神仏に使命を委託された人物は、当時の社会背景も考慮に入れさせる?(幸福の科学)
神や仏が人間の体に降臨して、その人物に行動を託すといったことは人間の歴史をみれば散見されます。
しかし、それは、どの人物にも起こりうることではないのがわかります。
脳力の著しく高い人物や、宗教的な知識のものすごい多い人などに神や仏が自分たちの使命を託す、という気がします。
普通のボンクラな人物にそんな委託はしないようです。

地球神エル.カンターレが故.大川隆法氏に降臨して、その使命を委託した、というノンフィクションがもとで、幸福の科学は成り立っているのです。
しかし、その委託された人物の価値観も同時にその宗教に反映されるのも事実のようです。
また、その人物の生きた社会背景も反映されるでしょう。
故.大川隆法氏(下写真)が学生の頃に、自動書記がなされ、それが前述のエルカンターレのお告げであるとしたうえで、更にいろんな書物を作ることにつながったようです。
幸福の科学が発足してからたった2年くらいで、大川総裁の出した本は80冊以上にもなっていたのですから驚きです。

とても人間業とは思えない偉業ですね。
こういった面も、やはり私は神がかりだなと思わざるを得ないものです。
ただ単に本を大量に出したというのならば話しは別ですが、その内容もかなり濃い内容ですから、嘘と思う人は総裁の本を実際に読んでみるのがいいでしょう。
しかし、降臨してから後は、神や仏の使命だけでなく、やはりそ神や仏の降臨した人物の価値観も当然出るわけですし、その当時の社会への反旗の思いも当然反映されるのでしょう。
大川隆法氏の大学時代の1970年代において学界では、専門バカといわれる人たちがもてはやされていて、学者は1つの専門領域にだけ籠り、他の分野については何も知らない、というスタンスでいる人こそが本物と流布されていたのです。
それに待ったを掛けたのが、文系大学に行った人ならば必ず耳にする丸山眞男(下写真)という学者で、この人がそれを「蛸壷化」として批判したのです。

しかし、この人は、私は評価しないのですが、どうもこの人のウケはいいのが不思議ですが、その詳細についてはここでは触れないで後に託しましょう。
ただ言っておきたいことは、それを指摘できた人は大勢いたし、その過度な専門化を指摘することは当時学生だった私にも発見できたことなのです。
そんな専門バカの時代を生きた総裁は、やはり反旗して、いろんなことを修める姿勢を貫いたようです。
そうでなくては、社会を俯瞰することも、哲学者としての人格を磨くこともできないと悟ったのでしょう。
そのスタンスに私は共鳴します。
そんな時代においては、やはり宗教界も専門バカがもてはやされていたのでしょうか?
仏教においても、神道やキリスト教においてもいろんな分派が派生し、それぞれが交流することもなく、それぞれが自分の派の勉強に勤しんでいて、それでその状態を見直すことがなかったのでした。
そこでも、大川総裁は待ったをかけたのでした。
その細かく分派された宗教の派内でいわれていることだけを知っているだけで、人類を大きく見据えた教えを見出すことなどできた話しではないのです。
しかし、実際はそういった話しが不問にされていて、自分の宗教だけを見ればいい。
他のことには目もくれなくていい、とした宗教の方がウケはよかったのでしょう。
他宗教を否定の際たるものが日蓮正宗でした。

日蓮は6人の弟子がいたのですが、その弟子たちに「私の教えだけを世間に伝えよ」としたのです。
しかし、その教えを全うしたのが日興上人という人のみで、他の弟子たちは日蓮の教えのほかに、神道や儒教の教えを盛り込んで流布したのです。
それがいいか悪いかはその人の判断に任せましょう。
日興上人の流れを汲むのが日蓮正宗で、その信徒団体だった創価学会は戦後ものすごい勢いを増したのでした!
その勢いは、国民10人につき1人が創価学会員になるまでになったのでした。
その会員だったのが私の母で、そのつてで私もこの会員になったことがありましたが、やはり私とは相いれなかったのです。
日蓮の教えだけに帰依すればいいとしているのですが、それでうまくいけばいいです。
しかし、それでは人生上手くいくはずはないし、私は他の手段も使うことで人生を切り抜けてきたのです。
ゆえに、日蓮(下写真)だけに帰依すればいい、という教えには与することができず、だんだん会合にも遠ざかり、機関紙の購読もストップし、この団体に入ろうと人に諭して、会員にさせるという折伏ということも一切せずにここまできました。

それがいいか悪いかはその人の判断に任せます。
私は日蓮の教えだけに帰依すればいいというスタンスにはならなかったので、こういう結果に落ち着きました。
また、神や仏に委託された人物の動向は、その人の生きてきた価値観に依拠することもありうるという話しをしたいですが、前述のエルカンターレが大川総裁に下生した、と幸福の科学では説明がなされますが、この下生という言葉は、真言宗と重なるのです。
真言宗由来なのです。
真言宗の開祖である空海に大日如来が下生したというノンフィクションによって、真言宗は成り立っているのです。
また、作家の故.三島由紀夫(下写真)は、デビュー時と途中から作風が変わったことで有名です。

