ帰り、また来世に生まれ変わるとしているのです。
ただし、人が死んで来世また人間になる、ということではないようです。
動物に生まれかわることもある、ということです。
この輪廻転生は、これまでいろんな宗教の開祖や哲学者によっても唱えられていたことなのです。
ゆえに、釈迦は魚を取ったり、獣を取って生計を立てていた人を仏教に入信させなかったのでしょうか?

ゆえに中世の仏教では獣や魚を食べることを禁止したのでしょうか?
また『日本霊異記』において以下の寓話があります。
「僧侶が小石を投げて誤って鳥にあたって死んだ。その鳥が猪に生まれ変わった。その猪が石をかき分けて食べ物をあさっていると、石が転がり落ちて僧侶に当たって死んでしまった。」
これを真摯に受け止めると、動物を殺したり、それを食べることへの禁忌を示しているのでしょうか。
そんな気がします。
この因果応報の話しや類する話しを多く読むと、やはり動物をころして食べることを多くの仏教の宗派では禁忌にしていたのもわかります。
しかし、このことを知り、輪廻転生は厳然と存在するということを前提にすると、今、肉を食べている人は、因果応報で自分も辛い目に、あるいは悲惨な目に逢うという言うことでしょう。
また、そうでなくても、前世に自分とゆかりのあった人の生まれかわりを食べることになる、ということでしょう。
それならば、当然、肉食を禁忌にしなければならないのですが、現代の多くの仏教宗派や幸福の科学ではそうはなっていないのです。

やはりこれも時代の要請でしょうか?
「肉食を厳禁にする!」と宗規に盛ると、怪しげな宗教と思われてしまう、あるいは多くの信者が離れてしまう、と判断したのでしょうか。
やはりどの宗教でも、時代や社会との調和を考慮に入れなくてはいけないのは言うまでもないです。
それゆえに、本来、しなくてはいけないことをしなくてもいいということにしなくてはいかない。
そして、禁止すべきことを禁止できないという結果になってしまうわけです。
完璧な宗教などあるはずはないので、それを見つけたら、自身で適うように工夫するべきなのです。
それゆえに、私はベジタリアンやビーガンを目指さなくてはならないと日々、動物の肉は食べないように極力努力しているのです。
しかし、飲み会などで、自分1人だけ「これは注文しなくていい」あるいは「これは食べれないから残す」といって肉を忌避していては、その場の調和を乱すことになりますから、無言で受け入れるわけです。
しかし、普段の日常では動物の肉は一切食べないことにしているのです。
これは先の日本霊異記や幸福の科学の本を読む前に、ユーチューブで草食動物が肉食動物に捉えられて食べられるシーンを幾度となく見て、「こんな残酷なことなんだ動物の肉を食べることは!私たち人間はもっと残酷なことをして動物を殺して食べているんだ」という意識に変わり、その日から食べないようにしてきたのです。
THE BEATLESのメンバーだったポール.マッカートニー(下写真)は厳然たるベジタリアンなのです。

ロック音楽好きな私ゆえに、そのことにも感化されたのです。
このように、厳然たる理論的な根拠があるにもかかわらず、宗規にはそれが盛られていなし、自身のモラルとは反する。
しかし、その宗教の宗規とは違うことをしなくてはならない。
これが私が1つの宗教だけに入って、その宗教を極めたいと思わない理由なのです(笑)
しかし、こと幸福の科学については、非常に多面性を有しているがゆえに、支持したい団体ではあるのです。
しかし、完璧な宗教はありませんから、足りない部分については、自身で主体的に補っていく、そんな姿勢が求められるのではないでしょうか?
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困ったときや、相談したいときに誰かを頼るわけです。
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これが、幸福の科学の存立理由になってるのです。
ただこれだけで、確証は持てなかったのでしょう総裁は。
その後、いろんな本の多読濫読を重ねていったことで、それまでのいろんな宗教の開宗者のエピソードなどを中心に読んでいったのでしょう。
真言宗の開祖である空海(下写真)の伝記を読むことで、また文鮮明やジョセフ.スミスなど自分の前にキリストや天使が現れて開宗者としての使命を託したことや、作家時代に霊に乗り移られて自動書記で小説を書くようになった三島由紀夫の伝記を読んだりして、自分との共通点を見出し、開宗の資質を自身に見出したのでしょう。

