宗教にハマる人は猪突猛進で回りが見えなくなっている。その自己矛盾に気づくべし?
こんにちは。
これまで、顕正会の会長だった故.浅井昭衛氏(下写真)の日蓮に対する誇大な信仰について語ってきました。
日蓮こそが宇宙一だとか、この人をおいて至高の存在はいないといったことを氏の本の中でたくさん書いていたし、講演でもそういうことを語っていたのです。
しかし、その信仰をたもてば必ずそういう結論に誰もがなるかといえばそんなことはなく、疑問に思うことは多々ありました。
その結果、私は「日蓮仏法は学ぶことろはあるけれども全部を受け入れるわけにはいかない」という結論に達しました。
例えば、仲の悪い兄弟がいたとしましょう。
それはどうすれば克服できるか?
日蓮正宗系の人ならば、「題目を唱えればか必ず仲は良くなる」といいたいのでしょうが、そんな単純な結論には達しないです。
日頃、その兄弟がどんな態度で接しているのか、その親はどんな教育を施しているのか、その家族の他の人間関係などをつぶさに聞いて、そこでどういうことをすればいいかを提案します。
要するに科学的な方法論の提示ですね。
そんな科学的な方法は日蓮(下写真)の生きた鎌倉時代においてはなかったがゆえに、日蓮は「南無妙法蓮華経と唱えるべし!」と説いていたに違いないのです。
当時はそんな方法がなかったからそういうほかなかったのだから、ことさら日蓮を批判する気はさらさらないです。
しかし、経文を唱えることではなく、確実に克服できる方法が現代になって見つかったのであれば、その方法に縋るほうがいいに決まっています。
そうではなく、宗教にハマってしまった人は、その宗教しか見えないゆえに、そういう経文を唱える方法しか思いつかないのですね。
それでは、いつまでたっても克服できずに終わってしまうのです。
そうなれば、ストレスも増すだろうし、兄弟仲はサラに悪くなっていき、最悪の場合殺人にまで行ってしまうことは間違いないです。
いや、冗談ではなく。
浅井氏が、その本である『日蓮大聖人に背く日本は必ず滅ぶ』の中で以下のように書いています。
「日蓮大聖人の御魂たる大御本尊を信じて、南無妙法蓮華経と唱え奉ればいかに欲と瞋りとおろかにまみれたものでも、その心に大聖人様が宿ってくださる。」
これはどう考えても誤りでしょう。
確かに、日蓮正宗系の宗教内には心優しい人間が多い、いやほとんどであることは間違いないです。
それは、日蓮正宗系でなくとも他の仏教にしても、キリスト教を信仰するひとでも、イスラム教を信じる人でも一緒なのです。
宗教に入ったから、心優しくなったではないのです。
心優しい人が宗教に入るのです。
それはいろんな宗教の会合に出席して、いろんな人を見てきたからそう断言できるのです。
その事実を見ずに、
「この団体にいるからそういう人が多い。ゆえに、この信仰を保てば誰もが心優しくなる」
という結論に浅井氏は達してしまっていたのでしょう。
しかも、科学的な論考も足りない気がします。
サイコパスといわれる人がいます。
そういう分類にされる人は、
自分の意見しか聞けない。
人を使役して快感を得る。
自分の誤りを絶対に認めない。人を学歴や肩書だけで判定する。
こういう精神的な特徴を備えているのです。
この世に犯罪がなくならないのは、必ずサイコパスといわれる人が存在するからです。
毎日必ずスマホに届く詐欺メールは、サイコパスといわれる人たちによって運営されているのです。
気をつけましょう。
こういう人たちが改心するように「南無妙法蓮華経」と唱えれば、そういう悪さをしなくなるのでしょうか?
