将来の経済状況を考えるなら、大学継続することを真剣に考えるべし? (加藤秀俊)
こんにちは。
今回は、大学への進学は本当に必要か、ということを考えてみたいと思います。
私が大学に行った頃でも、文系の大学の学費は高いなと感じたものです。
大学を卒業した後に具体的に計算したのですが、1コマの講義が2500円くらいした計算になりました。
これを在学中に着手すればよかったと後悔しています(笑)。
大学を卒業してから気が付いたことですが、その講義内容を今の生活においてそれほど役に当たっているかどうかを考えると、それ程の価値はなかった、というのが正直なところです。
当時、私は講義室の一番前に座って、全部ノートしていました。
それを今でも保管しているので、それを参照しながらの答えがこれなのです。

学問というものは、社会にある問題点を改善していくためのモノです。
それゆえに、社会や人心の内情を構造的に明らかにして、そこからどういったことを考えて、そして社会生活で行動に移すことが大事なのです。
社会に重点を当てて論じていくのが社会科学であり、後者に重点を置いて論じていくのが人文科学なのです。
しかし、そういったことは、何も大学に行かなくても学べる性質のものです。
どこで学ぶか?
本を買って学べばいいのです。
新書の類いには、理論がまず先にあって、そこで現在の問題点を明らかにして、そこでその著者の考えなりが書いてあるのです。
それを読めば、かなり触発されるのではないでしょうか?
それを一通り読んで、自分が何を考えて、何をすべきかを考えていけばいいのです。

新書であるならば、当時は600〜700円で売っていました。
中古本ならば100円で売っていたのです。
しかし、量も内容も新書に負けていたのです、大学の1回の講義は。
なのに値段が高い。
それを在学中に発見していたのならば、辞めるなり、通信教育学部にでも編入していればよかったと後悔しているのです(笑)。
私が大学時代にぞっこんになって今でもぞっこんである故.加藤秀俊(下写真)は、その著『独学のすすめ』において、「わざわざ大学に行くには及ばない。本を買って学べばよろしい!」としているのです。

その本の中で、わざわざ大学になど行かなくても、独学で世に馳せるほどの名声を獲得した人物や、加藤氏の友人知人で、大学に行かずとも、かなりの教養を得ている人が大勢いるということを紹介しているのです。
私は知的好奇心がかなりあったので、大学在学中に300冊は学問の本を読みました。
それでかなり物事が学べたと思います。
確かに大学の講義でも学べたものは大いにあります。
本だけで社会の全部を網羅できるというような暴論は避けなくてはいけないかもしれないです。
大学の講義だけで学べたものもありますし、本だけで学べたもの、とこの両方があるのです。
大学に行っても率先して学ぶ人は少数派ですから前者に力点を置きがちです、金をかけたから(加藤氏に言わせれば、主体的に学んでいる学生は全体の2割くらいとしていました)。
しかし、主体的に読んで学んだということで、私は後者に重きを置きがちです。
私が感銘を最近受けた本は『スミス、マルクス、ケインズ』という5000円弱の本です。
この値段は、講義2回未満分ですが、2回分以上の価値は十分、いやそれ以上に何倍もあるというのが正直なところです。

大学ではどの学部にも必修科目があります。
必修ゆえに、いやでも採らないといけなかった。
「こんな科目…」と思いながらも出席して、ノートしてました。
しかし、後々考えて重要だったこともあるというのが正直なところです。
先に、大学に行かずとも本を読んで学べばよろしい、と書きましたが、しかし、自由な読書だけに任せると、自分の好きな分野ばかりの本を読んでしまいがちになるという負の面があるのは否めないです。
視野狭窄になってしまうのです。
だが人生どこでもテイクオフ関係です。大学を辞めて、独学で行くというのならば割り切れ!ということですね。
私が危惧するのは、大学の学費が年々上がっていることです。
私が在学していた時代は、日本は一億総中流国家といわれていた時代だったのです。
30年務め続ければ誰もが必ず年収1000万円になるという時代だったのです。
そういう時代であれば多少の無理をしても、自分の子を大学に行かせようというインセンティブが働いてもおかしくはないでしょう。

