汗牛充棟.ブログ

人類が創造した本という素晴らしきもののうち、私が接したのは、その内の限りなく少ないものですが、その片鱗でも素晴らしさを伝えたいと思っております。どうぞお付き合い下さいませ。
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人類が創造した本という素晴らしきもののうち、私が接したのは、その内の限りなく少ないものですが、その片鱗でも素晴らしさを伝えたいと思っております。

どうぞお付き合い下さいませ。

私の出した書籍に物言いが出ました。それに対する反論は読みたいですか?

こんにちは。

私の出した以下の書籍にレビューが書かれていました。





の数が1とは…他の人は5つとか4つなのに…。

しかも、まるで一元的にしかモノをみていない観点からです。

以下、Aさんというかたによって投稿されていました。

「先に言っておくと顕正会との縁や知識がないので顕正会については今回レビューでは触れません。

まずは私の祖父母と両親は過去に創価学会の幹部におりまして、池田先生との接点どころか一緒に活動をしていた経験があり、現在は日蓮正宗に帰依しております。

私自身は日蓮正宗しか知らないため、今回のレビューでは私自身の経験からではなく、身内や日蓮正宗の信徒で創価学会にいた過去がある方々から聞いた話がメインであることを承知の上読んでいただけたらと思います。

日顕猊下についての記載について。これは創価学会を経験した方々からの話を聞く限り、事実無根としか言いようがありません。創価学会と日蓮正宗の両方を知る彼らの見てきた現実をどう繋げても日顕猊下の人物像にはならないです。日顕猊下は確かに日達猊下に比べると信心に対して厳しい方ではありましたが、嫉妬や私利私欲で行動するような傲慢な方とは私も到底思えません。日顕猊下と直接関わってきた方々からの事実に基づいたこ話を聞くことは日蓮正宗にいれば容易なんですけどね。

芸能人など有名人のことでもそうですが、不倫が事実無根であっても公に問題になってしまうその時点で不倫のレッテルを貼られ、不倫をしていない証明することはほぼ困難になります。嘘であっても告発したもん勝ちみたいになるんですよね。

そもそも日蓮正宗は大聖人様からの教えを一切曲げず真っ直ぐ信仰してきています。そんな日蓮正宗の猊下である日顕猊下がもし仮に私利私欲で傲慢な人柄だとしたら、破門されていなければ説明がつかないです。

著者の幼少期の話など参考になる話はたくさんありましたが、この本のコンセプトである3つの宗派を比べて選ぶための内容とは思えませんでした。比べるのであれば、できる限り平等な目線であるべきで、偏った情報であってはいけませんよね。

池田先生の話では日蓮正宗側からの批判、日顕猊下の話では創価学会員側からの批判を…噂されていることを著者が鵜呑みにしてそのまま書いてしているだけのように思えました。「だったようだ」で語るのは違うと感じました。

比べるというのであれば、創価学会と日蓮正宗をそれぞれ熱心に信仰してきた経験がある方々からの実体験でないと語れないかと思います。

そういった意味では私の祖父母や両親は幹部でしたし創価学会でも日蓮正宗でも熱心に活動してきたので内情をよく知ってます。破門される前の創価学会の内情も知っていれば、破門された真実も目の当たりにしてきましたし、だからこそ創価学会に疑問を感じ日蓮正宗に帰依することになったわけです。

そもそも日蓮正宗の教えは世の中の道理の根源です。著者が言うように確かに道理だけなら宗教でなくても学ぶことはできますが、日蓮正宗では信仰することによっての功徳という現象があります。道理を学ぶだけなら朝夕の勤行というものはなくていいわけですから。初座から五座までの勤行があることの理由があるわけです。

日蓮正宗が必要である科学的根拠についてお話します。まず科学的とは…?科学とは物事や現象についてその性質や変化、様々なこととの関係などを実験し体系化し、応用を考える学問のこと。この科学の基本となる道理が因果律です。一定の物事が一定の条件と作用(縁)によって一定の結果を生ずること。例えるなら酸素と水素を一定条件のもとで化合すれば、いつどこで行っても、必ず水を生ずるようなもの。この普遍的な因果律が科学的という言葉の意味ということ。