これは決して自惚れではなく、確証でしょう。
開宗者のその内容はかなり詳細になりますが、それと一致するのですから。
これをどう評価するかは、その人次第です。
評価する前に、それらの開宗者たちについて書かれた本をそれぞれ読んでみるのがいいでしょう。
大川隆法総裁が、この宗教を開始した時に、大きく空海のした道を踏襲したことは、この宗教の歴史を見れば明白です。
空海は、西暦800年前後に生きた人で、中国にわたり仏教を学んできたのですが、かなり教義も複雑多岐になっていて、一般人では到底学びつくせるものではなくなっていたのです。
ゆえに、かなり習得能力の高い人でなければ仏教を学ぶ資格が与えられなかったものに変貌を遂げていたのです。
その当時、空海が学んだ密教においては、灌頂ということが重要視されていたのです。
灌頂とは単なる儀式ではなく、言葉を超えた悟りの境地を直接、師から弟子へと伝えるもので、受け継ぐためには、それにふさわしい器量や師との深い縁を必要としたのは言うまでもないです。
この歴史的な事実を見つめて、やはり、宗教を真に修めるためには、やる気とそれにふさわしい能力が必須と判断したのでしょう総裁は。

当初、幸福の科学に入信するためには、入信のテストが行われていたようです。
しかし、時代の要請からか、それはいまではなくなっているようです。
その入信テストが取りやめになった理由は、部外者である私にはわかりかねます。
その入信テストの存立理由から学ぶのは、その入ろうとする宗教に対する真摯な態度や勉学の姿勢でしょう。
それなくして、朧気でいい加減な姿勢では、人に語ることはできないですし、そんな姿勢では神や仏に対して失礼というそしりをまぬかれないでしょう。
やはり、真に学ぼうという姿勢を日々維持していかなくてはならないでしょう。
そして大川総裁は、あの世にも行けて、霊視もできるとしていたのです自身で。
それは、本物か、あるいは世にある無数の本によって脳内を矯正していたのかは私にはわかりません。
そして、総裁曰く、転生輪廻はあり得るということです。
人は死んで、あの世へ帰り、また来世に生まれ変わるとしているのです。
ただし、人が死んで来世また人間になる、ということではないようです。
動物に生まれかわることもある、ということです。
この輪廻転生は、これまでいろんな宗教の開祖や哲学者によっても唱えられていたことなのです。
ゆえに、釈迦は魚を取ったり、獣を取って生計を立てていた人を仏教に入信させなかったのでしょうか?

ゆえに中世の仏教では獣や魚を食べることを禁止したのでしょうか?
また『日本霊異記』において以下の寓話があります。
「僧侶が小石を投げて誤って鳥にあたって死んだ。その鳥が猪に生まれ変わった。その猪が石をかき分けて食べ物をあさっていると、石が転がり落ちて僧侶に当たって死んでしまった。」
これを真摯に受け止めると、動物を殺したり、それを食べることへの禁忌を示しているのでしょうか。
そんな気がします。
この因果応報の話しや類する話しを多く読むと、やはり動物をころして食べることを多くの仏教の宗派では禁忌にしていたのもわかります。
しかし、このことを知り、輪廻転生は厳然と存在するということを前提にすると、今、肉を食べている人は、因果応報で自分も辛い目に、あるいは悲惨な目に逢うという言うことでしょう。
また、そうでなくても、前世に自分とゆかりのあった人の生まれかわりを食べることになる、ということでしょう。
それならば、当然、肉食を禁忌にしなければならないのですが、現代の多くの仏教宗派や幸福の科学ではそうはなっていないのです。

