梅棹忠夫 『文明の生態史観』


今はなき日本が誇る知の巨星として謳われた梅棹忠夫氏の本、しかも代表作である『文明の生態史観』です。
これはもう20年以上も前に読んだ本でして、その読んだ際に、シャープペンで重要と思われる個所に印をつけて、その印を中心に要点をまとめて今回文章にしたのです。
しかし、これは60年代に書かれたにもかかわらず、非常な説得力をもって迫ってきます。

梅棹忠夫
私の大学時代に、政治学のゼミに所属していましたが、そのゼミの教員曰くに「私は丸山政男の本は大学時代から今まで何度読んだかわからない。もう丸山の本はボロボロだもの!」と言っていたのを思い出します (丸山政男は、今も政治学の神と崇められている学者です) 。
私も大学の教員や研究者だったら、梅棹氏の本はボロボロになるまで読んだであろうことは間違いないですね。
しかし、丸山氏の本は…まあわきに置いておきましょう。(笑)
梅棹忠夫氏は、私の大学時代に感銘を大いに受けた学者で、その氏の本は、いまだに本棚にしまっています。
また読むことがあると思っているので。
あまり感銘を受けなかった本はすぐに売ってしまいますが。
その氏の本は『日本とは何か?』という題でした。
これはなぜ、日本が戦後大きく経済発展できたのかを、社会を分析していき、説明した内容をフランスにおいて講演し、その内容を本にしたものです。
日本社会を教育、歴史、気候、風土、といった多分野にわたって分析していくことで、かなり明確に読者に迫る気がしました。
よくもこれほどの明確かつ分かりやすく分析したなと感心するとともに、「これほどの明確に説明できる経済学者がどれだけいるだろうか?」と瞬時に思ったものです。
このような明確な分析ができる学者は古今東西要るもので、そういう人がいることで、これからの社会を占い、明確な指針ができて、それを参考に快適な生活できるということからです。
単なる知の寄せ集めではなく、そこからこれから人類は、自国の社会はどういう指針をもって活動を続けていくのか、ということを明確にする、これが学者の使命の1つであると思うのですがどうでしょうか?
物資が当然のように国民全般にいきわたるようになったときに、必要な分析理論は何か、ということを明確にしたのが、梅棹氏の『情報の文明学』になります。
この本は、日本のみならず世界においても、この先どのような経済社会を築いていくかを占う指針として注目されたのです。
それに興味を持った人はそれを読んでみるのがいいでしょう。
今回紹介する『文明の生態史観』は、読むことでなぜ、経済的に発展できる国がある一方で、なかなかできない国があるのかといった素朴な疑問に明確な答えが見つかりました。
単なる政府の機構だけでなく、これまでのそれぞれの地域が経てきた歴史や文化をも俯瞰することによって、明らかになったのです。
その地域の分けかたが梅棹氏、特有なのです。
それでいて非常に明確なのです。
地球の北東から西南に横切る線を引き、その線の乾燥地帯は、砂漠、オアシス、ステップがあり、ここに接して森林ステップ、サバンナが現れる。
このただなかか縁辺に沿うサバンナを本拠として成立した古代文明があり、その例としてナイル、メソポタミア、インダス、黄河があり、それらのいずれもその性格を抜け切ることはなかったのです。
この真ん中から現れてくる人間集団、恐ろしい破壊力、文明の世界を嵐のようにふき抜けて行ったというのです。
匈奴、モンゴル、ツングース、イスラム社会そのものが暴力の源泉だったというのです。
この特有の現象を見つけた梅棹氏は慧眼モノです。
梅棹氏は、地球を大きく第一地域と第二地域に分けているのです。
第一地域は、日本とヨーロッパというおおざっぱな区切り方でいいのかという気がします。
高度資本主義体制は、革命によってブルジョアが実質的な実権を得たのです。
革命前は、封建体制であった。
動乱を経て、封建体制が成立。
それ以外を第二地域としたのです。
第二地域では、巨大な帝国ができては壊れの連続だったのです。
大きな帝国ができては壊れての連続で発展がなかったという中国の停滞史観という単語を聞いたことがあるでしょう。
第二地域では、王朝はその暴力を有効に排除したときにうまく栄えたのですが、ゆえにいつも身構えなくてはならなかった。
ゆえに生産力の浪費だったのです。
近世にはいって、遊牧的暴力はほぼ鎮圧され、その結果、中国、インド、ロシア、トルコが成立したというのです。
すると今度は、第一地域からの侵略的勢力に立ち向かうことになるのです。
第一地域は中緯度温帯で、適度の雨量があり、高い土地の生産力を誇っていた。
しかし、第二地域は熱帯降雨林地帯でてごわい。
端っこだったゆえに、中央アジア的暴力がここまで及ぶことなかったゆえに、抵抗できるほどの実力の蓄積していったということです。
非常に明確かつ分かりやすい分析でしょう。
気候や風土にまで突っ込んで分析しているのですから。
こういう経済的に必要な要素が日本には、ヨーロッパ諸国と同じように持ち合わせていたからこそ、日本は戦後ももちろん明治維新時にも、西洋列強と肩を並べるほどの先進国になることができた、ということがわかるでしょう。
日本を「東洋の国」とするのは、いかにも不十分だと梅棹氏はしているのです。
日本は、西洋伝来のものがおびただしく入ってきている。
高度の文明生活を享受し、巨大な工業力、交通通信網、行政組織、教育の普及、豊富な物資、生活水準の高さ、高い平均年齢、発達した学問、芸術が存在しているのです。
それを思い起すと、日本に生まれて自分は幸運だったなあと思います。
経済発展には、当然国民の教育や啓蒙が不可欠です。
その勉強をする際にも、気候が足枷になることが日々の生活からもわかります。
今このページを書いているのは、夏ですが、網戸にしてパンツ1枚にして書いてますが、それでも暑くて、しまいにはねむたくなり、そのまま寝てしまいます。
たとえ起きていれても、汗が出てタイピングがしずらくなるし、それをぬぐうストレスも加わってなかなか前に進めないです。
ゆえにエアコンを使わざるを得ないです。
すると仕事が一気にはかどることになります。
その最強の利器であるエアコンを第三世界全体に敷くとなれば、かなりの労力と時間と費用が掛かるのは言うまでもないです。
暑いというのは教育にはかなり支障が生じることになります。
フィリピンやエジプトに行ったことがある人に聞いたところ、現地の人達は、昼間はほとんどの人が寝ているのだそうです。
そうでしょう暑ければ、当然寝たくなりますもの。
そうなれば勉強はもちろん普通に働くことだって難しいことです。
ゆえに、経済発展も緩慢になります。
また第一地域と第二地域の対比として、第一地域では、聖と俗の権力分離が早く起こったのに対し、第二地域では、精神界の支配者と俗界の支配者がずっと後世までくっついている、ということです。
これもまた、経済発展の際の作用を考えるに必須の事象でしょう。

