宗教に入ったら、その宗教に無批判でいい?それは間違い。それではストレスに苛まれます!
私は、小学生のころから、人とうまく関係を作るにはどうしたらいいか、といったことを考えるようになりました。
しかし成人するにつれて、そういうことを考えていない人がちらほらいることに気が付き出しました。
そういう人は、いずれこちらがアプローチして、やさしい言葉をかけ続ければ、いずれ心拓いてくれるだろうということを、疑わずにいました。
また、心優しい人は仏教、キリスト教とわず多くいることにも気が付きました。
ゆえに、みんなだれしも何らかの宗教に入れば、心優しくなるんだという思いになりました。

しかし、それは間違っていたのです。
心優しい人は生まれつき心優しいのであって、こちらがアプローチするか、宗教に入ってもらうかではないのです。
それを知らずに、「心優しくない旦那を某宗教に入ってもらうも、全然心変わらず」というエピソードを動画で見ることもできました。
ゆえに、何回か話してみて、向こうが私のことを揚げ足取りしかしてくれない事に気が付いたら、「この人は人の心に興味ないんだ。」とみなして、私は一切話さないことにしているのです。
もちろん、職場内で全く話さないのは困りますから、最低限の報連相だけにとどめているのです。
ここを読んで、私が冷たい人間だなんて思わないでほしいです(笑)
心理学的な研究結果、「人の心に興味ある人」と「人の心に興味ない人」という厳然とした違いが明らかにされているのです。
後者の人にいくらアプローチしても、向こうが心拓いてくれることはないですから、厳重注意が必要です。
そういう努力は一切実りません。

その実らないことを嘆いているだけで終わりですから、それではストレスに苛まれることで終わってしまうのです。
そのストレスが、一番ガンにつながるとしていたのは、幸福の科学の総裁だった故.大川隆法氏(下写真)だったのです。

では、そういうノーストレスの生活を目指しましょう。
これは、物事を深く分析して、打開の道を探る、というまさに幸福の科学と軌を一にするものなのです。
大川総裁は、某本の中で以下のように書いています。
「本当の愛とは与える愛です。
与える愛とはすなわち無償の愛です。あなたが与える愛は、本来あなたのものではないのです。
神から与えられたものなのです。」
実にいい言葉だと思いました。
こういう言葉の端々に神々しさを感じたのは私だけではないでしょう。
しかし、人の心に興味ない人や、友人は要らないというモラルの人には決して響かないです。
そのことを宗教の機関紙において書くべきなのでしょうが、宗教上の手前、そういうことは書けないのでしょう。
なぜならば、周囲の人間との調和を前提とするのが宗教全般の使命なのですから。
しかし、私は人の心に興味ない人とは関わらないというモラルを曲げるつもりはないのです。
変わらない人に変わるように祈っても、変わることはないからです。
そういうことを期待するのは、猫に英会話を教えるようなものだということも心理学的な結果わかっているからですね。

宗教の前提とする大筋においては受け入れて、絶対に譲るべきでないことについては譲るべきではないでしょう。
そういう守破離を自身で築くのが、人生の王道ではないでしょうか?
それに賛同してくれるのであれば、以下の本は非常に参考になるでしょう。
●非常にお勧めです。
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!

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しかし成人するにつれて、そういうことを考えていない人がちらほらいることに気が付き出しました。
そういう人は、いずれこちらがアプローチして、やさしい言葉をかけ続ければ、いずれ心拓いてくれるだろうということを、疑わずにいました。
また、心優しい人は仏教、キリスト教とわず多くいることにも気が付きました。
ゆえに、みんなだれしも何らかの宗教に入れば、心優しくなるんだという思いになりました。
しかし、それは間違っていたのです。
心優しい人は生まれつき心優しいのであって、こちらがアプローチするか、宗教に入ってもらうかではないのです。
それを知らずに、「心優しくない旦那を某宗教に入ってもらうも、全然心変わらず」というエピソードを動画で見ることもできました。
ゆえに、何回か話してみて、向こうが私のことを揚げ足取りしかしてくれない事に気が付いたら、「この人は人の心に興味ないんだ。」とみなして、私は一切話さないことにしているのです。
もちろん、職場内で全く話さないのは困りますから、最低限の報連相だけにとどめているのです。
ここを読んで、私が冷たい人間だなんて思わないでほしいです(笑)
心理学的な研究結果、「人の心に興味ある人」と「人の心に興味ない人」という厳然とした違いが明らかにされているのです。
後者の人にいくらアプローチしても、向こうが心拓いてくれることはないですから、厳重注意が必要です。
そういう努力は一切実りません。

その実らないことを嘆いているだけで終わりですから、それではストレスに苛まれることで終わってしまうのです。
そのストレスが、一番ガンにつながるとしていたのは、幸福の科学の総裁だった故.大川隆法氏(下写真)だったのです。

では、そういうノーストレスの生活を目指しましょう。
これは、物事を深く分析して、打開の道を探る、というまさに幸福の科学と軌を一にするものなのです。
大川総裁は、某本の中で以下のように書いています。
「本当の愛とは与える愛です。
与える愛とはすなわち無償の愛です。あなたが与える愛は、本来あなたのものではないのです。
神から与えられたものなのです。」
実にいい言葉だと思いました。
こういう言葉の端々に神々しさを感じたのは私だけではないでしょう。
しかし、人の心に興味ない人や、友人は要らないというモラルの人には決して響かないです。
そのことを宗教の機関紙において書くべきなのでしょうが、宗教上の手前、そういうことは書けないのでしょう。
なぜならば、周囲の人間との調和を前提とするのが宗教全般の使命なのですから。
しかし、私は人の心に興味ない人とは関わらないというモラルを曲げるつもりはないのです。
変わらない人に変わるように祈っても、変わることはないからです。
そういうことを期待するのは、猫に英会話を教えるようなものだということも心理学的な結果わかっているからですね。

宗教の前提とする大筋においては受け入れて、絶対に譲るべきでないことについては譲るべきではないでしょう。
そういう守破離を自身で築くのが、人生の王道ではないでしょうか?
それに賛同してくれるのであれば、以下の本は非常に参考になるでしょう。
●非常にお勧めです。
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
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今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!



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