やはりこれも時代の要請でしょうか?
「肉食を厳禁にする!」と宗規に盛ると、怪しげな宗教と思われてしまう、あるいは多くの信者が離れてしまう、と判断したのでしょうか。
やはりどの宗教でも、時代や社会との調和を考慮に入れなくてはいけないのは言うまでもないです。
それゆえに、本来、しなくてはいけないことをしなくてもいいということにしなくてはいかない。
そして、禁止すべきことを禁止できないという結果になってしまうわけです。
完璧な宗教などあるはずはないので、それを見つけたら、自身で適うように工夫するべきなのです。
それゆえに、私はベジタリアンやビーガンを目指さなくてはならないと日々、動物の肉は食べないように極力努力しているのです。
しかし、飲み会などで、自分1人だけ「これは注文しなくていい」あるいは「これは食べれないから残す」といって肉を忌避していては、その場の調和を乱すことになりますから、無言で受け入れるわけです。
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THE BEATLESのメンバーだったポール.マッカートニー(下写真)は厳然たるベジタリアンなのです。

ロック音楽好きな私ゆえに、そのことにも感化されたのです。
このように、厳然たる理論的な根拠があるにもかかわらず、宗規にはそれが盛られていなし、自身のモラルとは反する。
しかし、その宗教の宗規とは違うことをしなくてはならない。
これが私が1つの宗教だけに入って、その宗教を極めたいと思わない理由なのです(笑)
しかし、こと幸福の科学については、非常に多面性を有しているがゆえに、支持したい団体ではあるのです。
しかし、完璧な宗教はありませんから、足りない部分については、自身で主体的に補っていく、そんな姿勢が求められるのではないでしょうか?
そんなスタンスに共鳴できる人におすすめなのが以下の電子書籍になります。
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宗教は人間に必要。しかし、それに多面性がなければ真の解決にはつながらず?!(幸福の科学)
こんにちは。
これまでもこのブログに書いてきたように、私は幸福の科学には信頼を寄せているのです。

なぜならば、この世のでの倫理だけ、あるいは倫理を中心に神仏についての講義をするだけの宗教がほとんどの現代社会において、この宗教では、あの世の内容や、死後の世界、霊的な事柄についても、つまびらかに講義しているからです。
倫理のみならず、こういった事柄も総合して論じるのが宗教と思っている私にとっては、やはり幸福の科学には信頼を寄せざるを得ないのです。
やはり物事は総合的に観ていって、多角的な視点でことを論じていかない事には、真の打開にはならないからです。
英国数で受験するとして、いくら英語の点数がよくても、あとの国数の点数もよくなくては合格しないのと一緒です。
やはり多角的に、総合していかなくてはいけないのは言うまでもないことです。
宗教の力は偉大なのは事実です。
しかし、その宗教で言われていることだけを覚えて、そして信じて行動するだけでいいんだ、というような錯覚をさせてしまうことがどの宗教団体にもあるのは問題です。
ましてや壮大な建築物を擁する宗教の場合、そういう傾向がありますね。
その大きさや壮大な威厳に圧倒されて、「ここで言われていることだけを学んで実践していけばいいんだ」というような錯覚に陥ってしまう気持ちはわかりますが、それには警鐘を鳴らしたいです。
その講義が終わってから、今一度、客観的になって傍らから傍観するなり、他の本なりを読んでみるのがいいでしょう。
そうすると、その宗教で言われていることだけでない重要事項があることに気が付くでしょう。
やはり、その宗教だけにこだわっていては危険なのです。
やはり宗教だけに依拠していくのではなく、科学的な情報の重要性にも目がいかなくてはならないでしょう。
そういう立場をす推奨しているのです私は。
しかし、努力すればだれでも行けるような、到達できるような、例えば私のような意見だけに依拠するのも危険です(笑)。
やはり人智を超えた人物の意見を真摯に傾けなくてはならないでしょう。
幸福の科学の総裁であった故.大川隆法氏(下写真)はそういう人智を超えた人物だったのでしょうか?

