宗教団体において分裂や移籍は不可避…ならばあなたはどうする?
こんにちは。
宗教をいろいろ研究していくと、他の宗教から別の宗教に移動していくパターンが散見されます。
日蓮を開祖と仰ぐ顕正会の『顕正新聞』を読んでいると、そういう会員たちのパターンが散見されます。
以下のパターンを知りました。
身延派(正法会)から顕正会へ
宗門から顕正会へ
エホバの証人から顕正会へ
創価学会から顕正会へ

神や仏といったものについては信じるものの、1つの宗教には拘泥できない、というのが私の立場であるゆえに、別段、宗教に入るのはいいとは思いますが、それだけに拘泥せずに、自分の属す宗教に足りないところや不満なところがあっても、それは別にむやみに咎めることはせずに、自分の思うようにアレンジすればいい、というのが私の立場です。
不満な人が、その宗教内にいても、相手にしなければいいし、金銭問題が発生したら(例えば、いくばくかの金を払いなさいというような理不尽なことを当局から命令されたら)、そこは敢然と意思表示をして、それでもだめならば、その団体は抜けるのがいいでしょう。
その宗教の長がいなくなって別の長にかわったら、戻ればいいでしょう。
同じ開祖を仰ぐ宗教でも分裂してしまう例はあります。
日蓮正宗から創価学会が除名にされ、顕正会も同じく除名にされました。
その後、創価学会も顕正会も各自で正宗とは別個に活動しています。
それぞれの団体に属していたが、そこの団体に疑問を呈して、他の日蓮正宗系の団体に移動していくパターンがあるのが見ることができます。
それは上に見た通りです。
そういう例を散見すると、やはり日蓮(下写真)という僧侶はカリスマ的な人だったのがわかりますし、同時に、多くの人は宗教にすがらなくては生きていけないパターンが多いのだなあと思います。

私は創価学会に入っていた時期がありましたが、特に得るものがなかったし、この団体に不満があれど、他の日蓮正宗系の団体に移籍しようなどと思ったことはなかったです。
日蓮の教えは学ぶところはあれども、そこだけでなく、いろんな本はもちろん、他の宗教について書かれた本を読むことで人生に生かすことが学べると思ったからです。
ゆえに創価学会に不満があっても、それを変革しようとは思わなかったです。
ただ、正宗から顕正会へ、あるいは創価学会から顕正会へ、という移籍のパターンの人は、そこで落ち着いてしまうようです。
顕正会も不満で他の団体へ、というパターンもあれど、それは少数派のようです。
しかし、なぜ、同じ正宗系でありながら信者に不満が出てしまうのか?を考えてしまいます。
いろんな人が日蓮にあこがれていながらも、その宗教に入るも、その人が持っている理想とその団体がかけ離れているから、というものが大きな原因があるようです。
また、その宗教団体の長が、説明責任を果たさないで好き勝手に組織を動かし、それについて何の反省をもしないでいるからだろうとも、思います。
それは日蓮正宗系のみならず、どの宗教団体にもあることなので、やはり同じ開祖を仰ぐ宗教団体でも、やはり分裂は避けられないでしょう。
まずは、いろいろ考えた結果、自分に一番合った団体を選び、そこに追随していくしかないでしょう。
それでいながら、他の領域からも積極的に学び、自分のモラルを形成していく工夫が必要でしょうし、それは自分独自の方法として他に強制はすべきではないでしょう。
なぜならば、自分の理想と、他の人の理想は違うからこそ、その理想を他の人に押し付けることは理にかなわないからです。
「これこそが最高の方法だ!」と思っていても、他の人からは全然そうでないと思えるパターンはいくらでもあります。

宗教に限らず、例えば自分の好きな音楽アーティストを思い浮かべればいいでしょう。
自分が「こんな素晴らしいアーティストが他にいるはずない!」と思って、人にその音楽を聴かせる。
しかし、その人は全然感動してくれない…そんな例ってありますよね?(笑)
ゆえに、人に自分の理想を押し付けるのは間違いなのです。
しかし、こと自分がぞっこんになった開祖の宗教団体については、とりあえずカリスマ的な指導者が長になっている団体に属し、そこでとりあえずは落ち着かせて、不満に思える箇所が出たら、そこは独自にアレンジしていくのがいいでしょう。
しかし、それで満足できないのであれば、その意思表示をする。
それでだめならば、抜けるか、その団体にはかかわらないで過ごし、理想と思える団体を探して、そこに移籍するのがいいでしょう。
それでも不満ならば、自分でその開祖の教えを正統に受け継ぐ団体だ、といって新たな団体を設立するのがいいでしょう(笑)。
いや冗談ではなく!(笑)
ただし、あなたがカリスマ性を秘めた長でいると確信が持てたらの話しですが。
それと、その団体を設立するにあたり、資金もなくてはならないでしょう。
その運営についての明確なビジョンも当然必要でしょう。
やはり、そういう明確なものが備わっていないならば、今の団体に落ち着くのがいいでしょう。
やはり、不満だけでは運営はやっていけないのが明白なのです。
使命感にもえるのは素晴らしいですが、やはり資質が必須なのです。
●そんなことに称賛してくれる人ならば、以下の本はお勧めです。
→楽天Kobo
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!