そんなことは絶対にないです。
この世に日蓮系の人間は世界で億単位でいるのです。
その億単位の人が毎日唱えているのに、なくならないは、その経文にそんな威力がないからです。
もちろん、科学的な教育をいくら施しても効果はなしなのです。
ゆえに、そういった詐欺に巻き込まれてはならないように知的武装をしていくことこそが王道なのです。
経文をとなえることが最優先であってはならないのです。
顕正会は日蓮正宗系の団体ですが、同じ系の団体であった創価学会の信者たちも同じような思考回路であることは間違いないです。
そこの人たちも、哀しいかな「これさえあれば、必ず世界を幸せにできる!」という世界観なのですね。
そんな単純なものではなく、やはり物事を多面的に考えて、克服への王道の方途を見つけ、それにかなった行動をしていくべきなのです。
私の母が創価学会員だったので、そのつてでこの団体に入りました。
その会員たちは、その信仰に熱心で、いろんな人にその信仰の素晴らしさを説いていました。
しかも創価学会をバックに構成された公明党支持にいそしんでいました。
選挙の時は、いろんな友人や知人に公明党議員に入れてくれるように電話をして頼んでいました。
自分もいずれこうなるのかなと思ったけれども、そんなことはないです。
まず第一に、教義そのものが受け入れられないし、どの政策が妥当と思うかは人によって違うのです。
自分が妥当と思われる政策を掲げている立候補者に票を入れて、それを実行してもらう、これが間接民主主義の理念であるはずです。
その妥当と思われる政策かどうかは、その人の価値観や主義や得てきた情報によって異なってくるのは言うまでもないです。
ゆえに人よって違うものを無理やり人に強制するものではないのも言うまでもないことです。
ゆえに、いろんな候補者の声明が掲げられている紙が選挙前に必ずどの家庭にも配達されるので、その紙をくまなく読んで、妥当と思われる候補者に票を入れるのが自然でしょうし、望ましいかたちであることはいうまでもないです。
それを無視して、いろんな人に電話して「公明党議員に入れてくれ!」では民主主義に反するのは言うまでもないです。
もちろん、その紙を読んで、「この候補者に入れたい」という思いが公明党議員にわいたのであるならば、その人に入れるべきでしょうが、そんな思いにならずに他の議員にそういう思いを抱いたのであるならば、その人に入れるのがいいでしょう。
それが選挙の基本のはずですが、創価学会員は猪突猛進に電話をかけまくっている…信じれないです(笑)。
「公明党議員に入れれば必ず政治は良くなる」と思って疑わないのですから、あまりに情報弱者の観は否めないです。
その宗教にぞっこんになる人は、他の領域にとびこまずに、それまでの既存の領域だけで対処して、それで満足してしまっているのです。
もっと大きく俯瞰して物事を見ることをお勧めしたいです。
選挙にしろ、自分の属する宗教にしろ。
そんな私の意見に与したいという人にはお勧めの本(電子書籍)が以下です。
●興味ある人は読んでくださいませ!
『日蓮正宗、創価学会、顕正会 どのように選び接していくか』
→楽天Kobo
→Amazon Kindle
今回はこれにて終わります。
ありがとうございました。
汗牛充棟.com ホーム
これまで、顕正会の会長だった故.浅井昭衛氏(下写真)の日蓮に対する誇大な信仰について語ってきました。
日蓮こそが宇宙一だとか、この人をおいて至高の存在はいないといったことを氏の本の中でたくさん書いていたし、講演でもそういうことを語っていたのです。
しかし、その信仰をたもてば必ずそういう結論に誰もがなるかといえばそんなことはなく、疑問に思うことは多々ありました。
その結果、私は「日蓮仏法は学ぶことろはあるけれども全部を受け入れるわけにはいかない」という結論に達しました。
例えば、仲の悪い兄弟がいたとしましょう。
それはどうすれば克服できるか?
