宗教へのスタンスは生まれ落ちた時に決まっている。その内容は?
鎌倉時代に勃興した仏教で日蓮の宗教は大いに注目を集めて、この人の教えこそが最高と思ってしまう人を大量に出した例はなかなかないでしょう。
私も教えとしては、注目に値すると感じることはありますし、人生の糧としたい部分があることは認めます。
あの世で浄土を築こうとするな、今世で浄土を築けとした日蓮の思考は見習いたいと思います。
ポジティブ思考でありますし、こういう思想こそが人を生き生きとさせるものであることは間違いないでしょう。
そのプラスの面は正当に評価する1人です私は。
しかし、その人の思想が自分にとって素晴らしいものであることによって、必ずしも他の人をも包み込むことができるとは限らないですし、他の宗教家の思想もまた人を魅了する威力を秘めているという事実もあることを理解しないといけないでしょう。
あまりにその宗教家にぞっこんになったがゆえに、その人の思想に感化されると、非常に猪突猛進になり、その思想しか見えなくなり、そればかり勉強し、ひいては妄想に変わるから注意が必要です。
日蓮の死後、その弟子たちがその教えをひろめようと、寺を建築してその教えを広めようとしましたが、大きく派が2つに分かれてしまいました。
大きく日蓮宗と日蓮正宗と分かれたのです。
日蓮正宗系の宗教としていまも、隆盛を誇っているのが顕正会です。
いまや300万世帯にまで広がっているようです。
この会長であった故.浅井昭衛氏(下写真)は、その妄想を吐いていた1人でした。
この人の出した本の1つである『日蓮大聖人に背く日本は必ず滅びる』という本を買って読んでみました。
この表題からして妄想の観がたっぷりありますね(笑)。
その本の中に、「日本及び全世界の一切衆生をお救い下さるのは、日蓮大聖人ただ一人である」と書いてあります。
こう書くのはいいですが、その根拠が全く書いてないのですね。
その根拠が、その本の全部を見渡すも全然見つからないのですね。
また浅井氏は 「正系門家がもし仏法を曲げれば、日本は必ず傾いていく」とも書いているのです。
正系門家というのは日蓮正宗系という意味だそうです。
顕正会は、日蓮正宗の信徒団体でしたが、その日蓮正宗から破門にされているがゆえに、こういう名称にしたのでしょう。
「日蓮正宗系」ではあたかも日蓮正宗とつながりのある団体と思われてしまいかねないと懸念したのでしょう。
しかし、この文言にも根拠が書いてないのですね。
日蓮の遺した御書を読めば、「日蓮の教えを保たねば日本は滅びる」といったことを書いたのは発見できました。
それをそのまま無批判でいたのでしょう浅井氏は。
しかし、他の思想や宗教とは関係のない本などを読めば、別に日蓮の宗教に依らなくても日本は保っていけるということはわかるはずです。
いくら日蓮仏法にぞっこんになったからとはいえ、日蓮のいったことをそのまま鵜吞みになるのは考え物です。
日蓮がその文言をどのような意図で書いたのかも探らなくてはならないでしょう。
それに、いろんな文物に接して、真理を探るのが賢明でしょうと言いたくなるのですね私は。
過度な依存ですが、浅井氏でなくても、他の宗教においても、その思想ばかりにぞっこんになるケースは多々あります。
またその浅井氏の本には 「全日本人は日蓮大聖人の大恩徳を教え、「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」の重大御誠意を…」と書き始めて、こんこんとその素晴らしさを述べていますが、そこでも根拠が書いてないのですね(笑)
あまりにカリスマ的な指導者になると、たとえ誤っていても、またあまりに根拠薄弱でも、その人の言ったことをそのまま妄信してしまうケースは多々あるのです。
顕正会の知り合いは、こういう穴だらけの浅井氏に無批判になっているのがわかりました。
わき目もふらずに猪突猛進することで人生が充実したものになることは間違いないですが、そこで誤りが発覚したのならば、そこは修正しなくてはならないのは言うまでもないことです。
そうでなければ、人を説得することはできないのは言うまでもないことです。
その姿勢がないからということも、私は顕正会を支持しない理由となっているのです。
