学問で学んだことを覚えておくためにはどうすればいい? (加藤秀俊)
こんにちは。
大学というのはいつも物議を醸すものですね。
そこはレジャーランド化しているとか、社会人になるまでのモラトリアムを過ごすための期間ゆえに、多くの大学生が遊んでしまう、ということで海外の大学や知識人から非難の的になっているのです。
それは私が、大学に入る前から聞いていました。
大学に入りたくって、希望校のパンフをその大学に頼んで自宅に取り寄せました。
そのパンフに映っている講義中に出席している大学生たちは、まさにやる気のない「早く終わってくれよ!」とでも言いたげな顔をしているのです(笑)。
そして私がいざ、大学に入学してから体験したことは、まさにその批判通りの、やる気のない大学生ばかりでした。
そんな大学生を横目に私は登録した講義には全部出席しました。
そしてすべてノートしてきました。
大学の存立理由が知りたくて、どのような意義がるのか学問に?、という疑問の解明をしたかったのです。

しかし、次に繋がる受験というものがないことには、やはりモチベーションは下がる一方なのは頷けました。
そこで忘れないためにはどうすればいいか、ということですが、これにはいろんな知的生産の本が出ていますが、まず大事なのは、興味を持った本を選んで読むべきであろうということです。
そういう本を沢山読んでいけば、その内容については忘れることは少ないでしょう。
しかし、そのような本であっても、時間がたてば忘れてしまうのです。
ではどうすればいいか?
やはり、ノートなりにパソコンのワード等に書き留めておくことが大事でしょう。
読む真っ最中に、そういう作業をしていると先に進めませんから、その際は、本にペンでチェックをしておき、読み終えたらそれをノートなりパソコンなりに書き留めることが大事でしょう。
「これだけ興味深く読んだのだから、忘れないだろう!」という気持ちを持つのは早計で、そういう知的作業のないものは時間の経過と供に忘れてしまうのです。
そうしたら、また最初からその本は読みなおしです(笑)
時間の無駄になってしまいます。
知的生産の本はいくらも出ています。

大学生が単位を取りやすくしようと、どういう風に日々しておけば、単位を落とさなくて済むか、大学の年末試験で良い論文が書けるか、といった要旨の本はいっぱいあります。
そういう本に書いてあることを実行して、ダメだったのは「本を読んで印象に残ったところは、赤鉛筆で線を引いておく。そうすることでまた見直せば、思い出す」ということでした。
しかし、おつむの出来が悪いのか(笑)、私はその方式ではうまくいかないし、どうしてもそんなに思い出せなかったのです。
知と知の結び合わせが知的生産の醍醐味であるとすれば、毎回毎回いろんな本をもってきて、それを参照していくのはかなり不効率そのものでした。
ゆえに、赤鉛筆方式は私はしないことにしました。
勿論、その赤鉛筆方式でうまくいくのであれば、その人はその方式でいいでしょう。
しかし、私はその方式ではうまくいかないゆえに採らないだけのことです。
いろんなことを試行錯誤して、自分に合う方法を見つけ出すのです。
これもまた知的生産の一環なのです。
私が在籍した大学で受けた講義で、印象を受けたものがありました。
その教授曰く「大学で学んだことで忘れないために重要なのは、考えろ、そのことで忘れない!」ということでした。
それがかなり至言だったのは間違いないです。
法学部では憲法の歴史は必ず習います。
憲法によって参政権が保証されるようになった歴史は印象的でした。

その内容を詳細にわたって覚えておくのは難関です。
では、そこで何をするべきか?
現代では参政権は当然自明のことですが、明治期にはそうではなく、男性だけ、しかも一定以上の税金を納めた人だけだったのです。
それゆえにか、それゆえにしても、あの悲惨な災厄を招いてしまっていたのです第二次大戦前の日本および先進国においては。
そういった紆余曲折を経て18歳以上であれば誰でも参政権が認められるようになったのですから非常にありがたいことなのです。
それを形骸化しないためには、常に政治家や官僚の行く道をチェックしていかなくてはないのです。
そのことから必ず選挙には行くようにする、政治運動をこなしていく終生、こういうことを考えることは大事でしょう。
そして実際の社会生活において行動に移すことが大事なのは言うまでもないでしょう。
こういうことを学び、そして考えて、行動に移すことでお金になるのでしょうか?
お金にはならないでしょう。
だが大事でしょう、社会をよくするためには、どうだろうか?と考えざるを得ないのです。
私が大学時代に話題になっていたオランダ人ジャーナリストのカレル.ヴァン.ウォルフレン氏(下写真)なのです。

