汗牛充棟.ブログ

人類が創造した本という素晴らしきもののうち、私が接したのは、その内の限りなく少ないものですが、その片鱗でも素晴らしさを伝えたいと思っております。どうぞお付き合い下さいませ。
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人類が創造した本という素晴らしきもののうち、私が接したのは、その内の限りなく少ないものですが、その片鱗でも素晴らしさを伝えたいと思っております。

どうぞお付き合い下さいませ。

藤井寛清 『日蓮』






これは、日蓮宗の開祖である日蓮が宗教の学び始めから接していった経緯を詳らかにした後に、その自身の宗教創始から、その意思が京都日蓮の教えを伝える寺々において、どのように継承されていったかを詳らかにわかりやすく述べられています。



   日蓮


富士門流、いわゆる日蓮正宗系の人たちは、我らの宗教の開祖と反論されましょうが、ここはそれはおいておきましょう(笑)。

日蓮には6人の弟子がいて、その内の日興上人のみが、日蓮の教えだけを忠実に伝えたようです。

しかし、他の5人は、日蓮の教えのほかに神道などの教えも加味して布教していったようです。

それがいいか悪いか、それが王道か邪道かは、人によって違ってくるので、どちらがいいかはその人の判断に任せます。

その5人のうちの日朗上人の弟である日像による京都布教の始めにおいて、石清水八幡宮に詣でて、布教の請願をおこなったのが始まりのようです。

ここで気付くのは、この段階ですでに神仏習合が始まっているわけです。

それが自然な成り行きでしょう。



日本には初めに神道が入り、その後、聖徳太子の時代になって仏教が入ってきたのです。

それまでの文化や教えを全部いきなり捨てるというのは人間だれしもできないわけで、全部捨てろというのであれば、誰もが納得するような確たる根拠がなくてはならないはずです。

それがないならば、日蓮の教えだけに縋ればいいというのでは説得力がないですね。

ゆえに、日蓮の教えを基本としながら、他の宗教を摂り入れるというのが自然でしょう。

ゆえに、日蓮正宗系よりも、日蓮宗系の方が私のスタンスに近いです。

かといって、日蓮宗系の教えだけで万事うまくいくとは思えないので、常日頃から、いろんな学問などのものを修める必要がある、というのが私のスタンスですね。

それはおいておいて(笑)、日像十如寺の草庵で説法したエピソードや、その偉大さゆえに妙喜山法華寺には日像の説法像が祭祀されていることもこの本で知りました。

驚いたのは、日興の弟子であった日尊が六角油小路に上行院を建立したということをこの本で知ったことです。

どのようなスタンスで人生を生きるかは、その人の自由ですし、どの道に行こうが批判すべき筋合いはないでしょう。

しかし、日蓮正宗の最初の上人の弟子が早くも、日蓮宗に鞍替えしたことは驚き以外何物でもなかったです。

また、応仁の乱によって天台、真言、禅の諸宗が壊滅状態になったのですが、洛中には拡張された日蓮宗寺院が再興されていたことをこの本で知りました。

他宗の講への参加を禁止したり、嫁は必ず日蓮宗に改宗させたといった令が発布され、それが積み重なった結果、本国寺の祖師二百遠忌の大法寺に参詣の信者が多いのに目を見張るほどだったようです。

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仏国土顕現の夢京都で実現したということです。

その寺院が壊滅状態になればその状態から復興される働きが出るのは自然です。

しかし、それが早いか遅いかは、その宗教団体の人数が多いか少ないかで変わってくるでしょう。

こんなに早く既存の仏教団体よりも早く復興できたのは驚きでした。

それだけ多くの人が、日蓮の思想や教えに惹かれたからでしょう。

それと政治的な力学も働いて。

「生きることは苦しい。現実は苦しい。その苦しみを自らの力で解決せず、死後に浄土を求め、この世に浄土を築こうとせぬのは、現実からの逃避に他ならない。」

これは日蓮が遺した、娑婆即寂光土の現世絶対肯定の思想というのだそうです。

こういう人生を肯定的に生きる思想は今でも多くの人の心を捉えることは間違いありません。

現世を否定する思想よりも全然。

人が躓いたらそれを貶すよりも、励ます人間になりたいですね。

それを実行しています、実際の社会生活で。

また驚いたのは、あの歴史の教科書に出てくる戦国武将だった斉藤道三(下写真)は、法華信徒だったことや、同じく戦国武将だった加藤清正が朝鮮出兵時に戦勝祈願に本圀寺に訪れるたことや、そこに真生廟をたてたことも知って驚きました。

