浅井昭衛氏の日蓮原理主義ここに極めれり!
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日蓮正宗、そして日蓮宗の開祖である日蓮は、生前に「広宣流布がかなったときに国主に許可を得て、大御本尊を祀った戒壇を富士山天生が原に建てよ。」と遺言を遺しているのです。
それを建てようという機運が、戦後、昭和40年代に高まったのです。
そして、日蓮正宗と創価学会が中心になってお金を集めたのです。
しかし、そこで横やりを入れたのが、当時日蓮正宗の信徒団体であった顕正会の会長だった浅井昭衛氏(下写真)だったのです。
まだ国主(鎌倉時代でいうと天皇)の許可を得ていないし、広宣流布はかなっていないから建てるべきではないということが、その理由でした。
天皇が鎌倉時代の執政の中心的存在になっていたゆえに、日蓮が「国主に許可を」といったのです。
それが室町以降は親政をおこない、そして昭和の当時においては象徴的存在になっていたのです。
それを今の時代の国主とは、と正直苦笑を禁じえなかったですね!(笑)
もっと科学的に考えろといいたくなりました。
鎌倉時代の当時、戒壇は、天皇の勅命があって初めて建てることができたのです。
浅井氏がいっていた国立戒壇というのは、天皇主権の明治憲法が背景になっているのです。
戒壇の建立は天皇が法華信仰になって初めて可能ではありましたが、天皇に法華信仰はなかった。
ならばどのようにして可能か?
憲法を改正するしかなかったでしょう。
国民主権の今の時代においては、国民の総意により、全国民が法華信仰、そして憲法改正…不可能です。
しかも、政教分離の今では天皇が裁可することは出来ない。
政教分離は憲法20条において規定されているのです。
政治の上からは絶対に宗教に関与してはならない。
そしてまた宗教も政治を利用してはならないのです。
「ならば憲法を改正すればいい」というのが浅井氏の主張だったようです。
しかし、日本人のだれもが法華信仰に目覚めて、天皇の裁可を得てるように仕向けて、戒壇を建てようという機運になるかといえば、そんなことが可能になるはずはないでしょう。
社会全体がその機運になって、「憲法を改正しよう!」ということになり、衆参両院で議員の3分の2以上が賛成し、可決すればそれも可能でしょうが、そんな機運が続くはずはまずないでしょう。
日蓮の言っていた戒壇を作るためだけに、政教分離をやめよう、などという機運が起こるはずがないのです。
その可能性はほぼ0%でしょう。
断言してもいいです。
日蓮
「広宣流布」というのは、非常に抽象的な言い回しで、どれだけの人間が日蓮の宗教に帰依した状態をいうのかは、日蓮の遺した書物を読んでもわからないのですね。
「国民の3分の1が日蓮に帰依したら」ということを、当時の法主だった日達上人が言っていたようですが、それも不可能だったろうことは明白でした。
当時の浅井氏は、彼の書物から推測するに、全国民が帰依した時、というように捉えていたように思えるのです。
日本国民が、全員日蓮の仏法に帰依させてこそ国立戒壇の建設が可能だというなのであれば、いつまでたっても不可能でしょう。
日蓮正宗、創価学会、顕正会ほか正宗系の人たちが、全国民に呼びかけることだけでも無理でしょう。
その人の思想や信条はそうそう変えられるものではないのですから。
人間は本来保守的なのです。
ゆえにそれまでの宗教をすてて日蓮仏法に帰依するはずはないです。
曹洞宗だった人が、日蓮の教えに帰依できるか…無理に決まっています。
逆に、浅井氏に真言宗の信者になれといったらなるでしょうか?