日蓮正宗系の人ならば、「題目を唱えればか必ず仲は良くなる」といいたいのでしょうが、そんな単純な結論には達しないです。
日頃、その兄弟がどんな態度で接しているのか、その親はどんな教育を施しているのか、その家族の他の人間関係などをつぶさに聞いて、そこでどういうことをすればいいかを提案します。
要するに科学的な方法論の提示ですね。
そんな科学的な方法は日蓮(下写真)の生きた鎌倉時代においてはなかったがゆえに、日蓮は「南無妙法蓮華経と唱えるべし!」と説いていたに違いないのです。
当時はそんな方法がなかったからそういうほかなかったのだから、ことさら日蓮を批判する気はさらさらないです。
しかし、経文を唱えることではなく、確実に克服できる方法が現代になって見つかったのであれば、その方法に縋るほうがいいに決まっています。
そうではなく、宗教にハマってしまった人は、その宗教しか見えないゆえに、そういう経文を唱える方法しか思いつかないのですね。
それでは、いつまでたっても克服できずに終わってしまうのです。
そうなれば、ストレスも増すだろうし、兄弟仲はサラに悪くなっていき、最悪の場合殺人にまで行ってしまうことは間違いないです。
いや、冗談ではなく。
浅井氏が、その本である『日蓮大聖人に背く日本は必ず滅ぶ』の中で以下のように書いています。
「日蓮大聖人の御魂たる大御本尊を信じて、南無妙法蓮華経と唱え奉ればいかに欲と瞋りとおろかにまみれたものでも、その心に大聖人様が宿ってくださる。」
これはどう考えても誤りでしょう。
確かに、日蓮正宗系の宗教内には心優しい人間が多い、いやほとんどであることは間違いないです。
それは、日蓮正宗系でなくとも他の仏教にしても、キリスト教を信仰するひとでも、イスラム教を信じる人でも一緒なのです。
宗教に入ったから、心優しくなったではないのです。
心優しい人が宗教に入るのです。
それはいろんな宗教の会合に出席して、いろんな人を見てきたからそう断言できるのです。
その事実を見ずに、
「この団体にいるからそういう人が多い。ゆえに、この信仰を保てば誰もが心優しくなる」
という結論に浅井氏は達してしまっていたのでしょう。
しかも、科学的な論考も足りない気がします。
サイコパスといわれる人がいます。
そういう分類にされる人は、
自分の意見しか聞けない。
人を使役して快感を得る。
自分の誤りを絶対に認めない。人を学歴や肩書だけで判定する。
こういう精神的な特徴を備えているのです。
この世に犯罪がなくならないのは、必ずサイコパスといわれる人が存在するからです。
毎日必ずスマホに届く詐欺メールは、サイコパスといわれる人たちによって運営されているのです。
気をつけましょう。
こういう人たちが改心するように「南無妙法蓮華経」と唱えれば、そういう悪さをしなくなるのでしょうか?
そんなことは絶対にないです。
この世に日蓮系の人間は世界で億単位でいるのです。
その億単位の人が毎日唱えているのに、なくならないは、その経文にそんな威力がないからです。
もちろん、科学的な教育をいくら施しても効果はなしなのです。
ゆえに、そういった詐欺に巻き込まれてはならないように知的武装をしていくことこそが王道なのです。
経文をとなえることが最優先であってはならないのです。
顕正会は日蓮正宗系の団体ですが、同じ系の団体であった創価学会の信者たちも同じような思考回路であることは間違いないです。
そこの人たちも、哀しいかな「これさえあれば、必ず世界を幸せにできる!」という世界観なのですね。
そんな単純なものではなく、やはり物事を多面的に考えて、克服への王道の方途を見つけ、それにかなった行動をしていくべきなのです。
私の母が創価学会員だったので、そのつてでこの団体に入りました。
その会員たちは、その信仰に熱心で、いろんな人にその信仰の素晴らしさを説いていました。
しかも創価学会をバックに構成された公明党支持にいそしんでいました。
選挙の時は、いろんな友人や知人に公明党議員に入れてくれるように電話をして頼んでいました。
自分もいずれこうなるのかなと思ったけれども、そんなことはないです。
まず第一に、教義そのものが受け入れられないし、どの政策が妥当と思うかは人によって違うのです。
自分が妥当と思われる政策を掲げている立候補者に票を入れて、それを実行してもらう、これが間接民主主義の理念であるはずです。
その妥当と思われる政策かどうかは、その人の価値観や主義や得てきた情報によって異なってくるのは言うまでもないです。
ゆえに人よって違うものを無理やり人に強制するものではないのも言うまでもないことです。
ゆえに、いろんな候補者の声明が掲げられている紙が選挙前に必ずどの家庭にも配達されるので、その紙をくまなく読んで、妥当と思われる候補者に票を入れるのが自然でしょうし、望ましいかたちであることはいうまでもないです。
それを無視して、いろんな人に電話して「公明党議員に入れてくれ!」では民主主義に反するのは言うまでもないです。
もちろん、その紙を読んで、「この候補者に入れたい」という思いが公明党議員にわいたのであるならば、その人に入れるべきでしょうが、そんな思いにならずに他の議員にそういう思いを抱いたのであるならば、その人に入れるのがいいでしょう。
それが選挙の基本のはずですが、創価学会員は猪突猛進に電話をかけまくっている…信じれないです(笑)。
「公明党議員に入れれば必ず政治は良くなる」と思って疑わないのですから、あまりに情報弱者の観は否めないです。
その宗教にぞっこんになる人は、他の領域にとびこまずに、それまでの既存の領域だけで対処して、それで満足してしまっているのです。
もっと大きく俯瞰して物事を見ることをお勧めしたいです。
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ありがとうございました。
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