「これ宗教こそが唯一の方法である!」…これこそが情報弱者なのです!
私の家に顕正会の人が来て、顕正会の機関紙である『顕正新聞』を私に手渡して、開祖と仰ぐ日蓮の偉大さについて語ったり、いろんな駅の前に顕正会の人たちがいて、その人たちに話しかけられて日蓮の仏法について話されたりしているうちに、日蓮の宗教についていろいろ調べてみることにしました。
「どんなに素晴らしいのだろうか、この宗教は?」という疑問がわいてきたのです。
その際に、顕正会の長であった故.浅井昭衛氏(下写真)の著作本を読むのが一番手っ取り早いことは間違いないと思い、その『日蓮大聖人に背く日本は必ず滅びる』という本を買い、それを読みました。
氏が学生の時代から日蓮の仏法に傾いて、かなりぞっこんになったのがわかりました。
誰もが若いころにハマったものにぞっこんになりやすいのはわかります。
ぞっこんになるとかなり猪突猛進になって、大した根拠もなく走り続けてしまうようです。
そういうがむしゃらさがあることで、人生が充実したものになることは間違いないでしょう。
しかし、その思想が支持を得るためには、絶対的な根拠がないことには不可能なのは言うまでもないでしょう。
その著の中で、現代になって人心が荒廃しているさまを書き連ねていました。
そして、「このような人心の荒廃は、政治でも教育でも解決できない。
三毒の心を根底から変えてくださるのは、日蓮大聖人の最大秘宝だけである。」
と結んでいるのです。
そこにはまるで根拠が書いてないのです。
日蓮の仏法に帰依したことで解決したという事例を最低でも5個は挙げてくれないことには、こちらは納得できないです。
確かに人心は荒廃していると思われる事象は多々あります。
それは単に日蓮の仏法に、日本人や他の国の人たちが入らないで信仰もしないからだというのではまるで説得力がないのです。
あたかも日蓮の仏法が、この世の万能薬であり、それ以外のものは何の効能もない、という議論は独りよがりの観が強すぎるのです。
人心の荒廃は千差万別です。
あまりに自由すぎる家庭、あまりに拘束しすぎる家庭、あまりにこどもを誉めない教育、親子関係、夫婦関係…こういったものが原因となって人心の荒廃が起きるのです。
決して現代人が日蓮の仏法に帰依しないからだということではないのです。
それを浅井氏は、日蓮に現代人が帰依しないからだ、という狭い結論に帰着してしまっている。
あまりに日蓮の仏法にばかり長年向き合ってきたがゆえに、「この仏法こそが万能薬だ!」と思ってしまう気持ちはわかります。
しかし、一歩外に踏み出して、他の宗教や他の分野の本についていろいろ読んでみるのがいいのです。
そうすることで、何も日蓮の仏法だけが好転させるための方途ではないんだ、ということがわかると思います。
やはり多面的になって物事を考えて、その問題点があったらそれが良くなるように、いろんなことを行動していくのがいいのです。
この場合は教育ですね。
それを日々の生活の中で実行していくのです。
そういう立場なのが私なのです。
浅井氏のみならず顕正会の会員たちは、その仏法だけにぞっこんになり、それこそが万能薬だ、という世界観に浸っている。
この仏法を携えていくことで幸福になれると信じて疑わない。
なぜ、そういうように1つの宗教にぞっこんになり、毎回その宗教の会合に足を運んでは、その長や幹部たちの言葉に真剣に耳を傾ける人がいるかと思いきや、逆に私のように「確かにその宗教のいわんとすることはわかるが、全部を受け入れるわけにはいかない。」という人がいるのか。
それは人間の類型に関わる問題なのです。
後者に人にいくらその宗教の素晴らしさを語っても、決してその宗教に入らないことは間違いないです。
こういう人間類型を理解したうえで、自分のスタンスを決めるのがいいのです。
しかし、その宗教にぞっこんになってしまう人を蔑む気は私にはなければ、卑下する気もないです。
その人がこれこそが最高の宗教だとするのも思想信条の自由です。
しかし、私はそうはならないで自分の決めた方法で行く、と決めているだけです。
●そんなスタンス論に興味がある人は私の本(電子書籍)を読んでいただければ嬉しいことこの上なく存じます(笑)
『日蓮正宗、創価学会、顕正会 どのように選び接していくか』
→楽天Kobo
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!
