人のありがたさがわかるようになるには、最高の宗教に入ればそれでいい…そんなわけはないです(笑) (幸福の科学)
あまりに便利すぎる時代に生きているな現代人は、という思いにさせられることはままあります。
終戦直後の日本を描いたノンフィクション漫画である『はだしのゲン』を読むと。
そういうつらく悲しい生活を送るという共通の経験は、政治家であろうと一般庶民であろうと一緒だったわけです。
ゆえに、政治家も、最大限に一般庶民の気持ちを掬いとることができて、世界に冠たる平等国家を作ることが日本はできたのです。

しかし、現今の日本は格差社会になってしまったのです。
その萌芽は90年代半ばにすでに表れていました。
政治家を例にとると、やはり、政治家の家庭のような生まれ持って裕福な家庭に育つと、そういう一般庶民の生活を実感せよと言っても観念的にしかわからないのです。
ゆえに、政策決定においても、自分の生活を裕福にすることが最優先にしてしまう。
やはり、人の痛みを知るには実感することが最大限大事なのですし、それが最高の手段でしょう。
古今東西を通じて変わらない事実です。
裕福な家庭で育ち、何不自由なく生活して、高学歴を得て、いい給料をもらってきた人は、やはり人の痛みがわからないパターンが多いのです。

それがわかるには、つらい仕事を実際にしてみるほかないのです。
その他、家に住む、食べものを食べる、通勤する、パソコン使える、車使う、水道を使う…これらの恩恵は、そういう職に従事することで初めて分かるのです。
あまりにエリートすぎるとわからないです。
そのありがたさを実感するには、やはり自分をつらい場所に置くことでしょう。
そういう人の恩恵を痛感するためには、不自由な場面にも自分を置くことも大事でしょう。
それを実感してきました私は。
私は機械オンチゆえに、機械の故障など直せるはずはないのです。
私がドトールで働いていた時に、コーヒーマシンが壊れてしまい、どうしても直すことができず、仕方なしに修理業者を呼んで直してもらいました。
その時のありがたさといったらなかったです。
その業者さんが救世主のように思えてきました。

こういう経験をすることによって、人やもののありがたさがわかるのです。
そういうものをわかる人間になるように、宗教に頼って、そこで祈っても不可能なのです。
それによって多少の効果はあるでしょうが、それに頼りすぎても効果は薄いです。
ありがたさがわからない人は、実感させることが大事なのです。
宗教にはまる人は、あまりにその宗教の効用を語りすぎて、現実の実際が見えないことがあるから注意が必要です。
まあ、学者にも同じことが言えて、社会にある問題点を認識しすぎて、あたかも今の社会は地獄だ、みたいなニュアンスのことを書くようなるから注意が必要です(笑)。
日蓮正宗系の宗教団体にもそういう弊があります。
日蓮正宗、創価学会、顕正会、正信会といった富士門流といわれる団体では、開祖.日蓮の言ったことだけを依拠して、その他の団体、例えば神社に参拝することを禁じているのです。
もちろん参拝したからといって除名にはならないでしょうが、そういう教えが基本になっているのです。

しかし、神社はいろんな対象を祀っているパターンがあります。
その対象が人物であったり、特定の神だったりといろいろあるのです。
しかし、日本が古来から植物を育てて、それらを食べていくことで成り立った文化の国であるならば、それらの豊穣を願って、それを神にたいして祈るのは必然でしょう。
それなのに、それを祈ることを禁止するとはどういう思い上がりですか?と言いたくなります。
日蓮大聖人が、我々に食べ物を供給してくれているのですか、と問いたいです。
ゆえに、そういった豊穣を祈るのは普通だし、それらをたてまつった神社への参拝をも禁止するなどということは、あまりに狭窄な論だと思わざるを得なかったですね。
そういったことも、過去、創価学会に属していた時に思い、ここから私が離れていった理由なのですね。
かといって、他の宗教に入ればいいということではないのです。
どの宗教にも、それなりに魅力はあるのです。
ゆえに、その宗教にこだわるのは大いに結構だと思います。
しかし、それだけでなく、いろんな事柄を学んでいって、自分の哲学を構築していくことが大事だというのが私のモラルなのです。
哲学とは、雑学.乱読で構築していった知識や知恵の総体であるとしたのは著作家の鷲田小弥太氏です。

鷲田氏の定義に従えば、いろんな事柄を学んでいかなくては、哲学にはならないですね。
自分が属した宗教団体からくる機関紙や雑誌だけしか読んでいないのであれば、要素(知識や知恵)が圧倒的に足りないのですから。
ゆえに、真の哲学を構築するには、宗教だけの情報では足りなくて、自分で主体的に学ぶ姿勢が大事ですね。
そういったスタンスをすすめている幸福の科学には私は大幅な信頼をしているのです。
もちろん、この団体からくる情報だけがすべてではないのですが。
そんなスタンスに共鳴できる人には、以下の電子書籍はお勧めですね。
●以下よりどうぞ!
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!