あの人たちが日蓮宗の信徒だったとは!と驚きでした。

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しかし、良き面だけでなく、違う面も見逃せません。

京都日蓮宗が幕府と対立し、1536年、洛中に日蓮宗の僧や信徒の立ち回りを禁止する令が発布されたことや、1615年日蓮宗の中で起こった身延派と.池上派のの対決などの黒歴史をも垣間見ることができます。

その他に興味のわいた人は、この本を読むのがいいでしょう。

そういった黒歴史は、どの団体にでもあるもので、それを論って批判するのは私のスタンスには合わないです。

それを批判して良しとするのではなく、現代に如何に生かすかを考え行動するのがいいでしょう。

また、日蓮の教えにぞっこんになった人が帰依して、後に、どのような人生を送ったかを垣間見ることができるのもこの本を読むメリットの1つでしょう。

日護上人本満寺の日重の門に入り帰依を受けて、その後、遍歴し、10000余の仏を彫り、法華経摺写180余部、読誦妙典4500部をなした。

本阿弥道悦が、法華を信仰していた法華経10000部読誦し、その後、本法寺の大壇越になり、枯山水の庭園は有名で昭和61年に国の名勝になったのです。

頂妙寺には、運慶と快慶の作である仁王尊があり、俵屋宗達の墓があります。

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三宝寺(金映山)にいた中正院日護は、「宗旨を弘め、一切衆生をすくうこと」とさとる。霊夢により、天性である彫刻に目覚め、10000余りの仏を彫ったというエピソードもあります。

ここでも歴史教科書に出てくる人物が登場し、その人たちもこのように後世に遺る仕事をなした、ということを知り、驚きでした。

ここで、このような行動でに出てくる原動力は何か、と不思議に思うのは私だけはないでしょう?

ここでは目を他のパターンに転じてみることで、共通点が浮かび上がってくるから、興味深いです。

かのピタゴラスは、ゾロアスターの信者でしたが、美しさの象徴である夜空、宇宙を数学で表現できるはずだ、という気持ちであったようです。

音楽や宇宙のように美しいものを神はどのように創ったかを知りたい、というあくなき好奇心がいろんな物事を深く探求していくことになったということです。

コペルニクスは、敬愛する神はどのように宇宙を創ったかを少しでも知りたいというあくなき欲求があったようですし、ガリレオ.ガリレイカトリック信者だったようで万物の創造主であるがなぜ宇宙をこのように創ったか。

それを知るには数学という言葉で書かれたもう1つの聖書を読まなくてはならないと考えていたようです。

現代の無宗教の人にはにわかには信じれないことでしょう。

何故、こんなにも神や仏を信じなくなってしまったのかを考えれば、それらに縋らなくても生きていけるからでしょう。

しかし、こういった学者として名を馳せた人たちは、あくなき知的好奇心ゆえに、非科学的な事でもとりあえずは本を読むなり、それらの儀式や誦経などにも接してみたのでしょう。

その結果、そういった神仏による事象があると悟り、それにも縋るようになった、接するのが不可欠になったということだと思います。

やはり、自分の専門に拘らずに、いろんなことを修める。

すると、そこでそれらの効用を知ることができて、それが不可欠になったというパターンであると思います。

学者として、科学者として名を馳せた人たちは、このように自分の専門だけに拘らずに、いろんな分野にまで目を転じているのです。

そうでなければ、真理を掴むことはできた話ではないです。

ゆえに真理に到達したいと思うならば、宗教にも心や目を転じなければならないのは言うまでもないです。

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やはりそういう資質があったからこそ、京都日蓮宗文化人たちは名を馳せるほどのものを遺せたのだと感心するばかりです。

何事も、浅くかじったくらいでは、その道を究めることはできないのは古今東西かわらぬ事実でしょう。

毎日毎日、そのことを長期間やりこむ姿勢がなくては。

その行動の原動力が日蓮の教えであったことを知って、今あらためて日蓮のカリスマ性に嘆じるほかないです。


そのことを心にとどめつつ、これからも私は謙虚に宗教について学びたいと思いました。

●この本はおすすめです。

 





日蓮 日蓮宗/淡交社/藤井寛清
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今回はこれにて終了します。

ありがとうございました。

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♯日蓮 ♯京都日蓮宗 ♯運慶.快慶 ♯加藤清正


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