大川隆法 『人間完成への道』


これは1989年におこなわれた、幸福の科学の総裁だった故.大川隆法氏による講演集です。
かねがね、私は哲学者とはどういう人物か、ということを考えていました。
いろんな定義がありますが、「人間社会を広く深く見れて、人を良き方向へ舵取りできるカリスマ性を秘めた人」ということもあるでしょう。
そのためには、いろんな学問を修めて、それを常に脳内で統合させながら、ものを書くなり、講演するなりして、その内容を表出しなければならないですね。
それを常に行っていたのが、大川隆法氏(下写真)だったのですね。
普通に会社に通い、身をそこに捧げて給料をもらう、ということで生活できますが、あえてそういった多数派の生活には身を投じずに、自身のうちから湧き出る思いや思想を表出し続ける、というかなりの程度、少数派の生活を選んだ大川総裁をはじめ幾多の学者、思想家、そして哲学者といわれる人には敬服しないわけにはいかないです。
もちろん、その表出した内容が、漫然としたものであったり、だれでも言えるような内容であってみれば、何の印象にも残らずに、そのまま記憶の外に置かれる、ということになってしまいますが、こと大川総裁に関してはそういうことはなかったですね。
その表出した内容も、読むごとに心温まる思いになっていたというのが正直なところです。
やはりそういう少数派の仕事に身を置いたのみならず、その内容を世界170か国以上にその宗教を弘めさせたというからには、かなりの程度、神や仏の加護はあったのであり、それらを味方につけていたという気がします。
物事1つするにも、ただ頑張っているだけではそれには限界が来てしまいます。
やはり結果を出せている、というのは、そういった人間の能力を超越したものを見方につけていると言わざるを得ないというのが正直なところです。
裏心があったり、人に良く見られたいという心が全くなく、純真な心で必死に打ち込んでいる人に神仏が味方してくれる、あるいは超越した能力を授けてくれるということでしょうか?
そんな気がします。
哲学者の定義としては、先に書いた通りですが、それ以外にも、政治に関して目の覚めるような理論を構築できている、ということも、その定義づけとして含めないといけないのかもしれないです。
この本の中で、大川総裁は、「政治においてエキスパートが必要」ということをこの講演内で言っているのです。
衆議院議員の600人のうち、200人を政治エキスパートに仕立て上げる必要があるということです。
もちろん、専門知識を問う試験を通る必要もさることながら、心や精神の世界、真理観での合格者をそのエキスパートにさせなければならない、ということのようです。
国会議員は、議会の中で各委員会に属し、また党内で各部会に属しているうちにいわゆる族議員になっていく。
曰く“農林族”“商工族”“運輸族”など、この族議員がそれぞれに専門知識を発揮して、立法に当たれば国政は円滑に進む。
だが、とかく我田引水になり利権と結びつきやすい。
その長期間の族議員の政権就任によって、この講演が行われていた89年においてその弊が表出していたのは間違いないでしょう。
また、官僚出身議員は知識とモラルにおいてエリート教育を施される。
諸外国と比べて日本の世襲議員、二世議員は汚職が少ない。
ゆえに世襲議員、二世議員は必ずしも否ではないということは言えるでしょう。
しかし、党人議員は地方議会から階段を登ってくる。
その経緯で選挙に金をかけるから金に敏感になり、暴力団とのつながり、不正に手を染めやすいという弊があるようです。
その弊も当時、表出していたのも間違いないでしょう。
それゆえに、このような提言を大川総裁は表出していたのでしょう。
とにかく、そういった問題点を浮き彫りにさせるだけで終わっていてはいけないです。
学問は、問題点をあぶりだして、その内容を構造的に明らかにして、それを良き方向へいかせるには、自身が行動するためにあるのです。
行動しなければ意味がないのは言うまでもないです。
それが、大川総裁による2009年の幸福実現党の結党でしょう。
しかし、それから10年以上も経ってはいるけれども、国選での当選者は幸福実現党からはいまだ1人もいないのは悲しいことです。
しかし、地方選ではちょくちょく幸福実現党から当選者が出ているようです。
やはり国選でのし上がるには、長い年月がかかるようです。
創価学会をバックにした公明党も国選で当選者が出るまでに30年がかかっているのですから、それを見習う必要があったのですが、やはり急ぎすぎた感があるのは否めないですね。
政治に関心がものすごくあった大川総裁は、いろんな情報を得ることで新聞ではえれない税金の行方をも浮き彫りにしているのがわかります。
郵政省でも国民が税金を取られている。
そして、大蔵省でも国民が税金を取られている。
こういう2本立ては、経営倫理に反するということです。
また医療保険にも税金がとられているということです。
私が、大学時代にはほとんどの学生が奨学金など借りずに生活していましたが、今の大学生にきいてみると奨学金を借りないでいる人のほうが少ない、ということです。
「30年間働き続ければ誰でも必ず年収1000万円」という団塊の世代の時代は終わりを告げて、2極化の時代に入ってしまったのが、現代日本なのですね。
それを直視して、自分が生活上でどのような工夫をしていくかが問われる時代になったようです。
その奨学金もまた日本政府の重要な財源になっているのです。
大蔵省に守られて、戦後、銀行は発展して、経常利益は何千億円にもなっていたようです。
こうなれば金利は下げなくてはならないのです。
国民が商品を買っていくごとに、ものは安くなる。
こういう量産効果が働くのが資本主義の常識なのです。
金利を安くして、国民たちに安い金で活動できるようにしなければいけないでしょう。
しかし、銀行は大きな保護を受けていたし、今もそうでしょう。
この時期(89年)においては、まだバブルが弾けず、国民のほとんどが中流意識をもち、世界でまれにみる平等国家だったのです。
誰もが、その恩恵を受けていた時代だけに、そういった問題点があっても不問に付されていたのです。
しかし、バブルが弾けてしまったそれ以降の時代において、そのバブル経済の残滓の処理によって、その金利の恩恵を更に受けることができなくなってしまったのは明白です。
しかも、高齢化社会において、年金を受給する人の増大や、生活保護を申請する人の増大も相まっていれば、さらにその金利はさらに上がっていくでしょう。
そこで何を考えて、市民として何をしていくべきか?を考えて日々行動していかなくてはならないでしょう。
こんな時代だからこそ、徳のある人が求められる、ということでしょう。

