原理主義は自家撞着を引き起こす。現代社会をくまなく観察して、最大限できることに執着すべし?
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顕正会の会長だった故.浅井昭衛氏(下写真)は、かねてから日蓮の言ったことをそのまま無批判に受け入れて、それを現代社会においてもそれとの兼ね合いを全く考慮せず、そのまま実行させようとしていた、ということで、私はいぶかし気に思っていました。
しかし、顕正会はじめ、創価学会、日蓮正宗といった日興門流の日蓮の宗派はどれも、日蓮の言ったことをまったく変えずに実行していっている団体はない、と以下の書物で指摘しました。
その内容については、ここで詳しくは書いているスペースがないので割愛し、それを読んでいただくのがいいでしょう。
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それはそれで批判すべき筋合いのものではないのです。
日蓮の遺した所謂『御書』は膨大な書物であり、現在の信者たちが一字一句そのまま拠りながら行動していくのは不可能だからです。
それに、日蓮の言ったことをそのまま現代社会で適用しようとしてもできない場面が多々あるのです。
それに後世になって、日蓮の言ったことは不要と思われる部分も多々あるからです。
日蓮系の団体の後世の長が、採った政策について「それは日蓮の言ったことに反する」といって批判の対象になることはまああることなのです。
それは、必然であり致し方ないことです。
しかし、その採択された執政について不満が沈静化すれば、それで終わりですが、沈静化せずに不満のまま鬱積していくとなると、それが組織の分裂につながるのです。
そして時代が重なれば分裂、あるいは破門処分になってしまい、それぞれが別の団体として行動していくことになるのは、こと日蓮正宗系だけでなく、いろんな宗教にもあることです。
日蓮正宗系の団体である顕正会は、自ら「顕正会こそが日蓮大聖人の遺された言葉を一切変えることなく実行している唯一の団体だ」というニュアンスの言葉を出していたいた団体ですが、そんなことはないのです。
しかし、それを批判する気は全くないのです。
そんなことは不可能ですから。
しかし、日蓮大聖人の言ったことを絶対に変えていない、というのならば、以下の日蓮の文言に従っているのか?といいたくなるのです。
「僧の恩をいはば仏法、法宝は必ず僧によりて住す。譬えば薪なければ火無く、大地なければ草木生ずべからず。
仏法ありといえども、僧ありて、習い伝えずんば、伝わるべからず。
乃至、然れば、僧の恩を報じ難し。
されば、三宝の恩を報じ給うべし」
これは日蓮の遺した言葉ですが、仏.と法と僧を重んじなさいということです。
しかし、仏と法は顕正会は重んじているけれども、僧は重んじていない。
いな、その前に据えていることすらしていないのです。
仕方はないです、顕正会は日蓮正宗から破門にされているのだし、僧などいないし、いないがゆえに重んじることすらできない今は在家の団体なのですから。
それを批判しようとは思いません。
しかし、私が言いたいのは、開祖の言ったことをそっくりそのまま現代社会で行うことなどできないし、出来ないがゆえにそこは頭を柔らかくして柔軟に変えていくことが大事ということです。
現代ではいろんな考えが、いろんな人にあるわけで、どの人とも完全に一致するはずはないのです。
ゆえに、いろんな人のいろんな意見を取り入れて、話しあいをして、妥当と思われる地点で妥協するほかないようです。
そういうことを試みても、必ずしも不満が解消されるわけはないのでしょうか?