この団体の機関冊子に、以下、信者談がありましたので、それを紹介しましょう。
「2013年東日本大震災から2年後、宮城の石巻支部の僧房で寝ていた。
玄関のドアをこんこんノックする音が聞こえた。
出てみると誰もいない。
玄関から廊下の方へ水でぬれた足跡がついていて、砂利まみれだった。
これを総裁に霊視してもらったところ、総裁は手をかざしながら、霊視した。
すると、津波で亡くなった人、震災の犠牲者だったということがわかった。」
総裁は、このような霊視もできたということです。
また、開宗から逝去されるまで実に3100冊以上もの本を出してきたのです。
そのいずれもが、200ページ以上もある代物でした。
それだけでも人智を超えた存在だったのがわかるでしょう。
そして、総裁は、あの世にも行けたし、霊も見えて、その描写を具体的におこなってきたのです。
それらのいずれもが、真に迫る具体性を備えていたのです。
それが本物かどうかは、その本のどれでもいいから読んで自身で判断してくださいとしかいいようがないです。
霊視を総裁にしてもらって、それで打開策を伝えてもらいその通りにしたら、人生がそれまでの地獄のようだった生活がまるで正反対になったという経験談も多数あるくらいゆえに、この人の力は本物だったのかなとつい思ってしまうのです。

その他、霊的な体験を機にあの世の存在を実感して、幸福の科学に入信されたり、その信仰に目覚める人がたくさんいるのです。
やはり宗教の開祖たるもの、あの世までも行けたり、霊視ができたりといった人智を超えた能力がなければ務まらない、ということがわかります。
私は、かつて知人から誘われて創価学会に入りましたが、そこではこの世での倫理しか説いていないのですね。
この団体はかつて「日蓮正宗 創価学会」という名称だったのです。
しかし、のちに日蓮正宗から破門処分になってしまい、単名に「創価学会」としたのです。
日蓮正宗の教えを基本にする団体ですから当然、日蓮(下写真)という鎌倉時代の僧侶の教えを中心に学んでいる団体なのです。

その僧侶の遺した『御書』を引き合いに出して、新聞や講演では講義がなされるのですが、そこにはあの世だの霊だのといったことは一切触れません。
故に、いぶかし気に思っていたのです私は。
「宗教というからには、そういったものまでも視野に入れて講義されなくてはいけないだろうに…」という風に思わざるを得なかったのです。
「又、後生には霊山浄土にまいり、あひまいらせん」
これは日蓮が尼御前にあてた手紙の一部ですが、こういう些細な部分しか触れていないのです。
これは、日蓮は執筆の能力は高かったけれども、あの世にも行けなかったし、霊視もできなかったのだろうと判断せざるを得ないですね。
もしかしたら、創価学会の幹部たちの思惑で、現代においてそういう部分について書くと、いぶかし気に思われると危惧したがゆえに、日蓮が多くの部分を割いて、あの世の描写をしているのかもしれないです。
そうかもしれないですし、そうでないかもしれないです。

その是非は『御書』を読まなくては判断のしようがないのです。
それを読んでいる時間がないのです私は。
他にいっぱい読みたい本がありますし、今は日蓮について研究をしている時間がない、というのが正直なところなのです。
某哲学者によると、世の中は、1つの価値に収斂するという人と、多面的な価値に分散する、という2つの立場に分かれるようです。
ゆえに前者の人は宗教に入ってそこで講義されるものを極度に依拠してしまうのです。
ゆえに、その宗教で言われていることを鵜呑みにしてしまうのです。
これでは、先に書いたように、総合性がない理論では、躓いた時の打開にはつながらないから注意が必要です。
そういう立場に賛同して、なおかつ自身で世の中について勉強していきたい、と思ってしまう人におすすめなのが、以下の電子書籍になります。
●以下よりどうぞ!
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
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♯幸福の科学
♯富士門流
これまでもこのブログに書いてきたように、私は幸福の科学には信頼を寄せているのです。