それはある時から、三島が、自分の意志とは無関係にペンが走って作品を書きだしたということを霊能者に相談しに行ったことが歴史として残されているのです。
そう、人智を超えた存在が彼に乗り移ったのです。
こういった非科学的な事象は世界の至ることで説明されているのです。
そういう分野にも興味のあった大川総裁は、そういう事象について書いてあった本を多く読んできたがゆえに、自分にも降り立ったということを裏付ける勇気が加わったのだということが言えるのではないでしょうか?
先に、丸山眞男の批判をしましたが、学生当時の私には丸山を崇めることはできなかったです。
それは、ゼミの先生も丸山を絶賛していたし、社会思想の講師も、政治史の教授も丸山を神のように崇めていたのです。

そんな状態では、批判をしようにも批判などできた状態ではなかったのです。
私が思ったのは、丸山の書く本は非常に難解で、古文漢文の引用が多くて、読みづらく、読むのに疲れて、本を読破した後に、「どんなことが書かれていたか」と聞かれても、まったくわからないと答えるほかない代物だったのです。
そんな人がなぜ、政治学の神様なのか、といぶかし気に思っていたのです。
しかし、加地伸行という思想研究者の書いた丸山批判の文には、「非常に難解で読みづらい」としていたのを発見した時には、「自分と同じ意見の人がいたんだ」と思ったし、私が真に敬愛する佐伯啓思という著作家は丸山に対し「興味ない」と敢然と言ってのけた本があり(その詳細について知りたい人は佐伯氏の『西田幾多郎』という本がおすすめです)、それを読んで安堵の思いになったのでした。
自分の行方を占ううえで、それを裏付けることにいくつも出あうことで自信が得れて、更に前に進むことができる、ということがわかります。
故.大川総裁は本を10万冊以上も読んできたということですが、その読書によって自分の行くべき道と重なることを経験してきた歴史上の人物を知ることで、勇気づけられ行動に結びついた可能性が大です。
そういう経験を積み重ねることで、敢然と行動につながるということがわかると思います。
●こういう道の詳細についても興味のある人は、以下の本(電子書籍)はお勧めです。
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
→Amazon Kindle
今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!

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しかし、それは、どの人物にも起こりうることではないのがわかります。
脳力の著しく高い人物や、宗教的な知識のものすごい多い人などに神や仏が自分たちの使命を託す、という気がします。
普通のボンクラな人物にそんな委託はしないようです。

地球神エル.カンターレが故.大川隆法氏に降臨して、その使命を委託した、というノンフィクションがもとで、幸福の科学は成り立っているのです。
しかし、その委託された人物の価値観も同時にその宗教に反映されるのも事実のようです。
また、その人物の生きた社会背景も反映されるでしょう。
故.大川隆法氏(下写真)が学生の頃に、自動書記がなされ、それが前述のエルカンターレのお告げであるとしたうえで、更にいろんな書物を作ることにつながったようです。
幸福の科学が発足してからたった2年くらいで、大川総裁の出した本は80冊以上にもなっていたのですから驚きです。
とても人間業とは思えない偉業ですね。
こういった面も、やはり私は神がかりだなと思わざるを得ないものです。
ただ単に本を大量に出したというのならば話しは別ですが、その内容もかなり濃い内容ですから、嘘と思う人は総裁の本を実際に読んでみるのがいいでしょう。
しかし、降臨してから後は、神や仏の使命だけでなく、やはりそ神や仏の降臨した人物の価値観も当然出るわけですし、その当時の社会への反旗の思いも当然反映されるのでしょう。
大川隆法氏の大学時代の1970年代において学界では、専門バカといわれる人たちがもてはやされていて、学者は1つの専門領域にだけ籠り、他の分野については何も知らない、というスタンスでいる人こそが本物と流布されていたのです。
それに待ったを掛けたのが、文系大学に行った人ならば必ず耳にする丸山眞男(下写真)という学者で、この人がそれを「蛸壷化」として批判したのです。