どの宗教の、どの宗派でも、古今東西分裂は不可避だったのですから。
顕正会の人にいいたいのは、日蓮の言ったことを至上のものとしながら一切、それを変えていないというのが信条であるならば、やはり僧を据えなくてはならないでしょう、ということです。
2023年には、創価学会の会長であった池田大作(下写真)が、そして顕正会の会長だった浅井昭衛がなくなりました。
それぞれの団体が、日蓮至上主義を採択していくのであるならば、それぞれの団体が、これから先、僧を据えることになるのも不思議ではないです。
その至上主義の色彩がつよいのは顕正会のほうですね。
日蓮が生前に、戒壇をのちのちに作ることを依頼していたのです、信者に。
その内容は、「広宣流布が達成した時に、天皇の許可を得て、富士山天生が原に戒壇を建てよ」ということです。
それが、昭和40年代に、日蓮正宗とその信徒団体だった創価学会が中心になって作ろうという機運になったのです。
そして募金も集められて、創価学会からは350億円もの大金が集まったのです。
しかし、そこで横やりを入れたのが、故.浅井昭衛氏だったのです。
その言い分は、「広宣流布には達成していないし、戒壇を建てようとしているところは、富士山天生が原ではなく大石寺境内であるし、天皇の許可を得ていない」ということでした。
日蓮(下写真)の言った広宣流布という語は、非常に曖昧な言葉で、日本国民の何割が日蓮に帰依してからなのか明白な数値が書いていないのです。
しかし、浅井氏は全国民と解釈していたようですが、そんなことは不可能なのは小学生にでもわかります。
そして富士山天生が原というのは、非常に水はけが悪く建物を建てるには不向きかつ、非常に辺鄙であるからして、戒壇の建立には向かなかったのです。
しかし、大石寺境内にはその作るスペースがあったから、そこに建てようという意見に大筋で合意が達していたのです。
そこを考慮せずに、「日蓮大聖人の言った場所ではない」という反対理由では誰も説得できないでしょう。
そして、天皇の許可を得てからという日蓮の言葉の根拠は、鎌倉時代の当時、戒壇を作るには天皇の許可が必要だったからです。
ゆえにそう書いたのであって、当時そして今も天皇の許可を得てから、というのは憲法で規定されている政教分離の原則に反するものであることは明白です。
そんな時代に、なぜ日蓮大聖人の言葉とは違うといって反対する必要があるのだろうと、いぶかし気に思います。
そういう現状や現代社会との兼ね合いを全く考慮せずに、日蓮の言ったことだけを最大限に優先させて事を運ばそうとする…浅井氏はさながら日蓮原理主義者といいたくなりました。
奈良時代には皇子が天皇になり、軍の指揮をとっていた。
そして、政治をするのみならず、法令を作り、遷都して、歌を作った。
聖武天皇に至っては大仏まで建立した。
そんな天皇の時代が前にあったがゆえに、日蓮の生きた武士の時代においても天皇の威厳はその残滓としてあったのです。
それもまた戒壇の建立の許可は天皇に得なければならなかったのだという法的根拠の解釈も成り立つでしょう。
天皇が執政をして大仏を建立した時代においても、1つの仏教宗派だけで日本が存続していたのではないのです。
いくつも宗派があったのです。
しかし、そんな時代ではないにもかかわらず、「日本の全国民が日蓮に帰依をしてから」なんていうのは絶対に無理と小学生でもわかる事です。
それなのに、全国民が帰依していないからという理由も戒壇建立の反対として掲げるのはなんとも現在をあまりにみなさすぎ、という誹りはまぬかれないでしょう。
こういう浅井氏の反対を押し切って戒壇=正本堂(下写真)は建てられました。
それが建てられた時の法主は細井日達上人でしたが、その後の法主になった日顕によって、建立から26年後に、その正本堂は解体させられてしまったのです。
350億円もの大金を創価学会員が出して作ったにもかかわらずです。
そして日顕はもうこの世にはいないですが、この暴挙によってこの人は、今頃、地獄の業火によって苦しんでいるでしょう。
人の好意を最大限にまでくみ取っていく…これも宗教者としての務めであるとは思いますが、そういうことを平然と行われるのは、相当育ちが歪んだものだったのは明らかです。
歪んだ親子関係で育ったがゆえに、こうなったと私は分析しているのです。
そしてそれを本にもしたためました。
するとそれを読んだ某女性が、Amazonのレビュー欄に「事実無根の情報が多すぎる」などと表題に書いたのみならず、「日顕上人が嫉妬で行動するような人とは到底思えません」などとも書いているのです。
あまりに日蓮正宗内で発行された文物しか読んでいないのは明白でした。
日顕
350億円もの大金を出して建てたにもかかわらず、それを無為に壊す…そんな法主に対して無批判でいる。
相当情報が偏っているのでしょうね。
こういう暴挙に対して何を思うか?