なぜならば、この世のでの倫理だけ、あるいは倫理を中心に神仏についての講義をするだけの宗教がほとんどの現代社会において、この宗教では、あの世の内容や、死後の世界、霊的な事柄についても、つまびらかに講義しているからです。
倫理のみならず、こういった事柄も総合して論じるのが宗教と思っている私にとっては、やはり幸福の科学には信頼を寄せざるを得ないのです。
やはり物事は総合的に観ていって、多角的な視点でことを論じていかない事には、真の打開にはならないからです。
英国数で受験するとして、いくら英語の点数がよくても、あとの国数の点数もよくなくては合格しないのと一緒です。
やはり多角的に、総合していかなくてはいけないのは言うまでもないことです。
宗教の力は偉大なのは事実です。
しかし、その宗教で言われていることだけを覚えて、そして信じて行動するだけでいいんだ、というような錯覚をさせてしまうことがどの宗教団体にもあるのは問題です。
ましてや壮大な建築物を擁する宗教の場合、そういう傾向がありますね。
その大きさや壮大な威厳に圧倒されて、「ここで言われていることだけを学んで実践していけばいいんだ」というような錯覚に陥ってしまう気持ちはわかりますが、それには警鐘を鳴らしたいです。
その講義が終わってから、今一度、客観的になって傍らから傍観するなり、他の本なりを読んでみるのがいいでしょう。
そうすると、その宗教で言われていることだけでない重要事項があることに気が付くでしょう。
やはり、その宗教だけにこだわっていては危険なのです。
やはり宗教だけに依拠していくのではなく、科学的な情報の重要性にも目がいかなくてはならないでしょう。
そういう立場をす推奨しているのです私は。
しかし、努力すればだれでも行けるような、到達できるような、例えば私のような意見だけに依拠するのも危険です(笑)。
やはり人智を超えた人物の意見を真摯に傾けなくてはならないでしょう。
幸福の科学の総裁であった故.大川隆法氏(下写真)はそういう人智を超えた人物だったのでしょうか?

この団体の機関冊子に、以下、信者談がありましたので、それを紹介しましょう。
「2013年東日本大震災から2年後、宮城の石巻支部の僧房で寝ていた。
玄関のドアをこんこんノックする音が聞こえた。
出てみると誰もいない。
玄関から廊下の方へ水でぬれた足跡がついていて、砂利まみれだった。
これを総裁に霊視してもらったところ、総裁は手をかざしながら、霊視した。
すると、津波で亡くなった人、震災の犠牲者だったということがわかった。」
総裁は、このような霊視もできたということです。
また、開宗から逝去されるまで実に3100冊以上もの本を出してきたのです。
そのいずれもが、200ページ以上もある代物でした。
それだけでも人智を超えた存在だったのがわかるでしょう。
そして、総裁は、あの世にも行けたし、霊も見えて、その描写を具体的におこなってきたのです。
それらのいずれもが、真に迫る具体性を備えていたのです。
それが本物かどうかは、その本のどれでもいいから読んで自身で判断してくださいとしかいいようがないです。
霊視を総裁にしてもらって、それで打開策を伝えてもらいその通りにしたら、人生がそれまでの地獄のようだった生活がまるで正反対になったという経験談も多数あるくらいゆえに、この人の力は本物だったのかなとつい思ってしまうのです。

その他、霊的な体験を機にあの世の存在を実感して、幸福の科学に入信されたり、その信仰に目覚める人がたくさんいるのです。
やはり宗教の開祖たるもの、あの世までも行けたり、霊視ができたりといった人智を超えた能力がなければ務まらない、ということがわかります。
私は、かつて知人から誘われて創価学会に入りましたが、そこではこの世での倫理しか説いていないのですね。
この団体はかつて「日蓮正宗 創価学会」という名称だったのです。
しかし、のちに日蓮正宗から破門処分になってしまい、単名に「創価学会」としたのです。
日蓮正宗の教えを基本にする団体ですから当然、日蓮(下写真)という鎌倉時代の僧侶の教えを中心に学んでいる団体なのです。

