問題が起きたら宗教的に対処すべきか?それとも科学的に対処すべきか?…私はどちらでもないです。
私は、どの宗教にも与しない中道を行くというスタンスです。
その宗教の会合に行ったり、その機関紙をよんだりすると、「この宗教は素晴らしい!」と思えることはしばしばですが、それは他の宗教でも言っていることだったり、その宗教でなくても他の本を読んだりすることでヒントが得られて、それにかなうように行動することで解決できたりすることがあるので、ちょっと時間と距離を置いて客観的に眺めるが大事です。
もちろん、宗教的な利益を得たりすることは当然あるわけですから、宗教を無闇に批判したりはしないし、素直に認めるのやぶさかではないのです。
例えば、理由もわからず、頭が痛くなったり、肩が痛くなったりすることがるとして、宗教的な現象を信じない人は、医学的なことだけで解決を求めようとするするでしょう。

しかし、こういったこういった頭痛などは、神社や寺院にいる浮遊霊の仕業だったりすることがわかりました。
ゆえに、医学的にだけ対処するのは間違いなのです。
その解決には、施餓鬼供養がいいということです。
その施餓鬼供養の仕方は各自で調べるのがいいでしょう。
そして、神社や寺院への参拝は、礼儀を尽くして参拝することが大事なのです。
謙虚な気持ちで、敬虔な気持ちで神仏に接することが大事なのです。

そういうスタンスがないないならば、神社や寺院に参拝するべきではないのです。
しかし、こういった霊による仕業ではなく、本当に医学的な対処(薬を飲む、注射を打つなど)だけで治ってしまうので、これは霊の仕業でないと断定してもいいのでしょうか。
このように、問題点が起きたら、その原因を何に求めるかは、これであると断定的にいうことはできないのです。
医学などの科学に依るのか、宗教によるのかはケースバイケースであるということです。
どちらかに断定することはできないのです。
それに、医学的な原因と宗教的な原因があったりと混交している場合ももちろんあるのです。
ゆえに、幅広い知識を得ていこうとする態度が大事なのです。
わからなかったら、自身で調べることが大事なのです。
ゆえに私は、科学だけでも、宗教だけでもないとするスタンスなのです。
この世で最高の宗教と信じて疑わない人が多い日蓮正宗の信徒団体だった創価学会にしろ、顕正会にしろ、多くの不幸者がいるのです。
その最たる例が、日蓮正宗の総本山の法主だった日顕(下写真)でしょう。

この人は、創価学会への嫉妬ゆえに、その会員の350億円の寄進によって作った正本堂をはじめ、本山にあった仏殿を破壊したり、木を何百本も切り倒したりしたのみならず、芸者遊びや奢侈生活に勤しんできたのです。
こんな法主が今は亡き人ですが、今頃地獄の業火で火あぶりにされていることは間違いないです。
ここで、なぜ日蓮正宗の信徒や、その付属団体だった人たちは思わなかったのだろうと思うのは、「南無妙法蓮華経と唱えても、不幸な人間を作り出してしまうのだろう」ということを思わないのだろうか?ということですね。
ここでわかるのは、宗教にだけ頼っても駄目であるということです。
私は、日顕の半生をえがいたノンフィクションを読んでわかったのです。
あの人がああいう人格になったのは、自身の育ったゆがんだ家庭環境にある、ということを。
それを分析して、そういうゆがんだ家庭に育った人が更生するにはどうすればいいのかを、析出して提示したのが以下の本です。
※
→楽天Kobo
→Amazon Kindle
宗教的な方法だけでもダメですし、科学的な方法だけでもダメであるというスタンスなのです。
情報の摂取の仕方は多ければ多いほどいいのですが、1つの宗教だけによるのもいいことではないのです。
日蓮正宗では、開祖.日蓮の言ったことだけに依拠するべしとして、他の神道や仏教の教えを否定し遮断しているのです。
これでは解決していけるはずもないのです。
●そんなスタンスに共鳴してもらえるかたには読んでもらいたいのが以下の本(電子書籍)になります。
『日蓮正宗、創価学会、顕正会 どのように選び接していくか』
→楽天Kobo
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました。

