社会学の定義とは?社会学は社会科学ではない? (加藤秀俊)
こんにちは。
私が敬愛していた故.加藤秀俊氏(下写真)は、社会学者という肩書でした。

では社会学とはどういうものか、という疑問が必然的にわくわけですが、その定義は結構難しいものです。
社会科学とは、法学、政治学、経済学、といったものを総合しての呼び名なのです。
そこに社会学も入るようですが、学者によっては社会学は社会科学には含めるべきではない、といわれる例もあるのです。
それは後述しましょう。
それに対して自然科学というのは物理学とか、統計学とかいったものの総称をいうのです。
しかし、加藤氏は、その著『社会学』(中公新書)の中で、社会科学自体が科学ではない、という論を展開しているのです。
それは、法則が人間社会の事象では存在しないからだ、ということです。
重力は、いつの世でも存在しますし不変です。
古代ギリシャであろうが、今の日本であろうが必ず重量のあるものは手を放すと下に落ちます。
しかし、あらゆる人間社会の事象には、その場限りのモノばかりだということです。
年功序列や終身雇用は、永遠のものと思われていた日本の経済ですが、それは一時代限りのモノであったのです。

やはり、その場限り、一時代だけのものというものというんが人間社会の現象なのです。
ゆえに法則性がない。
ゆえに科学ではない、というのです。
非常に目の覚める理論ではあると思います。
しかし、永遠不変とまではいかないですが、ある程度の法則性なるものは存在することは確かです。
その「ある程度の法則性」に依拠して、これからの人間社会を理論的に占っていくことは大切ですし、それがかなりの精度をもって武器になることは間違いないでしょう。
そして、社会学ですが、これはどんな学問であるかというと、「社会情勢のレポート+人々の感想や感情を集めたもの」から当初は出発して、実証主義的なものに変遷していったということが書かれています。
急激に変動する社会を見据えて、諸外国のスラムだの、暴力団だの社会の底辺や周縁部で生きる人々の姿を密着して描き捕らえて余すところがなくなっていったのということです。
世間話を通じて、大都市がどんなふうに編成されて、どんな問題を生み、それにどんな対処をすればいいのかがしっかり頭に入る。
放置していては大変なことになる、ということで社会学が頼られ出したということです。

変動する社会の様相を分析して、そこにどのような政治的な影響があるか、どのような経済的な影響があるか、といったことを総合的に分析して、それぞれの学問に問いかける性質を持っているということです。
ゆえに、社会学は、総合的な学問であると同時に、基礎的な学問であるというのが正しいだろうと思います。
いろんな社会学の本を研究してきて、これが一番妥当なイメージと私は踏んでいるのです。
そしてそれは、政治、国際関係、教育、経済、法律など社会科学のほぼ全域にわたって埋め尽くす性質をもっているのです。
だがそうだとすれば、あえて社会学といわず社会科学といえばいいではないか、という疑問がわくでしょう。
しかし、社会学は、特定の対象に依拠してその独自性を主張するのではなく、あらゆる社会現象を分析して見せる視点にこそ、独自性があるという主張であり、社会現象を社会を構成する個人個人の行為を相互関係という視点から解明する学問なのです。
社会とは人間の集まり(家族、村、会社、団体Etc)です。
こういう事情ゆえに、社会学は社会科学のうちに含めるべきではない、とした識者がいたのです。