その僧侶の遺した『御書』を引き合いに出して、新聞や講演では講義がなされるのですが、そこにはあの世だの霊だのといったことは一切触れません。
故に、いぶかし気に思っていたのです私は。
「宗教というからには、そういったものまでも視野に入れて講義されなくてはいけないだろうに…」という風に思わざるを得なかったのです。
「又、後生には霊山浄土にまいり、あひまいらせん」
これは日蓮が尼御前にあてた手紙の一部ですが、こういう些細な部分しか触れていないのです。
これは、日蓮は執筆の能力は高かったけれども、あの世にも行けなかったし、霊視もできなかったのだろうと判断せざるを得ないですね。
もしかしたら、創価学会の幹部たちの思惑で、現代においてそういう部分について書くと、いぶかし気に思われると危惧したがゆえに、日蓮が多くの部分を割いて、あの世の描写をしているのかもしれないです。
そうかもしれないですし、そうでないかもしれないです。

その是非は『御書』を読まなくては判断のしようがないのです。
それを読んでいる時間がないのです私は。
他にいっぱい読みたい本がありますし、今は日蓮について研究をしている時間がない、というのが正直なところなのです。
某哲学者によると、世の中は、1つの価値に収斂するという人と、多面的な価値に分散する、という2つの立場に分かれるようです。
ゆえに前者の人は宗教に入ってそこで講義されるものを極度に依拠してしまうのです。
ゆえに、その宗教で言われていることを鵜呑みにしてしまうのです。
これでは、先に書いたように、総合性がない理論では、躓いた時の打開にはつながらないから注意が必要です。
そういう立場に賛同して、なおかつ自身で世の中について勉強していきたい、と思ってしまう人におすすめなのが、以下の電子書籍になります。
●以下よりどうぞ!
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!



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世間は文字嫌いが大半!?ゆえに創価学会は大きくなった? (幸福の科学)
アリストテレスは中学校の社会科の教科書に出てくる哲学者です。
しかも古代の人間ですね。
何故、そんな昔の人のことを学ぶ必要があるかといえば、そんな昔の人の言葉でも、今の人が読んでも人生の役に立つからですね。
役に立たなければ学ぶ必要はないのです。
国語でも、古典というものを学びます。
それは現代人でも学ぶべき点が多々あるからですね。
先のアリストテレスの言葉では以下のものがあります。
「人は正しい行為を行うことで正しい人間となり、節度ある行為を行うことで節度ある人間になり、勇敢な行為を行うことで勇敢な人間になれる。」
いかにも現代人にも学ぶべきものがありますね。
しかし、これを学んだ人がいつまでもそれを脳内に入れておくことは不可能でしょう。

仕事、趣味、人づきあいに忙しくて、いつしか脳内からフェイドアウトしてしまうのです。
ゆえに再度思い出すためには、本を読まななくてはならないのです。
簡単なことですね。
そういうことができない人は、自分が属す宗教の機関新聞を読むことで満足してしまうのです。
創価学会では、日刊の新聞である聖教新聞を信者のだれもがとっています。

そこには、故.池田大作会長が、学んだ内容が、講演内容として書かれています。
それを読んだ信者たちは、「学ぶものがある」あるいは「池田先生は事をよく学んでいる」として感心してしまうのです。
ちょっと待ってほしいのですが、他の著作家や哲学者の言ったことを引用する、あるいはそれを流用して講演内に組み込むことは誰でも可能なのです。
池田大作だけの特権ではないのです。
私から言わせれば、その機関新聞を読まなくても、自分から主体的にそういった本を読めばいいだけの話しです。
しかし、それが信者のだれもがわかっていない。
いやわかっているけれども行動に移せない。
なぜか?
世間の大半の人は文字嫌いだからです。
それはアメリカの哲学者のウィリアム.ジェイムズ(下写真)が明らかにしています。

