親鸞は「哲学者」だった?その内情はどんなものだったか? (親鸞とユダヤ.キリスト)
こんにちは。
昨今では五木寛之の小説である『親鸞』というのが話題になっているようです。
私も、小学生時には、小説を読んだものです。
その効用は、自分の人生だけでは人徳の規範を知ることは出来ないがゆえに、小説の作者が描いた登場人物の行動や心の動きから、それらを学んで実際の社会で行動していかなくてはないということでしょう。
その登場人物が歴史上に実在し、多くの人を啓蒙してきたというのであれば、猶更、登場人物として挙がっても当然でしょう。
それが歴史小説というものになるのです。
しかし、その小説を読むにあたり、前もって、その人物の歴史や当時の社会の背景を知っているかどうかで、理解力の幅は違ってくるのは言うまでもないでしょう。
そういう効用を期待するか期待しないかは別にして、興味ある人は読んでみてくださいませ。
親鸞は、鎌倉時代の僧侶です。
源平合戦の最終戦として有名な壇ノ浦の合戦が起きたのは、親鸞13歳のときでした。

かなりの栄華を誇っていた平清盛が、この戦に敗れて没落していく姿が衆生に知れ渡るのです。
それまでゆるぎなく存在していたものが、全く無価値と思われるようなものにとってかわられるという局面だったのです。
そういう局面は、歴史を学べば幾十にも見て取ることが出来ます。
当時は戦や飢饉、大地震で多くの人が死んでいく末法の世でした。
動乱の時代には、やむを得ず出家するしかない状況の追い込まれる人が多かった。
伯父が学者だった親鸞は文面による啓蒙がかなって僧侶になったのです。
これは、親鸞が僧侶にあった理由として挙げられるものですが、果たしてそれだけだったのでしょうか?
やはり仏などの人智を超えた存在に帰依して、こういった大激動の時代に自分は何かできることはないかということを探索していたのではないかなと思われる節があるのです。
そして当時の日本の最高学府であり、最高の仏道修行の場だった天台宗の延暦寺(下写真)に行って仏教を学ぶのです。
しかし、当時の延暦寺は貴族たちの出世の手段の場と化してしてしまっていて、親鸞をひどく落胆させるものだったといいます。
ひとくちに仏教といっても、古代からかなり時代が隔たっていた当時には、仏教も多岐化していたのです。
大きく4つの流れがあったのですが、そのうちの2つ、法華信仰と浄土教信仰が天台では講義されていたのです。
前者に失望した親鸞は必然的に、後者を選らんだのです。
詳しいないようについては割愛しますが、その浄土教信仰に対して親鸞はえらく入れ込んだようです。
その延暦寺には、のちの師となる法然もいて、この人も浄土教を信仰する人だったのです。
ただ親鸞は世俗に身を投じて、その教えを弘めるという気概を持って、それを実際に行動に移していったのです。
そんなことをしなくても、充分生活はして行けたのにも関わらず…親鸞は立派ですね。
いつの世でも、誰もが向上心や欲望はあります。
それをかなえるべく政治というものはあるわけで、かなり後世になって代議制というものが発明されたのですが、その社会全体に通低する民衆の欲望は何か、ということになると誰にもわからないものです。
わかるようでわからないものです。
それがわかるのは一部の哲学者だけであって、その他の人々は勝手に自分の欲望をいっているに過ぎないのです。
しかし、親鸞が衆生に分け入って弘教していったことで、一気に信者を獲得していった歴史を見れば、その社会全体に通底する民衆の欲望は、浄土信仰だったのがわかります。

いまや日本で一番信者が多いのは浄土真宗ということです。
もっと住みよい家が欲しい。
もっと食べ物が欲しい。
もっと容易に牽ける水路が欲しい。
こういう欲望は当時はもっともでしたが、それよりも大多数の人々の心を動かしたのは、死後の安らかな浄土だったのがわかります。
こういう歴史的な事実を踏まえれば、親鸞は「哲学者」だったのがわかります。
その教えを深く研究していくと興味深く、民衆を引き付ける魅力があるのがわかります。
親鸞は「他力(阿弥陀仏の力)によっていま凡夫である罪悪の身であるままに浄土がある。
この濁世がひっくり返ったら浄土になる、光の中にある」
と説いたのです。
つまり、罪悪深重の自覚から出る欲は、不純粋でしかない。
その愚かな衆生を救いたいという欲は、無条件に一切を摂して助けようとするその無限の慈悲の働きを現在に感じる救いを信じるのです。
「どこかで(大きなものが)自分を見ている」ということを感じられる眼というものがあります。
それは客観ではなく、いわば仏観というものでしょうか?
阿弥陀様(下写真)が、いつも寄り添って励まして育ててくださっている。

時に厳しく非難してくださっているという世界観が親鸞の宗派である浄土真宗にはあります。
こういった世界観を聞くと、大多数の衆生はものすごく惹かれてしまっていったのがわかります。
しかし、こういう世界観を聞くと、「キリスト教?」と思ってしまいます。
しかし、そういう世界観が親鸞に生まれたのは間違いないのです。
親鸞はいろんな書物を読み漁り、それらからいろんな知識はもちろん理論や世界観をも取り入れて模倣していったのですから。
そのうちの1つがキリスト教だったのです。
親鸞がキリスト教を学んだ?
そんなはずはないと思われるのも無理からぬことです。
しかし、親鸞の生きた時代よりも、500年以上も前に、キリスト教が日本に入ってきていたのは明白な事実なのです。
それは景教といわれるキリスト教の一派なのです。
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