絶対に断るでしょう。
その断るであろうことを他の宗教の信者にさせようとしているのだから呆れます。
やはり建立するに充分な寄進額が集まった時点でということでよかったのです。
創価学会もかなりの人がそれに賛同していて、創価学会からは350億円もの寄付金が集まったようです。
そして日蓮正宗と創価学会の寄付金の集まりによって、戒壇つまり正本堂を建てることが決定したのです。
日蓮開祖の700周年の年においてです。
しかし、浅井氏だけは大反対の意思を曲げず、反対し続けていたのです。
あくまでも、日蓮大聖人の御遺命のままを通すという立場だったようです。
なんとも頭が固いというか融通が利かないというか、ただただ日蓮大聖人の言ったことだけを守る。
それもいいですが、やはりそれがどうしてもうまくいかない時があるのですから、頭を柔らかくして考えを改めるほかないのです。
浅井氏は、氏の本の中で「池田大作は、大聖人の唯一の御遺命たる国立戒壇を否定して、偽戒壇.正本堂を建てこれを時の貫首に『御遺命の戒壇』と認承させた。さらにあろうことか、戒壇の大御本尊を捨て奉った。
一方、宗門の阿部日顕は戒壇の大御本尊を敵視している身延派とも連携し身延派の悪僧どもを相次いで大石寺に招いた。」として、正宗と学会の両方を批判していたのです。
その結果、顕正会は日蓮正宗から破門処分にされるのです。
そして、氏が死ぬ2023年の直前まで、「正本堂は偽戒壇だ!偽戒壇だ!」と連呼していたのです。
あまりに一途になるのはいいですが、融通が利かないのはいただけないですね。
しかし、こういうあまりに融通の利かない浅井氏に賛同し続けていた顕正会員が多くいたし、いまだその浅井氏の意見を支持している人が大勢いますからあきれるばかりです。
「正本堂の建立は、国民全員が日蓮に帰依してから天皇の許可を得て、なんていう浅井氏の意見は無理だしおかしいでしょう?」と顕正会員に尋ねたことがあったのですが、誰もが「そんなことない」というのですから信じれなかったです。
その教団に一途になると、まるで自分の意見がなくなってしまう。
それで意志のないまま無批判でいる。
そういう人が多くなればなるほど、その長.浅井昭衛氏は、自分の意見を固定したままになっていく。
頑固者は余計頑固者になる、というスパイラルから抜け出せなくなる(笑)
そういう人生は私は見習いたくないですね(笑)
そんなスタンスに共鳴される方はいらっしゃるでしょうか?
●そんな人にお勧めしたいのが以下の本(電子書籍)が以下です。
『日蓮正宗、創価学会、顕正会 どのように選び接していくか』
→楽天Kobo
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!
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日蓮正宗、そして日蓮宗の開祖である日蓮は、生前に「広宣流布がかなったときに国主に許可を得て、大御本尊を祀った戒壇を富士山天生が原に建てよ。」と遺言を遺しているのです。
それを建てようという機運が、戦後、昭和40年代に高まったのです。
そして、日蓮正宗と創価学会が中心になってお金を集めたのです。
しかし、そこで横やりを入れたのが、当時日蓮正宗の信徒団体であった顕正会の会長だった浅井昭衛氏(下写真)だったのです。
まだ国主(鎌倉時代でいうと天皇)の許可を得ていないし、広宣流布はかなっていないから建てるべきではないということが、その理由でした。
天皇が鎌倉時代の執政の中心的存在になっていたゆえに、日蓮が「国主に許可を」といったのです。
それが室町以降は親政をおこない、そして昭和の当時においては象徴的存在になっていたのです。
それを今の時代の国主とは、と正直苦笑を禁じえなかったですね!(笑)
もっと科学的に考えろといいたくなりました。
鎌倉時代の当時、戒壇は、天皇の勅命があって初めて建てることができたのです。
浅井氏がいっていた国立戒壇というのは、天皇主権の明治憲法が背景になっているのです。
戒壇の建立は天皇が法華信仰になって初めて可能ではありましたが、天皇に法華信仰はなかった。
ならばどのようにして可能か?