汗牛充棟.com ホーム
「どんなに素晴らしいのだろうか、この宗教は?」という疑問がわいてきたのです。
その際に、顕正会の長であった故.浅井昭衛氏(下写真)の著作本を読むのが一番手っ取り早いことは間違いないと思い、その『日蓮大聖人に背く日本は必ず滅びる』という本を買い、それを読みました。
氏が学生の時代から日蓮の仏法に傾いて、かなりぞっこんになったのがわかりました。
誰もが若いころにハマったものにぞっこんになりやすいのはわかります。
ぞっこんになるとかなり猪突猛進になって、大した根拠もなく走り続けてしまうようです。
そういうがむしゃらさがあることで、人生が充実したものになることは間違いないでしょう。
しかし、その思想が支持を得るためには、絶対的な根拠がないことには不可能なのは言うまでもないでしょう。
その著の中で、現代になって人心が荒廃しているさまを書き連ねていました。
そして、「このような人心の荒廃は、政治でも教育でも解決できない。
三毒の心を根底から変えてくださるのは、日蓮大聖人の最大秘宝だけである。」
と結んでいるのです。
そこにはまるで根拠が書いてないのです。
日蓮の仏法に帰依したことで解決したという事例を最低でも5個は挙げてくれないことには、こちらは納得できないです。
確かに人心は荒廃していると思われる事象は多々あります。
それは単に日蓮の仏法に、日本人や他の国の人たちが入らないで信仰もしないからだというのではまるで説得力がないのです。
あたかも日蓮の仏法が、この世の万能薬であり、それ以外のものは何の効能もない、という議論は独りよがりの観が強すぎるのです。
人心の荒廃は千差万別です。
あまりに自由すぎる家庭、あまりに拘束しすぎる家庭、あまりにこどもを誉めない教育、親子関係、夫婦関係…こういったものが原因となって人心の荒廃が起きるのです。
決して現代人が日蓮の仏法に帰依しないからだということではないのです。
それを浅井氏は、日蓮に現代人が帰依しないからだ、という狭い結論に帰着してしまっている。
あまりに日蓮の仏法にばかり長年向き合ってきたがゆえに、「この仏法こそが万能薬だ!」と思ってしまう気持ちはわかります。
しかし、一歩外に踏み出して、他の宗教や他の分野の本についていろいろ読んでみるのがいいのです。
そうすることで、何も日蓮の仏法だけが好転させるための方途ではないんだ、ということがわかると思います。
やはり多面的になって物事を考えて、その問題点があったらそれが良くなるように、いろんなことを行動していくのがいいのです。
この場合は教育ですね。
それを日々の生活の中で実行していくのです。
そういう立場なのが私なのです。
浅井氏のみならず顕正会の会員たちは、その仏法だけにぞっこんになり、それこそが万能薬だ、という世界観に浸っている。
この仏法を携えていくことで幸福になれると信じて疑わない。
なぜ、そういうように1つの宗教にぞっこんになり、毎回その宗教の会合に足を運んでは、その長や幹部たちの言葉に真剣に耳を傾ける人がいるかと思いきや、逆に私のように「確かにその宗教のいわんとすることはわかるが、全部を受け入れるわけにはいかない。」という人がいるのか。
それは人間の類型に関わる問題なのです。
後者に人にいくらその宗教の素晴らしさを語っても、決してその宗教に入らないことは間違いないです。
こういう人間類型を理解したうえで、自分のスタンスを決めるのがいいのです。
しかし、その宗教にぞっこんになってしまう人を蔑む気は私にはなければ、卑下する気もないです。
その人がこれこそが最高の宗教だとするのも思想信条の自由です。
しかし、私はそうはならないで自分の決めた方法で行く、と決めているだけです。
●そんなスタンス論に興味がある人は私の本(電子書籍)を読んでいただければ嬉しいことこの上なく存じます(笑)
『日蓮正宗、創価学会、顕正会 どのように選び接していくか』
→楽天Kobo
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!
汗牛充棟.com ホーム
コメントを書く... Comments