そのウォルフレン氏は、日本には市民が不在であるというのです。
市民とは社会がよくなるために、日々行動をしていく民と考えているのです。
そのためにはいつも政治に関心を持ち続けて、それを矯正していくための行動をしていかないことには市民ではない、ということです。
しかし、その著『人間を幸福にしない日本というシステム』という本によれば、「日本の会社では、政治活動のために定時に仕事を切り上げて帰ると周りの人間から白い目で見られる…こういうことも人間を幸福にしないシステムの1つである」ということです。
これは目の覚める議論であると思いました。
このようにして、日々行動していくための教育が必須なんだ、と思った瞬間でした。
そういう市民を輩出するのが学問の目的の1つなのだとわかった瞬間でした。
どのような目的を学問は持っているのだろうかと探索していた私にとって、ウォルフレンの意見はかなりディシプリナリーなものでした。
あれだけ有名な人が唱えていることですから、やはり学問の存立意義を誰もが実感するべきだろうと思った瞬間でした。
しかし、市民の不在…自分の社会を自分だ良くしていこうという気概が失われてしまった社会では前途が暗澹たるものになる…これは過激でしょうか?

そこを突っつくといろんな議論が噴出して、このページだけでは足りなくなるのは明らかですから、ここではやめにしていきましょう。
それこそ自分の頭で考え、そして行動していくべきでしょう(笑)
そしていろんな学問を学んで、自分の妥当と思えることを日々行動していくべきでしょう。
それもまた「市民」として大事なことでしょう。
皆さんを応援しています。
●こんな内容に共鳴してくださる人がいるのならば、以下の電子書籍.ペーパーバックはお勧めです。
加藤秀俊氏もそういった創造力の育成の必要性を唱えていた人たちの1人でしたから!(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