それを踏まえた上で日蓮正宗の効力を科学的根拠にするのであれば…釈尊の予証のとおり、日蓮大聖人が大難に遭いながら一切衆生を成仏すようとすると、大慈悲をもって大御本尊を図顕建立された事実。そしてそれを信ずる人々が大聖人のお言葉どおり、歓喜と希望に満ちた人生を歩んでいるという実証こそ、“科学的”現実そのものであるのではないかと思います。

私が体感してきた経験してきたもの…現在の科学的知識では計れない現象が起きるのが日蓮正宗。とにかく信仰した分、"必ず"現象が起きるんですよ。ほんとすごいですよ。残念ながら努力は報われるとは限らない。けれど日蓮正宗にいるとその努力が必ず報われるように導かれるんです。私は幼い頃から何が何だか分からない頃から信仰していますが、どう考えても日蓮正宗のおかげとしか言いようがない不思議な現象に幾度と出くわしています。大病すら治せるときたら…。

その逆も然りで、犯した謗法によっての現象もそうです。例えば「創価学会がまんだらを捨てさせた」と本文には書いていますが(こういう小さな誤情報がたくさんあります)正しくは回収して焼いたわけですが、のちに大震災が起きていたり…。

そもそも宗教を理屈で比べることが間違っていますからね。信仰しないと分からないことなので無理もないと思いますが。信仰することによってどうなっていくのか、正しい信心をしている信徒を見ていたら分かることだと思いますよ。

事実に基づいているかどうか分からない情報週刊誌を読んだり、人の噂話や憶測であーでもないこーでもない考えるのが好きな方には楽しく読める書籍だとは思います。」

ということです。

⇒投稿のあったサイトページはコチラ



かなり長く書かれているので、これを読んだ人は、それに圧倒されて、この書籍を読まずに、マイナスのレッテルを貼って終わってしまう可能性が大きいので、このレビューに対して、批判しておきましょう。

「事実無根としか言いようがないです」レビュー者は書いていますが、何を根拠にそう書いているのか不明です。

あなたの方こそ事実無根でしょうと言いたくなります。

日蓮正宗、創価学会、顕正会とどれも敵対して同盟などを結んでいるわけではないので、互いにどの団体も批判しています。

ゆえに、それぞれが出している機関紙を読んでも、その出した団体側の言い分しか書いていないのは名白です。

ゆえに、例えば日蓮正宗の出している新聞だけ読んでいれば、学会顕正会の事を悪く思うでしょうし、学会にいれば正宗顕正会が悪く思えてくるでしょう。

それでは中立の立場を貫くことはできませんから、3つの団体の出している機関紙をそれぞれ複数づつ読みました。

その結果、この書籍を出した次第なのです。

決して1つの団体の出している機関紙だけを読んで結論付けたわけではないのです。

それなのに、「事実無根」とは何を根拠にいっているのかと訝しげに思わざるを得ないです。

おそらく、このレビュー者は、日蓮正宗の講義内容や、日蓮正宗の出している新聞冊子だけをよりどころにしているのだと思います。

ゆえに、私の出した書籍を読んで、それまで知りえなかったことが書かれているがゆえに、そのような結論に立ったのだと思います。





日顕(上写真)が、大石寺境内の木を数百本切り落としたとか、学会員350億円も出して作った正本堂を解体したとか、アメリカで売春婦とトラブりになり裁判で負けたとか、信者が出した供養金で身内に巨額のマンションを造営したとか、芸者遊びに奔走していたとか、こういったことは知らされていなかったのでしょう。

当然でしょう。

こういった法主の黒歴史を信者たちに知らせては体制上、結束が緩くなってしまうに決まっていますから、良い面だけで固めていたのは間違いないです。

レビュー者は日顕猊下は嫉妬や私利私欲で行動するような傲慢な方であるとは思えません」と書かれていますが、そういうマイナス面について正宗側が新聞や雑誌に書くわけはないのです。

それはあの人のそばにいたことのない人が書いて説得力はないですし、少ない情報で意見を固めているとしか思えないです。

その他、日顕が嫉妬の輩だったといったことは、日顕の側近に居ながらも、日顕の人間性に呆れをきたして離れていった人たちの証言をもとに本に書かれているのです。

それが『偽法主!阿部日顕』なのです。

決してでっち上げの内容を私は書籍にしたわけではないのです。

僧侶たちを土下座させて、その間を日顕一同が通るシーンをテレビで見たこともあります。

どうしてそういうパーソナリティになってしまうのか?

