個人的な「この宗教にはいって祈ったから私は幸せになれた!」という体験談が人を不幸に?
顕正会は当初、「日蓮正宗 顕正会」と名乗っていて、日蓮正宗の信徒団体だったのですね。
しかし、日蓮正宗との折り合いが悪くなり、日蓮正宗の法主だった細井日達によって破門にされてしまうのです。
正本堂(下写真)が同じく信徒団体だった創価学会による350億円もの大金によって寄進されて作ることになったようです。
それが、「日蓮大聖人の御遺命通りではないから」ということで、顕正会の会長だった浅井昭衛氏からの物言いがついていたのです。
日蓮大聖人は、広宣流布がかなったときに、天皇の許可を得て、富士山の天生が原に戒壇を建てよという遺言を遺している。
広宣流布とは浅井氏によれば、「日本人全国民が日蓮の教えに帰依したとき」だとしていますが、そんなことはどう考えても不可能です。
そして、戒壇は鎌倉時代においては建てるときに天皇の許可が必要だったのです。
ゆえに天皇の許可を得よとしたのです。
しかし、信教の自由な今の時代では、天皇の許可を得るなどということは不可能です。
そして、天生が原は水はけが悪く、戒壇を立てるなどというのは不可能で、よしんばできたとしても、すぐに倒れてしまうことは必至です。
それならば、日蓮正宗の本山である大石寺にその造るスペースもあり、資金も貯まり、開祖から700年の記念すべき時に戒壇を建てようという機運が揃ったのであれば、その時に建ててよいだろうとするのが普通でしょう。
浅井昭衛
しかし、あまりに教条主義というか石頭だった浅井昭衛氏は、「建てるべきではない!」といつまでも反対をしていたようです。
それが主因となって顕正会は破門になったようです。
それまで日蓮正宗の信徒は法主からご本尊を書いてもらって受持されていたのが、破門にされたことで、顕正会の信者は本尊を受持されなくなってしまったということです。
そこで顕正会員はどうしたか?
富士大石寺にある日蓮が鎌倉時代に書いたという第ご本尊がある方角に向かって勤行をすることにしたようです。
これを遥拝勤行というのだそうです。
それまでにも、遠くに住んでいてご本尊を法主から書いてもらえなかった日蓮正宗信徒は、仕方なく遥拝勤行で我慢していたようですが、破門された以降の顕正会は、これしか方法がなくなってしまったのです。
顕正会の勤行に参加させてもらったことが私はあります。
また、創価学会にいたこともあったので、創価学会の勤行にも参加したこともあります。
それらの勤行の違いは、創価学会のほうは唱えるスピードが速いということ。
そして顕正会のはゆっくりしていて、全部終わるのに時間がかかるということですね。
同じ日蓮正宗系の宗教団体ではありますが、創価学会に嫌気がさして顕正会に移籍する人もかなりいるのが、顕正会の新聞である『顕正新聞』に書いてあります。
また日蓮正宗から抜けて顕正会に来る人もいるようです。
その人の体験談が以下です。
「ゆっくり丁寧な遥拝勤行で怖い夢見ていたのが見なくなった」ということです。
日蓮正宗の団体でもいくつか分かれているようで、その1つが法華講というわけです。
その法華講には、人情のない先輩や僧侶はいるもので、その嫌な経験から悪夢を見るまでになったようで、そこから抜け出したということだったようです。
この人の体験談を読むと、いかにも顕正会が由緒正しい日蓮の団体ゆえに、その正道である勤行をしているからこそ、こうなったというように考えられがちですが、実際はそうではないと思います。
短絡的というか、無邪気というか、勤行や唱題を重ねることで大病が治ったとか、営業成績が上がったとかいう経験談がその機関新聞では載っていますが、それがそのまま日蓮に正当に帰依したからだというように信者が思うパターンが少なからずあるようですが、そんな短絡的には考えたくないのですね私は。
その経験者は、ただ単にその法華講の怖い先輩から離れたからゆえではないか?それが最大の理由ではないか?と思われてならないのですね、私は。
遥拝勤行ゆえにとか、顕正会が素晴らしい団体だから、ということではないでしょう。
そういう宗教的な力を得て物事が好転するということは当然あるでしょう。
それを否定はしないです。
しかし、それだけではないでしょう?ということを私は言いたいのです。
やはり大病が治ったのは、医学の発展やそれに携わった医師や看護師たちのおかげが最大に大きいのではないか、ということを言いたいのです。
そういう視点を持つことで、さらに感謝の念は増幅することは間違いないでしょう。
そういう短絡的な思考法は避けたいというのが私の理念なのですね。
この団体で帰依したからだ、という短絡的な思考では、その人は「この団体にいれば幸せになれる」といって、他の人に勧めたりするでしょう。
そんな単純なことでは幸せにはなれませんから、帰依したのに幸せにれないじゃないかと反論されても、「それは信心が足りないからだ」という屁理屈で答えることになってしまい、いつまでたっても幸せににれないまま終わってしまうのは必至です。
もちろん、神や仏のご加護や創造されたものの恩恵は当然あると思うので、私はその面には感謝はありますが、好転したのがすべてがすべて日蓮大聖人様のおかげというようには与さないというのが私のモラルなのです。
●そんな立場に与してくれる人がいましたら読んでほしいのが私の本です。
また、そんな立場に興味ある人にも読んでもらいたいです。
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今回はこれにて終了します。
ここまで読んでいただき感謝します!