しかし、この人は、私は評価しないのですが、どうもこの人のウケはいいのが不思議ですが、その詳細についてはここでは触れないで後に託しましょう。
ただ言っておきたいことは、それを指摘できた人は大勢いたし、その過度な専門化を指摘することは当時学生だった私にも発見できたことなのです。
そんな専門バカの時代を生きた総裁は、やはり反旗して、いろんなことを修める姿勢を貫いたようです。
そうでなくては、社会を俯瞰することも、哲学者としての人格を磨くこともできないと悟ったのでしょう。
そのスタンスに私は共鳴します。
そんな時代においては、やはり宗教界も専門バカがもてはやされていたのでしょうか?
仏教においても、神道やキリスト教においてもいろんな分派が派生し、それぞれが交流することもなく、それぞれが自分の派の勉強に勤しんでいて、それでその状態を見直すことがなかったのでした。
そこでも、大川総裁は待ったをかけたのでした。
その細かく分派された宗教の派内でいわれていることだけを知っているだけで、人類を大きく見据えた教えを見出すことなどできた話しではないのです。
しかし、実際はそういった話しが不問にされていて、自分の宗教だけを見ればいい。
他のことには目もくれなくていい、とした宗教の方がウケはよかったのでしょう。
他宗教を否定の際たるものが日蓮正宗でした。

日蓮は6人の弟子がいたのですが、その弟子たちに「私の教えだけを世間に伝えよ」としたのです。
しかし、その教えを全うしたのが日興上人という人のみで、他の弟子たちは日蓮の教えのほかに、神道や儒教の教えを盛り込んで流布したのです。
それがいいか悪いかはその人の判断に任せましょう。
日興上人の流れを汲むのが日蓮正宗で、その信徒団体だった創価学会は戦後ものすごい勢いを増したのでした!
その勢いは、国民10人につき1人が創価学会員になるまでになったのでした。
その会員だったのが私の母で、そのつてで私もこの会員になったことがありましたが、やはり私とは相いれなかったのです。
日蓮の教えだけに帰依すればいいとしているのですが、それでうまくいけばいいです。
しかし、それでは人生上手くいくはずはないし、私は他の手段も使うことで人生を切り抜けてきたのです。
ゆえに、日蓮(下写真)だけに帰依すればいい、という教えには与することができず、だんだん会合にも遠ざかり、機関紙の購読もストップし、この団体に入ろうと人に諭して、会員にさせるという折伏ということも一切せずにここまできました。

それがいいか悪いかはその人の判断に任せます。
私は日蓮の教えだけに帰依すればいいというスタンスにはならなかったので、こういう結果に落ち着きました。
また、神や仏に委託された人物の動向は、その人の生きてきた価値観に依拠することもありうるという話しをしたいですが、前述のエルカンターレが大川総裁に下生した、と幸福の科学では説明がなされますが、この下生という言葉は、真言宗と重なるのです。
真言宗由来なのです。
真言宗の開祖である空海に大日如来が下生したというノンフィクションによって、真言宗は成り立っているのです。
また、作家の故.三島由紀夫(下写真)は、デビュー時と途中から作風が変わったことで有名です。

それはある時から、三島が、自分の意志とは無関係にペンが走って作品を書きだしたということを霊能者に相談しに行ったことが歴史として残されているのです。
そう、人智を超えた存在が彼に乗り移ったのです。
こういった非科学的な事象は世界の至ることで説明されているのです。
そういう分野にも興味のあった大川総裁は、そういう事象について書いてあった本を多く読んできたがゆえに、自分にも降り立ったということを裏付ける勇気が加わったのだということが言えるのではないでしょうか?
先に、丸山眞男の批判をしましたが、学生当時の私には丸山を崇めることはできなかったです。
それは、ゼミの先生も丸山を絶賛していたし、社会思想の講師も、政治史の教授も丸山を神のように崇めていたのです。
そんな状態では、批判をしようにも批判などできた状態ではなかったのです。
私が思ったのは、丸山の書く本は非常に難解で、古文漢文の引用が多くて、読みづらく、読むのに疲れて、本を読破した後に、「どんなことが書かれていたか」と聞かれても、まったくわからないと答えるほかない代物だったのです。
そんな人がなぜ、政治学の神様なのか、といぶかし気に思っていたのです。
しかし、加地伸行という思想研究者の書いた丸山批判の文には、「非常に難解で読みづらい」としていたのを発見した時には、「自分と同じ意見の人がいたんだ」と思ったし、私が真に敬愛する佐伯啓思という著作家は丸山に対し「興味ない」と敢然と言ってのけた本があり(その詳細について知りたい人は佐伯氏の『西田幾多郎』という本がおすすめです)、それを読んで安堵の思いになったのでした。
自分の行方を占ううえで、それを裏付けることにいくつも出あうことで自信が得れて、更に前に進むことができる、ということがわかります。
故.大川総裁は本を10万冊以上も読んできたということですが、その読書によって自分の行くべき道と重なることを経験してきた歴史上の人物を知ることで、勇気づけられ行動に結びついた可能性が大です。
そういう経験を積み重ねることで、敢然と行動につながるということがわかると思います。
●こういう道の詳細についても興味のある人は、以下の本(電子書籍)はお勧めです。
『比較;大川隆法論 非信者が論じる大川隆法氏の信憑性と天才性』
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今回はこれにて終了します。
ありがとうございました!



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