宗教にすがっていても決して得れない社会に出て必須のものとは何か?それは如何にして得れるか?


宗教に入って、そこで勉強している人に訊きたいのは、その宗教が最高な理由は何ですか?ということです。
社会に出るにあたり一番大事なことは何ですか?ということもあります。
そこで大事なのは、自尊心を得れることが大事ではないですか、といいたいのです。
自尊心とは、何もしなくても自分に自信がもてて、それゆえに人を思いやり、人を誉められて、自分が敢然と仕事はじめ人生のあらゆることにたち向かっていける心や勇気のことです。
それがない人は、無意識のうちに自分より立場の弱い人間を貶したり、なじったりして自信を得ようとするのです。
それで一時的に自信を得れても、時間がたつとその自信が失せてきますから、また人を貶したりなじったりするのです。
それのみか、自尊心がない人は、人の成功を喜べないですから人間関係で大いに障害になります。
その自尊心は宗教に入って、そこで唱えられている経文を読むことで得れるのですか?と疑問に思うのですね。

私のこれまでの体験からいって、それはないということです。
その自尊心がある人はどういう人生おくってきたのでしょうか?
やはり、これは家族心理学や教育心理学などの研究結果、親からたっぷりの愛情をもって育てられ、褒められてきた人はそういう自尊心が備わっているのです。

そういう教育によって育てられなかった人は、自尊心がないから、これからの人生において困ることばかりですね。
そこで反論が起きそうです。
「褒めて育てられるのが大事なのでしょう?
なら、そういう自尊心がない人、人をどうしても貶したり、マウントを取っている人には、それを指弾するのではなくて、その人を褒めるのがいいんじゃないでしょうか?」という批判を受けそうです。
いい指摘であると思います。
しかし、周りの人間とくに親から褒められずに育った人は10歳くらいから中学生までを過ぎてしまった場合、そこから褒めても自尊心を醸成するのはかなり難しいのがわかります。
ゆえに、そこから褒めても完全なる自尊心を得れることは難しいのです。
これも教育心理学的な研究結果で分かっているのです。
そうなってしまった人はどうするのがいいか?
以下に掲げた電子書籍では2つの方法論が書いてあります。
気の弱そうな人、立場の低い人を貶す、そういう人たちにマウントを取るということで自尊心を得ようとしている人は数多いです。
しかし、そういった方法では対処療法にしかならないのです。
そういうことをすることで一時的に気分が高揚するが、すぐにその気分は下がる。
そしてまた人を貶したり、マウントを取る。
そして一時的に気分が高揚し、すぐにその気分は下がる。
そしてまた人を貶したり、マウントを取る。
これでは何の解決にもならないし、何十回も何百回も貶されたりマウントを取られた人は、精神的にボロボロになってしまうのです。

いいことなど何もないです。
私は「この宗教こそ世界最高峰の宗教だ」といわれて開祖.日蓮の日蓮正宗の信徒団体である創価学会に入りました。
しかし、疑問に思うことがありました。
なぜ、世界最高峰の宗教である日蓮正宗で法主を務めていた日顕がああいう奢侈の限りを尽くした生活をし、小僧たちを意味もなく暴力をふるうようなことを日常的にして、朝、講堂を通るときに僧侶たちを土下座させて伏せ拝させて、その前を歩いて行ったのが日課にするような人物が出てきてしまうのか?
いくら経文をあげたって変わらないじゃないか?ということですね。
日蓮正宗の信徒団体であったけれども、日蓮正宗から破門になってしまった顕正会の会長だった故.浅井昭衛氏は、「日顕の身に、第六天魔王が降り立ったからだ」などとしていたが、実際はそうではないのです。
日顕(下写真)の育った環境や親とくに母親の教育に原因があったと私は見ているのです。

伏せ拝など、こういうことを強制させるのは、まさに自尊心がない人の典型例なのです。
自尊心がある人は、そんなことばかばかしくてさせることなど考えもつかないものなのは言うまでもないのです。
ここで、日顕は根本療法をすべきなのでした。
根本療法とは、抜本的な方法によって、永遠にその悪弊が起きないように治療を施すということです。
ガン治療で言えば,ガンにかかった人を慰めるのではなく、ガンを手術によって完全に取り除くことです。
自尊心がない人は、先に掲げた方法を日々継続していくことで、それを得れることができるのです。
それによって人を貶したりマウントを取ることが心底ばかばかしくなって、人を貶すことをしなくなり、そういうことをするよりも褒めれるようになり、人と良好な関係を築くことができるようになるのです。
日顕のような人間を生み出さない。
それは日蓮正宗だけでなく、私たち一般人の使命でもあるはずです。
そのためにはいくら南無妙法蓮華経と唱えてもだめだ、ということです。
本当に自信のある人は、完璧を自分に課さないのです。
自分にできないところがあってもへこんだりはしないです。
それゆえに、人を貶したりなじったり、威厳高ぶった態度もしないのです。
親から無償の愛を受けて育った人は、「自分はこういう能力はないが、これはできるよ」と思い、自信にあふれているのです。

社会に出て、こういう思いができれば凄くいいのは言うまでもないことです。
それができないと、人を貶したり、ミスを必要以上に責めて人を傷つけたりするのです。
人が成功なり成長なりしても褒めないゆえに、部下はその人の下で働きたくなくなるがゆえに、テンションも下がり、人間関係も最悪になるのです。
最悪の場合、その部下は辞めてしまうでしょう。
そんな人間関係を歩みたくない、という人は宗教に縋るのではなく、その手のノウハウの本を手に取り、そこに書いてあることを実行していくのがいいのです。
それに共感できる人、その内容に興味がある人には読んでもらいたいのが以下の電子書籍になります。
●以下よりどうぞ!
『日蓮正宗、創価学会、顕正会 どのように選び接していくか』
→楽天Kobo
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!



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