こういう性質を社会学にはあるからこそ、好奇心旺盛な加藤秀俊は惹かれたのだろうと思います。
いろんな分野に目を向けて、そこで社会変動の形を見つけて、そこで社会的な意義や、新しい発見をしていったのでしょう。
その論じ方の内容が非常に興味深く、説得的で私は何十冊もこの加藤氏の本を買っては読んでしまったのです。
好奇心旺盛ゆえに加藤氏は、『文芸の社会学』『衣の社会学』『食の社会学』『パチンコと日本人』『異常性の社会学』『比較文化への視角』…etcと多岐にわたる分野にわたって調べ研究して論じて本を出していったのです。
こういう資質があってこそ本物の学者という気がします。
自分の専門の分野にだけ目を向けて、その他には一切興味も示さないでいる。
そういう悪い意味での専門家は、私の好むところではありません。
●こういうスタンスに興味のある人、加藤秀俊について興味の出た方は、以下の電子書籍.ペーパーバックをお勧めします。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
私が敬愛していた故.加藤秀俊氏(下写真)は、社会学者という肩書でした。
では社会学とはどういうものか、という疑問が必然的にわくわけですが、その定義は結構難しいものです。
社会科学とは、法学、政治学、経済学、といったものを総合しての呼び名なのです。
そこに社会学も入るようですが、学者によっては社会学は社会科学には含めるべきではない、といわれる例もあるのです。
それは後述しましょう。
それに対して自然科学というのは物理学とか、統計学とかいったものの総称をいうのです。
しかし、加藤氏は、その著『社会学』(中公新書)の中で、社会科学自体が科学ではない、という論を展開しているのです。
それは、法則が人間社会の事象では存在しないからだ、ということです。
重力は、いつの世でも存在しますし不変です。
古代ギリシャであろうが、今の日本であろうが必ず重量のあるものは手を放すと下に落ちます。
しかし、あらゆる人間社会の事象には、その場限りのモノばかりだということです。
年功序列や終身雇用は、永遠のものと思われていた日本の経済ですが、それは一時代限りのモノであったのです。
やはり、その場限り、一時代だけのものというものというんが人間社会の現象なのです。
ゆえに法則性がない。
ゆえに科学ではない、というのです。
非常に目の覚める理論ではあると思います。
しかし、永遠不変とまではいかないですが、ある程度の法則性なるものは存在することは確かです。
その「ある程度の法則性」に依拠して、これからの人間社会を理論的に占っていくことは大切ですし、それがかなりの精度をもって武器になることは間違いないでしょう。
そして、社会学ですが、これはどんな学問であるかというと、「社会情勢のレポート+人々の感想や感情を集めたもの」から当初は出発して、実証主義的なものに変遷していったということが書かれています。
急激に変動する社会を見据えて、諸外国のスラムだの、暴力団だの社会の底辺や周縁部で生きる人々の姿を密着して描き捕らえて余すところがなくなっていったのということです。
世間話を通じて、大都市がどんなふうに編成されて、どんな問題を生み、それにどんな対処をすればいいのかがしっかり頭に入る。
放置していては大変なことになる、ということで社会学が頼られ出したということです。
変動する社会の様相を分析して、そこにどのような政治的な影響があるか、どのような経済的な影響があるか、といったことを総合的に分析して、それぞれの学問に問いかける性質を持っているということです。
ゆえに、社会学は、総合的な学問であると同時に、基礎的な学問であるというのが正しいだろうと思います。
いろんな社会学の本を研究してきて、これが一番妥当なイメージと私は踏んでいるのです。
そしてそれは、政治、国際関係、教育、経済、法律など社会科学のほぼ全域にわたって埋め尽くす性質をもっているのです。
だがそうだとすれば、あえて社会学といわず社会科学といえばいいではないか、という疑問がわくでしょう。
しかし、社会学は、特定の対象に依拠してその独自性を主張するのではなく、あらゆる社会現象を分析して見せる視点にこそ、独自性があるという主張であり、社会現象を社会を構成する個人個人の行為を相互関係という視点から解明する学問なのです。
社会とは人間の集まり(家族、村、会社、団体Etc)です。
こういう事情ゆえに、社会学は社会科学のうちに含めるべきではない、とした識者がいたのです。
こういう性質を社会学にはあるからこそ、好奇心旺盛な加藤秀俊は惹かれたのだろうと思います。
いろんな分野に目を向けて、そこで社会変動の形を見つけて、そこで社会的な意義や、新しい発見をしていったのでしょう。
その論じ方の内容が非常に興味深く、説得的で私は何十冊もこの加藤氏の本を買っては読んでしまったのです。
好奇心旺盛ゆえに加藤氏は、『文芸の社会学』『衣の社会学』『食の社会学』『パチンコと日本人』『異常性の社会学』『比較文化への視角』…etcと多岐にわたる分野にわたって調べ研究して論じて本を出していったのです。
こういう資質があってこそ本物の学者という気がします。
自分の専門の分野にだけ目を向けて、その他には一切興味も示さないでいる。
そういう悪い意味での専門家は、私の好むところではありません。
●こういうスタンスに興味のある人、加藤秀俊について興味の出た方は、以下の電子書籍.ペーパーバックをお勧めします。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
コメントを書く... Comments