それを克服するためにはどうすればいいか?

それを克明にしたためたのが私の書籍なのです。

それは宗教に縋っているだけで決して解決しない、ということを克明にしました。






この電子書籍を出すにあたり、日蓮正宗にいて辞めた人、日蓮正宗にい続けている人、学会にいて辞めた人、学会にい続けている人、顕正会にいたが辞めた人、顕正会にい続けている人…これら計6者の立場から意見を汲んで、そして汲み取ったうえで自分の書籍にしたためたまでです。

それでも、まだ結論付けるには早いのでは、と思われる向きもあることは事実です。

しかし、このレビュー者は、日蓮正宗にい続けている人、学会にいて辞めた人、学会にい続けている人の3者からしか意見を汲み取っていないのです。

ではどちらが、説得力があるか?

私の方が深いに決まっています。

このレビュー者は「偏った情報であってはいけませんね」などと書かれていますが、それはあなたでしょう!と言いたくなりました。

そしてレビュー者日蓮正宗のお陰としか言いようがない不思議な現象に幾度となく出くわしています。大病すら治せるときたら…。」と書いていますが、そういう宗教的な現象も多々存在することは私も認めます。

しかし、ただ信心だけのお陰なのですか?と問いたいです。

大病を克服したのは、第一に医療の発達のお陰でしょう。

全部、正宗に帰依したおかげでなせるのであれば、病院などに行かずに、信心だけしていればいいでしょうがそんなことはできるのでしょうか?

出来ないですよね?

やはり、そこで望ましいスタンスは医療のありがたさにも感謝しつつ、信心も並行していく、こういうスタンスを勧めているのです。





決して無神論者無宗教者ではないのです私は。

そういう複眼的な思考法ができなくなると、ことの本質を見誤るから注意してくれと、書籍の中で書いたのですが、この人は読み落としたのかなあと思います。

そういう宗教に縋っていたゆえに利益が得れた…それは結構な事でしょう。

それを否定する気は全然ないです。

ならその頂点にいる法主が人間的に堕落していても、無批判でいていいのでしょうか。

また学会員は、会長のすること為すことに無批判でいいでしょうか?

顕正会員もその会長のいうこと為すことに無批判でいいでしょうか?


そんなことないですよね。

そうならないように、信者たち自らがそれを是正するように行動しなくてはならないのです。

このレビュー者正宗の人間のようですが、正宗の信者の数はかつての2%まで落ちてしまったのは事実の様です。

それは、学会機関紙からも知れたし、正宗を抜けた人たちの出したからも知れるし、現正宗信者のかたに実際に聞いたのですから。

こんなに落ちてしまったのは誰に原因があるでしょうか?

日顕なのです。





それにもかかわらず無批判でいていいのでしょうか?

確かに、人間全員にいろんなことを万時多面的に観察してから行動するなどと言う学者的な気質を要求するのは不可能でしょう。

しかし、あまりに少ない情報で短絡的に断定していくのも考え物でしょう。

それをどの程度にするか、は個人の自由です。

このレビュー者.Aさんは、この文章を読んで、自分の考えを矯正しなくてはならない、と考えるかもしれないです。

しかし、また正宗の出している新聞冊子を読み、そして猊下の講義を聞くだけの生活になると、また元に戻ってしまうから、人の考えの矯正は難しいと思わざるを得ないですね。


●そういったことに興味のある人は、私の書籍を読んでくださいませ!


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今回はこれにて終了します。

ありがとうございました。

また読んでくださいませ!


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