スポンサーリンク 1
スポンサーリンク 2
幸福の科学の本紹介 ホーム
汗牛充棟.com ホーム
♯幸福の科学
♯日蓮正宗
終戦直後の日本を描いたノンフィクション漫画である『はだしのゲン』を読むと。
そういうつらく悲しい生活を送るという共通の経験は、政治家であろうと一般庶民であろうと一緒だったわけです。
ゆえに、政治家も、最大限に一般庶民の気持ちを掬いとることができて、世界に冠たる平等国家を作ることが日本はできたのです。

しかし、現今の日本は格差社会になってしまったのです。
その萌芽は90年代半ばにすでに表れていました。
政治家を例にとると、やはり、政治家の家庭のような生まれ持って裕福な家庭に育つと、そういう一般庶民の生活を実感せよと言っても観念的にしかわからないのです。
ゆえに、政策決定においても、自分の生活を裕福にすることが最優先にしてしまう。
やはり、人の痛みを知るには実感することが最大限大事なのですし、それが最高の手段でしょう。
古今東西を通じて変わらない事実です。
裕福な家庭で育ち、何不自由なく生活して、高学歴を得て、いい給料をもらってきた人は、やはり人の痛みがわからないパターンが多いのです。

それがわかるには、つらい仕事を実際にしてみるほかないのです。
その他、家に住む、食べものを食べる、通勤する、パソコン使える、車使う、水道を使う…これらの恩恵は、そういう職に従事することで初めて分かるのです。
あまりにエリートすぎるとわからないです。
そのありがたさを実感するには、やはり自分をつらい場所に置くことでしょう。
そういう人の恩恵を痛感するためには、不自由な場面にも自分を置くことも大事でしょう。
それを実感してきました私は。
私は機械オンチゆえに、機械の故障など直せるはずはないのです。
私がドトールで働いていた時に、コーヒーマシンが壊れてしまい、どうしても直すことができず、仕方なしに修理業者を呼んで直してもらいました。
その時のありがたさといったらなかったです。
その業者さんが救世主のように思えてきました。

こういう経験をすることによって、人やもののありがたさがわかるのです。
そういうものをわかる人間になるように、宗教に頼って、そこで祈っても不可能なのです。
それによって多少の効果はあるでしょうが、それに頼りすぎても効果は薄いです。
ありがたさがわからない人は、実感させることが大事なのです。
宗教にはまる人は、あまりにその宗教の効用を語りすぎて、現実の実際が見えないことがあるから注意が必要です。
まあ、学者にも同じことが言えて、社会にある問題点を認識しすぎて、あたかも今の社会は地獄だ、みたいなニュアンスのことを書くようなるから注意が必要です(笑)。
日蓮正宗系の宗教団体にもそういう弊があります。
日蓮正宗、創価学会、顕正会、正信会といった富士門流といわれる団体では、開祖.日蓮の言ったことだけを依拠して、その他の団体、例えば神社に参拝することを禁じているのです。
もちろん参拝したからといって除名にはならないでしょうが、そういう教えが基本になっているのです。

しかし、神社はいろんな対象を祀っているパターンがあります。
その対象が人物であったり、特定の神だったりといろいろあるのです。
しかし、日本が古来から植物を育てて、それらを食べていくことで成り立った文化の国であるならば、それらの豊穣を願って、それを神にたいして祈るのは必然でしょう。
それなのに、それを祈ることを禁止するとはどういう思い上がりですか?と言いたくなります。
日蓮大聖人が、我々に食べ物を供給してくれているのですか、と問いたいです。
ゆえに、そういった豊穣を祈るのは普通だし、それらをたてまつった神社への参拝をも禁止するなどということは、あまりに狭窄な論だと思わざるを得なかったですね。
そういったことも、過去、創価学会に属していた時に思い、ここから私が離れていった理由なのですね。
かといって、他の宗教に入ればいいということではないのです。
どの宗教にも、それなりに魅力はあるのです。
ゆえに、その宗教にこだわるのは大いに結構だと思います。
しかし、それだけでなく、いろんな事柄を学んでいって、自分の哲学を構築していくことが大事だというのが私のモラルなのです。
哲学とは、雑学.乱読で構築していった知識や知恵の総体であるとしたのは著作家の鷲田小弥太氏です。

鷲田氏の定義に従えば、いろんな事柄を学んでいかなくては、哲学にはならないですね。
自分が属した宗教団体からくる機関紙や雑誌だけしか読んでいないのであれば、要素(知識や知恵)が圧倒的に足りないのですから。
ゆえに、真の哲学を構築するには、宗教だけの情報では足りなくて、自分で主体的に学ぶ姿勢が大事ですね。
そういったスタンスをすすめている幸福の科学には私は大幅な信頼をしているのです。
もちろん、この団体からくる情報だけがすべてではないのですが。
そんなスタンスに共鳴できる人には、以下の電子書籍はお勧めですね。
●以下よりどうぞ!
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!



幸福の科学の本紹介 ホーム
汗牛充棟.com ホーム
♯幸福の科学
♯日蓮正宗
コメントを書く... Comments