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その宗教の会合に行ったり、その機関紙をよんだりすると、「この宗教は素晴らしい!」と思えることはしばしばですが、それは他の宗教でも言っていることだったり、その宗教でなくても他の本を読んだりすることでヒントが得られて、それにかなうように行動することで解決できたりすることがあるので、ちょっと時間と距離を置いて客観的に眺めるが大事です。
もちろん、宗教的な利益を得たりすることは当然あるわけですから、宗教を無闇に批判したりはしないし、素直に認めるのやぶさかではないのです。
例えば、理由もわからず、頭が痛くなったり、肩が痛くなったりすることがるとして、宗教的な現象を信じない人は、医学的なことだけで解決を求めようとするするでしょう。

しかし、こういったこういった頭痛などは、神社や寺院にいる浮遊霊の仕業だったりすることがわかりました。
ゆえに、医学的にだけ対処するのは間違いなのです。
その解決には、施餓鬼供養がいいということです。
その施餓鬼供養の仕方は各自で調べるのがいいでしょう。
そして、神社や寺院への参拝は、礼儀を尽くして参拝することが大事なのです。
謙虚な気持ちで、敬虔な気持ちで神仏に接することが大事なのです。
そういうスタンスがないないならば、神社や寺院に参拝するべきではないのです。
しかし、こういった霊による仕業ではなく、本当に医学的な対処(薬を飲む、注射を打つなど)だけで治ってしまうので、これは霊の仕業でないと断定してもいいのでしょうか。
このように、問題点が起きたら、その原因を何に求めるかは、これであると断定的にいうことはできないのです。
医学などの科学に依るのか、宗教によるのかはケースバイケースであるということです。
どちらかに断定することはできないのです。
それに、医学的な原因と宗教的な原因があったりと混交している場合ももちろんあるのです。
ゆえに、幅広い知識を得ていこうとする態度が大事なのです。
わからなかったら、自身で調べることが大事なのです。
ゆえに私は、科学だけでも、宗教だけでもないとするスタンスなのです。
この世で最高の宗教と信じて疑わない人が多い日蓮正宗の信徒団体だった創価学会にしろ、顕正会にしろ、多くの不幸者がいるのです。
その最たる例が、日蓮正宗の総本山の法主だった日顕(下写真)でしょう。

この人は、創価学会への嫉妬ゆえに、その会員の350億円の寄進によって作った正本堂をはじめ、本山にあった仏殿を破壊したり、木を何百本も切り倒したりしたのみならず、芸者遊びや奢侈生活に勤しんできたのです。
こんな法主が今は亡き人ですが、今頃地獄の業火で火あぶりにされていることは間違いないです。
ここで、なぜ日蓮正宗の信徒や、その付属団体だった人たちは思わなかったのだろうと思うのは、「南無妙法蓮華経と唱えても、不幸な人間を作り出してしまうのだろう」ということを思わないのだろうか?ということですね。
ここでわかるのは、宗教にだけ頼っても駄目であるということです。
私は、日顕の半生をえがいたノンフィクションを読んでわかったのです。
あの人がああいう人格になったのは、自身の育ったゆがんだ家庭環境にある、ということを。
それを分析して、そういうゆがんだ家庭に育った人が更生するにはどうすればいいのかを、析出して提示したのが以下の本です。
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宗教的な方法だけでもダメですし、科学的な方法だけでもダメであるというスタンスなのです。
情報の摂取の仕方は多ければ多いほどいいのですが、1つの宗教だけによるのもいいことではないのです。
日蓮正宗では、開祖.日蓮の言ったことだけに依拠するべしとして、他の神道や仏教の教えを否定し遮断しているのです。
これでは解決していけるはずもないのです。
●そんなスタンスに共鳴してもらえるかたには読んでもらいたいのが以下の本(電子書籍)になります。
『日蓮正宗、創価学会、顕正会 どのように選び接していくか』
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今回はこれにて終了します。
ありがとうございました。



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