しかし、昨今は格差社会になってしまったのです。
年収1000万円も獲得しているのは1握りの人間だけになってしまったのです。
そんな一般サラリーマンの賃金は下がっている時代なのに、大学の学費は上がっているのです。
文系の大学の学費は、1コマ3000円〜4000円はしてしまう時代になってしまったのです。
4000円…そんな価値はないと断言します(笑)。

私から言わせれば「ふざけるな!」とクレーム入れたくなるのですが、日本社会ではうやむやのまま…無批判体制なのです。
例えば、全然美味しくない飲食店に行って、かなり高い料金を取るぼったくり店で食べてしまったとしましょう。
そういう店には、二度と行かないのが普通です。
しかし、こと大学の講義には日本人は無批判でいるのです。
毎年毎年同じ講義ノートを読んで説明しているだけのぼったくり教授の授業ならば、二度と行かないということはなしなのです。
無批判のまま受講し続けるのです4年間も。
まさにダブルスタンダード。
巷の店は資本主義の原理が働くのに、大学の講義は社会主義の原理で動いているのです。
誠に日本人は、学問に対して無言の畏敬の念を抱き無批判のままでいるのです。
ただ大学卒業の肩書が欲しい、キャンパスライフを社会に出る前に満喫しておきたい、大学で学んだことが重要かどうかを検証する事すらしない。
こんな感じでしょう。