哲学者が言ったからといって賛同しているのではなく、世間を見渡してみればいいでしょう。
最高学府である日本の大学で、授業をどれだけの人が全部出席しているか?
1割前後なのです。
全国でです。
それは調査結果で明らかなのです。
年末の試験前には、大学内はもちろん、近所のコンビ二では、友人知人にノートを借りてそれをコピーする人によって行列ができているのは自明のことです。
それに、創価学会はかつては国民の10人に1人が信者だった時代がありました。
何故、それが可能だったか?
教える内容が非常に分かりやすく、楽観的で、なんども同じことしか書かれていないからですね。
やはり文字嫌いな人は、毎回違う内容を教えられるよりも、同じようなことを教えられる方が精神的に楽だからですね。
私は逆に文字好きで、大学時代に300冊は本を読んだでしょうか?
いろんなことを学びたいと思っていたし、今もそうです。
ゆえに、創価学会に入会して創価の機関新聞を読むも、毎回毎回同じことしか書かれていないので辟易し、購読をやめましたし、会合にも全然参加しなくなりました。
しかし、周りの創価学会員は、毎回毎回同じようなことを言っている会合に喜んで参加し、新聞も購読し続けている。
創価学会員の人の家に上がるも、そこには創価学会関連の冊子や本しかないのが通常です。
他の分野に関するものなどほとんどないのです。
先のウィリアム.ジェイムズの言ったことと見事に符合するでしょう?
しかし、私と大勢の創価学会員とはスタンスが全然違うので、大宗教団体であっても賛同できないのです。
いうまでもなく、創価学会は日蓮正宗の信徒団体が発端なのです。
鎌倉時代に生まれた日蓮(下写真)という僧の言ったことだけを信じていけ、というのが趣旨なのですこの宗教は。

何故、そういうことを日蓮は言ったのか?
この僧は、いろんな仏教の宗派の内容を学ぶために、それらの寺院に赴いて勉学を重ね、それのみならず儒教や神道や歴史(おもに仏教と関連ある中国やインドなど)を万般にわたって学んできたのが、その遺した御書を読めばわかります。
よくここまで学んだなあ、よくあの紙のあまりない時代においてもたくさんの本を書いたなあと感心することしばしばでした。
しかし、一般の人たちは、紙が貴重だったがゆえに、そういった本を毎日読むことは出来ない。
ゆえに、博学の結果できた私の教えを学んでいくことだけにした方が、理解しやすくなるだろうと踏んだがゆえに、そう諭したのだろうと思います。
それに、自分の教えが後世においてどんな弊害を導き出すのかなということまで検証のしようがなかったのは言うまでもないです。
ゆえに、そのその場面について私は日蓮という僧を批判する気にはなれないです。
しかし、後世において弊害が発しているのであれば、やはりそれは矯正する必要があるでしょう。
やはりどんな偉大な開祖の言ったことであっても、無批判でいることはできない、というのが私のスタンスなのです。
日蓮が、「私が死んだ後にあたしのいったことで弊害が出たのならば、その改良も大事」と書けばよかったのですが、そんなことは御書には書いていないのです。
しかし、私は敢然と矯正はしていきたいし、していかなければ市民としてのの存在意義がないのです。
市民とは、自身の周りの社会を日々良きものにしていこうという気概を持った民のことです。
そういう姿勢を維持していきたいと思っているのです。
●そんなスタンスに共鳴できる人におすすめの本(電子書籍)が以下です。
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
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今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!

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しかも古代の人間ですね。
何故、そんな昔の人のことを学ぶ必要があるかといえば、そんな昔の人の言葉でも、今の人が読んでも人生の役に立つからですね。
役に立たなければ学ぶ必要はないのです。
国語でも、古典というものを学びます。
それは現代人でも学ぶべき点が多々あるからですね。
先のアリストテレスの言葉では以下のものがあります。
「人は正しい行為を行うことで正しい人間となり、節度ある行為を行うことで節度ある人間になり、勇敢な行為を行うことで勇敢な人間になれる。」
いかにも現代人にも学ぶべきものがありますね。
しかし、これを学んだ人がいつまでもそれを脳内に入れておくことは不可能でしょう。
仕事、趣味、人づきあいに忙しくて、いつしか脳内からフェイドアウトしてしまうのです。
ゆえに再度思い出すためには、本を読まななくてはならないのです。
簡単なことですね。
そういうことができない人は、自分が属す宗教の機関新聞を読むことで満足してしまうのです。
創価学会では、日刊の新聞である聖教新聞を信者のだれもがとっています。

