団体を変えて功徳が得れた。だから、この団体が最高…これでは短絡的?
同じ日蓮を信奉する宗教であっても、いくつかの分派に分かれてしまったことは、やむを得ない事情でしょうか?
日蓮正宗は、日蓮の弟子であった6人のうちの1人、日興の流れを汲む団体です。
その正宗の中の1つに、妙信講という1つの信徒団体があり、それが後に顕正会という名になったのですが、その顕正会は、日蓮正宗の法主であった細井日達氏によって破門処分にされてしまうのです。
それが独立して、富士大石寺顕正会と名を改めるのです。
日蓮正宗と顕正会は今、同じ日蓮の仏法を信奉する団体でも別の団体なのです。
その顕正会に、日蓮正宗を辞めて、入ってきた人がいるのですが、そういう例は数多いです。
また、創価学会も日蓮正宗の信徒団体でしたが、法主が阿部日顕の時に、破門処分にされてしまうのです。
その創価学会が、3つのうち一番大きいですが、だからと言って無批判でいいかというとそんなことはなく、その創価学会をやめて、顕正会へ移った例もあります。
これまた例が多いのです。
その体験談が、顕正会の機関紙である『顕正新聞』に載っていたので、以下引用したいです。
「大石寺に向かって勤行をするようになり、胸の奥から熱いものがこみ上げ、学会では一度も感じたことがない心が躍動する大歓喜がわいた!」
ということです。
日蓮正宗の信者であれば、法主よりご本尊(下写真)を書いて下付されるのですが、創価学会や顕正会は破門になってしまったので、それがかなわなくなりました。

創価学会は、過去の本尊にアレンジを加えて印刷工場で印刷したものを下付するようになり、それを拝みながら勤行をすることにし、顕正会は、大石寺にある方角へ向かって勤行をするようにしたのです(これを遥拝勤行という)。
この体験談の人の学会を辞めてしまった理由は、本人に聞いてみなければわからないので、その云々についてのコメントは避けなくてはならないでしょう。
学会では功徳が得れなかった。
しかし、大石寺に向かってする勤行によって、功徳が得れた。
富士大石寺には、日蓮が生前に彫った大きな本尊=大御本尊があり、それに向かってする勤行によって功徳が得れるようになった、ということですが、これは綿密にその事情を分析しないことには、にわかにはこの体験談を擁護する気にはなれないのです。
顕正会の人にとっては、そういうのはじれったいのでしょうが(苦笑)。
顕正会の会長だった浅井昭衛氏の「忠誠の証」ゆえであるというのが顕正会の立場ですし、「時に適った信行」たる遥拝勤行ゆえともしているのですがどうなのでしょうか?
学会では、印刷した本尊(ゆえに、これを偽本尊と揶揄する人もいます)ゆえに、威厳が感じれなかったが、さすがに開祖.日蓮の彫った大御本尊(下写真)であれば、威厳が感じれるのは自然な成り行きでしょう。

その他に、日々かさねていたことのちょっとしたチェンジを施す過程であり、それがきっかけで好転した。
あるいは、新しいものの考えをすることで好転した。
こういったことも考えれるのです。
あるいは墓参りをするようなった、といったこともです。
ゆえに、大御本尊に向かって祈るようになったから、と短絡的に考えることはできない、というのが私の立場です。
学会が、正宗から破門になった後に独自で制作するようになった本尊にかえたことで、次々に不幸が訪れるようになった、という体験談は動画でよく見ます。
しかし、それもその人の生活全般の奥深い分析が必要と思います。
単に、偽本尊ゆえだ、というふうには思えないし、それでは事の本質を見誤るし、そういう他視点での分析なくしては、これから先も、その好転が続くとは考えにくいです。
そういう立場に共感できる人や、その内情について知りたい人にはお勧めの本が以下です。
これは、上記の3つの団体の人でもない1市井の立場から書かれたもので、客観的な立場から、深く広い分析をもってことを論じているのです。
短絡的な論理による断定は一切避けているのです。
そういう立場に最も共感できる人にはお勧めです。
●読破をお勧めします。
→楽天Kobo
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました。
また読んでくださいませ。

