日蓮に帰依すれば必ず幸福になれる…そんなはずはなし!物事を深く広く考え分析し、そのために必要な行動を重ねるのが王道!


まず、以下の動画を見ていただきたいです。
この人とはちょっとした知り合いなんですね、私と同じ住んでいるところが東京都世田谷ということもあり、私も創価学会に所属していたということもあり。
この動画を見ると、もっと物事を科学的、合理的に考えれなかったのかなあと思います。
しかし、この人が創価学会を辞めて日蓮正宗に行ってしまったのは、それはそれでいいでしょう。
この人が、悩み、そして考えて行動した結果なのでしょうから。
辞めて日蓮正宗にいったことで幸せになったと実感できているのならば、それは良かったですねとエールを送りたいです。
何びとにも、物事に直面するたびに、学者的な、もの凄く幅広い思考を要求するのは不自然という嫌いがあるのは言うまでもないですから。
まず思ったのは、日蓮正宗にしろ、その信徒団体だった創価学会にしろ仏教の団体です。
その仏教は誰が創始したか?
釈迦です。

釈迦は、生前、信者に南無妙法蓮華経と唱えろ、とは言っていないです。
ましてやそれを唱える際に、法主の書いた本尊を掲げよなどとも言っていないのです。
すべて、日蓮という僧が、鎌倉時代に出現して、自身がそれまで学んできた数々の仏教を取り入れて、それらに自身でアレンジして、信者たちにそうせよと言っただけの話しです。
ゆえに、その日蓮の言ったことが絶対で、この上ない至高のものとも私には思えないのです。
もちろん、釈迦の言ったことだけでも受け入れれば幸せになれるとも思えないのです。
それゆえに、本尊が法主が書いたものだろうが、印刷工場で印刷したものであろうが、どちらでもいいと私は思います(笑)。
どっちなのか、不問にしていいと思うし、興味ないのです。
私としては、どの宗教に入ろうが、そこで言われていることだけを中心に考えるのではなく、もっと他の領域からも考えや指針を得て、それで考えることをした方がいいとしか思えないのですね。
このかたが、このように創価でいくら頑張ろうが、信心に熱心に拝んでもうまくいかず、悩み、出した結論は、学会版の偽本尊のゆえだとしているのですが、私としては早計だし、もっと深く情報収集をすべきだったのではなかったか、と思われてならないのですね。
日蓮正宗やその信徒団体だった創価学会の信者は、入信した時に法主より本尊(下写真)を書いてもらい、それを家にお厨子を買って、その中にその本尊を飾り、それを拝みながら朝夕の勤行に励むのです。

しかし、91年に創価学会は、日蓮正宗から破門処分にされてしまったがゆえに、その本尊を書いてもらえなくなってしまったのです。
そこで創価学会は、それまで信者がもらっていた本尊を原本にして、それを印刷工場で印刷して、それをお厨子に飾るということになったようです。
確かに、本物ではないですし、偽本尊と揶揄されても仕方ないですね。
これまで法主に書いてもらい、それを拝んでいた人に関しては、当時、創価学会の会長だった池田大作が捨てさせて、そのコピーの本尊を使うように指示したようです。
それに乗らずに、そのまま法主の書いた本尊を使い続けた例も多くあったようですが。
その偽本尊に向かって拝んできたゆえに、自分や自分の周りの人間はみな不幸になったのだという結論にこの人は達してしまったのでしょう。
そう思ってしまうのは致し方ないです。
創価学会で言われているのは、「南無妙法蓮華経と唱えれば必ず幸福が去来する」と教えられているからです。
そして、多くの人にこの仏法を弘め、信者を新たに出すことで、過去世のカルマが消滅するとも教えられているからです。
この人は、この動画内でその2つを一生懸命にやった。
しかし、人生が好転しないのみならず、周りの人間も不幸な人間ばかりだということで不信を抱いたといっているのです。
そこでたどり着いたのが、「偽本尊を拝んできたからだ。
そして、法主にも背いてきたからだ」という結論に徹してしまったのでしょう。