そんなスタンスはすぐに捨てるべきでしょう。
料金に講義内容が見合ってない、ということもさることながら、奨学金を借りて大学にいき続けて、卒業後にそれを返済しなくてはいけないのです。
それでは家計を圧迫して、家庭の経済を最悪の場合、破綻させることは間違いないです。
そうなるよりも、通信制に編入するか、退学をすることを勧めているのです私は。
大学卒業という肩書や大学で学んだことが、高収入や高地位に直結するならば話は別ですが、今の時代そんなことは一切ないのです。
大学に行かずとも、高校もまともに出ていないのに平均年収以上のお金を稼いでいる例などを、以下の電子書籍.ペーパーバックでは明らかにされています。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
それに興味のある人は読んでみることをお勧めします。
●以下どうぞ!
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
今回は、大学への進学は本当に必要か、ということを考えてみたいと思います。
私が大学に行った頃でも、文系の大学の学費は高いなと感じたものです。
大学を卒業した後に具体的に計算したのですが、1コマの講義が2500円くらいした計算になりました。
これを在学中に着手すればよかったと後悔しています(笑)。
大学を卒業してから気が付いたことですが、その講義内容を今の生活においてそれほど役に当たっているかどうかを考えると、それ程の価値はなかった、というのが正直なところです。
当時、私は講義室の一番前に座って、全部ノートしていました。
それを今でも保管しているので、それを参照しながらの答えがこれなのです。
学問というものは、社会にある問題点を改善していくためのモノです。
それゆえに、社会や人心の内情を構造的に明らかにして、そこからどういったことを考えて、そして社会生活で行動に移すことが大事なのです。
社会に重点を当てて論じていくのが社会科学であり、後者に重点を置いて論じていくのが人文科学なのです。
しかし、そういったことは、何も大学に行かなくても学べる性質のものです。
どこで学ぶか?
本を買って学べばいいのです。
新書の類いには、理論がまず先にあって、そこで現在の問題点を明らかにして、そこでその著者の考えなりが書いてあるのです。
それを読めば、かなり触発されるのではないでしょうか?
それを一通り読んで、自分が何を考えて、何をすべきかを考えていけばいいのです。
新書であるならば、当時は600〜700円で売っていました。
中古本ならば100円で売っていたのです。
しかし、量も内容も新書に負けていたのです、大学の1回の講義は。
なのに値段が高い。
それを在学中に発見していたのならば、辞めるなり、通信教育学部にでも編入していればよかったと後悔しているのです(笑)。
私が大学時代にぞっこんになって今でもぞっこんである故.加藤秀俊(下写真)は、その著『独学のすすめ』において、「わざわざ大学に行くには及ばない。本を買って学べばよろしい!」としているのです。
その本の中で、わざわざ大学になど行かなくても、独学で世に馳せるほどの名声を獲得した人物や、加藤氏の友人知人で、大学に行かずとも、かなりの教養を得ている人が大勢いるということを紹介しているのです。
私は知的好奇心がかなりあったので、大学在学中に300冊は学問の本を読みました。
それでかなり物事が学べたと思います。
確かに大学の講義でも学べたものは大いにあります。
本だけで社会の全部を網羅できるというような暴論は避けなくてはいけないかもしれないです。
大学の講義だけで学べたものもありますし、本だけで学べたもの、とこの両方があるのです。
大学に行っても率先して学ぶ人は少数派ですから前者に力点を置きがちです、金をかけたから(加藤氏に言わせれば、主体的に学んでいる学生は全体の2割くらいとしていました)。
しかし、主体的に読んで学んだということで、私は後者に重きを置きがちです。
私が感銘を最近受けた本は『スミス、マルクス、ケインズ』という5000円弱の本です。
この値段は、講義2回未満分ですが、2回分以上の価値は十分、いやそれ以上に何倍もあるというのが正直なところです。
大学ではどの学部にも必修科目があります。
必修ゆえに、いやでも採らないといけなかった。
「こんな科目…」と思いながらも出席して、ノートしてました。
しかし、後々考えて重要だったこともあるというのが正直なところです。
先に、大学に行かずとも本を読んで学べばよろしい、と書きましたが、しかし、自由な読書だけに任せると、自分の好きな分野ばかりの本を読んでしまいがちになるという負の面があるのは否めないです。
視野狭窄になってしまうのです。
だが人生どこでもテイクオフ関係です。大学を辞めて、独学で行くというのならば割り切れ!ということですね。
私が危惧するのは、大学の学費が年々上がっていることです。
私が在学していた時代は、日本は一億総中流国家といわれていた時代だったのです。
30年務め続ければ誰もが必ず年収1000万円になるという時代だったのです。
そういう時代であれば多少の無理をしても、自分の子を大学に行かせようというインセンティブが働いてもおかしくはないでしょう。
しかし、昨今は格差社会になってしまったのです。
年収1000万円も獲得しているのは1握りの人間だけになってしまったのです。
そんな一般サラリーマンの賃金は下がっている時代なのに、大学の学費は上がっているのです。
文系の大学の学費は、1コマ3000円〜4000円はしてしまう時代になってしまったのです。
4000円…そんな価値はないと断言します(笑)。
私から言わせれば「ふざけるな!」とクレーム入れたくなるのですが、日本社会ではうやむやのまま…無批判体制なのです。
例えば、全然美味しくない飲食店に行って、かなり高い料金を取るぼったくり店で食べてしまったとしましょう。
そういう店には、二度と行かないのが普通です。
しかし、こと大学の講義には日本人は無批判でいるのです。
毎年毎年同じ講義ノートを読んで説明しているだけのぼったくり教授の授業ならば、二度と行かないということはなしなのです。
無批判のまま受講し続けるのです4年間も。
まさにダブルスタンダード。
巷の店は資本主義の原理が働くのに、大学の講義は社会主義の原理で動いているのです。
誠に日本人は、学問に対して無言の畏敬の念を抱き無批判のままでいるのです。
ただ大学卒業の肩書が欲しい、キャンパスライフを社会に出る前に満喫しておきたい、大学で学んだことが重要かどうかを検証する事すらしない。
こんな感じでしょう。
そんなスタンスはすぐに捨てるべきでしょう。
料金に講義内容が見合ってない、ということもさることながら、奨学金を借りて大学にいき続けて、卒業後にそれを返済しなくてはいけないのです。
それでは家計を圧迫して、家庭の経済を最悪の場合、破綻させることは間違いないです。
そうなるよりも、通信制に編入するか、退学をすることを勧めているのです私は。
大学卒業という肩書や大学で学んだことが、高収入や高地位に直結するならば話は別ですが、今の時代そんなことは一切ないのです。
大学に行かずとも、高校もまともに出ていないのに平均年収以上のお金を稼いでいる例などを、以下の電子書籍.ペーパーバックでは明らかにされています。(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
それに興味のある人は読んでみることをお勧めします。
●以下どうぞ!
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
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