徳のある人とは、この本の冒頭で大川総裁は、「他の人の幸福を考えた時間が遥かに多い人」と定義しています。
会社の発展、繁栄はリーダーの心構えとして、最重要としているのです。
利益追求は会社の存続契機として持って当然としながら、徳ある人を求めているのです。
徳ある人は、自然自然と選ばれて行き、浮かび上がってくる、ということです。
この講演で総裁は「私は、私的幸福と公的幸福を両輪として理想的な世界を作る!」と言っているのです。
これには心温まる思いがしたものです。
若干30歳にしてかなりの慧眼モノの意見が言えているなと感じざるを得なかったですね。
これまでに、死去するまでに大川氏は10万冊の本を読んでいたようです。
こういった努力の積み重ねが神仏の加護を得ていた、ということも言えたと思います。
そういう日々の積み重ねをしている人に、神や仏が運や使命を与える、ということでしょう。
「さしたる努力もせずに、神仏の加護を得ようとはちと虫が良すぎよう」ということを言った格闘家がいました。
大学で学ぶ学問の理念や存在意義、市民とは何か、どのような社会生活を送っていくべきか…こんなことを日々考え続けてきた自分には、かなり整合する理論と思ったからです。
それに共感する人には読んでほしい本だと思いました。
ここに書いてあるのは一部だけであり、全部を網羅していないです。
2章以降に、「人間完成への道」「人を愛し、人を生かし、人を許せ」「八正道の発見」「無限の愛とは何か」と5章立てで講演がなされているのです。
●この本はお勧めです。




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