汗牛充棟.com ホーム
日蓮正宗は、日蓮の弟子であった6人のうちの1人、日興の流れを汲む団体です。
その正宗の中の1つに、妙信講という1つの信徒団体があり、それが後に顕正会という名になったのですが、その顕正会は、日蓮正宗の法主であった細井日達氏によって破門処分にされてしまうのです。
それが独立して、富士大石寺顕正会と名を改めるのです。
日蓮正宗と顕正会は今、同じ日蓮の仏法を信奉する団体でも別の団体なのです。
その顕正会に、日蓮正宗を辞めて、入ってきた人がいるのですが、そういう例は数多いです。
また、創価学会も日蓮正宗の信徒団体でしたが、法主が阿部日顕の時に、破門処分にされてしまうのです。
その創価学会が、3つのうち一番大きいですが、だからと言って無批判でいいかというとそんなことはなく、その創価学会をやめて、顕正会へ移った例もあります。
これまた例が多いのです。
その体験談が、顕正会の機関紙である『顕正新聞』に載っていたので、以下引用したいです。
「大石寺に向かって勤行をするようになり、胸の奥から熱いものがこみ上げ、学会では一度も感じたことがない心が躍動する大歓喜がわいた!」
ということです。
日蓮正宗の信者であれば、法主よりご本尊(下写真)を書いて下付されるのですが、創価学会や顕正会は破門になってしまったので、それがかなわなくなりました。

創価学会は、過去の本尊にアレンジを加えて印刷工場で印刷したものを下付するようになり、それを拝みながら勤行をすることにし、顕正会は、大石寺にある方角へ向かって勤行をするようにしたのです(これを遥拝勤行という)。
この体験談の人の学会を辞めてしまった理由は、本人に聞いてみなければわからないので、その云々についてのコメントは避けなくてはならないでしょう。
学会では功徳が得れなかった。
しかし、大石寺に向かってする勤行によって、功徳が得れた。
富士大石寺には、日蓮が生前に彫った大きな本尊=大御本尊があり、それに向かってする勤行によって功徳が得れるようになった、ということですが、これは綿密にその事情を分析しないことには、にわかにはこの体験談を擁護する気にはなれないのです。
顕正会の人にとっては、そういうのはじれったいのでしょうが(苦笑)。
顕正会の会長だった浅井昭衛氏の「忠誠の証」ゆえであるというのが顕正会の立場ですし、「時に適った信行」たる遥拝勤行ゆえともしているのですがどうなのでしょうか?
学会では、印刷した本尊(ゆえに、これを偽本尊と揶揄する人もいます)ゆえに、威厳が感じれなかったが、さすがに開祖.日蓮の彫った大御本尊(下写真)であれば、威厳が感じれるのは自然な成り行きでしょう。

その他に、日々かさねていたことのちょっとしたチェンジを施す過程であり、それがきっかけで好転した。
あるいは、新しいものの考えをすることで好転した。
こういったことも考えれるのです。
あるいは墓参りをするようなった、といったこともです。
ゆえに、大御本尊に向かって祈るようになったから、と短絡的に考えることはできない、というのが私の立場です。
学会が、正宗から破門になった後に独自で制作するようになった本尊にかえたことで、次々に不幸が訪れるようになった、という体験談は動画でよく見ます。
しかし、それもその人の生活全般の奥深い分析が必要と思います。
単に、偽本尊ゆえだ、というふうには思えないし、それでは事の本質を見誤るし、そういう他視点での分析なくしては、これから先も、その好転が続くとは考えにくいです。
そういう立場に共感できる人や、その内情について知りたい人にはお勧めの本が以下です。

これは、上記の3つの団体の人でもない1市井の立場から書かれたもので、客観的な立場から、深く広い分析をもってことを論じているのです。
短絡的な論理による断定は一切避けているのです。
そういう立場に最も共感できる人にはお勧めです。
●読破をお勧めします。
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今回はこれにて終了します。
ありがとうございました。
また読んでくださいませ。

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