憲法を改正するしかなかったでしょう。
国民主権の今の時代においては、国民の総意により、全国民が法華信仰、そして憲法改正…不可能です。
しかも、政教分離の今では天皇が裁可することは出来ない。
政教分離は憲法20条において規定されているのです。
政治の上からは絶対に宗教に関与してはならない。
そしてまた宗教も政治を利用してはならないのです。
「ならば憲法を改正すればいい」というのが浅井氏の主張だったようです。
しかし、日本人のだれもが法華信仰に目覚めて、天皇の裁可を得てるように仕向けて、戒壇を建てようという機運になるかといえば、そんなことが可能になるはずはないでしょう。
社会全体がその機運になって、「憲法を改正しよう!」ということになり、衆参両院で議員の3分の2以上が賛成し、可決すればそれも可能でしょうが、そんな機運が続くはずはまずないでしょう。
日蓮の言っていた戒壇を作るためだけに、政教分離をやめよう、などという機運が起こるはずがないのです。
その可能性はほぼ0%でしょう。
断言してもいいです。
日蓮
「広宣流布」というのは、非常に抽象的な言い回しで、どれだけの人間が日蓮の宗教に帰依した状態をいうのかは、日蓮の遺した書物を読んでもわからないのですね。
「国民の3分の1が日蓮に帰依したら」ということを、当時の法主だった日達上人が言っていたようですが、それも不可能だったろうことは明白でした。
当時の浅井氏は、彼の書物から推測するに、全国民が帰依した時、というように捉えていたように思えるのです。
日本国民が、全員日蓮の仏法に帰依させてこそ国立戒壇の建設が可能だというなのであれば、いつまでたっても不可能でしょう。
日蓮正宗、創価学会、顕正会ほか正宗系の人たちが、全国民に呼びかけることだけでも無理でしょう。
その人の思想や信条はそうそう変えられるものではないのですから。
人間は本来保守的なのです。
ゆえにそれまでの宗教をすてて日蓮仏法に帰依するはずはないです。
曹洞宗だった人が、日蓮の教えに帰依できるか…無理に決まっています。
逆に、浅井氏に真言宗の信者になれといったらなるでしょうか?
絶対に断るでしょう。
その断るであろうことを他の宗教の信者にさせようとしているのだから呆れます。
やはり建立するに充分な寄進額が集まった時点でということでよかったのです。
創価学会もかなりの人がそれに賛同していて、創価学会からは350億円もの寄付金が集まったようです。
そして日蓮正宗と創価学会の寄付金の集まりによって、戒壇つまり正本堂を建てることが決定したのです。
日蓮開祖の700周年の年においてです。
しかし、浅井氏だけは大反対の意思を曲げず、反対し続けていたのです。
あくまでも、日蓮大聖人の御遺命のままを通すという立場だったようです。
なんとも頭が固いというか融通が利かないというか、ただただ日蓮大聖人の言ったことだけを守る。
それもいいですが、やはりそれがどうしてもうまくいかない時があるのですから、頭を柔らかくして考えを改めるほかないのです。
浅井氏は、氏の本の中で「池田大作は、大聖人の唯一の御遺命たる国立戒壇を否定して、偽戒壇.正本堂を建てこれを時の貫首に『御遺命の戒壇』と認承させた。さらにあろうことか、戒壇の大御本尊を捨て奉った。
一方、宗門の阿部日顕は戒壇の大御本尊を敵視している身延派とも連携し身延派の悪僧どもを相次いで大石寺に招いた。」として、正宗と学会の両方を批判していたのです。
その結果、顕正会は日蓮正宗から破門処分にされるのです。
そして、氏が死ぬ2023年の直前まで、「正本堂は偽戒壇だ!偽戒壇だ!」と連呼していたのです。
あまりに一途になるのはいいですが、融通が利かないのはいただけないですね。
しかし、こういうあまりに融通の利かない浅井氏に賛同し続けていた顕正会員が多くいたし、いまだその浅井氏の意見を支持している人が大勢いますからあきれるばかりです。
「正本堂の建立は、国民全員が日蓮に帰依してから天皇の許可を得て、なんていう浅井氏の意見は無理だしおかしいでしょう?」と顕正会員に尋ねたことがあったのですが、誰もが「そんなことない」というのですから信じれなかったです。
その教団に一途になると、まるで自分の意見がなくなってしまう。
それで意志のないまま無批判でいる。
そういう人が多くなればなるほど、その長.浅井昭衛氏は、自分の意見を固定したままになっていく。
頑固者は余計頑固者になる、というスパイラルから抜け出せなくなる(笑)
そういう人生は私は見習いたくないですね(笑)
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●そんな人にお勧めしたいのが以下の本(電子書籍)が以下です。
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