ぜひとも読んで感想を聞かせてほしいものです。
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話しをもとに戻しまして、戒壇を建てよとした日蓮の遺言は、その日顕によってまたスタートからやり直しになりました。
そこで浅井氏に聞きたかったのは、浅井氏がいう真の国立戒壇はいつできるのか?ということでした。
全国民が日蓮に帰依をして、天皇の許可を得て、富士山天生が原に建てる、という遺言は達成できるのか、ということです。
絶対に無理でしょう。
全国民が日蓮に帰依をするのを目指すのはいいですが、今の顕正会員は300世帯にまで伸びているようですが、それだけではまだまだ足りないでしょう。
定義にもかかってきますが、日蓮正宗の信徒も入れてなのか、創価学会員も入れてなのか、あるいは日蓮宗の信徒も入れてなのか、定義によって変わってくるでしょうが、たとえこれらをすべて総計しても無理です。
そして戒壇を作るお金を今から募るにしても、顕正会内だけなら可能でしょう。
しかし、天生が原に建てるだけの金が集まるのかどうか非常に怪しいです。
たとえ募ることができたとしても、その戒壇には、日蓮が生前したためた大御本尊(下写真)を祀らなければならないとも日蓮本人が言っていたことなのです。
その大御本尊は、いま顕正会を破門にした日蓮正宗の所有なのです。
それをどうやってもらえるのか、あるいは借りれるのか、そんなビジョンは全く見えてこないのです。
おそらく100%以上の確率で、戒壇の建立は不可能でしょう。
こういったことを考慮すれば、あの正本堂の建立でよかったといわざるを得ないのです。
そういった広く深く考慮せずに、正本堂について「あれは偽戒壇だった!偽戒壇だった!」と最後まで連呼していた浅井昭衛氏にはいぶかし気の念しか湧かなかったのが正直なところです。
浅井氏は生前に、
「勅宣とは天皇の詔勅、ご教書とは当時幕府の命令書、今日においては国会の決議、閣議等がこれに当たる。そしてこれを実現する鍵こそが、日本における広宣流布、国立戒壇なのであります。」
という言葉をのこしていました。
しかし、何ら具体的なビジョンもないまま空理空論を唱えていただけなのです。
いまにして思えば、正本堂こそが、日蓮正宗系にとって最大限実現できた代物だったのです。
あれが偽戒壇というのなら、いま代替するものをあなたの団体は作れるのですか?と言いたかったです。
できないならば、今できる範囲で完成できたものこそを素直に認めるべきだったと思われてならないのですね私は。
そんな意見に与することができる人にお勧めのは以下の電子書籍になります。
日蓮正宗、いわゆる富士門流のどの団体にも汲みすることなく客観的な視点で書かれています。
宗教にどのようなスタンスでいるのがいいか?
どのような神仏への畏敬の念を持っているべきか?
曖昧な方で知りたい人は読むべきでしょう。
●以下よりどうぞ!
『日蓮正宗、創価学会、顕正会 どのように選び接していくか』
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今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!