そこには、故.池田大作会長が、学んだ内容が、講演内容として書かれています。
それを読んだ信者たちは、「学ぶものがある」あるいは「池田先生は事をよく学んでいる」として感心してしまうのです。
ちょっと待ってほしいのですが、他の著作家や哲学者の言ったことを引用する、あるいはそれを流用して講演内に組み込むことは誰でも可能なのです。
池田大作だけの特権ではないのです。
私から言わせれば、その機関新聞を読まなくても、自分から主体的にそういった本を読めばいいだけの話しです。
しかし、それが信者のだれもがわかっていない。
いやわかっているけれども行動に移せない。
なぜか?
世間の大半の人は文字嫌いだからです。
それはアメリカの哲学者のウィリアム.ジェイムズ(下写真)が明らかにしています。

哲学者が言ったからといって賛同しているのではなく、世間を見渡してみればいいでしょう。
最高学府である日本の大学で、授業をどれだけの人が全部出席しているか?
1割前後なのです。
全国でです。
それは調査結果で明らかなのです。
年末の試験前には、大学内はもちろん、近所のコンビ二では、友人知人にノートを借りてそれをコピーする人によって行列ができているのは自明のことです。
それに、創価学会はかつては国民の10人に1人が信者だった時代がありました。
何故、それが可能だったか?
教える内容が非常に分かりやすく、楽観的で、なんども同じことしか書かれていないからですね。
やはり文字嫌いな人は、毎回違う内容を教えられるよりも、同じようなことを教えられる方が精神的に楽だからですね。
私は逆に文字好きで、大学時代に300冊は本を読んだでしょうか?
いろんなことを学びたいと思っていたし、今もそうです。
ゆえに、創価学会に入会して創価の機関新聞を読むも、毎回毎回同じことしか書かれていないので辟易し、購読をやめましたし、会合にも全然参加しなくなりました。
しかし、周りの創価学会員は、毎回毎回同じようなことを言っている会合に喜んで参加し、新聞も購読し続けている。
創価学会員の人の家に上がるも、そこには創価学会関連の冊子や本しかないのが通常です。
他の分野に関するものなどほとんどないのです。
先のウィリアム.ジェイムズの言ったことと見事に符合するでしょう?
しかし、私と大勢の創価学会員とはスタンスが全然違うので、大宗教団体であっても賛同できないのです。
いうまでもなく、創価学会は日蓮正宗の信徒団体が発端なのです。
鎌倉時代に生まれた日蓮(下写真)という僧の言ったことだけを信じていけ、というのが趣旨なのですこの宗教は。

何故、そういうことを日蓮は言ったのか?
この僧は、いろんな仏教の宗派の内容を学ぶために、それらの寺院に赴いて勉学を重ね、それのみならず儒教や神道や歴史(おもに仏教と関連ある中国やインドなど)を万般にわたって学んできたのが、その遺した御書を読めばわかります。
よくここまで学んだなあ、よくあの紙のあまりない時代においてもたくさんの本を書いたなあと感心することしばしばでした。
しかし、一般の人たちは、紙が貴重だったがゆえに、そういった本を毎日読むことは出来ない。
ゆえに、博学の結果できた私の教えを学んでいくことだけにした方が、理解しやすくなるだろうと踏んだがゆえに、そう諭したのだろうと思います。
それに、自分の教えが後世においてどんな弊害を導き出すのかなということまで検証のしようがなかったのは言うまでもないです。
ゆえに、そのその場面について私は日蓮という僧を批判する気にはなれないです。
しかし、後世において弊害が発しているのであれば、やはりそれは矯正する必要があるでしょう。
やはりどんな偉大な開祖の言ったことであっても、無批判でいることはできない、というのが私のスタンスなのです。
日蓮が、「私が死んだ後にあたしのいったことで弊害が出たのならば、その改良も大事」と書けばよかったのですが、そんなことは御書には書いていないのです。
しかし、私は敢然と矯正はしていきたいし、していかなければ市民としてのの存在意義がないのです。
市民とは、自身の周りの社会を日々良きものにしていこうという気概を持った民のことです。
そういう姿勢を維持していきたいと思っているのです。
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