それで創価学会を抜けて、日蓮正宗にいったことで人生好転した、ということで、これまでの創価学会の人生から決別できたということを言っているわけです。
私は、そもそも、日蓮仏法に帰依するだけで、人生が好転するなどというようには考えれないのです。
日蓮は鎌倉時代を生きた人ですし、その人の言ったことが現代でも全部通用するかといえばそんなことはないと考えるからです。
南無妙法蓮華経と唱えれば、といったのは当時は科学など発達していなかったゆえに、そういうほかなかったからで、そういった背景を考慮に入れずに、「日蓮大聖人に帰依し、しっかり題目を唱え、折伏(信者をあらたにだすこと)もしていることで幸せになれるんだ」などと考えること自体ナンセンスなのだとしか思えないですね。
万般の信頼を置ける開祖といった精神的な柱を得ることで人生が規律よくなることは大事でしょうし、否定はしないです。
しかし、そこで終わりにならずに、もっと視野を広げて、いろんな本を読み、人と話し、ヒントを得て、自分がすべき指針を得ることが大事であったことは間違いないです。
題目を必死に唱え、新たな信者を出すことで人生が好転…絶対にありえないです!(笑)
この人は事業をやっていたようですが、その際にまずすべきことは経営について学ぶことでしょう。
そして学んだことを実際の行動に移していくことですね。
題目上げや、信者獲得ではないのです(笑)
この人は、およそ中央大学の法学部を卒業したとは信じれません(笑)。
営業活動において大事なことは、精神誠意相手に尽くして頭を下げていくことですね。
そして広告を出すことですね。
そのためにはまず、広告費を稼ぐことですね。
そんなお金ない、というのならば、本業後にアルバイトをすればいいのです。
そういう科学的な思考ができない人は、めんどくさがって逃げて、題目を唱えたりすることで打開を図ろうとするのですね(笑)
あんぽんたんも甚だしいです(笑)
そういう科学的な思考と行動こそが王道でしょう。
この人は、日蓮正宗に帰依することで、事業を軌道に乗らせることができたといっているのですが、私はそうは思えないのです。

そのまま創価学会にいても、軌道に乗ったのではないか、そんな気がしてならないのですね。
また、この元支部長の周りの人間や家庭は、創価学会時代には、鬱やがん、脳腫瘍、総合失調症、引きこもり、アルツハイマーに悩まされていたといいます。
病気以外では、リストラ、借金苦、家庭内暴力、詐欺にまき込まれた、といったことも話されています。
またかわいそうなことに、この元支部長の娘はいじめによる不登校ということです。
では、こういうことは、日蓮正宗に鞍替えしたことで、すべて好転したのか?
こういう疑問がわくのです。
おそらくなっていないでしょう。
こういった現代特有の病気は、逐一、どういう生活を続けていくとなるのかということを、それについて詳しく書いてある本を読んで、そうならないような生活を送ることで防ぐことができるのです。
題目をあげたり、折伏をすることで防げるのではないのです。
確かに、題目をあげることで意気が上がり、溌溂とした気分になるのは否定しないです。

しかし、それだけでいろんな病気を防ぐことはできないのは言うまでもないのです。
可愛そうにも、この人の娘さんはいじめにあったということですが、現代人は、自尊心を得れるようには教育がなっていないのです。
ゆえに、そういう教育を受けた子供によっていじめにあってしまったのです。
自尊心があれば、そんないじめなどばかばかしくてできないものです。
その娘さんが回復されることを心から願い、もしその気があるのならば、私も具体的な手伝いをしたいと思ってもいるのです。
その際に、法主が書いた本尊を拝むことではないことはお断りしておきましょう。
それれらはすべて、「世界最高峰の宗教を信じているから大丈夫だろう」という思いが先にありきだったからとしか思えないのですね。
そういう思いではなく、信心だけではなく、もっとさらにコンテンツを広げなくては、という思いと行動があれば、そうはならなかったのは言うまでもないのです。
「世界最高峰の宗教」に入って拝むことだけでいい、という思いがこういう事態を引き起こしてしまうのです。
この元支部長のほかにもそういう創価学会員の例はたくさんあります。
法主が書いた本尊ではなく、偽本尊を拝んだからだ、などという理屈には到達しないのですね、私は。
ここまでの文章で、私の言うことに納得のいった人や、その具体的な内容について知りたい人には是非とも読んでもらいたい電子書籍が以下です。
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今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!



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