日蓮正宗系の団体に入って、題目を上げて勤行していれば万事うまく行く…ありえないです。ではどうすればいい?
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日蓮正宗の信徒団体だった創価学会は、91年にその正宗から破門処分にされてしまいます。
それから10年後に、私は創価学会に知人を通して入ることにしました。
「この団体こそが世界最高峰の宗教団体だ!」と信者の人たちが言うものですから。
しかし、入ってからその機関紙である聖教新聞を読み続け、講演に話しを聞きに行くも、毎回毎回同じようなことを言っているだけで、特に学ぶものがないと感じたので、新聞の購読も停止し、講演にも全くいかなくなりました。
その新聞や講演で言われていることは、とにかく題目を上げて、学会活動を重ねることで人は幸せになれるんだ、ということでした。
しかし、日蓮正宗の開祖である日蓮が、そういうことを言ったのかどうかを、日蓮の遺した『御書』を紐解いて読んで、その真偽を確かめることをすべきでしょうが、私にはそういうモチベーションも上がらないし、特に興味はないのです(笑)。
大学に入って科学というモノに目覚めた私は、いろんな分野の本を乱読することで、いろんなものが学べる、ということを知ったので、1つの教祖の言ったことをとにかく深く勉強していくという気にはなれないのですね。
そうではなく、いろんな分野の本をとにかく沢山よむ、それで解決の糸口を見つけることができ、それに沿った方法を実践していくことで、その打開を図ることができるのです。
ゆえに、1つの宗教にだけぞっこんにはなれない、というのが正直なところです。
もしかしたら、日蓮は生前に『御書』において「ただ題目を上げていけば、それで問題はすべて解決する」と書いたかもしれないですし、書いていないかもしれないです。
その是非を探していく、という気にはなれないのです。
ただ私のこれまでの人生からして、そういった「ただ題目を上げていけば、それで問題はすべて解決する」という暴論は全然信じれないですし、勧めたくはないのが正直なところです。
例えば、大学受験を考えてみましょう。
夏休みの少し前に大学受験勉強を始め、それで学習院大学に現役合格した女性の体験談が、その赤本に載っていましたが、私のような底辺高校出身の受験生には考えれなかった事態です。
この女性の高校は、まさに進学校で高校の1年から大学受験に向けたカリキュラムも組まれて、それむけの教科書を使い、小刻みに小テストを行っていたのだだそうです。
ゆえに、高校3年の夏休み前から受験勉強を始めても現役合格することが可能だったのです。
しかし、私の所属した高校は大学への進学は卒業生の1割にも満たなかったほどの底辺高校だったがゆえに、大学受験へのカリキュラムなど一切なかったし、教科書もごく基礎的なことしか書いていないモノを使用していたのです。
そのような高校の人が、進学校の人と同じことをしていては合格などおぼつかなかったのは言うまでもなかったです。
やはり、出発点がちがうのです。
そういう奥深い考察が必要なのです。
その出発点が違うのに、題目をあげて勤行をしていれば幸せになれると吹聴すること自体が誤りなのは言うまでもないでしょう。
自分や他人の人生を向上させたいと願うならば、多岐にわたる自己分析をしていきながら、それにかなった方法を実践していくことが最優先になるです。
私のような底辺高校の人が、漫然と受験勉強をして、題目を上げて、勤行をしていけば大学に現役合格したのでしょうか?
そんなことは絶対にないですよね?
でも、多くの創価学会員は、それが可能と信じて疑わない(笑)。
ちょっと理解できないですよね?
また、先祖供養は日蓮正宗系の団体がしている勤行の中の祈念文の中でも重要な位置を占めています。
しかし、本尊を飾った厨子の前に座って、それを拝みながら、勤行や題目上げをしていればいいのでしょうか?
そんなことはないのです。
線香は貧乏神を退散させる働きがある。
しかも、鈴の音も貧乏神を退散させる働きがあるのです。
ろうそくに火をともすことで、先祖供養に役立つのです。
しかし、信心こそが大事とばかりに、こういったことを排除して、厨子と本尊だけ安置して、題目と勤行をおこなっても何もいいことは起こらないし、霊の悪い働きに悩まされたりするのは言うまでもないです。
こういう勤行をしている人は要注意です!