・加藤秀俊ホーム
リンク1
リンク2
大学というのはいつも物議を醸すものですね。
そこはレジャーランド化しているとか、社会人になるまでのモラトリアムを過ごすための期間ゆえに、多くの大学生が遊んでしまう、ということで海外の大学や知識人から非難の的になっているのです。
それは私が、大学に入る前から聞いていました。
大学に入りたくって、希望校のパンフをその大学に頼んで自宅に取り寄せました。
そのパンフに映っている講義中に出席している大学生たちは、まさにやる気のない「早く終わってくれよ!」とでも言いたげな顔をしているのです(笑)。
そして私がいざ、大学に入学してから体験したことは、まさにその批判通りの、やる気のない大学生ばかりでした。
そんな大学生を横目に私は登録した講義には全部出席しました。
そしてすべてノートしてきました。
大学の存立理由が知りたくて、どのような意義がるのか学問に?、という疑問の解明をしたかったのです。
しかし、次に繋がる受験というものがないことには、やはりモチベーションは下がる一方なのは頷けました。
そこで忘れないためにはどうすればいいか、ということですが、これにはいろんな知的生産の本が出ていますが、まず大事なのは、興味を持った本を選んで読むべきであろうということです。
そういう本を沢山読んでいけば、その内容については忘れることは少ないでしょう。
しかし、そのような本であっても、時間がたてば忘れてしまうのです。
ではどうすればいいか?
やはり、ノートなりにパソコンのワード等に書き留めておくことが大事でしょう。
読む真っ最中に、そういう作業をしていると先に進めませんから、その際は、本にペンでチェックをしておき、読み終えたらそれをノートなりパソコンなりに書き留めることが大事でしょう。
「これだけ興味深く読んだのだから、忘れないだろう!」という気持ちを持つのは早計で、そういう知的作業のないものは時間の経過と供に忘れてしまうのです。
そうしたら、また最初からその本は読みなおしです(笑)
時間の無駄になってしまいます。
知的生産の本はいくらも出ています。
大学生が単位を取りやすくしようと、どういう風に日々しておけば、単位を落とさなくて済むか、大学の年末試験で良い論文が書けるか、といった要旨の本はいっぱいあります。
そういう本に書いてあることを実行して、ダメだったのは「本を読んで印象に残ったところは、赤鉛筆で線を引いておく。そうすることでまた見直せば、思い出す」ということでした。
しかし、おつむの出来が悪いのか(笑)、私はその方式ではうまくいかないし、どうしてもそんなに思い出せなかったのです。
知と知の結び合わせが知的生産の醍醐味であるとすれば、毎回毎回いろんな本をもってきて、それを参照していくのはかなり不効率そのものでした。
ゆえに、赤鉛筆方式は私はしないことにしました。
勿論、その赤鉛筆方式でうまくいくのであれば、その人はその方式でいいでしょう。
しかし、私はその方式ではうまくいかないゆえに採らないだけのことです。
いろんなことを試行錯誤して、自分に合う方法を見つけ出すのです。
これもまた知的生産の一環なのです。
私が在籍した大学で受けた講義で、印象を受けたものがありました。
その教授曰く「大学で学んだことで忘れないために重要なのは、考えろ、そのことで忘れない!」ということでした。
それがかなり至言だったのは間違いないです。
法学部では憲法の歴史は必ず習います。
憲法によって参政権が保証されるようになった歴史は印象的でした。
その内容を詳細にわたって覚えておくのは難関です。
では、そこで何をするべきか?
現代では参政権は当然自明のことですが、明治期にはそうではなく、男性だけ、しかも一定以上の税金を納めた人だけだったのです。
それゆえにか、それゆえにしても、あの悲惨な災厄を招いてしまっていたのです第二次大戦前の日本および先進国においては。
そういった紆余曲折を経て18歳以上であれば誰でも参政権が認められるようになったのですから非常にありがたいことなのです。
それを形骸化しないためには、常に政治家や官僚の行く道をチェックしていかなくてはないのです。
そのことから必ず選挙には行くようにする、政治運動をこなしていく終生、こういうことを考えることは大事でしょう。
そして実際の社会生活において行動に移すことが大事なのは言うまでもないでしょう。
こういうことを学び、そして考えて、行動に移すことでお金になるのでしょうか?
お金にはならないでしょう。
だが大事でしょう、社会をよくするためには、どうだろうか?と考えざるを得ないのです。
私が大学時代に話題になっていたオランダ人ジャーナリストのカレル.ヴァン.ウォルフレン氏(下写真)なのです。
そのウォルフレン氏は、日本には市民が不在であるというのです。
市民とは社会がよくなるために、日々行動をしていく民と考えているのです。
そのためにはいつも政治に関心を持ち続けて、それを矯正していくための行動をしていかないことには市民ではない、ということです。
しかし、その著『人間を幸福にしない日本というシステム』という本によれば、「日本の会社では、政治活動のために定時に仕事を切り上げて帰ると周りの人間から白い目で見られる…こういうことも人間を幸福にしないシステムの1つである」ということです。
これは目の覚める議論であると思いました。
このようにして、日々行動していくための教育が必須なんだ、と思った瞬間でした。
そういう市民を輩出するのが学問の目的の1つなのだとわかった瞬間でした。
どのような目的を学問は持っているのだろうかと探索していた私にとって、ウォルフレンの意見はかなりディシプリナリーなものでした。
あれだけ有名な人が唱えていることですから、やはり学問の存立意義を誰もが実感するべきだろうと思った瞬間でした。
しかし、市民の不在…自分の社会を自分だ良くしていこうという気概が失われてしまった社会では前途が暗澹たるものになる…これは過激でしょうか?
そこを突っつくといろんな議論が噴出して、このページだけでは足りなくなるのは明らかですから、ここではやめにしていきましょう。
それこそ自分の頭で考え、そして行動していくべきでしょう(笑)
そしていろんな学問を学んで、自分の妥当と思えることを日々行動していくべきでしょう。
それもまた「市民」として大事なことでしょう。
皆さんを応援しています。
●こんな内容に共鳴してくださる人がいるのならば、以下の電子書籍.ペーパーバックはお勧めです。
加藤秀俊氏もそういった創造力の育成の必要性を唱えていた人たちの1人でしたから!(※ペーパーバックとは、注文が入ったらソフトカバーで印刷をして購入者の家に届けるシステム本のことです)
⇒加藤秀俊‐この社会学者を科学する
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
失礼いたします。

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