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日蓮系の団体の後世の長が、採った政策について「それは日蓮の言ったことに反する」といって批判の対象になることはまああることなのです。
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しかし、その採択された執政について不満が沈静化すれば、それで終わりですが、沈静化せずに不満のまま鬱積していくとなると、それが組織の分裂につながるのです。
そして時代が重なれば分裂、あるいは破門処分になってしまい、それぞれが別の団体として行動していくことになるのは、こと日蓮正宗系だけでなく、いろんな宗教にもあることです。
日蓮正宗系の団体である顕正会は、自ら「顕正会こそが日蓮大聖人の遺された言葉を一切変えることなく実行している唯一の団体だ」というニュアンスの言葉を出していたいた団体ですが、そんなことはないのです。
しかし、それを批判する気は全くないのです。
そんなことは不可能ですから。
しかし、日蓮大聖人の言ったことを絶対に変えていない、というのならば、以下の日蓮の文言に従っているのか?といいたくなるのです。
「僧の恩をいはば仏法、法宝は必ず僧によりて住す。譬えば薪なければ火無く、大地なければ草木生ずべからず。
仏法ありといえども、僧ありて、習い伝えずんば、伝わるべからず。
乃至、然れば、僧の恩を報じ難し。
されば、三宝の恩を報じ給うべし」
これは日蓮の遺した言葉ですが、仏.と法と僧を重んじなさいということです。
しかし、仏と法は顕正会は重んじているけれども、僧は重んじていない。
いな、その前に据えていることすらしていないのです。
仕方はないです、顕正会は日蓮正宗から破門にされているのだし、僧などいないし、いないがゆえに重んじることすらできない今は在家の団体なのですから。
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ゆえに、いろんな人のいろんな意見を取り入れて、話しあいをして、妥当と思われる地点で妥協するほかないようです。
そういうことを試みても、必ずしも不満が解消されるわけはないのでしょうか?
どの宗教の、どの宗派でも、古今東西分裂は不可避だったのですから。
顕正会の人にいいたいのは、日蓮の言ったことを至上のものとしながら一切、それを変えていないというのが信条であるならば、やはり僧を据えなくてはならないでしょう、ということです。
2023年には、創価学会の会長であった池田大作(下写真)が、そして顕正会の会長だった浅井昭衛がなくなりました。
それぞれの団体が、日蓮至上主義を採択していくのであるならば、それぞれの団体が、これから先、僧を据えることになるのも不思議ではないです。
その至上主義の色彩がつよいのは顕正会のほうですね。
日蓮が生前に、戒壇をのちのちに作ることを依頼していたのです、信者に。
その内容は、「広宣流布が達成した時に、天皇の許可を得て、富士山天生が原に戒壇を建てよ」ということです。
それが、昭和40年代に、日蓮正宗とその信徒団体だった創価学会が中心になって作ろうという機運になったのです。
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しかし、浅井氏は全国民と解釈していたようですが、そんなことは不可能なのは小学生にでもわかります。
そして富士山天生が原というのは、非常に水はけが悪く建物を建てるには不向きかつ、非常に辺鄙であるからして、戒壇の建立には向かなかったのです。
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そこを考慮せずに、「日蓮大聖人の言った場所ではない」という反対理由では誰も説得できないでしょう。
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それもまた戒壇の建立の許可は天皇に得なければならなかったのだという法的根拠の解釈も成り立つでしょう。
天皇が執政をして大仏を建立した時代においても、1つの仏教宗派だけで日本が存続していたのではないのです。
いくつも宗派があったのです。
しかし、そんな時代ではないにもかかわらず、「日本の全国民が日蓮に帰依をしてから」なんていうのは絶対に無理と小学生でもわかる事です。
それなのに、全国民が帰依していないからという理由も戒壇建立の反対として掲げるのはなんとも現在をあまりにみなさすぎ、という誹りはまぬかれないでしょう。
こういう浅井氏の反対を押し切って戒壇=正本堂(下写真)は建てられました。
それが建てられた時の法主は細井日達上人でしたが、その後の法主になった日顕によって、建立から26年後に、その正本堂は解体させられてしまったのです。
350億円もの大金を創価学会員が出して作ったにもかかわらずです。
そして日顕はもうこの世にはいないですが、この暴挙によってこの人は、今頃、地獄の業火によって苦しんでいるでしょう。
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その大御本尊は、いま顕正会を破門にした日蓮正宗の所有なのです。
それをどうやってもらえるのか、あるいは借りれるのか、そんなビジョンは全く見えてこないのです。
おそらく100%以上の確率で、戒壇の建立は不可能でしょう。
こういったことを考慮すれば、あの正本堂の建立でよかったといわざるを得ないのです。
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