あまりに興味のわくわかりやすい本だったゆえに、この本もさきの『日本とは何か』と同じく、一気に読んでしまい、2日か3日で読破してしまったものです。
こういうわかりやすく、明確ゆえに興奮して読んでしまった本の著者の本は、他の出した本にも興味がわき、それ以外の本も注文して読んでしまうものです。
そういう著作家の例は、そうそうあるものではないです。
5人以下ではないでしょうか?
確かに、多大なる感動を受けた著者のでも、あまり読む気になれないで終わってしまうパターンも大いにありますし、事実梅棹氏のもそういう例がありました。
しかし、それは5指に余る程度で、それほど卑下すべき筋合いのものではないでしょう。
好きな音楽アーティストでも、そのアーティストの出したアルバムすべてが傑作というわけではないでしょう?
やはり2枚以上全然聴けないアルバムというのは誰にでもあるものです。
この本『文明の生態史観』は、67年に初版が出されて以降、いまだに新本で入手が可能なのですから驚異的です。
そういう例は非常に珍しいです。
梅棹氏の専門は民俗学ですが、この本は専門にかまわず、大学の文系に属している人ならば、1度は読んでいてもいいでしょう。
社会科学全般を理解するに非常に愉しくわかりやすくする理論が、そこかしこにちりばめられている本ですから、一度読んでいれば社会の事象を理解するのに大いに手助けになる本だということが言えるからです。
●この本はお勧めです。




♯梅棹忠夫
♯文明の生態史観
コメントを書く... Comments