学会に入って信心しているにもかかわらず、好転しない人は、こういったことを一度見直してしかるべきなのです。
家庭は、借金苦、ギャンブル狂いの人がいる、リストラされた人がいる、家に幽霊がいる…そんなパターンばかりです、という経験談がYouTube動画をみたことがありますが、そういうことに思い当たる人は、こういった点を見直す必要があるのです。
大事なのは、個別にその人の状態を分析し、打開するための大事な行動を日々することでしょう?
偏差値60台の大学に現役で合格した人の体験談では夏休みちょっと前からの勉強でかなった。
私の高校でこんなでは絶対にかなわなかったのです(笑)。
進学校では1年時から大学受験向けの教科書を使い、英単語や熟語を覚えさせたり、国語では古文の助動詞や古語を暗記させたりしていると聞きました。
それゆえに、この時期からの勉強で現役合格がかなった。
例えば、夫婦2人とも創価学会に入っていて、自分を誇りに思えて人を貶すことがばかばかしいという世界観で生きていて互いに励ましあい、褒めあって仲がいいという例があるとしましょう。
その人たちはなぜ、仲良くしていられるのでしょうか?
その逆に、互いに自分を誇りに思えずに、貶しあいながら生活している夫婦があるとしましょう。
なぜこうなってしまうのでしょう?
それを解明していくには、この夫婦の精神分析からしていく必要があるのです。
その人たちの幼少からの家族関係までをも分析して、打開の方法を考えて行動していくのが大事なのです。
前者の夫婦を見習って学会に入り必死に勤行だけ…これでは叶うはずはないのです!
そもそもの出発点が違うのですから。
また創価学会ではなく、日蓮正宗に行くことでも、顕正会に行くことでもないのです。
そういった右往左往していくだけの方法にはうんざりしているのです私は(笑)。
その分析の内容は?
興味ある人は、以下の本を読んでくださいませ。
きっと目の覚める方法論が書いてあると断言します。
●以下よりどうぞ!
『日蓮正宗、創価学会、顕正会 どのように選び接していくか』
→楽天Kobo
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!
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日蓮正宗の信徒団体だった創価学会は、91年にその正宗から破門処分にされてしまいます。
それから10年後に、私は創価学会に知人を通して入ることにしました。
「この団体こそが世界最高峰の宗教団体だ!」と信者の人たちが言うものですから。
しかし、入ってからその機関紙である聖教新聞を読み続け、講演に話しを聞きに行くも、毎回毎回同じようなことを言っているだけで、特に学ぶものがないと感じたので、新聞の購読も停止し、講演にも全くいかなくなりました。
その新聞や講演で言われていることは、とにかく題目を上げて、学会活動を重ねることで人は幸せになれるんだ、ということでした。
しかし、日蓮正宗の開祖である日蓮が、そういうことを言ったのかどうかを、日蓮の遺した『御書』を紐解いて読んで、その真偽を確かめることをすべきでしょうが、私にはそういうモチベーションも上がらないし、特に興味はないのです(笑)。
大学に入って科学というモノに目覚めた私は、いろんな分野の本を乱読することで、いろんなものが学べる、ということを知ったので、1つの教祖の言ったことをとにかく深く勉強していくという気にはなれないのですね。
そうではなく、いろんな分野の本をとにかく沢山よむ、それで解決の糸口を見つけることができ、それに沿った方法を実践していくことで、その打開を図ることができるのです。
ゆえに、1つの宗教にだけぞっこんにはなれない、というのが正直なところです。
もしかしたら、日蓮は生前に『御書』において「ただ題目を上げていけば、それで問題はすべて解決する」と書いたかもしれないですし、書いていないかもしれないです。
その是非を探していく、という気にはなれないのです。
ただ私のこれまでの人生からして、そういった「ただ題目を上げていけば、それで問題はすべて解決する」という暴論は全然信じれないですし、勧めたくはないのが正直なところです。
例えば、大学受験を考えてみましょう。
夏休みの少し前に大学受験勉強を始め、それで学習院大学に現役合格した女性の体験談が、その赤本に載っていましたが、私のような底辺高校出身の受験生には考えれなかった事態です。
この女性の高校は、まさに進学校で高校の1年から大学受験に向けたカリキュラムも組まれて、それむけの教科書を使い、小刻みに小テストを行っていたのだだそうです。
ゆえに、高校3年の夏休み前から受験勉強を始めても現役合格することが可能だったのです。
しかし、私の所属した高校は大学への進学は卒業生の1割にも満たなかったほどの底辺高校だったがゆえに、大学受験へのカリキュラムなど一切なかったし、教科書もごく基礎的なことしか書いていないモノを使用していたのです。
そのような高校の人が、進学校の人と同じことをしていては合格などおぼつかなかったのは言うまでもなかったです。
やはり、出発点がちがうのです。
そういう奥深い考察が必要なのです。
その出発点が違うのに、題目をあげて勤行をしていれば幸せになれると吹聴すること自体が誤りなのは言うまでもないでしょう。
自分や他人の人生を向上させたいと願うならば、多岐にわたる自己分析をしていきながら、それにかなった方法を実践していくことが最優先になるです。
私のような底辺高校の人が、漫然と受験勉強をして、題目を上げて、勤行をしていけば大学に現役合格したのでしょうか?