その思想にぞっこんになってしまったがゆえに、「この宗教こそが人民を救う!」といった妄想に変わり、ひいては「この宗教を信じなないならば人は地獄に行ってしまう!」という思いに変わり、度を越えた勧誘が社会問題になり、勧誘した人でその宗教に入らないと言った場合、その人を監禁までしてしまう例があるのは、どの宗教にもあります。
当然、顕正会のそういったことも社会問題になりました。
そうなってしまう気持ちはわからなくはないですが、自分を一度現状から突き放して、可能な限り客観視することが大事ですね。
やはり他の本を読んでみるのがいいのです。
そういう態度によって、私は日蓮上人(下写真)の言ったことのみが真理ではない、ということがわかりました。
学ぶべきことはあるにしても、その人だけではないという意見に達したので、日蓮上人の教えを人に語ろうと思ったこともないですし、折伏といって他の人をその信者にする行為もしないまま現在に至ります。
そう、私は日蓮正宗の信徒団体だったが日蓮正宗から破門にされた創価学会の会員だったのです。
母が創価学会員なのでそのつてでこの団体に入りました。
その団体の人に「この宗教こそが世界最高峰の宗教だ!」と説得されて入り、その機関紙である聖教新聞を何度も読むも、感動を呼びおこさなかったので一切の活動はしていないです。
この宗教は、日本国内でベスト3には必ず入る大宗教団体であることは間違いないですが、大宗教団体だからと言って必ずしも自分にあう宗教とは限らないのです。
逆に思想のスタンスが違えば相容れるわけはないのです。
その思想のスタンスこそ人の人生を決定するものなのです。
それは生まれ落ちた時から決定しているものなのです。
そのスタンスは大きく2つに分かれるのです。
1つはどっちつかず。
もう一方は一途。
言葉の印象や響きからすれば、後者のほうがいいように思えるのが一般的ですが、それは変えようのないものですし、それぞれ特長がありますから、そこは前者の人は誇りに思っていいでしょう。
そのスタンスは人類普遍的であり、不変なのです。
その内容について知りたい人は、私の書いた本(電子書籍)を読むことをお勧めします。
●興味ある人は、以下よりどうぞ!
『日蓮正宗、創価学会、顕正会 どのように選び接していくか』
→楽天Kobo
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!
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私も教えとしては、注目に値すると感じることはありますし、人生の糧としたい部分があることは認めます。
あの世で浄土を築こうとするな、今世で浄土を築けとした日蓮の思考は見習いたいと思います。
ポジティブ思考でありますし、こういう思想こそが人を生き生きとさせるものであることは間違いないでしょう。
そのプラスの面は正当に評価する1人です私は。
しかし、その人の思想が自分にとって素晴らしいものであることによって、必ずしも他の人をも包み込むことができるとは限らないですし、他の宗教家の思想もまた人を魅了する威力を秘めているという事実もあることを理解しないといけないでしょう。
あまりにその宗教家にぞっこんになったがゆえに、その人の思想に感化されると、非常に猪突猛進になり、その思想しか見えなくなり、そればかり勉強し、ひいては妄想に変わるから注意が必要です。
日蓮の死後、その弟子たちがその教えをひろめようと、寺を建築してその教えを広めようとしましたが、大きく派が2つに分かれてしまいました。
大きく日蓮宗と日蓮正宗と分かれたのです。
日蓮正宗系の宗教としていまも、隆盛を誇っているのが顕正会です。
いまや300万世帯にまで広がっているようです。
この会長であった故.浅井昭衛氏(下写真)は、その妄想を吐いていた1人でした。
この人の出した本の1つである『日蓮大聖人に背く日本は必ず滅びる』という本を買って読んでみました。
この表題からして妄想の観がたっぷりありますね(笑)。
その本の中に、「日本及び全世界の一切衆生をお救い下さるのは、日蓮大聖人ただ一人である」と書いてあります。
こう書くのはいいですが、その根拠が全く書いてないのですね。
その根拠が、その本の全部を見渡すも全然見つからないのですね。
また浅井氏は 「正系門家がもし仏法を曲げれば、日本は必ず傾いていく」とも書いているのです。
正系門家というのは日蓮正宗系という意味だそうです。
顕正会は、日蓮正宗の信徒団体でしたが、その日蓮正宗から破門にされているがゆえに、こういう名称にしたのでしょう。