宗教をいろいろ研究していくと、他の宗教から別の宗教に移動していくパターンが散見されます。
日蓮を開祖と仰ぐ顕正会の『顕正新聞』を読んでいると、そういう会員たちのパターンが散見されます。
以下のパターンを知りました。
身延派(正法会)から顕正会へ
宗門から顕正会へ
エホバの証人から顕正会へ
創価学会から顕正会へ

神や仏といったものについては信じるものの、1つの宗教には拘泥できない、というのが私の立場であるゆえに、別段、宗教に入るのはいいとは思いますが、それだけに拘泥せずに、自分の属す宗教に足りないところや不満なところがあっても、それは別にむやみに咎めることはせずに、自分の思うようにアレンジすればいい、というのが私の立場です。
不満な人が、その宗教内にいても、相手にしなければいいし、金銭問題が発生したら(例えば、いくばくかの金を払いなさいというような理不尽なことを当局から命令されたら)、そこは敢然と意思表示をして、それでもだめならば、その団体は抜けるのがいいでしょう。
その宗教の長がいなくなって別の長にかわったら、戻ればいいでしょう。
同じ開祖を仰ぐ宗教でも分裂してしまう例はあります。
日蓮正宗から創価学会が除名にされ、顕正会も同じく除名にされました。
その後、創価学会も顕正会も各自で正宗とは別個に活動しています。
それぞれの団体に属していたが、そこの団体に疑問を呈して、他の日蓮正宗系の団体に移動していくパターンがあるのが見ることができます。
それは上に見た通りです。
そういう例を散見すると、やはり日蓮(下写真)という僧侶はカリスマ的な人だったのがわかりますし、同時に、多くの人は宗教にすがらなくては生きていけないパターンが多いのだなあと思います。

私は創価学会に入っていた時期がありましたが、特に得るものがなかったし、この団体に不満があれど、他の日蓮正宗系の団体に移籍しようなどと思ったことはなかったです。
日蓮の教えは学ぶところはあれども、そこだけでなく、いろんな本はもちろん、他の宗教について書かれた本を読むことで人生に生かすことが学べると思ったからです。
ゆえに創価学会に不満があっても、それを変革しようとは思わなかったです。
ただ、正宗から顕正会へ、あるいは創価学会から顕正会へ、という移籍のパターンの人は、そこで落ち着いてしまうようです。
顕正会も不満で他の団体へ、というパターンもあれど、それは少数派のようです。
しかし、なぜ、同じ正宗系でありながら信者に不満が出てしまうのか?を考えてしまいます。
いろんな人が日蓮にあこがれていながらも、その宗教に入るも、その人が持っている理想とその団体がかけ離れているから、というものが大きな原因があるようです。
また、その宗教団体の長が、説明責任を果たさないで好き勝手に組織を動かし、それについて何の反省をもしないでいるからだろうとも、思います。
それは日蓮正宗系のみならず、どの宗教団体にもあることなので、やはり同じ開祖を仰ぐ宗教団体でも、やはり分裂は避けられないでしょう。
まずは、いろいろ考えた結果、自分に一番合った団体を選び、そこに追随していくしかないでしょう。
それでいながら、他の領域からも積極的に学び、自分のモラルを形成していく工夫が必要でしょうし、それは自分独自の方法として他に強制はすべきではないでしょう。
なぜならば、自分の理想と、他の人の理想は違うからこそ、その理想を他の人に押し付けることは理にかなわないからです。
「これこそが最高の方法だ!」と思っていても、他の人からは全然そうでないと思えるパターンはいくらでもあります。

宗教に限らず、例えば自分の好きな音楽アーティストを思い浮かべればいいでしょう。
自分が「こんな素晴らしいアーティストが他にいるはずない!」と思って、人にその音楽を聴かせる。
しかし、その人は全然感動してくれない…そんな例ってありますよね?(笑)
ゆえに、人に自分の理想を押し付けるのは間違いなのです。
しかし、こと自分がぞっこんになった開祖の宗教団体については、とりあえずカリスマ的な指導者が長になっている団体に属し、そこでとりあえずは落ち着かせて、不満に思える箇所が出たら、そこは独自にアレンジしていくのがいいでしょう。
しかし、それで満足できないのであれば、その意思表示をする。
それでだめならば、抜けるか、その団体にはかかわらないで過ごし、理想と思える団体を探して、そこに移籍するのがいいでしょう。
それでも不満ならば、自分でその開祖の教えを正統に受け継ぐ団体だ、といって新たな団体を設立するのがいいでしょう(笑)。
いや冗談ではなく!(笑)
ただし、あなたがカリスマ性を秘めた長でいると確信が持てたらの話しですが。
それと、その団体を設立するにあたり、資金もなくてはならないでしょう。
その運営についての明確なビジョンも当然必要でしょう。
やはり、そういう明確なものが備わっていないならば、今の団体に落ち着くのがいいでしょう。
やはり、不満だけでは運営はやっていけないのが明白なのです。
使命感にもえるのは素晴らしいですが、やはり資質が必須なのです。
●そんなことに称賛してくれる人ならば、以下の本はお勧めです。
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今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!

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