そんなことは絶対にないですよね?
でも、多くの創価学会員は、それが可能と信じて疑わない(笑)。
ちょっと理解できないですよね?
また、先祖供養は日蓮正宗系の団体がしている勤行の中の祈念文の中でも重要な位置を占めています。
しかし、本尊を飾った厨子の前に座って、それを拝みながら、勤行や題目上げをしていればいいのでしょうか?
そんなことはないのです。
線香は貧乏神を退散させる働きがある。
しかも、鈴の音も貧乏神を退散させる働きがあるのです。
ろうそくに火をともすことで、先祖供養に役立つのです。
しかし、信心こそが大事とばかりに、こういったことを排除して、厨子と本尊だけ安置して、題目と勤行をおこなっても何もいいことは起こらないし、霊の悪い働きに悩まされたりするのは言うまでもないです。
こういう勤行をしている人は要注意です!
学会に入って信心しているにもかかわらず、好転しない人は、こういったことを一度見直してしかるべきなのです。
家庭は、借金苦、ギャンブル狂いの人がいる、リストラされた人がいる、家に幽霊がいる…そんなパターンばかりです、という経験談がYouTube動画をみたことがありますが、そういうことに思い当たる人は、こういった点を見直す必要があるのです。
大事なのは、個別にその人の状態を分析し、打開するための大事な行動を日々することでしょう?
偏差値60台の大学に現役で合格した人の体験談では夏休みちょっと前からの勉強でかなった。
私の高校でこんなでは絶対にかなわなかったのです(笑)。
進学校では1年時から大学受験向けの教科書を使い、英単語や熟語を覚えさせたり、国語では古文の助動詞や古語を暗記させたりしていると聞きました。
それゆえに、この時期からの勉強で現役合格がかなった。
例えば、夫婦2人とも創価学会に入っていて、自分を誇りに思えて人を貶すことがばかばかしいという世界観で生きていて互いに励ましあい、褒めあって仲がいいという例があるとしましょう。
その人たちはなぜ、仲良くしていられるのでしょうか?
その逆に、互いに自分を誇りに思えずに、貶しあいながら生活している夫婦があるとしましょう。
なぜこうなってしまうのでしょう?
それを解明していくには、この夫婦の精神分析からしていく必要があるのです。
その人たちの幼少からの家族関係までをも分析して、打開の方法を考えて行動していくのが大事なのです。
前者の夫婦を見習って学会に入り必死に勤行だけ…これでは叶うはずはないのです!
そもそもの出発点が違うのですから。
また創価学会ではなく、日蓮正宗に行くことでも、顕正会に行くことでもないのです。
そういった右往左往していくだけの方法にはうんざりしているのです私は(笑)。
その分析の内容は?
興味ある人は、以下の本を読んでくださいませ。
きっと目の覚める方法論が書いてあると断言します。
●以下よりどうぞ!
『日蓮正宗、創価学会、顕正会 どのように選び接していくか』
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今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!
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