「日蓮正宗系」ではあたかも日蓮正宗とつながりのある団体と思われてしまいかねないと懸念したのでしょう。
しかし、この文言にも根拠が書いてないのですね。
日蓮の遺した御書を読めば、「日蓮の教えを保たねば日本は滅びる」といったことを書いたのは発見できました。
それをそのまま無批判でいたのでしょう浅井氏は。
しかし、他の思想や宗教とは関係のない本などを読めば、別に日蓮の宗教に依らなくても日本は保っていけるということはわかるはずです。
いくら日蓮仏法にぞっこんになったからとはいえ、日蓮のいったことをそのまま鵜吞みになるのは考え物です。
日蓮がその文言をどのような意図で書いたのかも探らなくてはならないでしょう。
それに、いろんな文物に接して、真理を探るのが賢明でしょうと言いたくなるのですね私は。
過度な依存ですが、浅井氏でなくても、他の宗教においても、その思想ばかりにぞっこんになるケースは多々あります。
またその浅井氏の本には 「全日本人は日蓮大聖人の大恩徳を教え、「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」の重大御誠意を…」と書き始めて、こんこんとその素晴らしさを述べていますが、そこでも根拠が書いてないのですね(笑)
あまりにカリスマ的な指導者になると、たとえ誤っていても、またあまりに根拠薄弱でも、その人の言ったことをそのまま妄信してしまうケースは多々あるのです。
顕正会の知り合いは、こういう穴だらけの浅井氏に無批判になっているのがわかりました。
わき目もふらずに猪突猛進することで人生が充実したものになることは間違いないですが、そこで誤りが発覚したのならば、そこは修正しなくてはならないのは言うまでもないことです。
そうでなければ、人を説得することはできないのは言うまでもないことです。
その姿勢がないからということも、私は顕正会を支持しない理由となっているのです。
その思想にぞっこんになってしまったがゆえに、「この宗教こそが人民を救う!」といった妄想に変わり、ひいては「この宗教を信じなないならば人は地獄に行ってしまう!」という思いに変わり、度を越えた勧誘が社会問題になり、勧誘した人でその宗教に入らないと言った場合、その人を監禁までしてしまう例があるのは、どの宗教にもあります。
当然、顕正会のそういったことも社会問題になりました。
そうなってしまう気持ちはわからなくはないですが、自分を一度現状から突き放して、可能な限り客観視することが大事ですね。
やはり他の本を読んでみるのがいいのです。
そういう態度によって、私は日蓮上人(下写真)の言ったことのみが真理ではない、ということがわかりました。
学ぶべきことはあるにしても、その人だけではないという意見に達したので、日蓮上人の教えを人に語ろうと思ったこともないですし、折伏といって他の人をその信者にする行為もしないまま現在に至ります。
そう、私は日蓮正宗の信徒団体だったが日蓮正宗から破門にされた創価学会の会員だったのです。
母が創価学会員なのでそのつてでこの団体に入りました。
その団体の人に「この宗教こそが世界最高峰の宗教だ!」と説得されて入り、その機関紙である聖教新聞を何度も読むも、感動を呼びおこさなかったので一切の活動はしていないです。
この宗教は、日本国内でベスト3には必ず入る大宗教団体であることは間違いないですが、大宗教団体だからと言って必ずしも自分にあう宗教とは限らないのです。
逆に思想のスタンスが違えば相容れるわけはないのです。
その思想のスタンスこそ人の人生を決定するものなのです。
それは生まれ落ちた時から決定しているものなのです。
そのスタンスは大きく2つに分かれるのです。
1つはどっちつかず。
もう一方は一途。
言葉の印象や響きからすれば、後者のほうがいいように思えるのが一般的ですが、それは変えようのないものですし、それぞれ特長がありますから、そこは前者の人は誇りに思っていいでしょう。
そのスタンスは人類普遍的であり、不変なのです。
その内容について知りたい人は、私の書いた本(電子書籍)を読むことをお勧めします。
●興味ある人は、以下よりどうぞ!
『日蓮正宗、創価学会、顕正会 どのように選び接していくか』
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