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しかし、日蓮正宗との折り合いが悪くなり、日蓮正宗の法主だった細井日達によって破門にされてしまうのです。
正本堂(下写真)が同じく信徒団体だった創価学会による350億円もの大金によって寄進されて作ることになったようです。
それが、「日蓮大聖人の御遺命通りではないから」ということで、顕正会の会長だった浅井昭衛氏からの物言いがついていたのです。
日蓮大聖人は、広宣流布がかなったときに、天皇の許可を得て、富士山の天生が原に戒壇を建てよという遺言を遺している。
広宣流布とは浅井氏によれば、「日本人全国民が日蓮の教えに帰依したとき」だとしていますが、そんなことはどう考えても不可能です。
そして、戒壇は鎌倉時代においては建てるときに天皇の許可が必要だったのです。
ゆえに天皇の許可を得よとしたのです。
しかし、信教の自由な今の時代では、天皇の許可を得るなどということは不可能です。
そして、天生が原は水はけが悪く、戒壇を立てるなどというのは不可能で、よしんばできたとしても、すぐに倒れてしまうことは必至です。
それならば、日蓮正宗の本山である大石寺にその造るスペースもあり、資金も貯まり、開祖から700年の記念すべき時に戒壇を建てようという機運が揃ったのであれば、その時に建ててよいだろうとするのが普通でしょう。
浅井昭衛
しかし、あまりに教条主義というか石頭だった浅井昭衛氏は、「建てるべきではない!」といつまでも反対をしていたようです。
それが主因となって顕正会は破門になったようです。
それまで日蓮正宗の信徒は法主からご本尊を書いてもらって受持されていたのが、破門にされたことで、顕正会の信者は本尊を受持されなくなってしまったということです。
そこで顕正会員はどうしたか?
富士大石寺にある日蓮が鎌倉時代に書いたという第ご本尊がある方角に向かって勤行をすることにしたようです。
これを遥拝勤行というのだそうです。
それまでにも、遠くに住んでいてご本尊を法主から書いてもらえなかった日蓮正宗信徒は、仕方なく遥拝勤行で我慢していたようですが、破門された以降の顕正会は、これしか方法がなくなってしまったのです。
顕正会の勤行に参加させてもらったことが私はあります。
また、創価学会にいたこともあったので、創価学会の勤行にも参加したこともあります。
それらの勤行の違いは、創価学会のほうは唱えるスピードが速いということ。
そして顕正会のはゆっくりしていて、全部終わるのに時間がかかるということですね。
同じ日蓮正宗系の宗教団体ではありますが、創価学会に嫌気がさして顕正会に移籍する人もかなりいるのが、顕正会の新聞である『顕正新聞』に書いてあります。
また日蓮正宗から抜けて顕正会に来る人もいるようです。
その人の体験談が以下です。
「ゆっくり丁寧な遥拝勤行で怖い夢見ていたのが見なくなった」ということです。
日蓮正宗の団体でもいくつか分かれているようで、その1つが法華講というわけです。
その法華講には、人情のない先輩や僧侶はいるもので、その嫌な経験から悪夢を見るまでになったようで、そこから抜け出したということだったようです。
この人の体験談を読むと、いかにも顕正会が由緒正しい日蓮の団体ゆえに、その正道である勤行をしているからこそ、こうなったというように考えられがちですが、実際はそうではないと思います。
短絡的というか、無邪気というか、勤行や唱題を重ねることで大病が治ったとか、営業成績が上がったとかいう経験談がその機関新聞では載っていますが、それがそのまま日蓮に正当に帰依したからだというように信者が思うパターンが少なからずあるようですが、そんな短絡的には考えたくないのですね私は。
その経験者は、ただ単にその法華講の怖い先輩から離れたからゆえではないか?それが最大の理由ではないか?と思われてならないのですね、私は。
遥拝勤行ゆえにとか、顕正会が素晴らしい団体だから、ということではないでしょう。
そういう宗教的な力を得て物事が好転するということは当然あるでしょう。
それを否定はしないです。
しかし、それだけではないでしょう?ということを私は言いたいのです。
やはり大病が治ったのは、医学の発展やそれに携わった医師や看護師たちのおかげが最大に大きいのではないか、ということを言いたいのです。
そういう視点を持つことで、さらに感謝の念は増幅することは間違いないでしょう。
そういう短絡的な思考法は避けたいというのが私の理念なのですね。
この団体で帰依したからだ、という短絡的な思考では、その人は「この団体にいれば幸せになれる」といって、他の人に勧めたりするでしょう。
そんな単純なことでは幸せにはなれませんから、帰依したのに幸せにれないじゃないかと反論されても、「それは信心が足りないからだ」という屁理屈で答えることになってしまい、いつまでたっても幸せににれないまま終わってしまうのは必至です。
もちろん、神や仏のご加護や創造されたものの恩恵は当然あると思うので、私はその面には感謝はありますが、好転したのがすべてがすべて日蓮大聖人様のおかげというようには与さないというのが私のモラルなのです。
●そんな立場に与してくれる人がいましたら読んでほしいのが私の本です。
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